【神話創造プロトコル】環境シム《ワールド・シミュレーター》のテストプレイヤー、地政学とデータ解析で神話の世界を再構築《デバッグ》する   作:ゆばのくさ

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第7話のデスマーチ(大豪雨のリアルタイム・デバッグ)を潜り抜けた結衣の、週明けのお話です。

無事に成果指標を達成してクビを回避した彼女を待っていたのは……きらびやかな報酬ではなく、社会人のリアルな絶望でした。


第8話 月曜日の事後検証

「演算終了。これより、流体計算のローカル・キャッシュをマスターデータへ統合(マージ)します」

 

ミネルヴァの冷徹なシステム音声が、静まり返ったオペレーションルームに響いた。

 

メインコンソールに表示されていた、あの狂暴な「完全乱流(フル・タービュランス)」の赤黒いグラフィックが、すうっと美しい青色の流線――「層流(そうりゅう)」へと収束していく。画面の向こう、濁流の去った高台では、泥まみれになった原始人(ユニット)たちが互いに抱き合い、天を仰いで涙を流していた。生存ログが、緑色の正常値(グリーン)で埋め尽くされていく。

 

液晶グラスを外した天宮結衣は、そのままデスクに顔をうずめた。

時計の針は、金曜日の午前七時。

 

ブラインドの隙間から差し込んできた容赦のない朝光が、一晩中ブルーライトに晒されて砂漠のように乾ききった網膜に容赦なく突き刺さり、激しい痛みを訴えてくる。

 

「終わった……。ナビエ-ストークス方程式と三時間ガチでレスバした……。もう一文字もコード見たくない……」

 

限界だった。急造の治水インフラを強制デプロイし、因果律のバグを力技でねじ伏せるリアルタイム・デバッグ。脳のCPU使用率はとっくに百度を超えてオーバーヒートしている。

 

結衣は震える指で社内勤怠システムを開き、時間外の緊急対応ログを入力した。画面の『金曜:午前中・有給休暇(明け休み)』のチェックボックスを激しくクリックし、元請けの自動承認システムへ送信する。

 

「……即時承認、よし。帰る。私は泥になる」

 

命からがらオフィスを退勤し、六畳間のアパートに転がり込んだ結衣は、遮光カーテンをこれ以上ないほどきっちりと閉め切った。スマホの電源を落とし、ベッドへダイブする。金曜の朝から土曜の昼にかけて、彼女の意識は完全にシャットダウンされた。

 

日曜日、午後三時。

遅すぎる昼食としてコーラで冷凍ピザを流し込みながら、結衣は自宅のノートPCで個人的な事後検証(ポスト・モルテム)を行っていた。

 

頭から離れないのは、あの激流の中で見せた、観測対象「族長」の異常な動きだ。

 

「……やっぱり、どう考えてもおかしいわ」

 

結衣はピザの箱を脇に退け、ローカルに保存していたプレイログを再生する。

 

「AIの自律思考アルゴリズムがオーバーフローして、自我の萌芽が生まれた……なんてレベルじゃない。私が配置した『誘導指示(ウェイポイント)』の意味を初見で完璧に理解して、一番効率的なルートへ的確に原始人(ユニット)を配置していった。これ、野生の勘とか原始宗教の奇跡なんかじゃない。完全にRTS(リアルタイムストラテジー)のプロゲーマーのドラッグ&ドロップの動きよ」

 

この環境シミュレーターは、シングルプレイの検証環境として元請けから委託されたはずだ。

だが、もしこのプロジェクトに「別の人間」が関わっているとしたら?

 

「ま、考えても始まらないわね。明日は月曜日。私の本職は、このイカれた環境シミュレーション・プロジェクトの環境担当PM(プロジェクトマネージャー)なんだから」

 

胃のあたりに微かな痛みを覚えながら、結衣は残りのピザを口に放り込んだ。

 

月曜日。午前九時。

結衣は「環境シミュレーション・プロジェクト」の専用オフィスに出社した。

サーバーから淹れたての苦いコーヒーをマグカップに注ぎ、自分のデスクのメインコンソールにログインする。週明け特有の重い憂鬱を払いのけるようにキーボードを叩き、まずは先週の大豪雨に関する正式な「障害報告書(ポスト・モルテム)」をシステムにデプロイした。

 

『原因:上位レイヤーにおける未認可オブジェクトの不法投棄、およびそれに伴う完全乱流(バグ)の発生。暫定対処として、ローカル権限によるポインタ書き換えを敢行。環境モデルへの影響は軽微』

 

よし、と送信ボタンを押した直後、画面中央にビジネスライクなシステム通知のポップアップが表示された。

 

【フェーズ1・中間監査レポート】

『検収判定:A(最優秀適合)』

 

画面には、詳細な成果指標(パフォーマンス・インジケーター)の対比表が出力されている。

PI-01(対象セクター部族生存率):目標 30.0% 以上 / 実績 98.7%』

『システム自動コメント:想定外の非正規オブジェクト(謎の漂流物(Object: Seigyu))の利用が検知されましたが、重要PI(成果指標)を大幅に超過達成しているため、本フェーズは「検収完了」とします。インセンティブ報酬を支給します』

 

「よし……! クビは繋がったわ!」

 

結衣はガッツポーズを決め、コーヒーを一口すする。あのどこの馬の骨が流してきたかもわからない泥と丸太のゴミ(聖牛)が、結果として最高の土嚢代わりになってくれたのだ。成果指標さえ叩き出してしまえば、こちらの勝ちである。終わり良ければすべて良し、これにてフェーズ1は完全クローズ――。

 

その安堵を切り裂くように、画面が突如として暗転した。

真っ赤なローディングバーが走り、大々的なシステムアップデートの通知がデスクトップを覆い尽くす。

 

『仕様変更:マルチレイヤー相互フィードバック機能(テスト版)の開通。本日より、各時間軸(レイヤー)の担当者間で、環境バグや仕様変更に関する【課題管理システム(Issueトラッカー)】が共有されます』

 

Issue(イシュー)トラッカー……? JIRAやGitHubみたいな課題管理システム? ってことは、やっぱり過去や未来のレイヤーに、別の担当者が実在するんだ!」

 

結衣が驚愕した、その瞬間だった。

コンソールの右上が、見たこともない禍々しい赤色に明滅し始めた。

 

ピコン。ピピピピピピピピピ!

 

「な、何これ!? スパム!?」

 

未読の通知バッジが、『1』から『5』、誠に恐ろしい速度でカウントアップしていく。それは一瞬にして上限を突破し、『99+』という最悪の文字列へと変化した。

 

ミネルヴァ『仕様です。相互フィードバック機能の開通に伴い、別レイヤーの担当者からシステム(元請け)経由で過去に提出されていた【環境バグ・仕様変更の不具合報告(クレーム)】が、当環境のバックログへ一斉に同期されました』

 

「バックログが一瞬で破綻したんだけど!?」

 

結衣は顔面蒼白になりながら、血の気の引いた手で未読チケットの山を開いた。

ほとんどは、NPCの行動エラーやシステムによる「メモリ使用量超過」といった軽微な警告(Warning)だった。しかし――その膨大なゴミチケットの最上段、絶対に視界に入る特等席に、どす黒い赤色で点灯している特大のチケットが『2件』、結衣を嘲笑うように鎮座していた。

 

優先度(Priority)最高(Critical)

状況(Status)未着手(To Do)

 

さらに、その2件の横に書かれたメタデータを見た瞬間、結衣の口から悲鳴が漏れた。

 

担当者(Assignee):User-A(天宮)】

 

「ちょっと待って! なんでこの最高にヤバそうな2件のチケット、最初から私が『担当者(アサイニー)』に強制アサインされてるのよ! 私が起票したやつじゃないわよ!?」

 

ミネルヴァ『仕様です。本プロジェクトの運用規約第12条に基づき、環境レイヤーにおける最終出力の責任は、すべての事象を監査・検証(Check)する立場にあるユーザーAに自動的に帰属します』

 

「下請けの監査(Check)担当に全責任を押し付けるなァァァ!!!」

 

自分の預かり知らぬところで、過去と未来から投げつけられた特大のインシデント。

結衣が頭を抱えてデスクに猛烈に突っ伏し、社内に鈍い音が響き渡ったところで、フェーズ1の幕は完全に閉じた。未来という名の、さらなる地獄のチケット処理に向けて。




第8話を最後までお読みいただき、ありがとうございました!

「結衣、お疲れ様……」「バックログ破綻の既視感がヤバい」と思ってくださった方は、ぜひ評価(★)やブックマーク、感想をいただけますと大変励みになります!

皆さまの応援で、結衣のチケット消化スピード(と胃薬の消費量)がアップします。どうぞよろしくお願いいたします!
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