孫悟空でボスラッシュ! ――希望のなき世界に、希望になり得るか―― 作:Henon
黒煙の向こうで、兵士の一人が叫んだ。
「奴だッ!」
その声に、周囲の銃口が一斉に動く。
「さっきから飛び回ってる奴だ!」
戦車の砲塔が軋みながら旋回し、装甲車の上部に据えられた機銃が悟空の方へ向いた。歩兵たちもまた、反射的に銃を構える。
黒煙と火花の中に、山吹色の道着を着た青年が立っていた。
ただ、拳を握り、燃える街と逃げる人々の前を守るように。
兵士たちの間に、わずかな動揺が走る。
「何者だ……?」
「まさかヒーローか?」
「いや…ヒーロー到着の情報は来ていないッ!」
「そんなことはどうでもいい!」
指揮官らしき男が怒鳴った。
「恐らく低級のヒーローだ!撃ち殺せぇ!」
その命令が、中央通りに響いた。
次の瞬間、銃声が一斉に鳴り響く。
乾いた破裂音が重なり、道路に散ったガラス片が跳ねた。銃口から炎が瞬き、弾丸が黒煙を裂いて悟空へ向かう。
常人ならば、それだけで終わっていただろう。
避ける暇もなければ、叫ぶ暇もない。
肉も骨も引き裂かれ、路上に倒れるしかない。
だが、悟空は動じなかった。
速い。確かに速い。
だが、今まで受けた老人との稽古の攻撃より、悟空には遥かに遅く見えたのだ。
悟空は両手を動かした。
指先が霞むほどの速さで、迫る弾丸を一つずつ止めていく。
金属が掌の中で潰れ、熱を持った弾頭が握り込まれ、軌道を失った弾が足元へ落ちる。
銃声が止んだ時、悟空はまだ同じ場所に立っていた。
傷ひとつない。
「な……!」
兵士の一人が、間の抜けた声を漏らした。
「馬鹿な……」
「なぜ無傷なんだ……?」
悟空はゆっくりと手を開いた。
掌から、潰れた弾丸が零れ落ちる。
からん、からん、と小さな音を立てて、熱い金属片がアスファルトへ散った。
「おめえら……」
低い声だった。
兵士たちの肩が、びくりと揺れる。
「悪いことは言わねえ」
悟空は、ゆっくりと拳を握った。
「今すぐ、ここから出て行け」
その言葉に、兵士たちは答えられなかった。
命令を受けて街に入り、火力で押し潰すつもりだった。
相手がヒーローだろうと、数で囲み、撃てば倒せると思っていた。
だが、目の前の青年はあろうことか銃弾を素手で掴んだのだ。
こうも非常識な光景を見せられるとは、兵士たちは誰1人予想できなかったのだ。
「化け物が……」
誰かが呟いた。
それは恐怖から漏れた声だったのだろう。
だが、その一言が、悟空の眉をわずかに動かした。
「化け物……?」
街を壊したのは誰だ。
人がいるビルへ撃ち込んだのは誰だ。
逃げる人々へ銃を向けたのは誰だ。
悟空の胸の奥で、怒りがまた熱を帯びる。
その時、歩兵の中から一人の兵士が前へ出た。
顔は恐怖で歪んでいる。額には汗が浮かび、銃を持つ手も震えていた。だが、彼は背中の筒状の兵器を引き抜き、肩へ担いだ。
大きな筒だった。
「こ、こいつはな……!」
兵士は震える声で叫んだ。
自分を奮い立たせるように…そして恐怖を誤魔化すように。
「戦車もイチコロのバズーカだッ!!」
周囲の兵士が顔色を変える。
「待て!近すぎる!」
「後ろに民間人がーー」
しかし、筒を構えた兵士にはもう聞こえていなかった。
恐怖で視野が狭くなっていたのだ。
目の前の化け物を殺す。
それしか考えられなくなっていた。
「粉々になれやぁ!!」
発射音が響いた。
白煙を引いて、ロケット弾が悟空へ向かって飛び出す。
その弾道を見た瞬間、悟空の目が見開かれた。
自分へ向かっている。
だが、その先には自分だけではない。
背後に、人がいる。
さっき助けたばかりの人たちがいる。
「おい!」
悟空が叫んだ。
しかし、ロケット弾は止まらない。
白煙を引き、空気を震わせ、真っ直ぐに飛んでくる。
「ッ!馬鹿野郎!!」
悟空は踏み込んだ。
手を前へ突き出し、腹の奥から『気』を叩きつけるように放った。
目に見えない衝撃が、中央通りを走った。
空気が爆ぜ、迫っていたロケット弾が、軌道ごと押し潰されるように弾かれた。
弾頭は兵士たちの手前で横へ逸れ、道路脇の無人区画へ飛び込んで爆発する。
そして同時に、その衝撃波は前方の装甲車へ叩きつけられた。
装甲車の車体が軋み、タイヤが浮く。横腹から叩かれたように傾き、そのまま道路を滑って横転した。
「うわぁッーー!」
後続の兵士たちも吹き飛ばされ、銃を取り落としながら地面へ転がる。
砲声とも爆発とも違う音が、中央通りに響いた。
衝撃波が中央通りを駆け抜けた。
数秒だけ、中央通りが妙に静かになった。
悟空は手を突き出した姿勢のまま、息を止めていた。
そして、遅れて気づいた。
「……やべッ」
今のは強すぎた、と
ロケット弾を止める。
背後の人たちを守る。
それだけを考えていたのだ。
けれど、その先にいた兵士たちのことまで、ちゃんと見えていなかった。
悟空は慌てて前へ飛び出した。
「おい!大丈夫か!」
横転した装甲車の周りには、兵士たちが倒れていた。
血は出ている者もいるが、幸い命に関わるほどではない。
悟空は一人ひとりを見て深刻な怪我をしていないか確認する。
そして、全員を一通り確認して、ようやく小さく息を吐いた。
「……よかった」
怒りはある…それでも、殺したかったわけではない。
街を壊した連中だし、人に銃を向けた連中だ。
それに逃げる人がいる場所で、あんなものを撃とうとした連中だ。
それでも、死んでいいとは思えなかった。
悟空は、倒れた兵士の胸元から外れかけた装備を見た。
その腕に、赤い腕章が巻かれている。
赤く縁取られた布地。
その中央に、白く描かれた二つの文字。
――RR。
悟空の目が、そこで止まった。
「……?」
胸の奥に、妙な感覚が走った。
それは、街を初めて見た時に感じたものと似ていた。
知らないはずなのに、知っている。
見たことなどないはずなのに、どこかで見た気がする。
けれど、街を見た時の懐かしさとは違った。
あの時は、ぼんやりと温かかく…まるで、遠い記憶の底に沈んだ景色を、ふと見つけたような感覚だった。
今は違う。
思い出せ、と誰かに言われているように。
悟空は、腕章から目を離せなかった。
(RR……)
その響きが、頭の奥で何かを叩いた。
この山で育つより前、じいちゃんに拾われるより前。
自分がまだ、『自分』ではなかった頃。
白く擦り切れた記憶の向こうで、誰かがこの名前の意味を知っている。
知っているはずなのに、出てこない。
悟空は額に手を当てた。
「なんだ……これ」
焦りがあった。
あの腕章を見た瞬間から、胸の奥がざわついているのだ。
思い出さなければならない、知らなければならない、今、ここですぐにでも。
そんな感覚だけが、強くなっていく。
(なぜだ……?)
悟空は歯を食いしばった。
(思い出さねえといけねえ……こんなに……何をオラは焦ってんだ?)
倒れていた兵士が、怯えた目で悟空を見上げていた。
悟空はその視線に気づき、はっとする。
今は考え込んでいる場合ではない。
まだ街は燃えており、黒煙の奥から、鉄の音が近づいている。
悟空は兵士から視線を外し、もう一度腕章を見た。
「……今は後回しだ。」
悟空は低く呟いた。
そして、兵士たちに向かって言った。
「動けるならとっと失せろ。もう…悪さすんじゃねえぞ」
兵士たちは答えなかった。
ただ震えながら、悟空を見ている。
悟空は背を向けた。
引っかかりはまだ、消えない。
だが今は、目の前の人を守る方が先だった。
悟空は拳を握り、通りの奥へ視線を向けた。
思い出せない記憶と、消えない焦りを抱えたまま、悟空は再び戦場へ踏み出した。
ーー
同じ頃。
中央通りから数区画離れた場所に、指揮車両が停車していた。
外見は大型の装甲車にしか見えない。だが内部には複数の通信機と戦況表示用のモニターが並び、L市中心部の映像が絶えず流れ込んでいた。
その中は、すでに作戦開始時の整然とした空気を失っていた。
『ダメだ!!奴を止められない!』
無線の向こうから、兵士の悲鳴じみた声が響く。
『第一戦車小隊、応答なし!第二、第三小隊も後退中!』
『信じられない!奴は戦車を引きちぎってやがる!砲塔を、砲塔を素手で――』
通信はそこで途切れた。
直後、別の画面に映っていた戦車の映像が大きく揺れる。
山吹色の影が一瞬だけ映った。
次の瞬間、戦車の砲塔が根元から歪み、車体が横へ傾いた。映像が激しく乱れ、黒煙と火花だけが画面を埋める。
指揮車内にいた兵士たちが息を呑んだ。
誰も言葉を発しない。
しかし、沈黙を破ったのは、軍服姿の男だった。
「……たった一人に、何をしている」
低い声だった。
男は将軍と呼ばれていた。
この作戦全体を統括する、より上位の司令官だ。
都市制圧は順調に進むはずだった。
通信施設を押さえ、治安部隊を分断し、ヒーロー協会支部が本格的に動く前に都市機能を掌握する。
その計画だった。
怪人災害に慣れた都市は、外部からの軍事侵攻には脆い。
そう読んでいた。
実際、最初はその通りだった。
都市治安部隊は押され、市民は混乱し、装甲車と戦車が中央通りを進むだけで、都市を簡単に制圧できるように見えた。
だが、たった一人。
たった一人の未確認個体が、戦況を歪めていた。
将軍はモニターを睨みつける。
画面の中で、山吹色の青年が兵士たちの前に立っている。顔は煙でよく見えない。
士官が、低い声で言った。
「将軍。ここは陸海空の統合火力で叩くべきです」
将軍は視線だけを向けた。
「都市制圧が目的だぞ」
声には苛立ちが混じっていた。
「無駄に破壊すれば、拠点としての価値が落ちる。通信施設も、電力網も、協会支部も、使える形で押さえる必要があるんだぞ」
「承知しております」
士官は表情を変えなかった。
「ですが、分散した火力では奴に損害を与えられません。」
その言葉を裏づけるように、無線がまた叫んだ。
『こちら第三戦車小隊!目標、接近!速い、速すぎる!』
『撃て!…撃て撃て撃て!』
『効かない!弾が――』
金属が捻じ切れるような音と悲鳴。
車内の空気が重くなる。
士官は続けた。
「都市を多少破壊してでも、奴を排除すべきです。奴がいる限り、あの中央通りは突破できません」
「多少、だと?」
将軍の眉が動く。
「貴様、あそこの周辺区画に避難民共がまだ残っていることは理解しているな」
士官はわずかに笑った。
その笑みには、熱も怒りもなかった。
ただ、冷たい軽蔑だけがあった。
「…我々の大義に賛同しない愚か者どもなど、どうでもよいではありませんか」
士官は平然と続ける。
「この都市の民衆は、怪人に怯え、ヒーローなどという見世物に縋り、力を持つ我々を理解しようとしない。…ならば、少しばかり犠牲が出ても、秩序のためには必要な損耗です」
「……」
「…それよりも問題は、火力を散らしていることです。機甲部隊、歩兵、航空部隊。すべてが個別に反応している。これでは、奴に各個撃破されるだけです。」
士官はモニターの一点を指差した。
山吹色の青年。
「集中して潰すべきです。周辺区域は考慮せず、あの一点へ火力を集める。面で押し潰せば、いかに化け物でも――」
「ヒーロー共を刺激するぞ」
「それは時間の問題でしょう」
士官は即答した。
「我々の災害レベルはすでに『鬼』に格上げされたとの情報があります。ヒーロー共は必ず来る。ならば、その前に中央通りを制圧し、協会支部方面への進路を確保するべきです」
将軍は黙った。
車内には、無線の雑音だけが響いていた。
将軍は、尚も声を発さず計画表を見た。
(…制圧予定時刻は、すでに大幅に遅れている。)
通信施設の占拠も不完全。
都市治安部隊は予想以上に粘っている。
市民の混乱も、混乱している分だけ侵攻の妨げになっている。
そして何より、中央通りにいるあの男。
あれがいる限り、作戦自体が瓦解する恐れがある。
将軍はゆっくりと拳を握った。
「……いいだろう」
士官が顔を上げる。
将軍は冷たい声で告げた。
「総攻撃を許可する」
車内の空気が変わった。
将軍の言葉を通信兵が即座に復唱する。
「総攻撃だ。対象は中央通り未確認個体。」
「戦車部隊は後続を投入せよ。航空部隊は上空からの火力支援。無人機も回せ。」
将軍はモニターを睨んだまま続けた。
「…洋上の戦艦にも艦砲射撃を要請せよ。」
士官は薄く笑った。
「はっ」
通信兵が各部隊へ命令を流し始める。
『全攻撃部隊へ。目標、中央通りの未確認個体。以後、対象を最優先排除目標とする』
『残存戦車部隊は前進せよ。砲撃準備!』
『全航空部隊、総攻撃準備に移行せよ!』
『洋上の戦艦は砲撃準備を急げ!』
『繰り返す。全部隊へ…目標を排除せよ』
車内のモニターに、複数の赤い照準線が表示される。
それらはすべて、同じ場所へ向かって収束していた。
中央通り。
黒煙の中に立つ、山吹色の青年。
将軍はその姿を見つめた。
「貴様が何者であれ……」
吐き捨てるように呟く。
「我々の進軍を止められると思うな」
ーー
中央通りに、わずかな静けさが落ちた。
それは戦いが止んだ静けさではない。
次の一撃のために、息継ぎのようなものだ。
悟空は、通りの奥を見据えたまま足を止める。黒煙の向こうで、いくつもの気配がこちらへ向いたのが分かった。
さっきまでとは明らかに違う。
銃を持った兵士が恐怖に任せて撃ってくる気配でも、戦車が慌てて砲塔を回す気配でもない。
言うなれば…街に散らばっていた殺意が、何者かの命令によって一つの形に束ねられていくようなーー
悟空の足元で、割れた無線機がざらついた音を吐いた。
『――全部隊。照準よしッ!』
悟空の眉が動いた。
倒れた兵士が取り落とした無線機だった。ひび割れた筐体に煤がこびりつき、内部からは雑音が混じっている。それでも、その声だけははっきり聞こえた。
『目標、中央通り未確認個体!』
その瞬間、悟空は理解した。
敵の意識が全て、自分を向いている事に。
通りの奥に並ぶ戦車の砲口。装甲車の上部で唸る重機関銃。上空を旋回する攻撃機。さらに遠く、街の外側から近づいてくる気配。
それらすべてが、自分一人を狙っていた。
いや…正確には…
狙われているのは、自分だけではない。
自分の立つこの場所ごと、まとめて消すつもりなのだ。
『周辺被害は考慮せずッ!』
無線機が叫ぶ。
『繰り返す!周辺被害は考慮するなッ!!』
「なにッ……!」
悟空の顔色が変わった。
怒りより先に、寒気が走った。
あいつらは分かっているのだ。
ここに人がいることを。
まだ逃げきれていない者がいることを。
悟空の拳が震えた。
「あいつら……!」
その言葉が終わる前に、無線の向こうで命令が落ちた。
『攻撃、開始ッ!!』
直後、街が揺れた。
まず通りの奥で火が瞬いた。
戦車砲の発射炎だ。
いくつもの砲口が同時に火を噴き、重たい砲弾が黒煙を裂いて飛んでくる。
続けて、装甲車の機関砲が道路を削った。白煙を引くロケット弾が数本、低い唸りを上げながら中央通りへ滑り込む。
上空からは攻撃機が急降下する。
機首の火線が地面をなぞり、翼の下から放たれたミサイルが炎の尾を引く。黒煙の切れ間から差し込む光の中で、それらはまっすぐ悟空のいる場所へ向かっていた。
そして、遅れて。
もっと遠くから、腹の底に響くような振動が届いた。
街の外。海の方角だ。
ずしん、と空気そのものが押されたような音だった。
悟空は顔を上げる。
黒煙の上を越えて、巨大な影が飛んでくるのが見えた。
戦車の砲弾とはまるで違う。
大きく、重く、そして速い。
洋上の戦艦が撃った主砲弾だった。
その一発だけで、建物の一角どころか、この通りそのものを抉り飛ばせるほどの破壊力。それが、他の砲撃と同じ一点へ向かって落ちてくる。
「ここら一帯を……吹き飛ばす気か……!」
悟空は歯を食いしばった。
自分だけなら避けられる。
砲弾もミサイルも置き去りにして、撃ってきた連中のところまで一瞬で行ける。
だが、それをすれば、後ろの人たちが死ぬだろう。
だからこそ、避けられないのだ。
「考えたな……ちくしょう!」
悟空は両足を開いた。
踏みしめたアスファルトに、細い亀裂が走る。
「みんな伏せろォッ!!」
悟空の叫びに、救助隊員たちが反射的に動いた。
負傷者の上に覆いかぶさる者。子供を抱きしめて地面に伏せる母親。そしてそれらを守るように治安部隊員が盾を構え、避難民の前へ立った。
彼らには、何が来るのか分からない。
ただ、悟空の声が本気だという事はわかる。
砲弾が迫る。
悟空の髪が揺れ、道着が熱風を受けるより先に激しくはためいた。
腹の奥から、熱が湧き上がってきた。
さっき、消えかけた命へ分けた力。
助けたいと思った瞬間に、掌へ集まった温かさ。
それを今度は、もっと大きく、もっと広く押し出す。
決して、届かせない。
背後には、絶対に届かせない。
「はぁあああ……ッ!」
悟空の足元で、アスファルトが砕けた。
小石が震え、煤が舞い上がり、割れたガラス片がかすかに浮いた。風など吹いていないのに、悟空を中心に空気が渦を巻く。
迫る砲弾の影が、彼の瞳に映る。
悟空は両手を引いた。
掌の間に、目には見えない力が集まっていく。
その時、最初の砲弾が目前に迫った。
間髪入れず、悟空は両手を突き出した。
「はぁあああああああッ!!」
空気が弾け、目に見えない衝撃が、真正面へ走った。
飛び込んできた砲弾が、悟空の前でひしゃげた。ロケット弾が軌道を失い、ミサイルが横へ弾かれ、機関砲の弾幕は砂粒のようにまとめて吹き散らされる。
悟空の気が、それらを正面から押し潰し、黒煙の中へ弾き返していく。
それは、戦艦の主砲弾でさえ例外ではない。
巨大な鉄塊が、乾いた土くれのように歪み。外殻が裂け、都市を消し飛ばすはずだった弾頭は、爆発として形を成すことすら許されず、白い閃光に呑まれて黒煙の上へ散ったのだ。
轟音だけが、遅れて空に響いた。
悟空は両手を突き出したまま、荒く息を吐いた。
「はぁッ…はぁ…」
中央通りに、異様な沈黙が落ちる。
しかしその沈黙を破るように最初に声を上げたのは、瓦礫の陰に伏せていた子供だった。
「……すごい」
その小さな声が、やけに大きく聞こえた。
やがて、ひとり、またひとりと顔を上げる。
救助隊員が、恐る恐る自分の身体を確かめていた。母親は抱きしめていた子供の顔を覗き込み、無事だと分かった瞬間、その場に崩れるように泣き出した。治安部隊員は盾を構えたまま、呆然と悟空の背中を見ている。
誰も死んでいない。
あの砲撃の中でーー
戦車も、航空機も、戦艦の主砲さえ加わった総攻撃の中でーー
市民たちは、生きていた。
「生きてるッ!!」
誰かが叫んだ。
その声をきっかけに、堰を切ったように人々の声が溢れ出す。
「助かった……!」
「生きてる……俺たち、生きてるぞ!」
「ありがとうッ!」
「ありがとう!本当に、ありがとうッ!」
泣きながら手を合わせる老人がいた。膝をついたまま、何度も頭を下げる者がいた。救助隊員の一人は、担架の横で声を詰まらせながら悟空を見つめていた。
その視線が、痛いほど真っ直ぐだった。
「なんて名前のヒーローなんだ……?」
「協会のヒーローだよな?」
「いや、知らない……でも、助けてくれたんだ!」
その言葉に、悟空の肩がわずかに揺れた。
『ヒーロー』
街へ来たばかりの悟空には、その言葉の重さがまだよく分からない。
けれど、人々がその言葉に込めているものは分かった。
助けてくれた者、守ってくれた者。
そして、絶望の前に立ってくれた者。
悟空は振り返り、背後の人々を見た。
煤まみれの顔に震える手。
それでも、彼らは…生きている。
胸の奥に、温かいものが広がった。
「……よかった…無事みてえだな…」
小さく呟いた。
間に合ったのだ。
ビルが爆発した時は、止められなかった。だが、今ここにいる人たちは守れた。
その事実に、悟空はほんの少しだけ息を吐いた。
けれどーー
人々の歓声が大きくなるほど、悟空の胸の奥で何かが軋んでいく。
「ありがとう!」
「あなたがいなかったら、私たち……!」
向けられる感謝。縋るような視線。
救われた者たちの笑顔。
そのすべてが、嬉しいはずだった。
嬉しい…確かに嬉しい。
なのに、痛い。
まるで騙しているようで…
悟空は、胸のあたりをそっと掴んだ。
その時だった。
心の底で、誰かが笑った気がした。
聞こえるはずのないなにかの声。
――お前のせいなのに。
悟空の呼吸が止まった。
歓声が遠のく。
目の前の市民の声も、救助隊員の叫びも、戦場の音も、一瞬だけ水の底に沈んだように遠くなる。
――お前がいたから、あいつらは来たんじゃないのか。
悟空の目が揺れた。
赤い腕章。
見た瞬間に胸の奥を殴った、あの妙な焦り。
知らないはずなのに、知っている感覚。
思い出せないのに、思い出さなければならないという強迫観念。
それが、また胸の奥で疼いた。
――お前が⬛︎⬛︎⬛︎だから。
悟空は奥歯を噛みしめた。
「違う……」
声にならないほど小さく呟いた。
だが、その声は自分自身にすら届かなかった。
でももしも…この惨状が、自分がここに来たせいで起きたのだとしたら。
もし、あの赤い腕章の連中が、自分に関係する何かだったのだとしたら。
もし、この街が燃えた理由のどこかに、自分の存在があるのだとしたら。
感謝されていいのか?
ヒーローと呼ばれていいのか?
悟空の拳が震えた。
さっきまで砲弾を消し飛ばした手が、今は自分の指先の震えすら止められなかった。
「ねえ!ヒーローさん!」
子供の声がした。
悟空は顔を上げる。
母親に抱えられた小さな子供が、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、悟空に手を振っていた。
「ありがとう!」
その声に、悟空は胸を突かれたような顔をした。
何かを言わなければならない。
「……おう!」
それだけだった。
子供は安心したように母親の胸へ顔を埋める。
そして悟空は、ゆっくりと黒煙の奥へ向き直る。
まだ敵は残っている。
まだ、終わっていないのだ。
胸の痛みを押し込めるように、悟空は拳を握った。
「……今は」
自分に言い聞かせるように呟く。
「今は、考えてる場合じゃねえ!」
助けを求める人がいる。
なら、動くしかない。
たとえその先に、どんな答えが待っていたとしても。
悟空は歓声を背に、再び前へ飛び出した。