孫悟空でボスラッシュ! ――希望のなき世界に、希望になり得るか―― 作:Henon
輸送ヘリの機内は、狭く、騒がしかった。
ローターの振動が床から足裏へ伝わり、機体の壁が絶えず低く唸っている。
窓の外には、煙に濁った街の空が広がっていた。遠くの市街地では黒煙がいくつも立ち上り、夕暮れの光を灰色に染めている。
少女は座席に腰を下ろしたまま、膝の上に置いた二本の刀を見つめていた。
訓練場で振っていた木刀とは違う。それは鞘に収まっていても、その重さははっきりと分かった。
抜けば斬れ、深く入れば容易く命を奪える。怪人相手に持つ時とは、同じ刃でも意味が違った。
これまでの相手は、基本的に人ではなかった。
姿形が人に近くても、すでに人としての理屈が通じないもの。街を破壊し、人を襲い、止めなければさらに被害を広げるもの。
そういう相手なら、斬ることに迷いはない。
だが、今回は違う。
報告では、敵は武装した人間の集団だという。
銃を持ち、装甲車を動かし、戦車を進め、都市へ侵攻している。
断じて許される行為ではない。
止めなければならない…だが、それでも相手は人間なのだ。
彼らにも彼らなりの事情があるのかもしれない…
そう考えた瞬間、膝の上の刀がひどく冷たく感じられた。
少女の指が、鞘の上でわずかに動く。
隣に座る覆面の男は、その小さな動きを見逃さなかった。
彼はいつものように気の抜けた姿勢で座っていた。片目だけで窓の外を見ているように見える。
「緊張してる?」
何気ない声だった。
少女はすぐに否定しようとした。
「いえ……」
しかし、言葉はそこで止まってしまう。
窓の外に見える黒煙が、嘘を許してくれなかったのだ。
「……いえ。そうですね」
少女は小さく息を吐いた。
「緊張しています。初めてですから…人を相手にするのは」
機内の振動が、短い沈黙を埋めた。
「怪人なら、まだ分かります。止めなければ誰かが死ぬ。そういう相手なら、迷っている暇はありません。でも、今回は……」
少女は膝の上の刀を見下ろした。
「銃を向けてくる相手でも…人です。斬った瞬間に、取り返しがつかなくなる気がして…」
男は茶化さなかった。
普段なら軽く流すところだったかもしれない。けれど今の少女に必要なのは、雑な励ましではない。
「大丈夫」
男は静かに言った。
「俺も君も、殺さずに制圧できる」
「そう、でしょうか……」
「できるよ。君なら。」
少女は顔を上げた。
「…簡単に言いますね」
男は肩をすくめる。
「ま、訓練を思い出しなよ」
「……見ていなかったくせに」
「ええ…」
少女の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
緊張が消えたわけではない。人を相手にする怖さも、刀を抜く重さも残っている。
それでも、指先にこもっていた力はわずかに抜けた。
ーーその時、機体が大きく揺れた。
男の目が動く。
少女も即座に顔を上げた。
機内の通信機から、切迫した声が飛び込んでくる。
『接近警報!2時の方向、上空から高速接近中!』
直後、別の乗員が叫んだ。
『やばいッ!戦闘機だッ!』
窓の外を、黒い影が横切った。
雲の下を裂くような機影だった。翼下には兵装が見える。市街地上空を旋回していた敵機の一つが、こちらを捉えたのだ。
『回避する!掴まれ!』
機体が急旋回する。
少女の身体が横へ振られ、膝の上の刀が座席に当たって硬い音を立てた。男は片手で機内のグリップを掴みながら、窓の外を見た。
敵機がこちらへ機首を向けてくる。
距離が詰まる。
翼の下から、白い煙が伸びた。
『ミサイル発射!』
パイロットの叫びと同時に、少女が立ち上がりかけた。
「私が――」
「待った」
男が片手で制した。
彼は機内のドアへ向い、ドアを開けた
風圧で機内が軋む。
外は地上まではまだ高さがある。普通なら、開けるなど正気の行動ではない。
だが、男は躊躇しなかった。
「…」
男の手が素早く動いた。
揺れる機内など最初からないもののように、指が迷いなく形を作っていく。
少女はその横顔を見た。いつも気だるげで、どこか人を食ったような男の目が、その瞬間だけ鋭く細められていた。
白煙を引いたミサイルが、視界の中で急速に大きくなる。
男は開いたドアの縁に片足をかけ、吹き込む風の中で身体を固定した。
そしてーー
「風遁――大突破ッ!」
次の瞬間、ヘリの横で空気が爆ぜた。
それは風というより、見えない防壁だ。圧縮された空気の塊が真正面へ叩きつけられ、迫っていたミサイルの軌道を横から強引に押し曲げる。
白煙の尾が大きく歪んだ。
ミサイルはヘリの胴体を掠める寸前で外れ、後方の空へ流されていく。数拍遅れて、遠くで爆発が起きた。
衝撃波が機体を揺らす。
少女は座席の手すりを掴み、踏み止まった。
「……今のは!」
「風で押しただけだよ」
男は何でもないように言った。
ただの風ではない。
空を裂いて飛んでくるミサイルの進路を、真正面から力任せに逸らすほどの風圧。ほんの少し角度を誤れば、ヘリを巻き込みかねない危険な技だった。
それを、この男は機内の揺れの中で当然のようにやってのけたのだ。
パイロットの声が通信越しに飛ぶ。
『な、何をした!?』
「説明は後!」
男は短く返した。
だが、敵機はすぐに旋回してきた。
外れたミサイルを確認する間もなく、再びこちらへ機首を向ける。今度は高度を下げ、機銃の火線をこちらへ向けてきた。
機体の外装を弾丸が掠め、金属を叩く嫌な音が連続して響く。
少女の目が鋭くなった。
「今度は、私がやります!」
二本の刀を掴む。
今この瞬間に斬るべきものは、人ではない。
飛来する弾丸。
機体を裂こうとする火線。
それだけだ。
少女はドア際へ踏み込んだ。
「…無理しないでね」
「訓練を思い出せ、と言ったのはあなたです」
「おお、言うようになった」
狭い機内に、白い刃が走る。ローターの振動も、吹き込む風も、迫る弾丸も、その瞳の中では一本の線へ収束していた。
今斬るべきものは、人ではない。
弾丸とミサイル。
この機体を落とそうとする殺意だけだ。
少女はドアの縁を蹴った。
身体が、半ば機外へ出る。
風が全身を叩き、衣服が激しくはためいた。
「人符――現世斬!」
次の瞬間、少女の姿がぶれた。
白い軌跡が、機銃の火線を横切る。ヘリの胴体へ吸い込まれようとしていた弾丸が、空中で弾かれ、火花を散らしながら軌道を失った。
すべてを斬ったわけではない。
だが、機体の急所へ向かう弾だけを、正確に落としていた。
「お見事。」
その言葉に、少女は肩で息をしながらも、視線だけを向ける。
「……まだ、褒められるほどではありません」
「いや、十分だよ。あの揺れの中でそれだけやれれば大したものだ」
またいつもの軽い声だった。
けれど、そこには茶化しではない響きがあった。
妖夢は少しだけ目を伏せ、それから再び窓の外を見る。
敵機は、さらに攻撃を加えるかに見えた。
だが、次の瞬間、機首を上げた。
黒い機影は大きく旋回し、こちらから距離を取っていく。撃墜できないと判断したのか。それとも中央市街の戦況を優先したのか。
いずれにせよ、戦闘機は引き返していった。
機内に、短い安堵が流れる。
だが、それも一瞬だった。
パイロットの声が、申し訳なさそうに通信へ乗る。
『申し訳ありません!我々がお送りできるのはここまでです!これ以上接近すれば、機体ごと落とされます!』
機体は大きく旋回しながら高度を落とし始めた。
中心部まではまだ距離がある。
だが、これ以上ヘリで進めば、敵の対空火器と航空戦力の餌食になるだろう。
男はドアの外を見ながら、軽く手を上げた。
「いや、助かったよ。ここまで運んでもらえれば十分だ」
少女も短く頭を下げる。
「ありがとうございます!」
『別のA級ヒーローも今到着したようです!…ご武運を!』
その声と同時に、ヘリが低空で安定する。
ドアの外には、崩れた道路と、黒煙に覆われた市街地が広がっていた。遠くでは爆発音が続き、建物の間を逃げる人々の姿が見える。
同時に、敵兵の影もあった。
避難する市民とそれを誘導する治安部隊。
そして…銃を構え進軍する兵士。
それらが、区別のつかないほど入り乱れている。
ここから先は、ただ敵を倒せばいい場所ではないようだ。
男は横目で彼女を見る。
「行ける?」
少女は、黒煙の奥を見据えた。
そこには、まだ見ぬ誰かの戦いの気配があったからだ。
奥で、異様なほど大きな衝撃が走る。空気が震え、ヘリの機体まで微かに鳴った。中心部では、明らかに通常の戦闘ではない何かが起きている。
少女は短く息を吸った。
迷いは、すでに消えていた。
人を相手にする恐怖がなくなったわけではない。
刀の重さが軽くなったわけでもない。
けれど、今この場で自分が何をすべきかは、もう分かっていた。
斬るためではない…
斬らせないために、殺さないために。
守るために。
少女は二本の刀を握り直し、黒煙に覆われた市街地を見据えた。
「いきましょう!」
彼女は叫ぶ。
その声には、先ほどまでの硬さとは違う芯があった。
「――カカシさん!」
カカシは片目を細めた。
「了解。行こう、妖夢ちゃん。」
次の瞬間、二人は同時にヘリから飛び降りた。
黒煙へ向かって。
崩れかけた街へ向かって。
これから来る絶望の未来に、抗うように。
ーー
指揮車両の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
モニターには、中央通りの惨状が映し出されている。黒煙はまだ晴れず、炎はビルの割れた窓の奥でちらついていた。道路には、砲塔を失った戦車や炎上する装甲車が、まるで巨大な獣の死骸のように横たわっている。
そんな地獄の風景の中、何かがそこに立っていた。
通信兵の声が、震えながら車内に響いた。
『総攻撃の効果、認めずッ!』
一瞬、誰も反応できなかった。
戦車砲、機関砲、ロケット弾、航空機からのミサイル。さらには洋上戦艦の主砲まで投入したのだ。中央通りごと吹き飛ばすつもりで放った総攻撃だった。
それなのに、目標は倒れていない。
画面の中で、山吹色の道着を着た青年は、まだそこに立っていた。
「ありえない……」
幹部の一人が、かすれた声で呟いた。
「戦艦の主砲まで加わっているんだぞッ!」
誰も否定しなかった。
いや、否定できなかったのだ。
彼らは全員、見てしまっていた。都市の一角を抉り飛ばすはずだった巨大な砲弾が、あの青年の前で、爆発することすら許されずに砕け散る瞬間を。
将軍はモニターを睨みつけたまま、低く問う。
「奴は……S級ヒーローか?」
通信兵が慌てて端末を叩いた。
「ヒーロー協会の公開データ、既知のS級、A級上位の記録を照合中です」
画面に検索結果が流れていく。
だが、どれも一致しない。
通信兵の顔色が悪くなった。
「……該当なし。データベースには確認できません」
「つまり、未登録だと?」
「はい。少なくとも、協会登録ヒーローではありません」
車内にざわめきが広がった。
登録ヒーローならまだ分かる。S級なら、まだ理解の余地はある。この世界には、常識外れの力を持つヒーローや怪人が存在する。
それは彼らも承知していた。
だが、あれほどの力を持ちながら記録に存在しない。
それは、作戦計画の外側から現れた何かが、都市制圧作戦そのものを破壊しているということだった。
その時、別の通信が割り込んだ。
『緊急報告!周辺区域より複数のヒーローが接近中!』
将軍の目が鋭くなる。
「数は?」
『四名!いずれもA級ヒーローと推定!』
「A級だと?」
『ですが、普通ではありません!各方面で部隊の封鎖線を突破中!凄まじい速度です!』
モニターの一部が切り替わる。
別区域の映像に、炎のような髪をした男が映った。崩れた車両を飛び越え、銃撃の中へ迷いなく踏み込みながら、兵士たちを次々と制圧していく。
別の画面では、白と緑の影が駆け抜けていた。
剣閃が走るたび、銃座が沈黙し、兵士たちの武器だけが断ち落とされる。静かな動きだったが、その動きは明らかに常人離れしている。
さらに別の映像では、片目を額当てで覆った男が、煙の中で印を結んでいる。
風が巻き、火炎が弾け、土煙が兵士たちの視界を奪い、部隊の連携そのものを崩していた。
将軍の拳が、静かに握られる。
「……もはや、潮時か」
その声には、怒りよりも先に、作戦が崩壊していく現実を認めざるを得ない冷たさがあった。
中央通りの未確認個体は、通常兵器では排除できない。
そのうえ、周辺から上位ヒーローたちが突破してくる。
このままでは都市を制圧するどころか、こちらが包囲されるだろう。
将軍は、車内の奥へ視線を向けた。
そこに、一人の老人が座っていた。
白衣を着た痩せた男である。
無線の悲鳴にも、兵士たちの焦燥にも、戦況の悪化にも、まるで興味がないようだった。膝の上の端末を操作しながら、モニターに映る山吹色の青年だけを見ている。
その目は、歓喜に近い目だった。
「博士」
将軍が呼ぶ。
老人はゆっくりと顔を上げた。
「ふむ……生身であれほどとは、実に興味深い」
その声は、戦場にいる者のものではなかった。
未知の標本を前にした研究者の声だ。
将軍の声が低くなる。
「博士…切り札を出してくれ」
その一言で、車内の空気がさらに沈んだ。
通信兵の手が止まり、幹部たちが顔を上げる。
博士は、薄く笑った。
「良いのかね?」
穏やかな声だった。
「都市が跡形も残らなくなるぞ?」
将軍は沈黙した。
だが、それは迷いゆえの沈黙ではない。
「もはや、通常兵器で奴を止めることはできん」
将軍はモニターを見る。
中央通りの青年は、こちらへ向かって歩いている。
砕けた道路の上を、一歩ずつ。
総攻撃など、最初から意味がなかったかのようにーー
「作戦が破綻した以上、切り札を使う他ないだろう」
「ふふっ」
博士は喉の奥で笑った。
「いいだろう」
端末に指を滑らせる。
直後、指揮車両の後方で低い駆動音が響いた。車内の照明が一瞬だけ落ち、外部モニターの一つに、L市外縁部の映像が表示される。
輸送車両群の中央に、巨大なコンテナが置かれていた。
厚い装甲板に覆われ、幾重もの固定具で封じられている。それは兵器を守るための格納庫というより、中にあるものを外へ出さないための棺に見えた。
固定具が一つずつ外れていく。
重い金属音が、通信越しにも響いた。
博士は、楽しげに呟く。
「安心するといい」
最後の認証が解除される。
「私の傑作は、S級ヒーロー上位との戦闘を想定したものだ」
コンテナの側面が開いた。
白い冷気が漏れ出す。
その奥に、人影が立っていた。
人間に見える。
身長も、体格も、外見だけなら兵士と大きく変わらない。だが、その立ち姿には人間らしい揺らぎがなかった。
呼吸も、瞬きさえしない。
ただ、閉じた瞼の奥で、何かが起動するのを待っている。
兵士の一人が、ごくりと喉を鳴らした。
その音が、通信機を通して指揮車内にまで届いた。
博士は端末へ最後の命令を入力した。
「起動」
人影の目が開いた。
赤い光が、ゆっくりと灯る。
だが周囲の兵士たちは、一斉に後ずさっていた。
「目標を入力する」
博士が言った。
端末画面に、中央通りの映像が表示される。
黒煙の中、山吹色の青年が歩いている。
人造人間の赤い瞳が、その方向を見た。
ーーほんの一秒。
それだけだった。
次の瞬間、コンテナ内部の床が砕けた。
映像が激しく揺れる。
拘束具が弾け飛び、冷却配管が裂け、白い蒸気が爆ぜるように噴き出した。
「な――」
現地の兵士が叫ぶより早く、人造人間はコンテナの外にいた。
誰も動きを見ていない。
ただ、さっきまで奥に立っていたはずの影が、気づいた時には数十メートル離れた位置に立っていた。
そこからさらに一歩。
地面が陥没した。
遅れて、通信兵が叫ぶ。
「人造人間、移動開始!」
速い。あまりにも速い。
車両でも、航空機でもないのに桁違いな速度だ。
地上を走る人型の兵器が、都市の道路を一直線に駆け抜けている。
その通過後だけが、遅れて破壊されていく。
アスファルトが割れ、車両や建物が吹き飛ばされる。
それが通り過ぎた後で、破壊だけが街に残る。
「中央通りまで、あと三十秒!」
「三十秒だと……!」
「訂正、二十秒!」
通信兵が青ざめた。
「さらに加速しています!」
モニター上の赤い点が、中央通りへ向かって跳ねるように進んでいく。
消えては、現れ、また消える。
映像も、センサーも、肉眼も、その速度に追いついていなかったのだ。
黒煙に包まれた中央通り。
その奥に、山吹色の青年の姿が映る。
人造人間の赤い瞳が、その一点を捉えた。
『目標確認』
機械音声が、低く響いた。
『排除する』
博士は、モニターの前で愉悦に口元を歪めた。
「さあ、見せてもらおう」
赤い点が、さらに加速する。
「私の傑作に、君がどこまで届くのかを」
そして博士は、喉の奥でくつくつと笑ったのだった。