火の見張りをするのは好きだ。手をかざすと暖かいし、ぱきぱきという火の粉の音が、なぜだか、僕の中の悪いものを祓ってくれているような気がするからだ。しかし、それと同時に、見張っていないと落ち着かない。危険を見落としてはならない立場にいたからだろうか、それとも、幼いころから根付いていた性格なのだろうか。
僕が物心ついたばかりの頃、オリーヴァの大きな町では、年に一度、花火大会と称した祝祭が行われていた。いま思えば、その当時はまだ、それだけ民が活気にあふれていたということだろう。僕は毎年、祝祭が始まるたびに砦へ向かい、そこから見下ろせる人々の姿を楽しんでいた。のちに我々の国を襲った戦禍の中で、あの風景が、あの花火の音が、どれほど恋しかったことか。僕の中で、火は平和の象徴であるはずだった。
長時間火を見張っていた疲労が祟り、思わず、かくん、と眠りに落ちてしまいそうになる。明け方前の仄暗い砂漠の中で、焚火の
すると、いつのまにかミゾレは目を醒ましており、僕の隣から、泉に金貨を投げ入れるかのように、ひょいと薪をくべる。
「交代だよ。最後の見張り番、ボクでしょ。また寝不足で倒れてもいいの?」
ミゾレはいつものように目を細めながらも、あきれた様子で眉根を寄せる。僕は毛布の中で姿勢を組みなおし、片膝を抱えながら、体を後ろにもたせかける。
「ミゾレこそ、もう少し寝なくていいのか。昨日は二人の世話をして、疲れているだろう」
「大丈夫だよ。もし疲れたら、自分で魔法をかけられるし」
ミゾレがそう言うときは、いつも決まって無理をしているということを、僕は知っている。ミゾレはテントの下にあるバッグから、新しい水のボトルを取り出し、得意げにコルクを開けてみせた。
「ほら、飲んで飲んで」
ミゾレからボトルを受け取り、水がこぼれないように、慎重に口をつける。昨日の夕方に汲んだばかりの水は、まだ少し冷たかった。ひんやりとした朝風にあてられたせいで、胃の中が少し冷える。
「朝の分は、この一本だけか。よし、残りはミゾレとヒューナンで飲んでくれ」
布で蓋をしてボトルを返すと、ミゾレは珍しく、目元を翳らせながら、背中を向けてしまった。
「……日が昇ったら、すぐに水を汲んでくるよ」
ミゾレはボトルをバッグに戻すと、焚火のそばに腰を下ろした。僕はテントの下に座ったまま、暖かい橙色の光と共に、ミゾレの姿を眺める。
隣のテントの下では、麻布で顔を覆ったヒューナンが、腕を組んだまま眠っている。その隣のすぐそばで、メルガは脚をそろえて前に伸ばし、静かに目を閉じていた。両腕は力なくだらんと下ろしており、体が揺れる気配すらない。
「ちょっと気になったんだけど」とミゾレが口を開く。
「そう、あの二人のこと。もともと獣人のヒューナンはともかくとして、問題は、メルガだよね」
僕は指先についた砂を落としたあと、毛布を手繰り寄せる。
「喧嘩するほど仲がいい、といったところか」
俯いていたミゾレは、ふっと虚を突くように、僕に疑問を投げかけた。
「アンドロイドが怒るなんてこと、あるの? そもそも、あんなに人間みたく喧嘩をふっかけるなんて」
僕は遠い目で、ゆらめく焚火の像をぼかしながら、一度息をつく。
「まずありえないだろうな。感情めいたものを人間に向けて、ましてや、個人的な行動原理で動くなど……戦闘兵器として運用するなら、本来は必要のないことだ」
僕とミゾレの間に、複雑に絡まった時間が訪れる。互いに言葉を選んでいるが、おそらく、考えていることは同じだった。ミゾレは僕が沈黙を守ったことに、なんとも言い難い表情を浮かべる。
そのあとの数分間は、言葉すら要らないようだった。ミゾレはときどき新たな薪を投げ入れ、僕は自分の荷物から取り出したノートを開く。火の粉が弾ける心地よい音と、ノートをめくるかすかな音が、僕たちの無言の時間に、リズムを生み出していた。
僕が読んでいたのは、仲間に隠れてつけている日記帳だった。オリーヴァで暮らしていた頃から毎日書いていて、日々、たわいもない話や、本当なら書かずに済んでほしかったことなどが、ひとつずつ足されていく。
僕は何年か前のノートを開き、その日にあった、忘れもしない出来事に想いを馳せていた。僕の耳の奥では今でも、錆びついた鐘のかぁん、かぁん、という音が、ひっきりなしに鳴り続けている。
ぱたんとノートを閉じ、リュックの横に置いたあと、ゆうっくり息を吐いてみる。歯と唇の間から、隙間風が通っていき、朝の冷たい空気へ解けた。
僕は目を閉じて、現実と、現実ではないどこかの狭間を揺れる。暗闇と明け方の中で、僕は、後ろにいるもう一人の僕に背中を預ける。初めて触れた自分の背中は、思っていたよりも薄かったが、今と比べて健康的な肌をしていた。
「もし、戦争がなかったら?」
ろくに続きも思いつかないまま、ふと浮かんだ言葉を口にした。
「ボクは、医者を目指して旅に出て、レオすら知らない街へ行ってたかもね」
ミゾレのあどけない空想に、僕は思わず微笑んでしまう。後ろにいる僕も、僕よりさらにあたたかい笑顔で、ミゾレの話を聴いていた。
「それなら僕は、オリーヴァ専属の臨床医として、優秀なミゾレを迎え入れる」
後ろのほうの僕は、ミゾレのもとへ歩み寄り、持っているパンを半分だけちぎって渡していた。どうやら僕は、もう一人の僕と味覚を共有できないらしく、おいしそうにパンを食べていても、どこか他人事のような気がしてならなかった。
「じゃあ、ヒューナンはどうかな?」
眠っている僕に、ミゾレは優しい声で、おとぎ話のつづきを持ち掛けた。
「険しい山に暮らしながら、鋭い両目を活かして、きっと、凄腕の狩人になっている」
僕の言葉に合わせて、まるで魔法にかかったように、ヒューナンの右目が治ってゆく。そのヒューナンも、僕とミゾレに混ざって話をしながら、乾かした肉をしがんでいる。
その暖かな日常を見ながら、ミゾレは笑った。
「ふふっ、それじゃあ――」
ミゾレの言葉が、そこで止まる。まるで、言いたくもないことを言おうとしてしまったかのように、声色が淀んで落ちる。
「……じゃあ、メルガは?」
ミゾレが訥々とそう言い直し、僕は、言葉を失う。焚火を囲んだ僕たちは、僕とミゾレの気持ちなど知らぬ様子で、幸せそうに、時間を過ごしている。
詰まるミゾレの気持ちに、駆け寄るように、届かぬ手を伸ばすように、僕は、硬い口を開く。
「メルガはきっと――人間だろう」
ミゾレははっと顔を上げ、眠ったままの僕の顔を見た。
「メルガは人間として、優しい両親のもとに生まれ、なんの争いもない村で、平和に恵まれる」
ミゾレは、ローブのポケットの中に手を隠し、内側の布を握りしめていた。
そして、焚火をかこんでいる僕たちのもとに、袋いっぱいの果物を携えて、メルガが合流する。
その風景を目の当たりにしたミゾレは、心から、嬉しそうに笑っていた。
「ボクたちと同じように、ご飯を食べて、背を伸ばして。……銃なんて持つこともないまま、最期は、永い、眠りに落ちて」
メルガの笑顔を見て、ミゾレは深い息を漏らし、笑いながら、あふれる雫を手のひらで受け止める。僕たちは、目元から流れるあたたかい光に包まれ、ゆっくりと、目を醒ましていく。
再び戻って来た砂漠の世界には、ミゾレと、ヒューナンと、メルガがいて、みんなシャノワールのローブを身にまとっていた。
「……流石は、夢の話だね」
ミゾレの頬は湿っており、雫の通った跡が残ったままになっている。
「ああ。久しぶりに、幸せな夢を見た」
もう一人の僕は、いつのまにか僕の背中を離れて、どこかへ消えてしまっていた。
固まった体を伸ばし、ぱきぱきと音を鳴らしながら、なんとか起き上がる。そして、自分のリュックの横に置いていた、大きなケースを手に取った。
「二人を、起こさないとな」
おぼつかない脚を動かし、僕はケースを抱えながら、東の方向を向く。
「ちょ、ちょっとレオ、なにするの? 無理しないでってば」
駆け寄ってきたミゾレに肩を支えられながら、僕はその黒いケースを開けた。
「バグパイプだよ」
ケースに収まっていたパイプの束を、一本一本、丁寧に組み立て始める。
「もしかして、骨董品屋で買ってたやつ?」
物珍しそうに見ているミゾレに、僕はパイプを一本渡し、触らせてみた。
「懐かしいな。はっきりしているのに心地よい音色で、朝の目覚めにふさわしいんだ」
僕はミゾレから最後の一本を受け取り、慎重に差し込んだ。再び手に取ってみると、思ったほど大きくはないことがわかる。僕は、いつも近くで見て真似ていた持ち方で、バグパイプを構える。実際にやってみると、思ったより支点を保つのが難しく、まだ少しおぼつかない。
「ミゾレ」
「なあに?」
「僕はかつて、この音で、何度も新しい朝を迎えていた。オリーヴァが滅ぼされる日までは、それはずっと変わらないものだと買いかぶっていた」
「捕虜として捕らえられた日からは、バグパイプの音はなかった。そして、帝国への恨みを募らせていくうちに、お前たち三人と出会ったんだ」
僕の長い独白を、ミゾレはただ、黙って聴いていた。バグパイプを持った僕を見るミゾレの表情は、どこか、慈しみに満ちていた。
「ミゾレ。ヒューナン。メルガ。お前たちには、申し訳のないことをしたと思っているんだ。だからこそ僕には、お前たちに、新たな夜明けを届ける責任があると思いたい。それこそが、こんな僕についていくと言ってくれた三人への、でき得る限りの感謝だ」
僕は、夜空を押し流す白い光に向かって、バグパイプを構える。そして、オリーヴァで何度も練習した楽譜を思い出しながら、ゆっくりと、息を吹き込んだ。
楽器が奏でる調和の音が、羽衣のように広がっていき、僕たちの周りを包む。広がった衣が、眠っていた二人の体に巻き付き、ささやくように音色を届ける。
ヒューナンは耳をぴくっと動かすと、顔にかぶせていた布を取り、ゆっくりと体を起こした。その隣で、時を同じくして、ほんのわずかにモーターの音が回り始める。開いた瞳を一度青白く明滅させ、メルガも目を醒ました。
飛び立った小鳥のさえずりと音色が重なり、ささやかに、祈るように、希望の朝を告げる。後ろを振り返ると、昨日と同じ三人が、今日もそろって僕を見ている。僕の金色の髪に、地平線から顔を出した太陽が、また同じように、光を与えた。
「おはよう、シャノワール」