人生の価値を測る尺度は人それぞれだ。愛、名誉、家族、あるいは神への信仰。
だが、ゼニ・ゴールドミラー――かつて日本という国で「銭山(ぜにやま)金太郎(かねたろう)」として生きていた男――にとって、その尺度はただ一つ、視覚的にも聴覚的にも明瞭な代物だった。
すなわち、通貨。あるいは、ゴールド。
「おいおい、冗談だろ……。1リッターあたり3円も安いガソリンスタンドを見つけたっていうのに、給油ノズルを差し込んだ瞬間に心臓麻痺? 支払いはどうなるんだ、支払いは」
視界が真っ白に染まったかと思えば、気がつけば天井も床もない、ただただ白いだけの奇妙な空間に立っていた。
いや、立っているという感覚すら怪しい。肉体が酷く希薄だった。
だが、そんな霊魂としての神秘的な体験よりも、ゼニの脳裏を占めていたのは「死の直前に計算していた損得勘定」だった。ガソリン代の差額で浮くはずだった数百円。それが無に帰したことへの怒りと絶望が、死の恐怖を完全に上回っている。
「本当に、言葉を失うほどに金に汚い男だな、お前は」
呆れ果てたような、しかしどこか愉快そうな声が、頭上から……いや、全方位から響いた。
光が収束し、ゼニの目の前に「それ」が現れる。
白髪交じりの立派な髭を蓄え、豪奢なローブを纏った老人。教科書に載っている「神様」のイメージをそのまま具現化したような存在が、そこにはいた。
「神か。なるほど、死後の世界とはよく出来ている。で? 俺の銀行口座の残高はどうなる? あの世に持っていけないというのは本当か? もしそうなら、今すぐ現世の税務署に全額寄付してやる。国税庁が困惑する顔を見る方が、ただ国に没収されるより一億倍マシだ」
「開口一番それか! 己の死を悼むとか、遺された人々に思いを馳せるとか、そういう殊勝な心は持ち合わせておらんのかね、銭山金太郎よ」
「名前で呼ぶな。今世ではもっと輝かしい、それこそ金貨の裏表のような名前を名乗りたいものだな。……で、神様。わざわざ俺のような小市民(資産三億円)をここに呼び出したってことは、単なる説教じゃあないんだろ? いわゆる『転生』ってやつか?」
ゼニは油断なく神を睨みつける。前世での彼は、金儲けの合間の息抜きとして、アニメやゲーム、ネット小説の類を人並み以上に嗜んでいた。特にロボットアニメのシミュレーションゲーム――『スーパーロボット大戦』シリーズは、効率的な資金稼ぎと機体改造のコストパフォーマンスを計算する最高の教材として、それこそ狂ったようにプレイしていたのだ。
神は髭をいじりながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「察しが良いのは美徳だな。その通りだ。お前を異世界へと転生させてやろう。お前が前世で貪り食うようにプレイしていた、あの鉄の巨神たちが踊る戦場へな」
「ほう……」
ゼニの目が細くなる。ロボットの世界。それは魅力的な響きだが、同時に極めて危険な戦場だ。
「ただし、だ。お前が転生する先は、お前がよく知る『正史』の世界ではない。……その向こう側。緩やかに、しかし確実に破滅へと向かっている、冷たく荒廃したレジスタンスの世界、通称『向こう側(シャドーミラーの世界)』だ」
その言葉を聞いた瞬間、ゼニの脳内で、前世で培った『スパロボOG』の膨大な知識が高速でリンクした。
向こう側の世界。
地球連邦軍の腐敗、度重なる異星人の襲撃、アインストの脅威。そして何より、連邦政府に反旗を翻した「シャドーミラー」が暗躍し、最終的には次元転移で逃げ出さざるを得なくなるほどに「詰んでいる」泥舟の世界。
普通の人間にそんな条件を突きつければ、泣いて拒絶するか、命乞いをするだろう。
だが、ゼニ・ゴールドミラーの思考回路は、常人のそれとは根本的に異なっていた。
「……なるほど」
ゼニの口元が、ゆっくりと吊り上がっていく。
「向こう側の世界、ですか。戦争が泥沼化し、インフラは崩壊しかけ、物資は常に不足している。地球連邦もシャドーミラーも、喉から手が出るほどに『兵器』と『物資』と『資金』を欲している……。素晴らしい」
「……ん? 恐怖はないのか?」
神が怪訝そうな顔をする。
「恐怖? まさか! 神様、あんたは最高の市場(マーケット)を俺に提供してくれたんだ。物資が溢れている平和な世界じゃ、商売の利益率は薄い。だが、明日をも知れぬ戦乱の世界ならどうだ? 今日生き延びるためのエネルギーパック、明日戦うための弾薬、それらは定価の十倍、いや百倍で売れる! 完璧なブルーオーシャン(未開拓市場)じゃないか!」
「お前、本当に頭がイカれているな……」
流石の神も、ドン引きの表情を隠せない。しかし、神の目的は最初からこの男の「異常性」を向こう側の世界に放り込み、どんな化学反応が起きるかを見物することだった。
「よ、よかろう。そこまで言うのなら、お前に転生特典を授けてやろう。お前がその強欲さを存分に発揮できるよう、四つの『ギフト』をくれてやる」
神が指を鳴らすと、ゼニの希薄な魂に、濁流のような情報と「力」が流れ込んできた。
「一つ、いかなる最新鋭ロボットをも手足のように動かす**『操縦技術』。
二つ、戦場で一瞬の隙も見逃さず敵を撃破する『戦闘技術』。
三つ、あらゆる市場を支配し、無から有を生み出すための『経済知識』。
そして四つ目、お前が愛したその世界の歴史……『原作知識』**だ。
これらを持って、その泥舟の世界で足掻いてみせよ」
脳を突き刺すような快感とともに、ゼニの魂が黄金の輝きを帯びていく。
天才的なトレーダーの相場観、エースパイロットの動体視力と空間把握能力、そしてシャドーミラーの構成員やテスラ・ドライブ研究所の未来、時流エンジンの欠陥に至るまでのすべてのデータ。それらがゼニという一個の存在として完全に定着した。
「最高だ……。これだけの資本(チップ)があれば、破産する方が難しい」
ゼニは己の手(まだ実体化していないが)を握りしめ、高笑いした。
「神様、契約成立だ。俺の新しい名前は『ゼニ・ゴールドミラー』。金(ゼニ)の鏡のように、世界中の富を反射して俺の手元に集めてみせる。連邦だろうがシャドーミラーだろうがアインストだろうが関係ない。俺の資産に手を出す奴は、一銭の価値もないクズ鉄に変えて売り飛ばしてやるさ!」
「ははは! 行くが良い、強欲の化身よ! その金色の眼で、世界の終焉を買い叩いてみせよ!」
神の豪快な笑い声とともに、白い空間が激しく歪み始める。
ゼニの意識は急速に遠のき、強烈な重力が彼を「向こう側」へと引きずり落としていく。
暗転する意識の底で、ゼニはすでに冷徹な計算を始めていた。
(まずは原資の確保だ。向こう側の世界で最も価値のあるレアメタル、そして技術……。シャドーミラーが次元転移の準備を進めているはずだ。あの泥舟を最高の『投資先』に変えてやる。待っていろよ、フィオナ、ラミア……。お前たちの価値は、俺が一番よく知っている――)
黄金の輝きを放つ魂は、黒煙と硝煙に塗れた「向こう側」の地球へと、弾丸のように突き進んでいった。