児童保護局2060 すべての子どもにしあわせを 作:馬門戒明/輪島ライ
俺がこの世に生まれてくる少し前に、この日本という国は財政破綻で存亡の危機に瀕した。
昭和末期以降毎年1兆円という異常なペースで増加し続けていた国民医療費は衰退し続ける令和の日本の財政を容赦なく圧迫し、21世紀初頭の推算通りに上昇し続けた老年人口割合が追い打ちをかけて日本の財政はついに破綻した。
国民皆保険は自己負担率の大幅上昇によって有名無実化し、高齢者への医療の制限や積極的安楽死の合法化はあっという間に社会のコンセンサスとなった。
混乱する日本社会は強力な指導者を求めて極右政党を与党に選び、日本社会の抜本的改革を訴える新首相は多岐にわたるラディカルな政策を推し進めた。
その政策の一つが、児童虐待の防止に実効性を持たせるための「児童保護法」の制定だった。
新首相は「すべての子どもにしあわせを」をスローガンに児童虐待の根絶を訴え、児童虐待の加害者に対しては現場での死刑執行や強制不妊手術を行えるよう法律を整備した。
児童保護法の成立に伴い児童相談所は児童保護局へと改組され、改組された直後から児童保護局の職員は「強制執行」の名のもとに児童虐待を厳しく取り締まり始めた。
そして児童保護局の職員として働く俺、
性風俗店に勤務していた俺の母親は東南アジアから出稼ぎに来ていた外国人労働者と結婚して俺を生んだが父親は間もなく蒸発し、母親はそれからすぐに付き合い始めた日本人の男性と再婚した。
義理の父親となったその男は自分と少し違う肌の色をしていて自分に懐かない俺に怒りを抱き、小学校に入学した頃から俺は毎日のように義理の父親に暴力を振るわれるようになった。
母親は新たな恋人を見つけて家に戻らなくなり、俺は酒癖の悪い義父から殴る蹴るの暴力を受けつつ小学校低学年で全ての家事まで強制される地獄のような日々を生き抜いていた。
そんなある日、隣人の通報を受けて自宅に踏み込んできた児童保護局の職員は瞬く間に俺を屋外へと連れ出し、強制執行に抵抗して暴れた義理の父親はその場で射殺された。
それからの俺は児童保護局の管轄にある児童保護施設で育てられ、児童や若年者の福祉を最優先する政権与党の政策により潤沢な予算を与えられた児童保護施設で俺は心身ともに健康に育つことができた。
働いていた性風俗店で身柄を拘束され児童保護局に連行された母親は強制執行としての外科手術を受けた一人目となり、そのショックで自ら命を絶ったということは今の仕事に就いてから知ったが特にどうとも思わなかった。
児童保護施設では一定の条件のもとで大学への進学が認められており、成績並びに生活態度が優秀と評価された俺は施設長から都内の大学への進学を勧められた。しかし俺はその時点で自分は高卒で働くと決めていた。
児童保護局に人生を救われた子どもの第一号として俺も児童保護局の職員となり、どこにも逃げ出せない状況で
本心からそう訴えた俺に対して施設長の女性は俺の希望を尊重し、俺は32歳となった今も児童保護局の職員として働いている。
「ほら、大きくなったでしょ? この子、最近よく中からお腹をキックするのよ」
「本当に。生まれてからも健康に育ってくれるといいな」
お互い非番の日、妊婦健診を終えてマンションに帰ってきた妻を俺は手料理を作り一通りの掃除を済ませて出迎えていた。
彼女は元々俺と同じ児童保護施設で育った2歳下の子どもで、俺とは違って両親を交通事故で亡くしていた。
施設を出た後は看護大学に進学し都内の病院で看護師として働いていた彼女は施設長の紹介で俺と交際するようになり、3年間の交際を経て俺は彼女と結婚した。
児童保護法の規定により現在では生殖可能年齢の男女が結婚する場合は婚姻時に両者とも遺伝子検査を受けることが義務付けられており、重篤な疾患遺伝子を有することが判明した場合は生殖を禁止される。
幸いなことに俺も彼女も重篤な疾患の遺伝子は保持しておらず、お互いの合意の上で俺と彼女は子どもを授かっていた。
「勇敢なあなたの子だもの。男の子でも女の子でも、きっと強くて優しい子になるわ」
「そうか。……人を沢山殺してきた俺が、そういう風に言って貰えるのか」
「あなたは子どもを虐待する悪人を処罰して、それ以上の子どもの命を救っているの。私はあなたを人殺しだなんて思ってないから」
妻はそう言うと、ソファの隣に腰掛けている俺を抱きしめた。
彼女と胎内にいる子どもの温もりを感じながら、俺はこれからもこの社会で子どもたちを救っていこうと決意した。