朝焼けの曇り空の下、村から離れた川辺の露頭の近くに835は佇んでいた。
パチパチと、焚火が燃える。陽炎が揺らめき、枝の焼ける匂いが風に流される。
何かを待っている。
土の小山、複数の焚火、川の白砂、砕けた土器、灰色の粘土の山。それぞれが整然と配置され、まるで儀式を思わせる光景が広がっている。
{…完了}
835が、土の小山をボロボロと崩す。内部にこもったガスをかき混ぜながら、中身を取り出す。
ガシャリ。
中から出てきたのは、灰がかった黒い何か。
{木材の炭化の完了、品質は…許容範囲内}
『木炭』:木材を不完全燃焼することにより水分や揮発性ガスが取り除かれ、炭素のみが残された優れた燃料。
{ケイ素砂、シャモット、低鉄分粘土}
{混合する}
グチャリ。
白砂、土器を砕いた粉、灰色の粘土を一定の比率で混ぜ合わせ、それを次々と長方形の小枝の型にはめ込んでいく。演算装置が、寸分の狂いもなく作業を進める。
ゴトリ。
一つ、二つ、三つ。着実に、はめ込まれた粘土が積みあがっていく。
四つ、五つ、六つ。積みあがる。
はめ込む。置く。繰り返す。
繰り返す。
雲の隙間からは、燃えるような朝焼けが覗いている。
***
「本当に、誰もやっていないんだな。お前ら」
大柄で渋面の男は、茶色い無精髭を撫でながら問いかけた。
曇り空、正午の太陽が覆い隠されたその下で、村人たちはあの井戸の広場に集まっていた。
「は、はい、サートンさん…みんなで村中の男手と、女子供にも聞いて回りましたが、そんなことをしたという人は、一人もいませんでした」
イライジャが不安そうな顔で返事をする。
「…つまりこのふざけた話を説明する方法は、誰かが嘘をついているか―――
―――俺らじゃない誰かがやった、ってことになる」
村人たちは、ブツブツと声を上げる。
「お、俺らこんな意味の分からない嘘つく理由ないですって」
「そうですよ、そんなことして何の得が…」
「まあでも、直ってるならラッキーじゃねえか。しかもめっちゃ丁寧に―――」
「おい」
再び、男たちは黙った。風が広場を吹き抜ける。
「てめぇら、頭ん中お花畑か?なあ、ノームズ」
「うっす」
「『俺らじゃない誰か』って、じゃあ誰があり得るんだよ」
「え…誰かって、うーん…誰…?」
「例えば最近、こんな辺鄙な村をわざわざ訪れて、井戸をぶっ壊した奴らは?」
「は…」
イライジャが絶句する。村人たちも息を詰まらせた。ノームズだけが、サートンに問い返した。
「いやでも、サートンさん。何でそんなことをあのクソ
「もし、毒が井戸に投げ込まれてたら、気付かずに既に10人以上は死んでただろうな。違うか?」
ノームズも黙りこむ。もはや喋ろうとする者は一人もいなかった。
「…確かに、実際には誰も死んでねえし、井戸も完璧に直ってる。だが俺らじゃない誰かが、昨晩誰にも知られずに入り込んだっつーことが問題なんだよ。問題すぎるんだよ」
沈黙は続く。サートンの言っていることに、何も反論できない。
「…直ってるものに何か異常がないか、罠のようなものが仕掛けられていないかくまなく調べろ。妙な痕跡があれば、すぐに共有しろ。いいな?」
力ない返事が男たちから返される。そして一人、また一人と、自分の持ち場に戻り始めた。
雲はより一層、その暗さを増していた。
***
走る。
走る。
走る。
木々の間を縫い、黒い影が走り去る。鹿に似たその獣は、自らの命を脅かす何かから必死に逃げている。
獣は走るのを止め、後ろを振り返る。いない、
獣は息を整える。恐怖、その感情が脳を支配する。あんなものは見たことがない。いつも森にいるあいつらじゃない。
こわい。
近くに
獣はその羽虫を一瞥する。なんてことはない。どこにでもいるような―――
本能から、獣は再び走り出した。理由など自分でもわからない。しかしあの羽虫からは、
見られてる。なぜかわからない、でもそう感じる。視線を感じる。
再び走る。
走る。
獣の意識は、木陰から飛び出してきた長い針が自分の顔に突き刺さるところで途切れた。
{狩猟成功。解体と研究を始める}
生温い血が、鋼の上を流れ落ちる。
***
昼の集会の後。
自室の床板の隠し棚から、サートンはガシャガシャと必要なものを集めていた。
(ここまでの情報で『何か』は、一晩で井戸、柵、がれきを全てどうにかしたってことになる。ということは複数犯なのか?そもそも集会でああは言ったが、絶対に傭兵どもの仕業と言えるわけでもねえ。ともかく、情報が無さすぎる…)
棚から取り出すのはナイフ、剣、小盾、小弓。明らかに、戦うことを想定した装備である。
「あと…森に入るなら明かりが要る」
ランタンのような形をしたそれは、しかし中に蝋燭などが入っていない。代わりに入っていたの
は『微かに白い光を放つ石』であった。
『魔石灯』、魔石を燃料とする明かりであり、一般的な魔道具だ。少々高価なものであり、普通のランプがあれば特段必要なものではない。しかし明るさを自由に調節でき、どれだけ振り回しても火が消えず、燃料切れをほとんど気にしなくていいという優れものであった。
「…よし」
準備を整え、家を出る。具体的な作戦を練りながら、サートンは歩く。
(村にこうまで上手く侵入して手早く修繕をすませたっつーことは、事前に偵察を行ったんだろう。まずは痕跡を探すところからだな…ああ、骨が折れる)
暗く、そして深い森林を遠目から見て、サートンは思わずため息をついた。