火種のための焚火が、パチパチと音を立てる。先ほどまでは無かった血と肉の臭いが、辺りに広がっていた。
作業場には、切断された丸太と、解体された鹿のような獣が新たに加えられている。
獣の死体はバラバラにされた機械のように内臓から肉までが整頓されており、この場の儀式めいた雰囲気をより強めていた。
川沿いには、奇妙な設備が新たに作られていた。粘土の山のようだが、上部には煙突のような構造があり、下部にはいくつかの穴が開いている。内部には、成型した粘土の板と木炭がそれぞれ階層を分けて敷き詰められている。
原始的だが、それは確かに「炉」であった。
{焼成を開始}
アームが焚火から火種を掴み取り、炉の下部へ差し込む。直後、乾いた木炭が赤熱し、炉の隙間から赤い光が漏れ出した。ジワリと熱気が穴から漏れ出す。
木炭は優秀な燃料だ。しかしまだ温度が足りない。より熱く、より高温でなくてはならない。大量の酸素が要る。
{送風装置の構築を開始}
835は用意した丸太を持ち、川辺へ移動する。視線の先では、川の流れが岩にぶつかり、白い飛沫を上げていた。
{流速:良好。連続動力源として利用可能}
キュイン!
チェンソーが丸太を削り取る。金属音と共に木材が裂け、均一な長さへ切断されていく。ドリルが、削り取った木材へ穴を穿つ。
{木材強度:許容範囲内。回転軸としての利用可能}
切断した丸太を川へ組み込み、岩場に固定する。水流が木板を押し動かす。ゆっくりと、しかし着実に、巨大な輪が回り始めた。
『水車』:流水の力を連続した回転運動へ変換するための装置。自然の力を、動力へと変換するその始まり。
835は、さらに作業を続ける。
回転する軸へ木製の棒を取り付ける。棒と棒がまるで機関車の車輪のようにつながり、先端の獣皮でできた袋を押し引きする。
ブシュッ。
空気が押し出される。
引く。
押す。
引く。
押す。
袋が脈動する度、空気が粘土製の管を通って炉へ送り込まれる。その様子は、心臓が血を体に送り届けるようであった。
ゴオッと、炉の炎が爆発的に膨れ上がった。赤熱していた木炭が、白に近い橙色へ変わる。熱で空気が歪み、周囲の景色が揺らめく。
{炉内温度:上昇を確認}
{目標温度へ接近中}
835はその始まりの炎を、ただ静かに見つめていた。
***
「あった…!見つけたぞ!」
サートンが、村を監視することの出来る地点を集中して探索したのは正解だった。そこには、明らかに最近つけられたものである足跡が、森の奥へと続いていた。
「この足跡、一回だけじゃねえ。何度も来てやがる…だが…」
足跡は足跡でも、それは人の物には到底見えなかった。獣のようにも見えるが、それにしては胴体に対して左右の足の幅が広すぎる。
「何なんだ…この足跡は…何らかの騎獣か?とても人のもんには見えねえ…」
地面に杭を刺したような不気味な足跡は、茂みの中に続いている。よく見ると茂みの枝はいくつか折れており、少なくともここに通っていることはもはや疑う余地がない。
ガサリ。
感覚を研ぎ澄ましながら、枝の折れた茂みをかき分けて森に入る。足跡は見えにくいが、辿ることは不可能ではない。痕跡を辿り、犯人を追うことは可能だ。
(行くしかねえな)
===
昼過ぎの曇り空、森の中は不気味に薄暗く、サートンは武器をすぐに構えられるように警戒していた。足跡を追う先々で、奇妙なものばかりが見つかっていた。
断面が平らな、切断された枝。不自然にむしり取られ、その場に打ち捨てられた苔や草木。
そして、
「これは、流石に異常すぎる」
決定的な不自然は、切り株だった。ただの切り株ではなく、断面は非常に平らで、そして何より切られたはずの
切り株――それもかなり最近切り倒されたもの――の周囲をくまなく探すが、まさか落ちている丸太を見逃すはずもない。
開拓。
そんな言葉が、サートンの頭をよぎる。その言葉に行き当たるのは、自然なことと言わざるを得ない。森の中にある樹木を丸ごと一本切り倒すなど、その森を新たに拓こうとしているとしか思えない。
だがもしその仮定が正しいとして、どう運んだ?
ここまで足跡を残した騎獣に乗せたのか?
しかしある程度太い切り株の断面を見るに、そこらの獣が一匹で運べるとも思えない。
複数人で運んだのか?しかし人の足跡は全くない。
これは…どう説明されるべきなんだ?
「分からねえ、俺が追っているものが」
「蜘蛛だよ」
研ぎ澄まされた反射神経が働き、考えるより前にサートンはその場を飛び退いた。そしてコンマ数秒後に思考が反射に追いつき、一瞬で剣の柄を握らせる。
「その樹を伐ったのは、蜘蛛だよ。村のおじさん」
(妖精…!森の精か…この森で見るのは初めてだ)
警戒は緩めずに、相手の敵意の有無を確認する。
妖精は、何らかの要因で行き場の無い魔力が魂を得ることで生まれる。その魔力と魂の源は自然物であることが多いが、森の精は特に古い木々からそれらが零れ落ち、形を成すことで生まれるとされている。しかし滅多に人に姿を現さず、その姿を見ないまま生涯を終える人間も少なくは無い。
少女の姿をした森の精は、小枝の陰に隠れながらこちらに話しかけてきている。
森の精は臆病で、よほど怒らせなければ基本的に無害であると言われている。ここは一先ず相手の目的を―――いや、今彼女は
「蜘蛛?今蜘蛛と言ったのか?」
「そう、蜘蛛。ずーっと向こうの山に落ちた、流れ星の卵から生まれたみたい。でも蜘蛛なのに、生きてないの。血が通ってない、魔力も通ってない」
「生きてない…?その、お嬢ちゃん、それはどういう…その蜘蛛が、この木を切ったのか?」
「お願い」
「あれを追い出して」
妖精は、フッと森の奥へ姿を消していった。
「ちょっ、待ってくれ!」
呼び戻す声は、しかし森の暗闇に吸い込まれていった。後に残されたサートンは、伝えられた言葉を反芻する。
蜘蛛。
生きてない。
そして、「追い出して」。
空はより薄暗さを増し、暗闇が樹海の全てを覆い隠そうとしていた。