──砂漠での二騎の激突から数分後。
ジェスター一味を鏖殺したアサシンは夜の街を探索していた。
街の空気を吸いながらも、その脳躯は常に周囲の魔力の流れを完璧に計算し尽くしている。
サーヴァントとしての知覚感覚はこの街で起こるであろう大英雄たちの激突を既に感知していた。
先ほど、街の遥か彼方──砂漠の方向から、大気を引き裂くような凄まじい魔力の衝突を感じ取った。
あるいは、神の域に達した英雄たちの交戦。
(原作通り、英雄たちの戦いはすでに始まっている。……だが、私の戦いはそこにはない)
彼女の目的は、聖杯という万能の願望機そのものではなかった。
彼女の願いは、己が英霊として認められること。
英霊を一目見ること。
そして、この現代という光の世界を、その目に焼き付けること。
その内の一つは完全に叶っていた。
残りの二つも叶うのは時間の問題だった。
ならば、あえて神代の戦いに首を突っ込み、道化のように命を散らす必要などどこにもない。
(二騎の戦いを観戦しながら、まずは町の観光──いや、魔術師どもの捜索をするか。
民に被害を齎す可能性のある外道は速やかに排除しよう。そのために魔術師の行動が活発になる夜は探索、朝は町の観光をするか)
中身は違えど、彼女の善性は無辜の民への被害を心配し、それを為す魔術師への危惧をしていた。
彼女は音もなく跳躍し、またたく間に高層ビルの屋上へと音もなく舞い降りた。
彼女の気配遮断のランクはA+。
原作のアサシンと違い、暗殺者として堅実に技術を積んでいた彼女の気配遮断のランクは暗殺者として最高峰の域に達していた。
高ランクの気配遮断のスキルは、現代の魔術師の貧弱な探知魔術など容易にすり抜ける。
仮にサーヴァントであっても高ランクの気配察知、もしくは直感系のスキルを持っていなければ認識は不可能だろう。
風に紛れ、影に溶け込みながら、彼女はビル群の屋上を文字通り跳ぶように移動を開始した。
(探るべきは、魔力の流れ。そして、人目を避けるように蠢く魔術師の気配――)
この街には、歪んだ願望を抱く魔術師や、己の利益のために無辜の民を贄に捧げることを厭わない外道が潜んでいる。
ジェスターは排除したが、まだ氷山の一角に過ぎない。
魔術師という生き物は根源に至るためならば命を惜しまない。原作でそれほど魔術師が表に出なかったのは、原作のアサシンが間引いていたからだろう。
戦争を開いた黒幕たちも余程神秘の隠蔽が出来ず、計画に支障をきたす魔術師以外は素通りさせているからなのか、町のいたるところに魔術師の気配を感じる。
(マスターという軛を失った私には、魔力のバックアップがない。だが、それを補う術はある。これ程魔力が集中している地ならば、宝具の連発ならいくらでもできるだろう。………暗獄に沈め──
──
幽弋のハサンのハサンが使っていた死を媒介にした道連れの宝具ではなく、原作のアサシンが使っていた周囲知覚の御業。
魔力・水・風・電気などのエネルギーの流れを感知し、周囲の地形構造を人工物だろうと自然だろうと我が身として完全に知覚する業。
幽弋のハサンの
(見つけた。……民を害する害虫め)
彼女の目が、ある路地裏の雑居ビルに留まった。
そこから漂うのは、濃厚な死臭。
そして、人間の生贄にし、己の糧としようとする劣悪な魔術の術式。
(――不意を突いた暗殺ならば、いかなる魔術師であれ、私の指先一つで事足りる)
少女の形をした死神は、ビルの縁に音もなく降り立つ。
──雑居ビル内部
「くそっ! くそっ!! くそがっ!! なぜ私が選ばれない! 聖遺物を集め、貴様らのような劣等を態々贄として集めて来たというのに!」
男の絶叫が、血生臭いビルの壁に虚しく反響する。
叩きつけられる魔術の衝撃に、すでに生気を失った死体が人形のように跳ね、さらに損壊していく。
それを狂ったような形相で見下ろす男の胸中は、おぞましい嫉妬と焦燥だけで満たされていた。
彼の家系は、時計塔において中途半端の一言で片付けられる、うだつの上がらない魔術家系だった。
名家と呼ばれるほどの歴史も、一子相伝の恐るべき秘術もない。
かと言って、完全に名もなき新参というわけでもない。
数代にわたり、ただ細々と、他者の顔色を窺いながら魔術の火を繋いできただけの、凡百の血筋。
そんな日陰の人生から抜け出すため、彼は人生のすべてを賭けてこのスノーフィールドへとやってきた。
(時計塔の連中を見返してやる。私を、我が家系を蔑んできた天才どもを、この手で、奇跡の力で圧殺してやるのだ……!)
その一発逆転の野望のために、私財をすべて投げ打ち、死に物狂いで歴史の闇から聖遺物を掘り起こした。
さらに裏の伝手を使い、数百を超える人間を贄として拐い集め、スノーフィールドへと持ち込んだ。
すべては、英霊という最高峰の神秘を従え、聖杯を手に入れるための、彼なりの血の滲むような努力の結果だった。
だが、世界は彼を裏切った。
どれほど血の儀式を重ねようと、どれほど高価な聖遺物を集めようと、彼の右腕に令呪が刻まれることはなく、全ては無意味と化した。
「そうだ! 貴様らのせいだ! 私に令呪が宿らないのも全部全部貴様らが悪いのだ! 死ね! 死ね! 死ね! 本当ならば、私こそがこの偽りの聖杯戦争のマスターになるはずだったのだ……!」
届かぬ叫びを吐き散らし、男は既に事切れている生贄に魔術の触手を伸ばそうとした。
──その、刹那。
「……
鈴の音のように清澄な、しかし絶対的な零度を孕んだ女の声が、男の鼓膜を震わせた。
男が気づいた時には胸の前に異形の腕が伸びており、その手の中には何やら心臓らしきものが握られていた。
(私の………心…臓?)
ドクン、ドクンと脈打つ紅き肉塊を見た瞬間、確かに五体満足であるはずなのに、男は直感的にそう思った。
あれは自身の心臓だと、潰されては絶対にいけないものなのだと。
直感に従い、男が異形の手の中の肉塊に手を伸ばした瞬間。
──グシャリ。
肉と肉が潰れ合う、ひどく呆気ない音が地下室に響いた。
「が、は──ッ!?」
男の口から、言葉にならないほどの血の塊が溢れ出す。
激痛すら追いつかない。
ただ、自身の胸の奥で、命の灯火を支えていた決定的な何かが、一瞬にして消滅したことだけを生物としての本能が理解していた。
男は自分の胸へと視線を落とすが、そこには傷一つない。
だが、眼前に佇む黒衣の女──その禍々しくねじくれた異形の右腕が握り潰したのは、紛れもない男の心臓だった。
「死ね……己の欲望のため、民を犠牲とする外道」
女の冷徹な声が、男の薄れゆく意識に突き刺さる。
男は膝から崩れ落ち、血溜まりの中に突っ伏した。
時計塔を見返すという野望も、劣等感に塗れた執念も、最高峰の暗殺者の指先一つで、ただの無意味な肉塊へと成り果てる。
「あ……が……な、ぜ……私が……」
最後まで世界の不条理を呪いながら、男の瞳から光が消え失せた。
アサシンは異形の腕を静かに引き戻し、仕舞い込んだ。
(……終わった。この程度の魔術師を討つなど造作もない)
事切れた男を一瞥したアサシンは思考に耽る。
(黒幕たちは魔術師たちに情報を流し、その侵入を歓迎している。ならば、この男以外にも町に潜伏する魔術師は沢山いるだろう。その者たちの始末をせねばな)
聖杯の技術漏洩の防止のため、魔術師の選別と排除が行われていたであろう冬木と違い、このスノーフィールドは魔術師の侵入を歓迎している。
余程、神秘秘匿を守れないような魔術師でもなければその侵入は歓迎されている。
今も多くの魔術師がスノーフィールドの聖杯を求め、この地に足を踏み入れているだろう。
彼女は死臭の漂う部屋に背を向け、再び音もなく闇へと溶け込んでいく。
──砂漠での二騎の激突から数時間後。
深夜の内に複数の魔術師の始末を終えたアサシンは、夜の冷酷な暗殺者としての仮面を外し、ただの観光客として
街を探索していた。
(あの過酷な砂漠には、これほど鮮やかな光はなかった)
せわしなく行き交う人々の熱気、そして昼空を圧する高層ビルの群れ。
偽りの聖杯戦争の舞台、スノーフィールドの街を、アサシン──かつて常軌を逸した鍛錬の果てに果てた女は、静かに歩いていた。
その身に纏うのは、現代の群衆に紛れるための漆黒の私服。
暗殺者の装束は霊子化させ、今はどこか異国情緒を漂わせる物静かな女性として、この豊穣な世界を文字通り貪るように見つめていた。
(ああ、本当に……届いたのだ)
胸の奥を占めるのは、かつて日本という国で生きていた男子高校生としての、どこか冷めた、しかし確かな歓喜。
そして、その下で静かに脈打つ、一生を砂漠の鍛錬に捧げた暗殺者としての厳格な知覚。
原作では、自分はあの歪んだ死徒、ジェスター・カルトゥーレの掌の上で踊らされ、ただ信仰を弄ばれる悲劇の舞台装置になるはずだった。
だが、その未来は数時間前、己の指先一つで完全に粉砕した。
今や彼女を縛るマスターはいない。
令呪の軛もない。
あるのは、召喚時に得た肉体と、この現代を自由に闊歩できるという絶対的な自由だけだった。
彼女が足を向けたのは、きらびやかな照明に彩られた現代のファストフード店だった。
「──お待たせいたしました」
目の前に置かれたのは、湯気を立てる料理、あふれんばかりのポテト、そして氷の浮いた炭酸飲料。
前世の男子高校生にとってはありふれたジャンクフードに過ぎないそれが、今世の彼女にとっては、神の奇跡にも等しい光輝を放っていた。
かつて生きていた砂漠の地では、水一杯、干し肉一切れすらも血の滲むような交渉と配給の果てに得るものだった。
味気ない、ただ命を繋ぐためだけの食事。
「……いただきます」
銀の鈴を転がすような声で小さく呟き、彼女は料理を口に運ぶ。
脳髄を突き抜けるような強烈な塩気、旨味、そして人工的な甘み。
(……美味しい。これほどまでに、世界は満ち足りているのか)
無表情が崩れ、無意識のうちに笑みが零れ落ちた。
周囲の人々は彼女の見た目相応の無垢な笑みに魅了され溜息を零した。
男子高校生の記憶が懐かしいと笑い、暗殺者としての人格がこれほどの贅沢が許されるのかと畏怖する。
彼女は周囲の好奇の視線を浴びながら、優雅に、しかし確実に、現代の豊かさをその身に収めていった。
食事を終え、店を出たアサシンは、満ち足りた腹の感覚を覚えながらも、その意識の数割を周囲へと向けていた。
──その刹那、確かな魔術の気配を感じた。
術式からして認識阻害、それもかなり高位のもの。
魔術師ならば認識阻害は当たり前のことだが、これから民に危害を与えるようなことをするかもしれない。
そう思ったアサシンは認識阻害の元となる人物の背後に回り込み、ナイフを首に当てる。
「動くな。………貴様に一つ問う。貴様は自身の目的の為ならば、無辜の民を犠牲にすることを問わない外道か?」
「………わ、私は………」
魔術師はか細く震えのある声を出した。
その聞き覚えのある声に、アサシンは魔術師の姿形に目を向けた。
その髪は艶やかな黒髪で、肌は褐色、歳は12歳ごろだろうか。
(──ッ!? 少女だと? それに、聞き覚えのある声──まさか!)
アサシンの頭の中に金色の王──砂漠で激突した二騎の内の一騎、英雄王ギルガメッシュの存在がよぎった瞬間。
何処からともなく声が響いた。
「ほお、仮とはいえ、
(しま──ッ!?)
声と共に数多の飛来物がアサシンの身を襲った。