現代ダンジョンで成り上がり!   作:ダンジョン厨

1 / 12
第一章 チュートリアル
第一話 未発現者


 

 探索者(ハンター)協会関東第三支部の地下訓練場は、朝の六時だというのに、すでに低い駆動音と魔力測定器の電子音で満ちていた。

 

 灰色の床には強化樹脂のラインが引かれ、壁面には衝撃吸収材が何層にも貼られている。天井付近を走るレールには自動標的機が吊られ、訓練用の魔物模型が時折、短い警告音とともに姿勢を変えた。地上では通勤電車が走り始める時間帯だが、この地下では、今日も誰かが人間をやめるための訓練をしている。

 

 榊晴人(サカキ ハルト)は、その端にいた。

 

 身長は平均より少し高い。鍛えてはいるが、上級探索者のような獣じみた圧はない。黒い訓練着の袖を肘までまくり、汗で額に張り付いた髪を雑に払いながら、晴人は右手に魔力を集めていた。

 

 魔力*1と呼ばれるそれは、二十年前の落門現象以降、地球上に流入した外宇宙由来の異常物質だった。

 普通の人間にとっては毒に近い。濃度が高ければ頭痛、吐き気、幻覚、神経障害を起こす。だが、ごく一部の人間はそれを体内で循環させられる。筋肉に通せば筋力が上がり、神経に通せば反応速度が跳ね、皮膚と骨に馴染ませれば、人間の身体は魔物の爪にも耐える。

 

 そういう者たちが、探索者(ハンター)と呼ばれていた。

 

「よし……もう一回」

 

 晴人は息を吐き、右手に集めた魔力を肩、胸、背骨、腰、脚へと流そうとした。

 

 瞬間、ばちん、と手首の内側で小さな火花が散った。魔力の流れが乱れ、筋肉が痙攣する。晴人は顔をしかめたが、手を振って痛みを逃がすだけで、すぐに姿勢を戻した。

 

「今の、ちょっと良かったんじゃないか。最後の最後で暴れたけど、膝までは通ったし」

 

 誰に言うでもなく、晴人は明るく呟いた。

 

 実際、良くはなかった。基礎身体強化の循環試験なら、今のは不合格だ。魔力を全身に均一に回すどころか、右肩から胸へ移す段階で三割近くが霧散している。脚に届いた量は微々たるもので、実戦なら踏み込み一つで体勢を崩す。

 

 だが、昨日よりは長く保った。

 

 だから晴人にとっては、十分に前進だった。

 

「朝から元気だねえ、未発現くん」

 

 背後から声がした。

 

 振り返ると、同じ訓練着を着た青年が、スポーツドリンク片手に笑っていた。名は久我蓮司(クガ レンジ)。晴人と同じ時期に協会へ登録された同期で、すでに固有発現を済ませている。能力は雷撃系。身体強化の出力も高く、若手の中では有望株だった。

 

「おはよう、久我。今日も早いな」

 

「お前に言われたくないんだけど。俺が来た時には、もう汗だくだったぞ」

 

「いやあ、昨日の循環試験、また落ちたからさ。そろそろ試験官の人に顔を覚えられそうで」

 

「もう覚えられてるだろ。悪い意味で」

 

「だよなあ」

 

 晴人は笑った。

 

 久我は呆れたように肩をすくめる。悪意のある言い方ではない。少なくとも、晴人はそう受け取っていた。

 

 探索者には、大きく分けて二つの力がある。

 

 一つは、魔力操作による基礎身体強化。これは探索者ならほとんどが扱える。筋力、耐久、反射、感覚、回復力を底上げする、戦闘の土台だ。

 

 もう一つは、固有発現。炎を操る、影に潜る、傷を癒やす、武器を生成する、魔物の気配を読む。形は人によって違うが、探索者として名を上げる者は、大抵この固有発現を持っている。

 

 晴人には、それがなかった。

 

 魔力操作はできる。門内環境への適応もある。だから探索者登録は通った。だが、固有発現は一向に起きない。身体強化も平均以下。協会の評価端末に表示される晴人の適性欄には、いつも同じ文字が並んでいた。

 

 未発現。

 

 つまり、まだ何者にもなれていない探索者。

 

「で、今日はどうするんだよ。午前の座学、出るんだろ」

 

「その前に、支部から声が掛かってる。低等級門の攻略補助。荷物持ちと記録係だけど」

 

「門? お前が?」

 

「お前がって言い方、傷つくなあ」

 

「いや、悪い。けど、まだ実地は早くないか。固有なしで門に入るの、普通に危ないぞ」

 

 久我の声には、珍しく軽さがなかった。

 

 晴人は少しだけ目を伏せ、それから笑った。

 

「危ないのは分かってる。でも、実地記録を積まないと等級上がらないだろ。俺、いつまでも訓練場の床と友達でいるわけにもいかないし」

 

「それはそうだけどさ」

 

「大丈夫だって。D級門だよ。しかも攻略済みルートの再調査。俺は前衛じゃないし、魔力灯と測定器を持って後ろを歩くだけ」

 

「その“だけ”で死ぬ奴がいるから、門災って呼ばれてるんだろ」

 

 久我の言葉は正しい。

 

 門災*2。宇宙から飛来した門状構造体が地上に定着し、その内部に異常空間、通称ダンジョンを展開する現象。門を放置すれば、やがて内部の魔物が外界へ溢れ出す。溢出事象*3が起きれば、被害は住宅地一つで済まないこともある。

 

 だから探索者(ハンター)は門へ入る。

 

 門核*4を破壊、封印、あるいは回収し、門を閉じるために。

 

「ありがとな、心配してくれて」

 

「別に心配じゃねえよ。同期が死ぬと、空気が悪くなるだろ」

 

「それ、心配って言うんだぞ」

 

「うるせえ」

 

 久我は視線を逸らし、スポーツドリンクを飲んだ。

 

 晴人は笑って、訓練場の壁際に置いていた安物の星骸短刀を拾い上げた。刃渡りは短く、魔力伝導率も高くない。協会の支給品よりは少し良い、程度の武器だ。けれど晴人にとっては、初めて自分の給料で買った探索者用の武器だった。

 

 柄を握り、魔力を薄く流す。刃の表面に、淡い青白い線が走った。

 

 それだけで、少しだけ胸が高鳴る。

 

(よし。今日も動く。なら、やれる)

 

 晴人は武器を鞘に戻し、訓練場の出口へ向かった。

 

 協会支部の地上階へ上がると、そこには探索者たちの朝があった。

 

 受付前には装備ケースを持ったパーティが並び、掲示モニターには新規落門情報、門圧*5濃度、攻略依頼、素材買い取り価格が流れている。カフェスペースでは、徹夜明けらしい中年探索者が栄養ゼリーを片手に眠りかけていた。装備点検窓口では、弓型の星骸兵装を抱えた女性が、鑑定士に向かって早口で文句を言っている。

 

 ここは、災害対策機関であり、職業斡旋所であり、武器市場であり、命の売買所でもあった。

 

 晴人は受付で認証を済ませ、集合場所に向かった。

 

 今日の任務は、千葉県北西部に発生したD級門の再調査。すでに一次攻略隊が浅層の安全を確認しており、今回の目的は未回収素材の採取、地図情報の補完、門核反応の再測定だった。

 

 危険度は低い。

 

 少なくとも、書類上は。

 

「榊晴人、来ました」

 

 待機室に入ると、三人の探索者がすでに装備を整えていた。

 

 一人はリーダー役の女性探索者、朝比奈紗季(アサヒナ サキ)。C級探索者で、能力は硬化系。淡い茶色の髪を後ろで結び、無駄のない動作で腕部装甲の留め具を確認している。

 

 二人目は、槍を持った青年、三枝悠真(サエグサ ユウマ)。晴人より二つ年上で、身体強化を得意とする前衛。

 

 三人目は、小柄な感知役の少女、御影莉子(ミカゲ リコ)。まだD級だが、魔物の気配を読む固有発現を持っている。

 

 そして、四人目が晴人。

 

 役割は、記録係兼補助。

 

「時間通りね。偉いじゃない」

 

 朝比奈が顔を上げた。

 

「遅刻したら、探索者以前に社会人として終わりかなって」

 

「その意識だけは高評価」

 

「だけは、って相変わらず辛口ですね」

 

「実力はこれからでしょ。荷物、持てる?」

 

「持てます。魔力灯、測定器、予備バッテリー、応急キット、簡易ビーコン、全部確認済みです」

 

「よろしい」

 

 朝比奈は短く頷いた。

 

 三枝は晴人を一瞥し、少しだけ眉を上げた。

 

「未発現って聞いてたけど、本当に入るんだな」

 

「はい。足を引っ張らないようにします」

 

「そういう意味じゃない。怖くないのかって話」

 

「怖いですよ」

 

 晴人は即答した。

 

 三枝が意外そうに目を細める。

 

「でも、怖くなくなるまで待ってたら、多分一生入れないので」

 

 その答えに、朝比奈が小さく笑った。

 

「いいじゃない。怖いって言える新人は長生きするわ」

 

「褒められたので、今日はもう勝ちでいいですか」

 

「門核を測って帰るまでが任務」

 

「ですよね」

 

 晴人は苦笑しながら、装備ケースを背負った。

 

 移動車両の窓から見える街は、あまりにも普通だった。

 

 コンビニの前で学生が自転車を止めている。歩道では会社員がスマートフォンを見ながら信号を待っている。公園では老人が犬を散歩させている。二十年前、宇宙から門が降ってきて、世界中にダンジョンが開き、魔物が人を襲うようになった。それでも人間は、朝になれば出勤し、昼になれば弁当を買い、夜になれば家に帰る。

 

 その普通を守るために、探索者は門へ入る。

 

 晴人は窓に映る自分の顔を見た。

 

 緊張している。けれど、目は死んでいない。

 

(大丈夫。やれることをやる。俺にできることを、ちゃんとやる)

 

 やがて車両は、封鎖区域に入った。

 

 住宅地の一角に、巨大な黒い輪が突き刺さっていた。

 

 門。

 

 それは石でも金属でもなく、見る角度によって質感が変わる異様な構造体だった。表面には星図のような微細な光点が走り、輪の内側には、こちら側の景色とは違う暗い地下鉄駅のような空間が覗いている。

 

 現実に穴が開いている。

 

 晴人は、いつもそう感じる。

 

 現場の協会職員が手続きを進め、朝比奈が最終確認を行った。門圧濃度はD級範囲内。溢出兆候なし。門核反応は微弱。内部地形は一次攻略時と大きな変化なし。

 

 安全。

 

 そう言われても、晴人の手のひらには汗が滲んでいた。

 

「榊」

 

 朝比奈が言った。

 

「はい」

 

「怖いなら、今からでも下がれるよ」

 

 晴人は少し驚いた。

 

 けれどすぐに、首を横に振った。

 

「行きます」

 

「理由は?」

 

「俺、探索者になりたいので」

 

「もう登録はされてるでしょ」

 

「登録されてるだけじゃなくて、ちゃんと探索者になりたいんです」

 

 朝比奈は数秒、晴人を見た。

 

 それから口元だけで笑う。

 

「なら、後ろについてきなさい。勝手に死なないこと。勝手に突っ込まないこと。勝手に諦めないこと」

 

「了解です」

 

 晴人は大きく息を吸った。

 

 そして、門を越えた。

 

 足裏に伝わる感触が変わる。

 

 アスファルトではない。冷えたタイル。空気は湿っていて、錆と埃と、わずかに甘い腐敗臭が混じっている。天井には蛍光灯に似た発光体が並んでいるが、電線はない。壁面の駅名標には、日本語に似ているのに読めない文字が滲んでいた。

 

 ダンジョン内部。

 

 未知に包まれた、宇宙由来の異常領域。

 

「隊列確認。前衛、三枝。中央、御影。後衛、榊。私は遊撃。御影、感知」

 

「はい。正面二十メートル、低級反応二。たぶん鼠型です」

 

「三枝」

 

「了解」

 

 三枝が槍を構え、足元に魔力を通した。床が小さく鳴る。次の瞬間、彼の身体が前へ跳んだ。

 

 速い。

 

 晴人の目では、追いきれない。

 

 暗がりから飛び出した二体の魔物は、大型犬ほどの大きさの鼠だった。だが、背中には鉱石のような棘が生え、口は顔の半分まで裂けている。三枝の槍が一体目の頭を貫き、返す動きで二体目の胴を払った。

 

 戦闘は、十秒も掛からなかった。

 

「すげえ……」

 

 晴人は思わず呟いた。

 

 三枝が振り返る。

 

「D級の鼠だぞ。これくらいできないと話にならない」

 

「いや、でもすごいです。踏み込み、全然ぶれてなかった」

 

「……見てたのか」

 

「見えたところだけですけど。足に魔力を集めるタイミング、めちゃくちゃ綺麗でした」

 

 三枝は一瞬、言葉に詰まったようだった。

 

「変な奴だな、お前」

 

「よく言われます」

 

「褒めてない」

 

「ですよね」

 

 晴人は笑い、測定器を起動した。

 

 門圧、正常。星骸質濃度、D級範囲。魔物死骸の反応、低。通路構造、一次地図と一致。

 

 任務は順調だった。

 

 少なくとも、最初の一時間は。

 

 地下鉄駅に似た階層を進み、ホーム、連絡通路、改札跡のような広間を抜ける。低級魔物は数体出たが、朝比奈と三枝が問題なく処理し、御影の感知も安定していた。晴人は記録を取り、測定器を確認し、落ちていた星骸鉱の欠片を採取ケースに入れた。

 

 自分にできる仕事を、一つずつ。

 

 その積み重ねなら、晴人にもできる。

 

「榊、魔力灯を右に寄せて。影が濃い」

 

「了解です」

 

 晴人は魔力灯の角度を変えた。

 

 青白い光が壁面を撫でた瞬間、そこに奇妙な模様が浮かび上がった。

 

 文字、ではない。回路にも見える。星図にも見える。黒い壁の奥に、淡い銀色の線が沈んでいる。

 

「朝比奈さん、これ」

 

「何?」

 

「壁に、何かあります。一次地図に記録、ありましたか?」

 

 朝比奈が近づく。御影も眉をひそめた。

 

「……見えないけど」

 

「え?」

 

「ただの壁よ。御影、反応は?」

 

「ありません。魔物も、罠も、魔力溜まりも感知できません」

 

 三枝が面倒そうに槍を肩に担いだ。

 

「光の加減じゃないのか」

 

「いや、でも」

 

 晴人はもう一度、魔力灯を近づけた。

 

 銀色の線が、確かに動いた。

 

 ぞわり、と背筋が冷える。

 

 それは壁に描かれているのではない。壁の奥から、こちらを見返すように発光していた。

 

「榊、下がりなさい」

 

 朝比奈の声が鋭くなる。

 

 晴人は反射的に後ろへ下がろうとした。

 

 その瞬間、床が鳴った。

 

 沈むのではない。崩れるのでもない。足元の空間が、薄い紙をめくるように反転した。

 

「榊!」

 

 誰かが叫んだ。

 

 晴人は手を伸ばした。朝比奈の腕がこちらへ伸びている。三枝が槍を捨てて踏み込む。御影の顔が恐怖に歪む。

 

 けれど、届かない。

 

 視界いっぱいに銀色の文字列が走った。

 

 読めない。

 

 理解できない。

 

 それでも、それが自分を選んだのだと、なぜか分かった。

 

「っ、まだ――!」

 

 晴人は叫ぼうとした。

 

 だが声は、空間ごと断ち切られた。

 

 次の瞬間、晴人は一人で落ちていた。

 

 上下も、前後も分からない。暗闇の中を落下しているのに、風はない。身体の内側だけが引きずられるように痛む。血管の中で魔力が暴れ、骨の奥で火花が散る。

 

 そして、叩きつけられた。

 

「が、はっ……!」

 

 肺から空気が抜けた。

 

 晴人は床を転がり、壁に背中を打ちつけて止まった。目の前が白く弾ける。右腕が痺れて動かない。額から流れた血が、片目に入る。

 

 数秒、呼吸ができなかった。

 

 やがて、喉がひゅっと鳴り、空気が戻る。

 

「……生き、てる」

 

 自分の声が、信じられないくらい遠く聞こえた。

 

 晴人は震える左手で、腰の端末を探った。

 通信。圏外。帰還札。ひび割れている。簡易ビーコン。反応なし。魔力灯。消失。測定器。画面が割れて、黒い染みのようなノイズだけが蠢いている。

 

 周囲は、駅ではなかった。

 

 白い廊下だった。

 

 壁も床も天井も、骨のように白い。継ぎ目はなく、光源もないのに、薄く発光している。遠くで、水滴のような音がした。だが水の匂いはない。代わりに、濃すぎる魔力が肺を焼くように入り込んできた。

 

 D級門ではない。

 

 こんな場所は、地図にない。

 

 晴人は立ち上がろうとして、膝から崩れた。

 

 身体強化を回そうとする。魔力が乱れ、胸の奥で弾ける。痛い。息が詰まる。それでも晴人は、歯を食いしばってもう一度試した。

 

(足は動く。腕も、右は微妙だけど、左は動く。短刀は……ある。よし。なら、まだ終わってない)

 

 腰の星骸短刀を抜く。

 

 手が震えていた。

 

 怖い。

 

 今まで感じたことのない恐怖だった。訓練場の模擬戦でも、低級魔物との遭遇でもない。自分がどこにいるのか分からない。誰も助けに来ない。帰る方法も分からない。その事実が、冷たい手で喉を掴んでくる。

 

 白い廊下の奥で、何かが動いた。

 

 濡れた肉を引きずるような音。

 

 晴人は息を止めた。

 

 現れたのは、人型に近い何かだった。腕が長い。頭がない。胸の中央に、縦に裂けた口がある。肋骨のようなものが外側に開き、その隙間から青黒い光が漏れている。

 

 見ただけで分かった。

 

 勝てない。

 

 D級門の鼠とは違う。三枝が倒した魔物とはまるで違う。あれは、今の晴人が正面から戦っていい相手ではない。

 

 魔物が、胸の口を開いた。

 

 晴人は逃げた。

 

 情けないほど必死に走った。足がもつれ、壁に肩をぶつけ、肺が焼け、右腕が悲鳴を上げる。それでも走った。後ろで白い床が砕ける音がする。魔物が追ってきている。

 

「くそ、くそっ、速いな!」

 

 晴人は笑った。

 

 笑うしかなかった。

 

 角を曲がる。行き止まり。戻る。爪が頬を掠める。熱い血が飛ぶ。短刀を振る。弾かれる。手首が痺れる。相手の外皮には傷一つついていない。

 

(無理だ。勝てない。今の俺じゃ、絶対に勝てない)

 

 分かっている。

 

 だから、勝たなくていい。

 

 生きればいい。

 

 晴人は壊れた扉の隙間に身体を滑り込ませた。魔物の腕が追ってくる。白い爪が肩を裂いた。痛みで視界が跳ねる。晴人は叫びそうになる口を噛みしめ、短刀を扉の隙間に突き立てた。てこの要領で、崩れかけた金属板を落とす。

 

 轟音。

 

 魔物の腕が一瞬、瓦礫に挟まった。

 

 晴人は転がるように奥へ逃げた。

 

 そこは、小さな保守室のような場所だった。壁には読めない文字列が並び、中央には壊れた柱状の装置が立っている。逃げ道はない。背後では、魔物が瓦礫を砕いている。

 

 晴人は壁にもたれ、荒い呼吸を繰り返した。

 

 魔力は残り少ない。短刀は欠けた。右腕は上がらない。足は震えている。頭も割れそうに痛い。

 

 それでも、晴人は床に爪を立てた。

 

「まだ……死んでない」

 

 声は震えていた。

 

 だが、言葉は出た。

 

「まだ死んでないなら、終わりじゃない」

 

 魔物が瓦礫を砕き、保守室の入口に立った。

 

 胸の口が開く。

 

 青黒い光が集まる。

 

 晴人は短刀を握り直した。

 

 勝てない。逃げ場もない。助けも来ない。

 

 それでも、目だけは逸らさなかった。

 

 その瞬間、視界の奥で、存在しない文字列が走った。

 

《登録外知性体を確認》

《生存確率、基準値未満》

《基礎魔力操作履歴を照合》

《継続意思を確認》

《例外処理を開始》

《ORIGIN://AUTHORITY を起動します》

 

 世界が、静止した。

 

 魔物の胸に集まる光が、線になって見えた。

 

 床の亀裂が、逃げ道のように光った。

 

 自分の心臓の鼓動が、数字のように脳裏へ刻まれた。

 

 晴人は、何が起きたのか分からなかった。

 

 だが、視界に一つの表示が浮かんでいた。

 

《推奨行動:左方へ半歩。姿勢を下げろ》

 

 晴人は考えなかった。

 

 左へ半歩ずれ、膝を落とした。

 

 直後、青黒い光が頭上を通り過ぎ、背後の壁を音もなく消し飛ばした。

 

 白い壁の向こうに、通路が開く。

 

 晴人は目を見開いた。

 

 まだ、帰れる。

 

 その可能性だけが、暗闇の中で眩しく光っていた。

*1
正式には星骸質(Astral Matter, AM)。さらに国際分類上では、地球外異常物質(Extraterrestrial Anomalous Matter, EAM)

*2
正式名称:Gate-related Disaster, GRD。門の出現、および門に起因して発生する災害全般を指す国際災害分類上の総称。落門、溢出、門圧汚染、門内生物の外界侵出などを含む。

*3
正式名称:Gate Breach。未攻略または攻略失敗状態にある門から、門内生物が外界へ流出する事象。規模に応じて第一次溢出、第二次溢出、大規模溢出などに分類される。

*4
正式名称:Gate Core, GC。門内最深部に存在する中枢構造体。門の維持、門内空間の固定、門内生物の発生に関与しているとされる。門核の破壊、封印、回収によって門は閉鎖される。

*5
正式名称:Gate Pressure, GP。門周辺および門内に発生する異常圧。重力、精神、空間、未知粒子の複合的負荷と考えられており、一般人には汚染症状を引き起こす。一方で、ごく一部の適応者には異能覚醒の契機となる。




キリがいい所まで連続投稿です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。