現代ダンジョンで成り上がり! 作:ダンジョン厨
三枝悠真が目を覚ましたのは、再評価試験の二日目が始まる直前だった。
晴人がその報せを聞いた時、彼は訓練室の床に座り、左手だけで訓練用短刀を握る練習をしていた。右腕はまだ固定具に包まれたままで、肩を大きく動かすこともできない。だが、足の魔力循環は少しずつ安定してきている。昨日取得した《基礎魔力循環 Lv.1》と《回避歩法 Lv.1》のおかげか、少なくとも訓練用ドローンの衝撃弾を見てから避けるだけなら、以前よりずっと形になっていた。
それでも、朝比奈紗季の評価は容赦なかった。
「動きがまだ素直すぎる。表示を見てから避ける癖が抜けていないわ。実戦だと、表示が出た時にはもう遅い場面もある」
「昨日よりは避けられてると思うんですけど」
「昨日よりはね。でも、魔物は昨日のあなたと戦ってくれるわけじゃない」
「せ、正論パンチ……」
「あのねぇ。もしもだとか、たらればだとか、そんなのは実践には関係ないのよ」
朝比奈は端末を操作しながら、淡々と言った。
晴人は苦笑しつつ、訓練用短刀を構え直した。
そこへ、医療区画の職員がやってきて、三枝の意識回復を告げた。
「面会はまだ短時間のみです。ただ、本人が榊さんに会いたいと」
晴人は思わず立ち上がりかけた。瞬間、右腕の警告端末が鳴る。
「榊」
「はい。走りません。跳びません。ちゃんと歩きます」
「分かっているならよろしい」
朝比奈はそう言ってから、少しだけ目を伏せた。
「行ってきなさい。訓練は戻ってから続きよ」
「はい」
三枝の病室は、晴人の部屋よりもさらに機材が多かった。
右脚は固定され、身体のあちこちに包帯が巻かれている。顔色も悪い。だが、意識ははっきりしているようだった。晴人が入ると、三枝はゆっくり視線を向けた。
「榊」
「三枝さん。起きたんですね」
「見れば分かるだろ」
「それを聞けるくらい元気なら、安心しました」
「元気ではない」
「ですよね」
晴人が笑うと、三枝は少しだけ口元を緩めた。
けれど、すぐに真面目な顔になる。
「助けられたって聞いた」
「俺だけじゃないです。救助隊と、朝比奈さんと、みんなが」
「でも、お前が見つけてくれたんだろ」
晴人は少し言葉に詰まった。
礼を言われるかもしれないとは聞いていた。けれど、実際にその場面になると、どう返せばいいのか分からない。
「……たまたまです。俺の能力で、少し見えただけで」
「たまたまでも、今俺は生きてる」
三枝は天井を見上げ、息を吐いた。
「ありがとな」
短い言葉だった。でもそれが妙に嬉しくて、晴人は左手を握った。
「はい」
「それと、悪かった」
「え?」
「最初、未発現者が門に入るのかって思った。口にも出した。お前のこと、戦力として見てなかった」
「それは事実ですし」
「事実でも、全部がそうじゃなかった」
三枝は晴人を見た。
「お前は弱い。でも、役に立たないわけじゃなかった」
「……褒められてます?」
「褒めてる」
「初めてのタイプの褒め方です」
「慣れろ。探索者は大体、素直に褒めるのが下手だ」
「探索者というより、三枝さんが、でしょ?」
揶揄うようにそう言えば、三枝は目線を逸らし、それからため息をついて、観念したかのように眉を下げて笑った。
胸の奥に、少しだけ熱いものが残る。
弱い。それは間違いない。
けれど、役に立たないわけではない。
その言葉は、今の晴人には十分すぎるくらい大きかった。
「俺、強くなります」
晴人は言った。
「次に誰かを助ける時、ベッドの上からじゃなくても動けるように」
三枝は少しだけ目を細めた。
「無茶はするなよ」
「最近、そればっかり言われます」
「言われるだけのことをしてきたんだろ」
「否定できないです」
「なら、訓練しろ。お前みたいなのがちゃんと動けるようになったら、強いだろうから」
その言葉に、晴人は目を瞬かせた。
三枝は気まずそうに視線を逸らす。
「たぶん、だけどな」
「はい。たぶんで十分です」
病室を出た後、晴人は少しだけ廊下で立ち止まった。
視界に、淡い表示が浮かんでいる。
《対人関係記録:三枝悠真》
《信頼値:微量上昇》
《注:当該項目は戦闘性能に直結しません》
「いや、出るのかよ、そういうの」
思わず呟いた。
すぐ近くにいた久我が、怪訝そうに振り返る。
「何が」
「いや、今のは忘れてくれ」
「お前の能力、だんだん何でもありになってないか」
「俺もそう思う」
晴人は苦笑しながら、訓練室へ戻った。
◇
再評価試験の第二項目は、模擬敵性個体への攻略指示だった。
訓練室の中央には、四足歩行型の模擬魔物が三体配置されている。実物の魔物ではなく、星骸質反応を再現した協会製の訓練機だ。外装は黒い装甲板で覆われ、背中には棘に見立てた衝撃発生装置が並んでいる。低級の犬型魔物を想定した機体だが、動きはかなり速い。
晴人の役割は、戦うことではない。
模擬戦闘に参加する久我へ、敵の動き、弱点、危険地点、最適な立ち回りを指示することだった。
「つまり、俺が戦って、お前が横から口を出すわけだ」
久我が雷撃用の訓練グローブを装着しながら言った。
「言い方に悪意がある」
「事実だろ」
「攻略支援と言ってほしい」
「横から口を出す攻略支援」
「悪意が増えた」
朝比奈が二人を見て、短く言う。
「久我、今回は榊の指示に従いなさい。自分の判断で動くのは、榊の指示が明らかに遅れた時だけ」
「了解です」
「榊」
「はい」
「あなたは久我を自分の手足だと思わないこと。指示を出す相手にも判断がある。全部を支配しようとすると遅れるわ」
「分かりました」
「あなたの仕事は、答えを押し付けることじゃない。久我が一番良い判断をできるように、情報を渡すこと」
晴人は頷いた。
それは、今の自分の能力にも通じる話だった。
表示は問題文。解くのは自分。
なら、自分が久我に渡すべきものも、命令ではなく、解くための材料なのだろう。
訓練開始の合図が鳴る。
三体の模擬魔物が同時に起動した。
《敵性個体:模擬魔物 A/B/C》
《脅威度:低》
《久我蓮司:雷撃系固有発現》
《推奨:機動戦》
晴人は一瞬で全体を見た。
三体は横に広がっている。中央のAが囮。左右のBとCが挟み込む形。床の右側には訓練機の動作補助用レールがあり、わずかに滑りやすい。久我の雷撃は直線に強いが、連射すると出力が落ちる。
「久我、中央は囮! 右に寄りすぎるな、床が滑る!」
「了解!」
久我が左へ踏み込む。
模擬魔物Aが正面から突進。Bが横へ回る。Cはまだ動かない。
《危険予測:Bの側面突撃》
「左後ろ、B来る! 雷撃は撃たずに足払い!」
「注文多いな!」
久我は文句を言いながら、雷撃を撃たずに身体を沈めた。訓練グローブを床すれすれに振るい、魔力で強化した足払いを入れる。Bの脚部が跳ね、姿勢が崩れた。
「今、中央に一発!」
久我の右手から、低出力の雷撃が走る。
模擬魔物Aの頭部に直撃。動きが鈍る。
《有効打》
《模擬魔物A:機能低下》
「効いてる!」
「見れば分かる!」
「じゃあ右、Cが跳ぶ!」
Cが背中の棘を開き、久我へ跳びかかる。
久我はそれを見てから避けようとした。だが少し遅い。
「前に出て!」
「は!?」
「下がるな、前!」
久我は一瞬だけ迷い、それでも踏み込んだ。
Cの跳躍は、後退した相手を捕らえる軌道だった。前へ出た久我の頭上を、黒い機体が通り過ぎる。着地の瞬間、Cの腹部が露出した。
「腹、雷撃!」
久我が振り返りざまに撃つ。
雷撃が腹部に直撃し、Cが停止した。
訓練室の端で、鑑定局の女性が小さく息を呑むのが聞こえた。
晴人は止まらなかった。
残りはAとB。Aは機能低下。Bは姿勢復帰中。久我の雷撃出力は少し落ちている。連射は避けたい。
《久我蓮司:魔力出力低下》
《推奨:近接制圧》
「久我、雷撃温存! Aを蹴ってBにぶつけて!」
「無茶言うな!」
「できる!」
「できるって言われたら、やるしかねえだろ!」
久我は床を蹴り、Aの側面へ回り込んだ。魔力を脚へ通し、機能低下したAの胴体を蹴り飛ばす。Aが横滑りし、姿勢を戻しかけていたBに衝突した。
二体の動きが重なる。
「まとめて左手!」
久我の左手に雷光が集まる。
直線ではなく、床を這うような低い雷撃。二体の脚部を同時に焼き、模擬魔物AとBが停止した。
終了音が鳴る。
訓練室に、一瞬の静寂が落ちた。
久我は息を切らしながら、手を下ろす。
「……お前、やっぱ変だわ」
「勝ったんだから、まず喜ぼう」
「俺、普段より動きやすかったんだけど」
「そりゃ良かった」
「いや、良かったけど、ちょっと怖い。自分で見えてない死角を、横から全部言われるのめちゃくちゃ変な感じする」
朝比奈が端末の記録を確認した。
「戦闘時間、一分四十二秒。久我単独での同条件平均は二分五十八秒。被弾数は平均四に対して、今回はゼロ」
久我が眉を上げた。
「そんなに変わります?」
「変わったわね」
朝比奈は晴人を見る。
「榊、今の指示で意識したことは?」
「久我の攻撃を増やすより、無駄撃ちを減らすことです。久我は雷撃が強いけど、連射すると出力が落ちるので、当たる時だけ撃ってもらいました。あと、模擬魔物の動きが久我を後退させる前提だったので、何回か前に出てもらいました」
「判断は悪くない」
晴人は少しだけ笑った。
最近、朝比奈の「悪くない」は、かなり褒めている方だと分かってきた。
《条件達成》
《スキル:攻略指示 Lv.1 を取得》
《危険予測 Lv.1:熟練度上昇》
《基礎魔力循環 Lv.1:熟練度上昇》
《レベルが上昇しました》
視界に文字が浮かぶ。
晴人は小さく息を呑んだ。
攻略指示。
自分で戦って得たスキルではない。誰かを動かし、誰かの勝率を上げたことで得たスキルだった。
久我が晴人の顔を見て言う。
「また何か取れたな」
「分かるのか?」
「顔に出てる」
「攻略指示ってスキルが出た」
「そのまんまだな」
「うん。すごくそのまんま」
晴人は左手を握った。
今までは、生き残るためのスキルだった。
危険予測。環境利用。急所刺突。回避歩法。基礎魔力循環。
だが、今度は違う。
誰かと一緒に戦うためのスキルだ。
それが、思っていた以上に嬉しかった。
「榊」
朝比奈が静かに言う。
「あなたの価値は、単独戦闘力だけでは測れない。今の試験で、それが数字として出た」
晴人は朝比奈を見た。
「つまり、成長したってことですよね!」
「ちょっとね」
「またちょっとですか」
「ちょっとを積み重ねるのが、あなたのやり方でしょう」
その言葉に、晴人は笑った。
「はい」
再評価試験の結果、榊晴人の扱いは正式に変更された。
等級そのものは、まだD級のまま。
魔力量、身体強化、耐久、近接戦闘能力の総合値は低く、通常の昇級基準には達していない。だが、協会は新たに彼を「攻略支援適性あり」と記録した。危険予測、魔力流路認識、敵性個体の行動解析、味方探索者への戦術指示。その分野において、晴人はすでに同等級の新人を大きく上回る結果を出していた。
つまり、最下位の未発現者ではなくなった。
まだ弱い。けれど、使い道がある。
まだ低い。けれど、上がれる場所に立った。
その日の夕方、訓練室から医療区画へ戻る途中、晴人は支部の掲示モニターの前で足を止めた。
モニターには、探索者協会の任務一覧が流れている。D級門の素材採取。C級門の外周調査。溢出警戒区域の巡回。門圧測定補助。
その中の一つに、新しい任務が追加されていた。
【D級門・再調査補助員募集】
【条件:感知、解析、攻略支援適性を有する探索者】
【備考:負傷明け探索者の参加不可】
「負傷明け参加不可って、俺のことかな」
晴人が呟くと、隣の久我が即答した。
「百パーお前のことだろ」
「だよなあ」
晴人は苦笑した。
行きたい、と思った。
門へ戻るのは怖い。あの白い区画を思い出すと、今でも背中が冷える。けれど、同時に、自分がどこまでできるようになったのか試したい気持ちもある。
それを見透かしたように、朝比奈が背後から言った。
「焦らない」
「まだ何も言ってないです」
「顔に書いてある」
「みんな俺の顔読みすぎじゃないですか」
「あなたが分かりやすいのよ」
朝比奈は掲示モニターを見上げる。
「実地復帰は、医療班と監査部の許可が出てから。次に門へ入る時は、あなたが本当に攻略支援として機能するかを見ることになる」
「はい」
「それまでに、基礎を上げなさい。あなたはまだ、見えているものに身体が追いついていない」
「分かってます」
晴人は自分の右腕を見た。
固定具に包まれた腕。まだまともに使えない。強くなったとは、とても言えない身体。
けれど、視界の端には表示がある。
《現在等級:D》
《追加評価:攻略支援適性》
《次段階目標:実地支援任務への復帰》
《推奨訓練:基礎魔力循環/回避歩法/攻略指示/短刀術再訓練》
晴人は笑った。
「やること、多いな」
久我が肩をすくめる。
「退屈しなくていいだろ」
「確かに」
未発現者だった頃、晴人は努力しても先が見えなかった。
今は違う。
先は見える。
遠く、険しく、たぶん何度も転ぶ道だ。
それでも、見えている。
なら、進める。
晴人は掲示モニターから目を離し、訓練室の方へ振り返った。
「朝比奈さん」
「何?」
「今日、あと一回だけ循環訓練してもいいですか」
「医療班の許可範囲内なら」
「範囲内で」
「なら、十五分だけ」
「ありがとうございます」
久我が呆れたように笑った。
「本当に努力バカだな」
「バカでも積めば強くなるかもしれないだろ」
「まあな」
晴人はゆっくり歩き出した。
一日二日で強くなれるわけではない。
今日できるようになったのは、少しだけ上手く歩くこと。少しだけ上手く避けること。少しだけ上手く仲間に指示を出すこと。
けれど、その少しは、昨日の自分にはなかったものだ。
だから、十分だった。
榊晴人の成り上がりは、まだ始まったばかりだった。
これにて、一旦第一章完結です。