現代ダンジョンで成り上がり! 作:ダンジョン厨
第十一話 支援枠
榊晴人が正式に医療区画から訓練区画への移動を許可されたのは、未登録階層からの帰還から八日後のことだった。
右腕の固定具はまだ外れていない。肩の傷も塞がっただけで、深く捻ればすぐに痛む。医療班からは、全身強化は出力三割まで、右腕への魔力循環は禁止、模擬戦は監督者の許可がある場合のみ、という条件をしつこいほど念押しされた。探索者としては半人前どころか、リハビリ中の負傷者扱いである。
それでも、晴人は朝から妙に機嫌が良かった。
「榊、顔がうるさい」
協会関東第三支部の第三訓練室で、朝比奈紗季が端末から顔を上げずに言った。
「顔ってうるさくなります?」
「なるわ。あなたの場合は特に」
「すみません。ちょっと楽しみで」
「訓練が?」
「訓練もですけど、その後の話です。今日、今後の任務区分について説明があるんですよね」
晴人は左手で訓練用の短刀を握り、足元へ薄く魔力を流していた。以前なら足首で霧散していた魔力が、今はぎこちなくも膝と腰まで繋がる。完全ではない。むしろ漏れの方が多い。だが、自分の中のどこが悪いのか見えるだけで、訓練はまったく別物になっていた。
《基礎魔力循環 Lv.1:熟練度微増》
《魔力漏出率:三十一%》
《推奨:左足首外側の循環圧を低下》
視界の端に浮かぶ表示を確認し、晴人は少しだけ魔力の流れを絞った。
「よし。今の、ちょっと良い」
「独り言も多い」
「すみません。前は良くなったのか悪くなったのか分からなかったので、変化が分かるだけで嬉しくて」
朝比奈は端末を置き、晴人の足元を見た。
「出力は低い。でも、循環の修正速度は上がってるわね」
「本当ですか」
「嘘を言っても仕方ないでしょう」
「やった」
晴人は素直に笑った。
その顔を見て、訓練室の壁際にいた久我蓮司が呆れたように肩をすくめる。
「お前、本当に基礎訓練でそんなに喜べるの、才能だよな」
「基礎が伸びたら嬉しいだろ」
「普通はもっと派手な能力の方で喜ぶんだよ。雷が強くなったとか、炎がでかくなったとか」
「俺は基礎が伸びる方が今は嬉しい。表示が見えても、身体が動かなかったら意味ないし」
晴人は短刀を鞘へ戻した。
「雷とか炎とか、そういうのは正直ちょっと羨ましいけどさ。でも俺はまず、ちゃんと動けるようになりたい。見えてるのに身体が追いつかないのは、もう嫌だから」
久我は一瞬だけ目を細めた。
「地味だな」
「だよな」
「でも、嫌いじゃない」
「ありがとう」
「褒めたつもりは半分くらいだ」
「半分もあれば十分」
そこで訓練室の扉が開いた。
入ってきたのは、監査部の篠宮と、鑑定局の白石と名乗った女性職員だった。白石は相変わらず薄いタブレット端末を抱えており、晴人を見る目には研究者らしい好奇心が滲んでいる。篠宮はいつもの黒いスーツ姿で、感情の読めない顔をしていた。
「榊晴人さん。再評価に関する暫定結果が出ました」
晴人は背筋を伸ばした。
「はい」
「現時点で、あなたの探索者等級はD級のまま据え置きです。魔力量、身体強化出力、耐久、単独戦闘能力の総合値は、昇級基準に達していません」
「はい」
晴人は頷いた。
落胆はなかった。事実だからだ。むしろ、こうして正式に評価を伝えられていること自体が、少し不思議なくらいだった。
篠宮は続ける。
「ただし、未分類固有発現による危険予測、敵性個体の行動解析、門内構造の把握、味方探索者への戦術補助については、通常のD級探索者と比較して明確な優位性が認められました。よって、協会関東第三支部はあなたを暫定的に“攻略支援者候補”として登録します」
攻略支援者候補。
その言葉を聞いた瞬間、晴人は目を瞬かせた。
「俺が、ですか」
「はい」
「探索者として、ですか」
「もちろんです」
篠宮が少しだけ眉を上げた。
晴人はその場で言葉を失い、次の瞬間、ぱっと表情を明るくした。
「ありがとうございます。やります」
「まだ詳細を説明していません」
「でも、必要なんですよね」
篠宮が言葉を止める。
晴人は少しだけ照れたように笑った。
「俺、未発現者だった頃は、何を頑張れば探索者として役に立てるのか、よく分かってなかったんです。荷物持ちでも記録係でも、任されれば嬉しかったですけど、それが自分の役割なのかは、ずっと分からなくて」
訓練室の空気が静かになる。
「だから、攻略支援者候補って言ってもらえるなら、それだけで十分嬉しいです。候補でも、暫定でも、何でも。俺が探索者として必要だって判断されたなら、ちゃんとやります」
朝比奈が腕を組んだまま、少しだけ目を細めた。
久我は「本当にそういうところだぞ」とでも言いたげな顔をしている。
篠宮は数秒ほど沈黙した後、端末へ視線を落とした。
「……では、説明を続けます」
「はい」
「あなたには当面、通常前衛任務への参加を認めません。単独行動も禁止。ヌル・ブレードの携行および使用も禁止です」
「はい」
「不満は?」
「ありません」
即答だった。
白石が思わず顔を上げる。
「本当に?」
「はい。使ったら右腕がこうなったので」
晴人は固定された右腕を見せるように、軽く肩をすくめた。
「今の俺が持っても、武器というより事故の元です。使えるようになるための訓練があるならやりますけど、許可が出るまでは触らない方がいいと思います」
白石は少し驚いたように瞬きした。
「もっと使いたがると思っていました。原典遺物ですよ。あなたしか起動できない可能性が高い」
「それは、ちょっと……いや、かなり格好いいとは思います」
「思うのね」
「思います。でも、格好いいで使って死んだら馬鹿なので」
久我が小さく噴き出した。
朝比奈が頷く。
「いい判断ね」
「朝比奈さんに褒められると、ちょっと緊張しますね」
「じゃあ取り消す?」
「いえ、保存しておきます!」
篠宮が咳払いした。
「話を戻します。あなたの当面の任務は、朝比奈探索者の監督下での攻略支援訓練、および軽度の実地観測任務です。最初の実地復帰任務として、D級門の外周再調査に攻略支援枠として参加してもらう予定です」
晴人の背筋が、自然と伸びた。
「門に、戻れるんですか」
「医療班の最終許可が下りれば、です。任務中の戦闘参加は原則禁止。あなたの役割は、危険予測、地形把握、味方への情報共有、撤退経路の維持です」
「はい」
「参加予定者は、監督役として朝比奈紗季探索者。前衛兼機動戦闘役として久我蓮司探索者。感知役として御影莉子探索者。ただし、御影探索者は負傷明けのため、無理はさせません」
「御影さんも復帰するんですか」
「軽任務扱いよ」
朝比奈が答えた。
「あなたと同じで、本格復帰ではないわ。けれど、彼女の感知とあなたの表示を照合する必要がある」
「なるほど」
晴人は真剣に頷いた。
「御影さんは魔物の気配が分かる。俺は構造とか危険条件が見える。合わせれば、たぶん精度が上がります」
「その考え方でいいわ。自分だけで全部見ようとしないこと」
「はい」
白石が端末を操作し、訓練室のモニターに任務資料を表示した。
場所は千葉県北西部、旧北柏レイクモール跡地。数年前に閉鎖された大型商業施設の敷地内に落門したD級門。内部構造は、地上のモールを模した吹き抜け型ダンジョン。一次攻略隊による浅層調査では、出現する魔物は小型獣、擬態植物、群体虫系。門圧はD級範囲内で安定。溢出兆候なし。
「旧北柏レイクモール……」
晴人はモニターを見つめた。
「知ってるの?」
朝比奈が聞く。
「子供の頃、何回か行ったことがあります。フードコートにでかい観葉植物があって、映画館の前に恐竜の模型があったところですよね」
「今は門の中で小型獣と擬態植物が出るわ」
「思い出が強めに汚染されてますね」
「探索者にはよくあることよ」
晴人は苦笑した。
けれど、胸の奥では静かに火が点いていた。
あの白い未登録階層へ戻るわけではない。今回の門はD級で、監督役もいる。前衛もいる。感知役もいる。それでも、門は門だ。何が起こるか分からない場所へ、自分はまた入る。
怖くないと言えば嘘になる。
だが、それ以上に、自分が攻略支援者候補として現場へ戻れることが嬉しかった。
「装備について説明します」
白石が言った。
職員が訓練室へ小型のケースを運び込む。中には、晴人用に調整された装備が整然と並んでいた。新しい星骸短刀。軽量ワイヤー。発音ビーコン。簡易閃光弾。魔力流路照明弾。小型マーカー。門内構造記録端末。どれも前衛探索者が憧れるような派手な兵装ではない。
だが、晴人はそれを見た瞬間、目を輝かせた。
「これ、俺が使っていいんですか」
白石が少し意外そうに頷く。
「攻略支援枠の標準装備を、あなた向けに調整したものです」
「標準装備……」
晴人はケースの前にしゃがみ込んだ。
左手で発音ビーコンを一つ持ち上げる。丸い金属片のような装備で、魔力を通すと指定した音域の振動を発生させ、魔物の注意を引く。次に照明弾を見る。魔力流路の濃淡を一時的に浮かび上がらせる補助具。マーカーは味方の位置を記録し、視界不良時にも隊列を維持するためのものだった。
「すごい」
晴人は、本気でそう言った。
「これ、全部使えたら、かなり動きやすくなりますよね。発音ビーコンで魔物を床面流路側に誘導して、照明弾で危険箇所を見やすくして、マーカーで久我や朝比奈さんの位置を補正して……御影さんの感知結果と合わせたら、俺の表示がズレた時にも確認できます」
白石が目を瞬かせる。
「説明前に、そこまで用途を繋げますか」
「え、違いました?」
「いえ。概ね正しいです」
「よかった」
晴人は安堵したように笑う。
朝比奈が呆れたように息を吐いた。
「嬉しそうね」
「嬉しいです」
「短刀以外は、ほとんど支援装備よ」
「だから嬉しいんです」
晴人は発音ビーコンをケースへ戻し、装備一式を見つめた。
「これ、俺が戦えないから仕方なく持たされる荷物じゃないですよね。俺が攻略支援をするために必要だから、用意してもらった装備ですよね」
「そうよ」
「なら、嬉しいです」
その声に、迷いはなかった。
「ちゃんと使えるようになります。これで、誰かを帰せるかもしれないなら」
久我が壁にもたれたまま、小さく笑った。
「お前、ほんと探索者好きだよな」
「好きだよ」
晴人は即答した。
「怖いし、痛いし、死にかけたし、まだ弱いけど。それでも、誰かを連れて帰れる仕事なら、俺は好きだ」
訓練室に、わずかな沈黙が落ちた。
朝比奈がその沈黙を破る。
「なら、まず装備の名前と用途を全部覚えなさい。好きだけでは現場で使えない」
「はい」
「午後は支援装備の取り扱い。明日は御影と感知照合訓練。明後日は久我を入れて三人連携。医療班の許可が出れば、その二日後に実地復帰」
「結構みっちりですね」
「嬉しいんでしょう?」
「はい。やります」
晴人は立ち上がった。
視界の端に、淡い文字が浮かぶ。
《新規任務区分:攻略支援者候補》
《装備適応訓練を開始》
《推奨:発音ビーコン/流路照明弾/位置マーカーの基礎操作》
《次段階目標:実地支援任務への参加》
晴人はそれを見て、左手を軽く握った。
以前は、死なないために走った。そして、次は、誰かを帰すために学ぶ。
派手な力はない。腕一本、まだまともに使えない。等級だってD級のままだ。
けれど、榊晴人はもう未発現者ではない。
探索者として、役割を与えられた。
それだけで、胸の奥には十分すぎるほどの熱があった。