現代ダンジョンで成り上がり! 作:ダンジョン厨
フードコート右奥のバックヤードは、現実の旧北柏レイクモールなら従業員通路に続いていたはずの場所だった。
だが、門の中では違う。
壁面は白いタイルと黒い樹脂が斑に混ざり、天井の配管は植物の根のように垂れ下がっていた。
非常灯に似た赤い光が一定間隔で点滅しているが、どれも電気で光っているわけではない。
星骸質の濃い部分が脈を打つように明滅し、そのたびに通路の影が生き物のように伸び縮みする。
「御影さん、救助対象の反応は?」
「奥に三つ。二つは固まってて、一つだけ少し離れてる。魔物は……近い。数は四、いや五」
「正面衝突は避けます。久我、右の従業員通路を使えば、反応の横へ出られるよ」
「狭いな。雷撃は抑えた方がいいか」
「うん。壁に流路があるから、高出力で撃つと白い構造片に反応する可能性が高いかも」
久我は舌打ちしそうな顔をしたが、すぐに頷いた。
「了解。脚止めだけにする」
晴人は構造記録端末を左手で確認しながら、先頭の久我へ経路を伝えた。
自分が前に出るわけではない。だが、進む道を決めているのは晴人だった。
壁の流路、床の歪み、天井から垂れる根のような配管、その奥で揺れる赤い警告線。見えるものが多すぎて、頭の奥が少し熱い。
《未登録構造片:距離二十八メートル》
《救助対象:三》
《敵性反応:五》
《推奨:低出力行動を維持》
低出力。大きく壊さない。門の中の構造に、こちらを強い異物として認識させない。
晴人は唇を湿らせた。
「発音ビーコンを一つ使います。奥の魔物を左へ寄せます」
「こっちには来ない?」
御影が聞く。
「出力を絞ります。来たら久我に任せます」
「任された」
久我が短く返す。
晴人は発音ビーコンを床へ滑らせた。
左手から細く魔力を通す。強く押し込まない。門内の空気に紛れさせるように、低い振動だけを這わせる。
《発音ビーコン:起動》
《出力:低》
《誘導対象:小型獣系》
通路の奥で、何かが床を掻く音がした。
御影が目を細める。
「二つ、左に動いた。残り三つは救助対象の近く」
「十分です。進みます」
バックヤードを抜けると、そこは搬入口のような場所だった。
天井が低く、壁際には黒い棚が並んでいる。
棚の上には箱のようなものが積まれているが、どれも角が丸く、表面にうっすら血管めいた線が浮いていた。
床には台車のレールに似た溝が走り、その溝の奥を青白い液体が流れている。
晴人は足を止めた。
「床の溝、踏まないでください。流路です。魔力が強い」
「飛び越えるか?」
「幅は狭いけど……、御影さんは足元気をつけてください」
「うん。ありがとう」
御影が慎重に溝をまたぐ。朝比奈は最後尾で周囲を警戒しながら、晴人の背後を守る位置についていた。
その時、搬入口の奥から叫び声が響いた。
「やめろ、撃つな! 壁に当てるな!」
続けて、閃光。
雷ではない。火炎系の星骸兵装か、熱を放つ固有能力だろう。赤い光が一瞬だけ通路の向こうを照らし、同時に白い壁が脈動した。
《警告》
《高出力魔力反応》
《未登録構造片:活性化》
《経路変質開始》
「まずいです! 奥の人たち、高出力を使ってる!」
晴人が声を上げた直後、搬入口の壁が音もなく動いた。
ただ崩れるのではない。白い骨のような壁が、黒い樹脂を押し退けて内側から伸びてくる。通路の角が消え、棚が呑まれ、帰り道の一部が狭まった。
久我が振り返る。
「撃ったせいか」
「可能性が高い。高出力に反応して閉じるタイプだ」
「じゃあ俺も派手には撃てねえな」
「ああ。さっきのようになると思う」
朝比奈が静かに前へ出た。
「榊、撤退路は維持できる?」
「今ならまだ。位置マーカーを追加します」
晴人はすぐに一枚を背後の床へ貼った。
端末上で、入口へ続く線がかすかに残る。
だが、白い構造片が伸びた場所は、地図上で黒く塗り潰されていった。
《撤退経路:一部不安定》
《推奨:救助完了後、速やかに離脱》
「急ぎます。正面の角を曲がった先、救助対象二名。離れた一名はさらに奥です」
「まず二名を確保する。久我、前」
「了解」
角を曲がると、そこは搬入口の荷捌き場だった。
三人の探索者がいた。
二人は壁際で倒れ、一人は白い構造片に近い場所で片膝をついている。
倒れている片方は肩から血を流し、もう片方は意識が朦朧としているようだった。
片膝をついた男は火炎放射器に似た星骸兵装を構え、通路奥の魔物に向けて震える手で照準を合わせている。
その前方に、五体の魔物がいた。
小型獣系。猫ほどの体躯に長い首、縦に裂けた口。さきほど久我が倒したものと同種だ。
ただし、こちらは群れで動いている。
壁と床を這い、互いの影に隠れながら、じわじわと探索者へ距離を詰めていた。
「撃つな!」
朝比奈が鋭く叫んだ。
男がびくりと肩を震わせる。
「撃つなって、こいつらが――」
「壁が反応している。高出力を使うほど閉じ込められるわ」
「そんなの聞いてない!」
「今聞いたでしょう。下がりなさい」
男は反論しかけたが、久我が低い声で遮った。
「下がれ。俺が止める」
久我が前へ出る。
雷撃は使わない。
あるいは、使っても極限まで絞るつもりなのだろう。
彼はグローブを構え、まず一体目の突進を体捌きで避けた。
すれ違いざま、指先から短い雷光を打ち込み、魔物の脚だけを痺れさせる。
晴人はすぐに支援装備を取り出した。
「御影さん、左の二体、動きが速いですか」
「速い。片方が囮で、もう片方が床を這ってる」
「久我、左の上は見せ札だ。本命は足元から」
「見えた!」
久我が踏み込みを止め、床を這う二体目へ蹴りを入れた。
雷撃を流す必要もない。魔物は壁際へ弾かれ、そこへ朝比奈が一歩で詰めた。
彼女の腕が硬質化する。
鈍い音。
魔物が床に叩き伏せられ、動かなくなった。
晴人は流路照明弾を投げたい衝動を抑えた。
使えば全員に床の危険を見せられる。
だが、光と魔力反応が白い構造片にどう影響するか、まだ読めない。
代わりに、位置マーカーを一枚、倒れている探索者たちのそばへ滑らせた。
「救助対象二名の位置固定しました。朝比奈さん、右側の壁際は通れます」
「御影、負傷者の状態を見て」
「はい」
御影が素早く倒れている二人へ寄る。
感知役でありながら、最低限の救護訓練も受けているのだろう。
肩から出血している探索者の意識を確認し、もう一人の呼吸を見る。
「一人は意識あり。肩の出血。もう一人は門圧酔いに近いです。動かせます」
「榊、離れた一名は?」
朝比奈の問いに、晴人は奥を見た。
荷捌き場のさらに先、白い壁に囲まれた通路の奥に、薄い反応がある。人間の反応。だが、その周囲に赤い線が幾重にも重なっていた。
《救助対象:一》
《状態:移動困難》
《周辺構造:活性化》
《敵性反応:二》
《高出力行動:非推奨》
「奥に一人。動けないみたいです。白い構造に近い。それと魔物が二体います」
「経路は」
「正面は危険です。床の流路が濃すぎます。右の搬入レール沿いなら行けますが、幅が狭いですね」
「久我、行ける?」
「行けます」
「俺も行きます」
晴人は反射的に言っていた。
朝比奈が即座にこちらを見る。
「榊」
「奥の流路は口頭だけだと伝えきれません。近くで見ないと、久我が踏める場所を指示できないです」
「危険よ」
「分かっています。でも、支援役が見えない場所から安全経路を出す方が危険だと思います。不用意な情報は避けたいです」
朝比奈の目が細くなる。
晴人は逃げずに見返した。怖い。もちろん怖い。奥の白い構造片は、あの未登録階層を思い出させる。足が竦みそうになる。だが、ここで引けば、奥の一人は置き去りになる。
久我が肩越しに言った。
「俺が前に立つ。榊は俺の背中から出るな」
「もちろん」
「無茶したら引きずって戻す」
「ありがとう」
「そこは『しません』って言え」
「できるだけしません」
「信用ならねえ」
朝比奈は短く息を吐いた。
「許可します。ただし、十メートル以上は進まない。状況が悪化したら即撤退。久我、榊を守りなさい」
「了解」
「御影、負傷者二名をこちらへ寄せて。私は撤退路を確保する」
「はい」
晴人は左手で星骸短刀の柄を確かめた。
右腕はまだ使えない。だから、左手で装備を扱う。短刀は最後の保険。自分から斬りに行くためではない。生き残るための道具だ。
久我の背後について、晴人は搬入レール沿いへ足を踏み出した。
床の青白い流路が、網目のように広がっている。濃い線、薄い線、踏める場所、踏めない場所。その中に、わずかに安全な灰色の隙間があった。
「久我、次、右足をレールの外側。左足は俺のマーカーの上」
晴人は位置マーカーを小さく投げる。
久我がその上へ足を置く。
「次は?」
「そのまま前に一歩。止まって。左の壁、触らないで」
「壁も駄目か」
「駄目。脈打ってる」
「まるで生き物だな」
久我が言いながら進む。
白い構造片は近くで見るほど異様だった。壁材ではない。骨にも似ているが、生物の骨ほど自然ではなく、機械部品のような規則性がある。表面には微細な文字列が浮かび、一定間隔で消えていく。
《接続拒否》
《非登録個体》
《観測継続》
晴人は表示を見ないふりをした。
今は考えない。目の前の救助だけを見る。
奥の通路で、倒れた探索者が見えた。
若い女性だった。脚が白い床材に絡め取られるように固定され、身動きが取れなくなっている。
その周囲を、二体の小型魔物が回っていた。彼女は短剣を握っているが、腕が震えている。
「助け――」
「声を抑えてください!」
晴人は叫ぶ寸前で声量を落とした。
「魔物を引きます。久我、右の一体だけ止めれる? 左はビーコンで逸らす」
「了解」
発音ビーコンを投げる。
出力は最低。魔物の注意をわずかにずらすだけ。左の一体が首を傾げ、ビーコンの方へ向いた。
右の一体が久我へ跳ぶ。
久我は雷撃を撃たなかった。
身体を半歩沈め、魔物の顎をグローブで受け流し、その腹へ短い電流を流す。魔物が痙攣し、床に落ちた。
晴人は女性探索者へ駆け寄ろうとして、床の赤線に気づいた。
《拘束構造》
《高出力破壊:非推奨》
《低出力流路切替:可能性あり》
晴人は膝をつき、白い床を見た。
女性の脚を絡め取っているのは、蔦ではない。
床そのものが細く分岐し、足首を固定している。
力任せに壊せば、反応して締め付けが強くなる。
火で焼けば、おそらく周囲の構造片がさらに活性化する。
「榊、切れるか?」
久我が聞く。
「短刀で無理に切るのは危険だ。流路を変えられるか試してみる」
「できるのか」
「やる」
晴人は左手を床へ置いた。
星骸質の流れが指先に触れる。冷たい。痛い。
だが、未登録階層で感じた拒絶ほどではない。
これは完全な中枢ではなく、混ざり込んだ構造片の末端だ。
《基礎魔力循環:安定》
《支援装備取扱:一時停止》
《流路干渉:未取得》
《警告:過負荷に注意》
未取得。
なら、まだできない。
できないからといって、やめる理由にはならない。
晴人は魔力を強く流そうとして、すぐに止めた。
高出力は駄目だ。押し切るのではなく、隙間に通す。
発音ビーコンを起動する時と同じ。装備へ魔力を通す時と同じ。
自分の魔力を命令として叩きつけるのではなく、流れの向きをわずかに変える。
女性探索者が痛みに顔を歪める。
「すみません。少しだけ我慢してください」
「ぐ……ッ!」
女性探索者が苦悶の声を漏らす。なるべく早く片付ける必要がある。
晴人は床の流路を見た。
絡みつく白い枝。その根元に、青白い流れの分岐がある。
そこへ細く魔力を差し込む。右ではない。左でもない。少しだけ上へ。拘束を解く方向へ、流れの圧を逃がす。
頭痛が強くなる。
《魔力制御:不安定》
《推奨:出力低下》
「榊、無理すんな」
「大丈夫。まだいける」
「その『まだ』は信用できねえんだよ」
久我の声が近い。
だが、晴人は手を離さなかった。
白い拘束が、わずかに緩む。
「動いた!」
「続けろ。周りは俺が見る」
久我が背中越しに言う。
その言葉で、晴人の呼吸が少し整った。
一人ではない。
前には久我がいる。後ろには朝比奈がいる。御影が負傷者を見ている。自分は今、誰かに守られながら、誰かを助けている。
それなら、できる。
晴人はもう一度、魔力を細く通した。
拘束が開く。
女性探索者の足首が抜けた。
《条件達成》
《スキル:流路操作 Lv.1 を取得》
《基礎魔力循環 Lv.1:熟練度上昇》
《危険予測 Lv.1:熟練度上昇》
表示が浮かぶと同時に、白い壁が大きく脈動した。
《警告》
《未登録構造片:再活性化》
《撤退推奨》
「久我、戻ろう! 今すぐ!」
「言われなくても!」
久我が女性探索者を抱え上げる。晴人は立ち上がろうとして、膝が抜けた。頭が重い。魔力を細く扱い続けた反動で、足元が揺れる。
久我が片腕で晴人の襟を掴んだ。
「ほらみろ!」
「ごめん!」
「謝るのは戻ってからにしろ!」
白い構造片が背後で伸びる。壁が閉じる。搬入レールが呑まれていく。
晴人は息を切らしながら、残った安全経路を見た。
「次、右! マーカーの上! その後、左に飛んで!」
「飛ぶぞ!」
「ああ!」
久我が女性探索者を抱え、晴人を引きずるようにして跳んだ。足元で白い床が閉じる。ほんの数秒遅れていれば、通路ごと分断されていた。
搬入口へ戻ると、朝比奈が硬化した腕で伸びてきた白い壁を押し留めていた。御影は負傷者二人を通路側へ移動させている。
「全員、撤退!」
朝比奈の声が響く。
晴人は最後の位置マーカーを確認した。
入口へ続く線は、まだ残っている。
「撤退路、生きてます! 来た道を戻れます!」
その声に、全員が動いた。
救助対象三名。自分たち四名。合わせて七名。
狭いバックヤードを、白い構造片が追うように伸びてくる。
晴人はふらつく足で走りながら、端末に残る青い線を見た。
帰る。
全員で。
支援役が最初に守るべきものは、敵を倒すための道ではない。
帰るための道だ。