現代ダンジョンで成り上がり!   作:ダンジョン厨

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第十六話 帰るための道

 

 白い構造片が、背後から通路を食っていた。

 

 それは崩落ではない。壁が倒れてくるのでも、床が抜けるのでもない。

 まるで門の内側そのものが、この場にいる人間を異物と判断し、逃げ道を閉じるために形を変えているようだった。

 白い骨に似た壁材が黒い樹脂を押し退け、搬入口の棚を呑み込み、台車のレールに似た溝を一本ずつ潰していく。

 

《撤退経路:不安定》

 

《未登録構造片:拡張中》

 

《推奨:低出力行動を維持》

 

《警告:高出力攻撃による経路閉鎖率上昇》

 

 晴人は荒い息のまま、構造記録端末に残る青い線を見た。

 

 入口へ続く経路はまだ生きている。

 だが、ところどころ黒く塗り潰され、さっき通ったはずの角がもう地図から消えかけていた。

 

「朝比奈さん、正面の通路はまだ通れます! ただし、右壁側は駄目です。白い構造が伸びています!」

 

「了解。久我、救助者を抱えたまま先頭へ。榊は経路指示。御影、負傷者二人を誘導して」

 

「はい!」

 

「了解です!」

 

 久我は女性探索者を片腕で支えながら、こちらを振り返った。

 

「榊、歩けるか」

 

「歩ける。少しふらつくだけ」

 

「それを歩けるって言うな」

 

「じゃあ、走れるまではいかないけど動ける」

 

「なお悪い」

 

 そう言いながらも、久我は晴人の肩を一瞬だけ掴み、倒れない位置へ引き寄せた。

 

 晴人は礼を言う代わりに、前方の床を見た。流路が乱れている。

 先ほどまでは青白い線として見えていたものが、今は赤い縁を帯び、ところどころ脈打っていた。

 強く踏めば反応する。高出力の魔力を流せば、さらに閉じる。

 

「久我、次の角は左じゃない。正面の棚の隙間を抜ける。足元の溝は踏まないでよ」

 

「棚の隙間って、人が通る幅か?」

 

「ぎりぎり。でも左角はもう閉じる」

 

「分かった。皆さん、こちらです! 低くなって通ってください!」

 

 久我が救助者たちへ声を張る。晴人へ向ける時の雑な声とは違い、必要な強さを残しながらも、きちんと敬意のある言い方だった。

 

 肩を負傷した探索者が、青ざめた顔で頷いた。

 

「す、すまない……!」

 

「謝罪は後でお願いします。今は足を止めないでください」

 

 朝比奈が硬化した腕で背後の白い壁を押し返す。

 押し返すと言っても、破壊しているわけではない。

 伸びてくる構造片の進行を、わずかに遅らせているだけだ。

 力任せに砕けば、おそらく反応が強まる。

 朝比奈もそれを理解しているからこそ、必要最低限の接触だけで通路を保っていた。

 

 御影が負傷者二人の間に入り、声をかける。

 

「足元を見てください。ここ、少し段差があります。肩を貸します」

 

「ありがとう……」

 

「榊くん、前方の魔物は?」

 

 晴人は視線を上げる。

 

 棚の隙間の先、搬入口へ続く通路に、小型獣系の反応が二つ。

 さっきビーコンで左へ寄せた個体かもしれない。戻ってきたのだ。

 こちらの人数が増え、血の臭いもある。追跡されるのは当然だった。

 

《敵性反応:二》

 

《接近中》

 

《発音ビーコン残数:一》

 

《簡易閃光弾:二》

 

 晴人は発音ビーコンに手を伸ばしかけ、止めた。

 

 残り一つ。ここで使えば、奥へ逃げる魔物を逸らせる。

 だが、帰還口前で群れに挟まれた時、誘導手段がなくなる。

 

「久我、前方二体。ビーコンは温存する。低出力で止められるわね?」

 

「いけます」

 

 久我は朝比奈へそう返してから、晴人へだけ小さく言った。

 

「榊、足場だけ見ろ。俺が倒す」

 

「ああ。右は床が死んでる。左足を棚の脚に掛けて、半歩だけ浮かせて撃て」

 

「曲芸かよ」

 

「できるだろ」

 

「できるけどさ」

 

 久我はぼやきながらも、言われた通りに踏み込んだ。

 棚の脚へ左足を掛け、床に魔力を流さないよう身体を浮かせる。

 その状態で、指先から短い雷撃を二本撃った。

 

 閃光は細く、鋭い。

 

 二体の魔物の脚が痺れ、床へ転がる。殺しきってはいない。だが、今は足止めで十分だった。

 

「通れます! 踏まないでください!」

 

 久我が救助者たちへ道を開ける。

 

 晴人はふらつきながら棚の隙間を抜けた。

 右腕の固定具が棚に当たり、鈍い痛みが走る。息が詰まったが、足は止めなかった。

 

《身体状態:疲労蓄積》

 

《魔力制御:低下》

 

《推奨:支援行動を限定》

 

 限定。

 

 全部はできない。

 

 晴人は歯を食いしばり、頭の中で優先順位を切った。

 

 撤退路。味方位置。負傷者の足元。高出力反応。魔物の接近。

 

 それ以外は捨てる。

 

「朝比奈さん、次の分岐は右です。左は白い構造が回り込んでいます」

 

「御影、左の気配は?」

 

「魔物はいません。でも、嫌な感じが強いです。榊くんの言う通り、避けた方がいいです」

 

「右へ行くわ。全員、右」

 

 右の通路へ入った瞬間、背後で白い壁が閉じた。

 

 音はほとんどない。ただ、今まであった空間が消える。

 床も、棚も、壁も、すべてが白い骨のような面に塗り替えられ、通路としての意味を失っていく。

 

 救助された男が、それを見て息を呑んだ。

 

「俺が撃ったから……」

 

 晴人は振り返った。

 

 男の顔は蒼白だった。火炎系の星骸兵装を抱えた手が震えている。

 さっきまで魔物へ向けていた恐怖が、今は自分の失敗へ向いていた。

 

「今は考えないでください」

 

 晴人はできるだけ落ち着いた声で言った。

 

「でも、俺が――」

 

「生きて帰ってから考えてください。今それを抱え込むと、足が止まります」

 

 男は唇を噛んだ。

 

 朝比奈が短く付け加える。

 

「榊の言う通りよ。反省は帰還後に報告書でしなさい」

 

「……はい」

 

 男はようやく頷いた。

 

 晴人は前を向く。通路の先に、見覚えのある青い印があった。

 最初に貼った位置マーカーだ。つまり、フードコートまでもう少し。

 

 だが、そこで御影が足を止めた。

 

「前、います」

 

「数は?」

 

「多い。小さいのが……八以上。フードコート側に集まってます。血の臭いか、さっきの魔力反応に寄ってきたのかも」

 

 晴人の表示にも、遅れて赤い点が重なった。

 

《敵性反応:群体》

 

《撤退経路上に分布》

 

《高出力殲滅:非推奨》

 

《推奨:誘導/視界阻害/短時間突破》

 

 高出力は使えない。久我の雷撃でまとめて焼けば、通路が閉じる。

 朝比奈が押し潰しても、構造片を刺激する危険がある。

 救助者は三人。負傷者を抱えた状態で乱戦になれば、誰かが遅れる。

 

 晴人は最後の発音ビーコンを握った。

 

「朝比奈さん、群れを左のフードコート中央へ寄せます。噴水の星骸質溜まりには近づけません。右壁沿いに抜ける経路を作ります」

 

「危険度は?」

 

「高いです。でも、正面突破よりは低いです」

 

「分かった。任せるわ」

 

 任せる。

 

 その一言が、重かった。

 

 晴人は息を吸い、発音ビーコンを低く構えた。

 左手の感覚が少し鈍い。さっき流路操作をした反動が残っている。

 だが、出力は最低でいい。群れの注意を数秒だけずらす。

 

「久我、ビーコンで寄せる。抜ける瞬間、右から来るやつだけ止めて」

 

「了解。お前は倒れるなよ」

 

「努力する」

 

「努力目標にすんな」

 

 発音ビーコンを投げる。

 

 床を滑った小さな円盤が、フードコート中央の椅子の下へ入り込む。晴人はそこへ細く魔力を通した。

 

《発音ビーコン:起動》

 

《出力:最低》

 

《誘導範囲:限定》

 

 低い振動が、空気ではなく床を伝って広がった。

 

 群れの赤い点が、わずかに揺れる。一体、二体、三体。完全には動かない。だが、中心がずれた。

 右壁沿いに、人一人が通れるだけの薄い隙間ができる。

 

「今です! 右壁沿い、走らず速歩で! 噴水には近づかないでください!」

 

 晴人の声で、全員が動いた。

 

 久我が先頭。女性探索者を抱えたまま、右から飛び出した一体を蹴り飛ばす。雷撃は使わない。

 御影が負傷者を支え、朝比奈が最後尾で群れとの間に入る。

 救助された男は火炎兵装を抱えたまま、今度は撃たずに走った。

 

 晴人は中央の噴水を横目で見た。

 

 青白い液体が波打っている。

 ビーコンに誘導された魔物の一部が、噴水の縁へ近づきすぎた。

 瞬間、液体の表面から細い糸のようなものが伸び、魔物の脚を絡め取る。

 

 悲鳴のような音が響いた。

 

《高濃度星骸質溜まり:捕食反応》

 

《接近非推奨》

 

「見ないでください! そのまま進んで!」

 

 晴人は救助者たちへ叫んだ。

 

 見れば足が止まる。足が止まれば、次に捕まるのは人間だ。

 

 右壁沿いの通路を抜け、下り坂を上がる。

 行きに通った波打つ床だ。

 今は背後から構造片が迫っているせいで、床の流路が乱れていた。

 

「ここ、滑ります! 右手側の壁に触らず、中央の白い線を避けてください!」

 

「榊、負傷者の足が遅い!」

 

 久我が振り返る。

 

 肩を負傷した探索者が、膝から崩れかけていた。

 出血と門圧酔いで、体力が限界に近いのだろう。

 御影が支えているが、彼女自身も本調子ではない。

 

 晴人は一瞬だけ迷った。

 

 自分もふらついている。支えに行けば、経路指示が遅れる。

 だが、このままでは隊列が割れる。

 

「久我、三秒だけ前を見てて。俺が支える」

 

「お前が?」

 

「右腕は駄目だけど、肩なら貸せる」

 

「無茶すんなよ」

 

「してない」

 

「それは嘘だろ」

 

 晴人は御影の横へ入り、負傷した探索者の反対側を支えた。

 

「すみません。少し体重を預けてください」

 

「君も、顔色が……」

 

「俺はまだ動けます。足元だけ、俺の言う通りにお願いします」

 

 晴人は視界の表示を半分だけ閉じるような感覚で絞り込んだ。

 細かい危険は捨てる。今見るべきは、踏める場所だけ。

 

「右足、次は少し外。左足は白い線を踏まないでください。はい、そこです」

 

「ありがとう……!」

 

 背後で、白い壁がまた伸びた。

 

 朝比奈が最後尾から声を飛ばす。

 

「榊、急ぎなさい!」

 

「はい!」

 

 上りきれば、入口階層だ。門の黒い輪まで、あと少し。

 

 しかし、そこで構造記録端末の画面が乱れた。

 

《撤退経路:再計算》

 

《既存経路:閉鎖》

 

《代替経路:検索中》

 

 晴人は足を止めそうになった。

 

 入口へ続くはずの通路が、白い壁に塞がれている。

 行きに通った左通路がない。衣料品店の膜も、エスカレーター跡も、全部が別の配置に変わっていた。

 

「嘘だろ……」

 

 久我が低く呟く。

 

 救助者たちの間に、絶望に近い沈黙が落ちる。

 

 だが、晴人の視界の端に、一本だけ青い線が残っていた。

 

 細い。かなり細い。

 

 フードコート外周から、現実のゲームセンター跡に当たる壁の裏へ抜ける線。行きに見た時は壁になっていた場所だ。

 だが今、構造変質の影響で、逆に薄い隙間が生まれている。

 

《代替経路候補》

 

《安定度:低》

 

《通過可能時間:短》

 

《推奨:即時判断》

 

 晴人は顔を上げた。

 

「別の道があります。右奥の壁裏です。ただ、すぐ閉じます」

 

「確実?」

 

 朝比奈が問う。

 

「確実ではありません。でも、今見えている中では一番生存率が高いです」

 

 朝比奈は迷わなかった。

 

「行くわ。榊、案内して」

 

「はい!」

 

 晴人は負傷者を御影へ戻し、右奥へ走った。足が重い。頭痛がする。だが、青い線はまだ消えていない。

 

 右奥の壁は、近づくと確かに隙間があった。

 人一人が横向きで通れる程度の細い亀裂。その向こうに、入口広場の仮設照明のような光が見える。

 

「ここです! 一人ずつ、横向きで! 久我、先に救助者を通して!」

 

「了解! 皆さん、焦らず順番に!」

 

 久我が女性探索者を押し込むように通し、次に門圧酔いの探索者、肩を負傷した探索者、火炎兵装の男を通す。御影が続き、晴人はその動きを見届けながら、背後の白い構造片を見た。

 

 迫っている。

 

 間に合うか。

 

《通過可能時間:低下》

 

《残存猶予:十秒未満》

 

「榊、先に行け!」

 

 久我が叫ぶ。

 

「朝比奈さんが先だ!」

 

「私は最後でいい。榊、行きなさい!」

 

 朝比奈の声が飛ぶ。

 

 晴人は一瞬だけ、言い返しかけた。

 

 だが、言い返す時間がない。

 

「久我、引っ張って!」

 

「最初からそうしろ!」

 

 久我が亀裂の向こうから晴人の左手首を掴む。晴人は身体を横にして、狭い隙間へ滑り込んだ。右腕の固定具が壁に引っかかる。痛み。白い構造片が背中側で膨らむ。

 

「痛っ……!」

 

「抜けろ!」

 

「分かってる!」

 

 久我が力任せに引いた。

 

 固定具が壁に擦れ、金属が嫌な音を立てる。晴人の身体が亀裂を抜け、入口広場側へ転がり出た。

 

 最後に朝比奈が飛び込む。

 

 彼女の硬化した腕が白い壁を一瞬だけ押さえ、その反動で身体を滑り込ませる。直後、亀裂が閉じた。

 

 白い壁が、何事もなかったかのように平らになる。

 

 全員が、数秒間、声を失った。

 

 入口広場の黒い輪が見える。

 

 門の出口だ。

 

《帰還経路:確保》

 

《救助対象:三》

 

《隊員反応:全員生存》

 

《推奨:即時離脱》

 

 晴人は息を吐いた。

 

「出口、見えます……全員、生きてます」

 

 御影が座り込むように膝をつき、肩を上下させながら笑った。

 

「それ、最高の報告だね」

 

「はい」

 

 久我が晴人の背中を軽く叩く。

 

「帰るぞ、案内人」

 

「まだその呼び方続いてるのか」

 

「今日で定着だろ」

 

「もう少し格好いいのがいい」

 

「生きて帰ってから考えろ」

 

「それもそうだな」

 

 朝比奈が全員を見渡す。

 

「門外へ出る。負傷者を先に。久我、支えて。御影、最後まで感知を切らさないで。榊、出口周辺の異常は?」

 

 晴人は黒い輪の周囲を見た。

 

 流路は安定している。入口側の星骸質濃度も上がっていない。門外への接続も生きている。

 

「異常なしです。今なら出られます」

 

「全員、帰還」

 

 その号令で、七人は門をくぐった。

 

 冷たい門内の空気が途切れ、湿った外気が肺に入る。仮設照明。協会職員の声。救護班が駆け寄ってくる足音。誰かが担架を叫び、誰かが負傷者の名前を確認する。

 

 晴人は門外の床に膝をついた。

 

 立っていられなかった。

 

 だが、倒れはしなかった。

 

《実地支援任務:継続中》

 

《救助対象:全員帰還》

 

《流路操作 Lv.1:記録済》

 

《支援行動評価:更新》

 

 晴人は表示を見て、ようやく小さく笑った。

 

 帰れた。

 

 全員で。

 

 その事実だけで、今は十分だった。

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