現代ダンジョンで成り上がり!   作:ダンジョン厨

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第二話 生存条件

 

 晴人は、消し飛んだ壁の向こうへ転がり込んだ。

 

 背後で、白い保守室の床が爆ぜた。胸に口を持つ人型の魔物が、瓦礫を踏み砕きながら迫ってくる。頭がないくせに、そいつは確かに晴人を見ていた。視線など存在しないはずなのに、皮膚の内側を舐められるような悪寒がある。

 

 開いた通路は狭かった。人一人が横向きになって通れる程度の隙間で、壁は白い骨質の素材に覆われている。光源はないのに薄く明るく、どこまでも奥へ続いているように見えた。

 

 晴人は左肩を押さえながら、必死に走った。

 

 足がもつれる。肺が熱い。右腕は痺れて、ほとんど感覚がない。頬の傷から流れた血が顎を伝い、訓練着の襟へ落ちる。

 

 それでも、視界の端に浮かんだ表示だけは消えなかった。

 

《状態:出血/右上肢打撲/魔力循環不安定》

《推奨:逃走継続》

《正面三十七メートル先、分岐》

《左方経路、生存確率二十二・四%》

《右方経路、生存確率六・一%》

 

「二十二でも……高い方かよ!」

 

 晴人は左へ曲がった。

 

 直後、背後から青黒い光が通路を薙いだ。壁の一部が音もなく削れ、白い粉が霧のように舞う。晴人は倒れ込むように身を伏せた。髪の先が焦げる臭いがした。

 

 あれをまともに受ければ、痛みを感じる暇もなく死ぬ。

 

 その事実が、遅れて腹の底へ落ちてきた。

 

 怖い。足が止まりそうになる。今すぐ膝を抱えて、誰かに助けを求めたくなる。けれど、ここには誰もいない。朝比奈も、三枝も、御影もいない。通信端末は沈黙し、帰還札は割れた。自分を助けられるのは、今の自分だけだった。

 

(だったら、やるしかないだろ)

 

 晴人は唇を噛み、震える足を前へ出した。

 

 表示は次々と流れていく。危険方向。魔力残量。推奨姿勢。足場の脆弱箇所。魔物との距離。見慣れない情報が視界を埋めるたび、頭の奥が軋んだ。だが、見なければ死ぬ。信じなければ死ぬ。

 

 右足を置こうとした床に、赤い縁取りが走った。

 

《警告:構造脆弱》

 

 晴人は反射的に足を引いた。

 

 次の瞬間、その床板が真下へ落ちた。底は見えない。石を落としても音が返ってこなさそうな暗闇が、ぽっかりと口を開けている。

 

「助かった……!」

 

 息をつく暇もなかった。

 

 背後の曲がり角から、魔物の長い腕が伸びてきた。関節の数が人間より多い。白い爪が壁を掻き、火花に似た青黒い粒子を散らす。

 

 晴人は短刀を抜き、魔力を流した。

 

 刃に青白い線が走る。薄い。弱い。それでも、ないよりはましだった。

 

 魔物の腕が振るわれる。

 

《推奨:後退不可》

《推奨:右膝を落とせ》

 

 晴人は右膝を床につけた。爪が頭上を抜け、通路の壁を抉る。衝撃で白い破片が降り注いだ。

 

 晴人はそのまま腕の下を潜り抜け、短刀を振った。狙いは爪ではない。表示が一瞬だけ黄色く点滅した、肘に似た関節部。

 

 刃が入った。

 

 だが、浅い。

 

 硬いゴムを切ったような感触の直後、魔物の腕が跳ねた。晴人の腹に衝撃が走り、身体が横へ吹き飛ぶ。壁に背中を打ちつけ、肺の空気が抜けた。

 

「っ、ぐ……!」

 

 痛い。息ができない。

 

 それでも、魔物の腕もわずかに動きが鈍っていた。

 

 黄色い表示が、関節部に残っている。

 

《有効打を確認》

《敵性個体:外殻強度、現装備では突破困難》

《結合部への攻撃を推奨》

 

「……分かったよ。硬いところを殴るなってことだな」

 

 晴人は無理やり息を吸った。

 

 訓練で何度も言われたことだった。力のない探索者ほど、正面から受けるな。強い魔力を持つ相手に、弱い魔力で押し勝とうとするな。流れを見ろ。相手の力が途切れる場所を探せ。

 

 固有発現がなくても、晴人はそれだけはずっと繰り返してきた。

 

 だから、分かる。

 

 この表示は、何もないところから奇跡をくれる力ではない。晴人がどうにか積み上げてきた基礎を、死なない形に並べ直している。

 

「なら、まだやれる」

 

 晴人は立ち上がった。

 

 通路の先に、広い空間が見えた。倉庫、あるいは機械室のような場所だった。巨大な柱状装置が何本も並び、その間を半透明の管が這っている。管の中には、青白い液体とも光ともつかないものが流れていた。

 

 表示が、空間のあちこちに浮かぶ。

 

《環境危険物:高圧星骸質流路》

《破損時、局所爆発の可能性》

《構造支持材、劣化》

《利用可能》

 

 最後の一文に、晴人は思わず笑いそうになった。

 

 利用可能。

 

 要するに、ここで戦えということだ。

 

 勝てない相手を、場所で殺せということだ。

 

 晴人は機械室へ飛び込んだ。背後から魔物が追ってくる。あの体格では狭い通路よりも、この広間の方が動きやすいらしい。長い腕を床につき、獣のような速度で迫ってくる。

 

 晴人は腰のポーチを探った。

 

 残っている道具は少ない。割れた測定器。応急キット。簡易ビーコン二本。魔力灯用の予備バッテリー。細いワイヤー。採取用の小型ピック。どれも、魔物を倒すための装備ではない。

 

 けれど、使えないわけではない。

 

 晴人は予備バッテリーを一本取り出し、魔力を無理やり流し込んだ。規定値を超える魔力を受けたバッテリーが、手の中で不穏に震える。熱が指を焼いた。

 

《警告:過負荷》

《暴発まで推定十一秒》

 

「十一秒もあるなら十分だ」

 

 晴人はバッテリーを機械室の奥へ投げた。

 

 魔物の胸の口が、青黒い光を集める。晴人はその場で立ち止まらず、左へ走った。表示が赤く弾ける。

 

《射線予測》

 

 視界に、一本の赤い帯が伸びた。

 

 その帯から外れるように、晴人は床を蹴る。足に魔力を回す。失敗する。右膝から力が抜ける。それでも、体を倒すだけならできる。

 

 青黒い光が、晴人の背中すれすれを通過した。

 

 投げたバッテリーに直撃する。

 

 次の瞬間、機械室の奥で爆発が起きた。

 

 普通の爆発ではない。音より先に青白い閃光が広がり、柱状装置の一本に亀裂が走る。半透明の管が裂け、中に流れていた光が霧のように噴き出した。

 

 魔物が動きを止める。

 

 晴人はその隙に、ワイヤーを柱の根元へ引っ掛けた。震える指で結び、反対側を劣化した支持材へ絡める。訓練で何度も練習した簡易固定。安全確保用の結び方。まさか魔物を殺すために使うとは思わなかった。

 

「こっちだ!」

 

 晴人は叫んだ。

 

 魔物が反応する。胸の口が開き、晴人へ向く。

 

 怖い。

 

 だが、晴人は逃げなかった。

 

 ぎりぎりまで待つ。

 

 表示が赤くなる。警告音のようなものが頭の中で鳴る。

 

《危険》

《危険》

《危険》

 

「まだ」

 

 魔物が腕を振り上げる。

 

《回避限界》

 

「今!」

 

 晴人は横へ跳んだ。

 

 魔物の腕が床を砕く。衝撃でワイヤーが張り、劣化した支持材が折れた。亀裂の入っていた柱状装置が傾く。中から噴き出した青白い光が、まるで血のように広がる。

 

 巨大な柱が、魔物の背に落ちた。

 

 白い床が割れる。胸口の魔物が初めて、悲鳴のような音を発した。頭がないため声ではない。胸の口から漏れた、金属を擦るような振動だった。

 

 倒れてはいない。

 

 だが、動きは止まった。

 

 晴人は床を這いながら近づいた。

 

 表示が、魔物の胸の内側に一点だけ光を灯している。赤でも黄色でもない。白い線。脈打つように明滅する、細い結合点。

 

《星骸質結合核:露出》

《現装備による破壊成功率:十八・九%》

《推奨:全残存魔力を刃へ集中》

 

「十八……さっきより、だいぶマシだな」

 

 晴人は笑った。

 

 全身が痛い。立っているのもつらい。魔力を使えば、今度こそ意識が飛ぶかもしれない。

 

 それでも、ここでやらなければ死ぬ。

 

 晴人は短刀を両手で握った。右腕は痺れている。まともに力が入らない。だから左手で支え、胸の奥から魔力を絞り出す。

 

 今までの訓練が頭をよぎった。

 

 朝の訓練場。何度も失敗した循環。久我の呆れた顔。試験官のため息。自分で買った安物の短刀。昨日より少しだけ長く魔力が保った時の、馬鹿みたいな嬉しさ。

 

 全部、無駄ではなかった。

 

 無駄にしてたまるか。

 

「通れ……!」

 

 刃に青白い線が走る。

 

 今度は、薄くない。

 

 短い刃が、白く震えた。

 

 晴人は魔物の胸へ飛び込んだ。胸口の中から牙のようなものが伸び、肩を抉る。痛みで視界が白くなる。けれど、止まらない。

 

 短刀の切っ先が、表示された白い点に触れた。

 

 ずぶり、と。

 

 肉ではなく、硬い膜を破るような感触があった。

 

 次の瞬間、魔物の身体から力が抜けた。

 

 青黒い光がほどける。外殻がひび割れ、白い床に崩れ落ちる。長い腕が痙攣し、やがて完全に止まった。

 

 晴人は短刀を抜くこともできず、その場に膝をついた。

 

 息が荒い。

 

 生きている。

 

 まだ、生きている。

 

 視界に、表示が浮かんだ。

 

《敵性個体の沈黙を確認》

《戦闘経験を解析》

《行動履歴:逃走/回避/環境利用/結合核破壊》

《条件達成》

《スキル:危険予測 Lv.1 を取得》

《スキル:環境利用 Lv.1 を取得》

《スキル:急所刺突 Lv.1 を取得》

《レベルが上昇しました》

 

「……本当に、ゲームかよ」

 

 晴人は掠れた声で呟いた。

 

 だが、すぐに首を横へ振った。

 

 違う。

 

 これはゲームではない。痛みは本物だ。血も本物だ。死にかけた恐怖も、肺が焼ける苦しさも、全部本物だ。

 

 ただ、その上で。

 

 生き残ったことだけは、確かだった。

 

 晴人は床に片手をつき、立ち上がろうとした。けれど、足に力が入らず、そのまま座り込む。応急キットを取り出し、震える指で肩の傷を縛った。止血剤を押し当てた瞬間、あまりの痛みに声が漏れる。

 

「いっ……た。いや、痛いってことは、生きてるってことで……うん、前向きに考えよう」

 

 無理やり言葉にすると、少しだけ呼吸が整った。

 

 表示が静かに切り替わる。

 

《現在位置:未登録階層》

《帰還経路:不明》

《通信:遮断》

《門核反応:遠方に微弱検出》

《推奨:移動前に休息、装備再確認》

 

「休んでいいんだな。助かる」

 

 晴人は壁にもたれた。

 

 機械室には、倒した魔物の残骸と、壊れた柱状装置から漏れる青白い霧が漂っている。あまり長居していい場所ではないだろう。けれど今すぐ動けば、次の魔物に出会った瞬間に死ぬ。

 

 だから、少しだけ休む。

 

 少しだけ。

 

 晴人は目を閉じかけ、すぐに開いた。眠れば起きられない気がした。

 

 代わりに、視界に浮かぶ表示を見つめる。

 

 レベル。スキル。状態。推奨行動。

 

 それらは確かに、ゲームのようだった。

 

 けれど、文字の隙間に時折、別のものが混じる。読めない記号。潰れた文字列。人間の言語ではない何か。画面の奥に、まだ自分には理解できない巨大な仕組みが眠っている気がした。

 

《ORIGIN://AUTHORITY》

《権限深度:0.001%》

《正規管理者情報:照合不能》

《警告:当該個体は登録種族ではありません》

 

 晴人は眉をひそめた。

 

「登録種族って、何だよ」

 

 答えは返ってこない。

 

 ただ、表示は冷たく続いた。

 

《生存条件を更新》

《第一目標:未登録階層からの脱出》

《第二目標:帰還可能経路の探索》

《第三目標:門核反応の確認》

《失敗時:死亡》

 

「最後だけ、やけに分かりやすいな」

 

 晴人は小さく笑った。

 

 怖さは消えていない。むしろ、さっきよりも深くなっている。ここがどこなのか分からない。この表示が何なのかも分からない。自分に何が起きたのかも、まるで分からない。

 

 それでも、目標はできた。

 

 脱出する。

 

 帰る。

 

 生きて、門の外へ戻る。

 

「朝比奈さんたち、心配してるかな」

 

 そこまで言って、晴人は苦笑した。

 

「いや、してるか。久我にも怒られそうだな。『だから言っただろ』って顔で」

 

 その顔を想像すると、少しだけ胸の奥が温かくなった。

 

 まだ帰れるかは分からない。

 

 だが、帰りたい理由はある。

 

 晴人は倒した魔物の残骸から短刀を抜いた。刃は欠け、柄にもひびが入っている。次の戦闘に耐えられるかは怪しかった。それでも手放す気にはならなかった。

 

 立ち上がる。

 

 足は震えている。肩は痛い。魔力は少ない。

 

 けれど、視界の端に表示された《危険予測 Lv.1》の文字が、淡く光っていた。

 

 晴人は深く息を吸った。

 

「よし。生きて帰ろう」

 

 白い機械室の奥で、ひび割れた扉が静かに開いていた。

 

 その向こうから、冷たい風が流れてくる。

 

 晴人は短刀を握り直し、ゆっくりと歩き出した。

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