現代ダンジョンで成り上がり!   作:ダンジョン厨

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第五話 帰還

 

 連絡通路の奥に見えた光は、ひどく頼りなかった。

 

 蛍光灯に似た白い明滅が、崩れかけた壁の隙間から漏れている。近づくほどに、そこが門外に設置された協会照明ではなく、門の浅層に残された仮設照明であることが分かった。だが、それでも人間の手が入った光だった。白い保守区画の無機質な発光でも、魔物の胸に宿る青黒い光でもない。人間が、帰ってくる者のために置いた光だった。

 

 晴人は御影を支えながら、崩れた通路を進んだ。

 

 肩が痛い。右腕はほとんど上がらない。足も限界だった。御影の体重は軽いはずなのに、一歩ごとに膝が笑う。治癒役の男性が反対側から御影を支え、朝比奈が最後尾で盾を構えていた。

 

 背後からは、犬型の魔物たちの爪音が近づいてくる。

 

《帰還座標まで推定百八十メートル》

 

《敵性反応:後方四》

 

《推奨:戦闘回避》

 

「戦闘回避は、全面的に賛成です……!」

 

 晴人は荒い息の合間に呟いた。

 

 朝比奈が後ろを警戒したまま、声だけを投げる。

 

「榊、まだ道は分かる?」

 

「分かります。たぶん、このまま真っ直ぐ行って、次の崩落区画を左です」

 

「たぶんが増えてきたわね」

 

「正直、俺ももう自分が何を見てるのか分かってないです」

 

「でも見えてるのね?」

 

「はい」

 

「なら信じる。進みなさい」

 

 その一言が、妙に胸に残った。

 

 信じる。

 

 未発現者として扱われていた自分に、今、C級探索者である朝比奈がそう言った。嬉しがる余裕などない。けれど、その言葉が足の裏をほんの少しだけ前へ押した。

 

 通路の先に、崩落区画が現れた。

 

 天井が落ち、瓦礫が通路の半分を塞いでいる。人が一人ずつなら通れそうだが、御影を支えたままでは厳しい。しかも床には青白い亀裂が走っていた。星骸質の流路だ。踏み抜けば、何が起きるか分からない。

 

《危険:床面流路不安定》

 

《推奨:右壁沿いに移動》

 

《警告:後方敵性接近》

 

 晴人は歯を食いしばった。

 

「右壁沿いです。床の光ってるところは踏まないでください。朝比奈さん、後ろ、あと何秒くらい持ちますか」

 

「十秒」

 

「短いですね!」

 

「じゃあ十五秒!」

 

「ありがとうございます!」

 

 たぶん根拠はない。けれど、晴人は笑った。

 

 まず治癒役の男性を先に通す。次に御影を半ば抱えるようにして瓦礫の隙間へ押し込んだ。御影が痛みに息を呑む。晴人は謝りながらも、動きを止めなかった。

 

「御影さん、少しだけ我慢してください」

 

「……榊くんこそ、顔、真っ青」

 

「元からです」

 

「嘘」

 

「じゃあ、帰ったら日焼けします」

 

「季節、考えて」

 

 弱々しい声だったが、返事があった。

 

 まだ大丈夫だ。まだ繋がっている。

 

 晴人は御影を瓦礫の向こうへ渡し、自分も続こうとした。

 

 その瞬間、背後で衝撃音が響いた。

 

 朝比奈の盾に、犬型の魔物が激突していた。彼女の足元が滑り、盾の表面に亀裂が増える。二体目が横から回り込む。朝比奈は硬化した腕でそれを殴り飛ばしたが、動きが明らかに鈍い。

 

「榊、先に行きなさい!」

 

「無理です!」

 

「命令!」

 

「すみません、後で怒られます!」

 

 晴人は瓦礫の隙間から身を引き、床に落ちていた鉄骨のような黒い構造材を掴んだ。

 

 重い。普通なら持ち上がらない。けれど魔力節約で漏れを抑え、腕ではなく背中と腰へ魔力を回す。訓練場で何度も失敗した身体強化。完璧にはほど遠い。それでも、今は少しだけ通る。

 

《魔力循環:不安定》

 

《登攀 Lv.1補正》

 

《環境利用 Lv.1補正》

 

 晴人は黒い構造材を、床の青白い亀裂へ突き立てた。

 

 火花のような光が散る。

 

 犬型がこちらへ跳んだ。

 

「朝比奈さん、伏せて!」

 

 朝比奈は即座に膝を落とした。

 

 晴人は構造材を倒す。突き立てた先端が亀裂を抉り、床面流路が一瞬だけ暴発した。青白い光が横薙ぎに走り、飛びかかっていた犬型の前脚を焼き切る。

 

 魔物が転倒した。

 

 朝比奈が盾を振り下ろし、とどめを刺す。

 

「本当に、無茶するわね!」

 

「俺もそう思います!」

 

「自覚があるなら直しなさい!」

 

「帰ってから検討します!」

 

 残る犬型が唸る。

 

 だが、その時には全員が瓦礫の向こうへ抜けていた。晴人は最後に這い込むようにして隙間を通り、朝比奈が盾で瓦礫を押した。崩れた天井材がさらに落ち、通路を塞ぐ。

 

 完全な足止めにはならないだろう。

 

 けれど、数十秒は稼げる。

 

 それだけあれば、今は十分だった。

 

 崩落区画の先は、見覚えのあるホームへ繋がっていた。

 

 最初に任務で通った場所ではない。だが、一次攻略隊が設置した誘導灯が壁際に残っている。協会の簡易ビーコンも反応していた。通信端末には、かすかなノイズが戻り始めている。

 

《外部通信:微弱》

 

《帰還座標まで推定七十メートル》

 

《門外退避可能性:上昇》

 

「あと少しです!」

 

 晴人は叫んだ。

 

 ホームを抜け、改札跡のような場所へ出る。ひび割れた自動改札に似た構造物が並び、その向こうに門の入口があるはずだった。

 

 だが、空間が歪んでいた。

 

 門の出口が、薄い膜のように揺れている。向こう側の景色が見える。封鎖区域の照明。協会職員の影。非常灯の赤。けれど、その全てが水面越しのように歪み、音も届かない。

 

《門外接続:不安定》

 

《門圧上昇》

 

《一時的閉塞まで推定:四十二秒》

 

「四十二秒……!」

 

 晴人は御影を見た。

 

 彼女は意識を保っているが、顔色が悪い。治癒役の男性も限界だ。朝比奈は盾を構えているが、肩で息をしている。

 

 迷っている時間はない。

 

「走ります!」

 

「走れる状態じゃない子がいるわ!」

 

「俺が先に出ます! 向こうに合図します!」

 

「榊!」

 

 朝比奈が止めるより早く、晴人は御影を男性に預けて前へ出た。

 

 門の膜へ近づくほど、皮膚が焼けるように痛む。星骸質が荒れている。出口そのものが、こちらを拒んでいるようだった。

 

《警告:接続面不安定》

 

《生体通過時、座標ずれの危険》

 

《推奨:通過タイミングの同期》

 

「同期って、どうやって……!」

 

 表示が切り替わる。

 

 門の膜に、波紋のような線が見えた。青、白、黒。いくつもの線が重なり、一定の周期で薄くなる瞬間がある。

 

 そこだ。

 

 晴人は理解した。

 

 門が呼吸している。いや、そう見えるだけかもしれない。だが、通れる瞬間がある。

 

「朝比奈さん、俺が合図した瞬間に通ってください! 一人ずつじゃなく、全員一緒に!」

 

「根拠は!」

 

「今、一番薄くなるタイミングが見えてます!」

 

「分かった!」

 

 即答だった。

 

 疑わないのかと思った。けれど、その余裕がないことも、信じると決めたことも、朝比奈の声から伝わった。

 

 晴人は門の波を見つめる。

 

 十秒。

 

 八秒。

 

 門の膜が厚くなる。薄くなる。また厚くなる。

 

《接続安定点まで三》

 

《二》

 

《一》

 

「今!」

 

 四人が同時に飛び込んだ。

 

 世界が裏返る。

 

 内臓を掴まれて引き抜かれるような感覚があった。耳鳴り。閃光。吐き気。足元が消え、次の瞬間、硬い地面に叩きつけられる。

 

 アスファルトの匂いがした。

 

 消毒液の匂いがした。

 

 誰かの怒鳴り声が聞こえた。

 

「生存者確認! 医療班、こっちだ!」

 

「四名帰還! 一名重傷、二名中等傷、一名意識あり!」

 

「門圧、急低下! 出口安定します!」

 

 晴人は地面に倒れたまま、ぼんやりと空を見上げた。

 

 曇り空だった。

 

 灰色で、味気なくて、なんでもない日本の空。

 

 それが、泣きたくなるほど綺麗に見えた。

 

「……帰って、きた」

 

 声になったかどうかは分からなかった。

 

 すぐ横で、御影が担架に乗せられている。朝比奈は医療班に腕を掴まれながらも、こちらを見ていた。治癒役の男性はその場に座り込み、何度も息を吐いている。

 

 晴人のもとにも医療班が駆け寄った。

 

「意識ありますか。名前を言えますか」

 

「榊、晴人です。探索者番号は……すみません、ちょっと今、思い出せないです」

 

「大丈夫。喋れています。右腕を動かさないで。出血確認、肩部裂傷、右上肢魔力循環異常疑い」

 

「あ、あと、腰の黒いやつ、危ないかもです。たぶん武器です」

 

「武器?」

 

 医療班の一人が、晴人の腰に差された黒い柄を見て顔を強張らせた。

 

「未登録兵装です。鑑定班を呼んでください」

 

 別の職員が無線で何かを叫ぶ。

 

 晴人は目を閉じかけ、慌てて開いた。眠ったら、そのまま長く落ちていきそうだった。

 

 その時、誰かが駆け寄ってくる足音がした。

 

「榊!」

 

 久我蓮司だった。

 

 訓練着ではなく、簡易装備を着ている。顔は汗で濡れ、いつもの余裕ぶった表情は完全に消えていた。

 

「お前、生きて……おい、何だよその怪我!」

 

「久我」

 

 晴人は笑おうとした。

 

 たぶん、うまく笑えていなかった。

 

「言ったろ。しぶといって」

 

「言ってねえよ、そんなこと! というか、俺は止めただろ!」

 

「だから、怒られるために帰ってきた」

 

「馬鹿かお前!」

 

「うん。ちょっと自覚ある」

 

 久我は何か言い返そうとして、言葉を詰まらせた。

 

 それから、乱暴に目元を拭う。

 

「……生きてんならいい」

 

「うん」

 

「本当に、それだけでいい」

 

 晴人は、今度こそ少しだけ笑えた。

 

 医療班が晴人を担架へ乗せる。視界が揺れる。遠ざかる門は、黒い輪の内側で静かに光を失いつつあった。D級門。低危険度。安全な再調査任務。

 

 そのはずだった場所から、晴人たちは血まみれで帰ってきた。

 

 そして、三枝はいなかった。

 

「……朝比奈さん」

 

 晴人は担架の上から、かすれた声で呼んだ。

 

 朝比奈がこちらを見る。

 

「三枝さんは」

 

 彼女の顔が、わずかに曇った。

 

「分断された。私たちを逃がすために、別通路へ魔物を引きつけた」

 

「生きてますか」

 

「分からない」

 

 その言葉は、晴人の胸に重く沈んだ。

 

 帰ってきた。

 

 だが、全員ではない。

 

 その事実が、地上の空気の冷たさと一緒に肺へ入ってきた。

 

《第一目標:未登録階層からの脱出》

 

《達成》

 

《第二目標:帰還可能経路の探索》

 

《達成》

 

《生存者救出》

 

《一部達成》

 

《未帰還者を確認》

 

 視界の奥に、淡い文字が浮かぶ。

 

 晴人は目を細めた。

 

《追加目標:三枝悠真の生存確認》

 

《推奨:現在状態での再侵入は不可》

 

「……分かってる」

 

 晴人は小さく呟いた。

 

 今の自分が戻ったところで、助けるどころか死体が一つ増えるだけだ。分かっている。分かっているのに、手が震えた。

 

 久我が担架の横を歩きながら、晴人の顔を覗き込む。

 

「何が分かってるんだよ」

 

「いや……帰ったら、やること増えたなって」

 

「まず寝ろ。お前はまず寝ろ」

 

「それは、そう」

 

 晴人は目を閉じた。

 

 意識が沈む直前、最後に見えたのは、封鎖区域の向こうで揺れる門の黒い輪だった。

 

 その表面に、一瞬だけ、白い文字列が走った気がした。

 

《ORIGIN://AUTHORITY》

 

《権限深度:0.003%》

 

《警告》

 

《当該接続を観測した外部管理系が存在します》

 

 意味は分からない。

 

 考える余裕もない。

 

 ただ、その文字列だけが、妙に冷たく、晴人の意識の底に残った。

 

 次に目を覚ました時、晴人は協会支部の医療区画にいた。

 

 白い天井。消毒液の匂い。一定間隔で鳴る心拍モニター。右腕は固定され、肩には厚い包帯が巻かれている。身体は鉛のように重いが、痛みは鈍く抑えられていた。

 

 窓の外は夜だった。

 

 どうやら、半日近く眠っていたらしい。

 

「起きた?」

 

 声がした。

 

 ベッドの横の椅子に、朝比奈紗季が座っていた。左腕に包帯を巻き、頬にもガーゼを貼っている。とても元気そうとは言えないが、目はしっかりしていた。

 

「朝比奈さん……御影さんは」

 

「命に別状はない。しばらく入院だけど、後遺症も今のところは不明なし」

 

「よかった……」

 

「治癒担当の佐伯さんも無事。三枝は、まだ未帰還」

 

 晴人は唇を引き結んだ。

 

 朝比奈は、その沈黙を責めなかった。

 

「あなたが気に病むことじゃない」

 

「でも」

 

「でも、じゃない。あなたがいなければ、御影も佐伯さんも、たぶん私も帰れていない。三枝のことは、協会の救助隊が動いている」

 

「俺も、行けます」

 

「行けない」

 

 即答だった。

 

 晴人は言葉に詰まる。

 

 朝比奈の声は厳しかったが、冷たくはなかった。

 

「あなたの右腕、魔力循環が乱れてる。原典遺物かしら。あの黒い柄を使った反動ね。医療班によると、今無理に魔力を回せば、最悪、神経が焼き切れる」

 

「……そうですか」

 

「それに、あなたには事情聴取がある。未登録階層への転移。未知の固有発現。未登録兵装の持ち帰り。報告しなきゃいけないことが山ほどある」

 

 晴人は天井を見上げた。

 

 知らないことだらけだ。

 

 自分に発現したものが何なのか。《ORIGIN://AUTHORITY》とは何なのか。黒い柄、《NULL/BLADE》は本当に武器なのか。あの白い施設は何だったのか。門は、ダンジョンは、自分たちが教わってきた通りのものなのか。

 

 分からない。

 

 けれど、一つだけは分かっている。

 

「朝比奈さん」

 

「何?」

 

「俺、強くなりたいです」

 

 朝比奈は目を細めた。

 

 晴人は続けた。

 

「今日、帰れたのは運が良かったからです。表示が見えたから。朝比奈さんたちがいたから。たまたま、使えるものが周りにあったから。だから、次も同じようにできるとは思えない」

 

 喉が乾いていた。

 

 けれど、言葉は止まらなかった。

 

「でも、何もできないのは嫌です。誰かが残ってるのに、寝て待つだけなのも嫌です。今すぐ行けないのは分かってます。足手まといになるのも分かってます。だから、ちゃんと強くなりたいです。無茶じゃなくて、次に間に合うように」

 

 朝比奈はしばらく黙っていた。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

「正義感が強いのか、馬鹿なのか、判断に困るわね」

 

「よく言われます」

 

「たぶん後者寄りよ」

 

「傷つきますね」

 

「でも、嫌いじゃない」

 

 朝比奈は椅子から立ち上がった。

 

「まず治しなさい。事情聴取も受ける。その上で、協会があなたをどう扱うか決める」

 

「未発現者扱いのままですかね」

 

「それはない」

 

 朝比奈は、はっきりと言った。

 

「榊晴人。あなたはもう未発現者じゃない。少なくとも、私はそう報告する」

 

 胸の奥が、じんと熱くなった。

 

 ずっと欲しかった言葉だった。

 

 固有能力がない。未発現。落ちこぼれ。補助要員。何度も聞いて、笑って流して、そのたび少しずつ胸の奥に積もっていた言葉が、ようやく別のものに変わる気がした。

 

「ありがとうございます」

 

「礼は、ちゃんと生き残れるようになってからでいい」

 

「はい」

 

 朝比奈が病室を出ていく。

 

 入れ替わるように、協会職員が二人、部屋の外に立った。黒いスーツに、探索者協会の徽章。医療班ではない。鑑定局か、監査部か。

 

 そのうちの一人が、静かに頭を下げた。

 

「榊晴人さん。お目覚めのところ失礼します。いくつか確認したいことがあります」

 

 晴人はベッドの上で身を起こそうとして、右腕の痛みに顔をしかめた。

 

「はい。分かる範囲でなら」

 

「まず、あなたが門内から持ち帰った未登録兵装についてです」

 

 職員の手元の端末に、黒い柄の画像が表示される。

 

「協会鑑定局の初期検査では、当該物品は既存の星骸兵装分類に該当しませんでした。材質不明、魔力伝導なし、起動反応なし。しかし、あなたの戦闘記録と朝比奈探索者の証言では、同兵装は戦闘中に刃状の現象を発生させたとされています」

 

 晴人は黙って聞いた。

 

 職員の目が、まっすぐこちらを見た。

 

「あれは、何ですか」

 

 晴人の視界の端に、淡い文字が浮かんだ。

 

《NULL/BLADE》

 

《状態:隔離》

 

《警告:情報開示には注意》

 

《当該兵装は現行人類分類に存在しません》

 

 晴人は一度だけ、ゆっくり息を吸った。

 

 それから、できるだけ正直に答えた。

 

「俺にも、分かりません」

 

 嘘ではなかった。

 

 だが、それが全部ではないことも、晴人には分かっていた。

 

 病室の白い照明の下で、彼の物語はようやく、門の外でも始まろうとしていた。




連続投稿は今話で一旦終わりです。
次話は明日21時投稿予定です。
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