現代ダンジョンで成り上がり! 作:ダンジョン厨
三枝悠真が門外へ搬出されたのは、晴人が眠りに落ちてから二十分後のことだった。
右脚の骨折。全身の裂傷。魔力枯渇。門圧による軽度の神経障害。医療班の初期診断だけでも、聞いている方が顔をしかめるような負傷内容だったが、それでも命に別状はなかった。
翌朝、その報告を聞いた晴人は、ベッドの上でしばらく天井を見上げていた。
「……よかった」
本当に、それしか出てこなかった。
身体のあちこちは相変わらず痛む。右腕は固定されたままで、魔力を流そうとすると医療用の警告端末が即座に鳴る。肩の傷も深く、しばらくは戦闘どころか訓練も禁止だと告げられていた。
だが、三枝は生きていた。
御影も、朝比奈も、佐伯も生きている。
全員が無傷で帰れたわけではない。あの門で何が起きたのかも分からない。けれど、少なくとも、昨日の任務で失われるはずだった命は、まだこちら側に残っていた。
それだけで、晴人は少しだけ呼吸が楽になった。
「泣くかと思った」
ベッド脇で、久我蓮司が腕を組んで言った。
「泣いてない」
「昨日は泣いてた」
「あれは鎮痛剤の副作用」
「まだ言うか、それ」
久我は呆れたようにため息をついた。
見舞いという名目で朝から来ているくせに、持ってきたのは栄養ゼリーとスポーツドリンクと、またしても自分用の菓子パンだった。何しに来たのかよく分からないが、いると少しだけ気が紛れるので、晴人は何も言わないでおいた。
「三枝さん、面会できるかな」
「お前が行けるわけないだろ。自分の状態見ろよ」
「車椅子なら」
「そういう話じゃねえ」
「じゃあ、ベッドごと」
「病院を何だと思ってんだ」
久我がすぐに突っ込んでくれるので、晴人は少し笑った。
笑うと肩が痛む。
痛みに顔をしかめたところで、病室の扉が叩かれた。
「榊晴人さん。失礼します」
入ってきたのは篠宮だった。
昨日と同じ黒いスーツに、監査部の徽章。後ろには鑑定局の女性職員と、医療班の担当者が一人。そして、朝比奈紗季もいた。
久我が露骨に顔をしかめる。
「また事情聴取ですか」
「今回は正式な通達です。久我蓮司さん、同席を希望する場合は守秘誓約に署名していただきます」
「します」
即答だった。
晴人は思わず久我を見た。
「いいのか?」
「お前一人にしておくと、変な書類にサインしそうだからな」
「俺、そこまで信用ない?」
「ない」
「ははは。……冗談だよな?」
篠宮は二人のやり取りを遮ることなく待っていたが、やがて端末を開いた。
「榊晴人さん。昨日発生したD級門再調査任務中の未登録階層転移、および救助支援の件について、協会関東第三支部はあなたの探索者適性を再評価することを決定しました」
晴人は背筋を伸ばそうとして、右腕の痛みに失敗した。
「再評価、ですか」
「はい。これまであなたは固有能力未発現者として、補助任務中心のD級下位扱いでした。しかし、昨日の事案において、あなたは未分類の固有発現を示し、複数名の生還に寄与しました。よって、従来の評価区分は不適切と判断されます」
不適切。
その言葉は、少し不思議な響きだった。
未発現者。落ちこぼれ。補助要員。自分に貼られていたそれらの評価が、誰かに否定されたわけではない。ただ、今の状況には合わないと判断された。
それでも、晴人にとっては十分だった。
「等級が上がるんですか」
「現時点では未定です」
「あ、そうなんですね」
「あなたの身体能力、魔力量、基礎身体強化の出力は、現在もE級平均を下回っています」
「ですよね」
「落ち込まないのね」
鑑定局の女性が、思わずというように口を挟んだ。
晴人は少し笑った。
「事実なので。むしろ、いきなり強くなってたら怖いです」
「昨日、あなたは十分に怖いことをしています」
「それは……否定できないです」
鑑定局の女性は端末に視線を落とした。
「あなたの固有発現は、暫定的に“未分類情報表示型”として登録されます。ただし、これはあくまで協会内部の仮分類です。視覚情報化、危険予測、敵性個体の弱点認識、技能習熟の自動表記、帰還座標の参照、未登録兵装への限定干渉。これらを単一の既存分類へ収めることはできません」
彼女の声には、研究者特有の熱が混じっていた。
怖がられているのではない。
珍しいものとして見られている。
その視線に、晴人はわずかな居心地の悪さを覚えた。
「つまり、俺はどうすればいいんですか」
篠宮が答える。
「まず治療です。次に検査。その後、実戦ではない再評価試験を行います。内容は、危険予測の精度確認、魔力流路の認識、簡易地形解析、模擬敵性個体に対する弱点指示。そして、あなたが持ち帰った未登録兵装《NULL/BLADE》との反応確認です」
その名前が出た瞬間、視界の端に文字が浮かんだ。
《NULL/BLADE》
《状態:隔離保管》
《接続:遮断》
《再起動条件:未達》
晴人はゆっくり瞬きをした。
病室の中に、黒い柄はない。協会が回収し、隔離している。それでも表示は出る。
自分とあの武器の間に、まだ何かが繋がっているのだろうか。
「榊さん?」
「あ、すみません。今、表示が出ました」
室内の空気が変わる。
篠宮がすぐに問う。
「どのような表示ですか」
「《NULL/BLADE》は隔離保管中。接続は遮断。再起動条件は未達、って」
鑑定局の女性が目を見開いた。
「隔離保管中であることは、あなたには伝えていません」
「ですよね」
「保管場所は?」
「そこまでは見えません。状態だけです」
「接続遮断、という表示は?」
「たぶん、俺からは起動できない状態ってことだと思います」
篠宮と鑑定局の女性が視線を交わした。
朝比奈は黙って晴人を見ている。疑う目ではない。だが、心配している目だった。
「榊」
「はい」
「今、頭痛は?」
「少しだけ」
「吐き気は」
「ないです」
「視界の乱れは」
「今は大丈夫です」
「ならいい。でも、何か変だと思ったらすぐ言いなさい。能力を使うたびに倒れられたら困る」
「了解です」
晴人は素直に頷いた。
篠宮は端末に記録を残し、話を続けた。
「もう一点。あなたの今後の任務参加についてですが、当面は通常パーティへの参加を停止します」
「停止……」
「処分ではありません。安全措置です。あなたの能力は有用である一方、本人の耐久力が追いついていない。現状で門内へ入れば、能力使用による負荷で自滅する可能性があります」
「否定できないです」
「なので、治療後は朝比奈探索者の監督下で基礎訓練と能力検証を行います」
晴人は朝比奈を見た。
朝比奈は当然のような顔で頷く。
「昨日言ったでしょ。面倒を見る人間が必要だって」
「本気だったんですか」
「冗談で監査部に名前を出すほど暇じゃないわ」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。死なない訓練から始めましょう」
「できれば痛くない方向で」
「探索者向いてないわよ、その希望」
朝比奈の口調は厳しいが、声の底には少しだけ柔らかさがあった。
久我が横から手を上げる。
「あの、俺は?」
篠宮が視線を向ける。
「あなたは今回の事案に直接関与していません」
「同期です」
「それは関与理由にはなりません」
「こいつ一人だと無茶します」
「それは把握しています」
「把握されてる……」
晴人は地味に傷ついた。
朝比奈が少し考え、篠宮へ言う。
「久我蓮司は雷撃系の固有発現者で、訓練成績も悪くありません。榊と同期で、基礎訓練の癖も知っています。模擬戦相手としてなら使えます」
「ちょっと待ってください。使えますって何ですか」
「使えるでしょ」
「使えますけど」
久我は文句を言いながらも、少しだけ嬉しそうだった。
篠宮は端末を操作した。
「では、久我蓮司さんを再評価試験時の協力探索者候補として記録します。ただし、正式決定ではありません」
「十分です」
「久我、いいのか?」
晴人が聞くと、久我は肩をすくめた。
「お前が変な能力で変な方向に行かないように、見張ってやるよ」
「ありがたいけど、言い方」
「感謝しろ、未分類」
「新しい呼び名を作るな」
病室に、少しだけ笑いが起きた。
その空気が、晴人にはありがたかった。
未分類固有発現。原典遺物。監査部。再評価。言葉だけを並べれば、昨日までの自分からは遠すぎるものばかりだ。けれど、久我がいつも通りに文句を言い、朝比奈がいつも通りに厳しくしてくれるだけで、足元が現実に繋がる。
篠宮たちが退室した後、朝比奈だけが病室に残った。
久我は守秘誓約の手続きで一度呼び出され、文句を言いながら出ていった。
静かになった病室で、朝比奈が椅子に座る。
「怖くなった?」
唐突な問いだった。
晴人は少し考えた。
「なりました」
「正直ね」
「嘘つくと、朝比奈さんに怒られそうなので」
「よろしい」
朝比奈は紙コップの水を一口飲んだ。
「能力が発現した直後の探索者は、大抵浮かれるの。自分は特別だと思うし、世界が変わったように感じる。でも、あなたの場合は、本当に世界の方が変わって見えているのよね」
「……はい」
「だからこそ、怖がっておきなさい。怖いと思えるうちは、まだ戻ってこられるんだから」
晴人は、白いシーツの上で左手を握った。
視界の端には、今も薄く文字が残っている。状態。魔力残量。負傷箇所。推奨休息時間。自分の身体すら、もうただの身体として見えない。
便利だ。
命を救われた。
だからこそ、恐ろしい。
「朝比奈さんは、俺の能力、何だと思いますか」
「分からない」
即答だった。
「でも、ただの成長補助や危険予測ではないと思う。帰還札の座標を読んだことも、三枝の位置を見つけたことも、ヌルなんちゃらを起動したことも、既存の感知系では説明できない」
「ですよね」
「ただし」
朝比奈は晴人をまっすぐ見た。
「能力の正体が何であれ、使うのはあなたよ。能力に使われるのではなく、表示がそう言ったから従うんでもなく、自分で考えて、自分で選びなさい」
その言葉は、昨日の門の中で感じたことと同じだった。
表示は道を示す。危険を教える。可能性を数字にする。
けれど、最後に足を出すのは自分だ。
「はい」
晴人は頷いた。
「俺、強くなります。表示がなくても動けるくらいには。表示があるなら、もっと上手く使えるくらいには」
「いい返事ね」
「朝比奈さんの訓練、厳しそうですけど」
「厳しいわよ」
「ですよね」
「でも、あなたは努力家なんでしょう?」
晴人は少しだけ笑った。
「それくらいしか取り柄がなかったので」
「それが残っているなら、十分よ」
そう言って、朝比奈は立ち上がった。
彼女が病室を出ようとした時、晴人はふと思い出した。
「あの、三枝さんが起きたら、教えてもらえますか」
「もちろん」
「怒られますかね」
「たぶんね」
「ですよね」
「でも、礼も言われると思うわ」
朝比奈は扉の前で振り返り、少しだけ笑った。
「覚悟しておきなさい。探索者は、怒られるのも礼を言われるのも仕事のうちよ」
扉が閉まる。病室には、また静けさが戻った。
晴人はゆっくり息を吐き、天井を見上げた。
未発現者ではなくなった。
けれど、強くなったわけではない。むしろ、自分がどれほど弱いかを、昨日よりもはっきり理解している。
だから、やることは変わらなかった。
訓練する。学ぶ。生き残る。誰かを連れて帰る。
視界に、淡い文字が浮かぶ。
《再評価試験:未実施》
《推奨:治療/基礎魔力循環の再訓練/能力負荷の把握》
《次段階到達条件:未確定》
晴人は小さく笑った。
「はいはい。まずは基礎から、だな」
結局、それは今までと同じだった。
固有能力がなかった頃も、《ORIGIN://AUTHORITY》に覚醒した今も、榊晴人にできることは一つずつ積み重ねることだけだ。
違うのは、積み重ねた先に見えるものが、ほんの少しだけ増えたこと。
そして、その先を誰かが見ているかもしれないという、冷たい予感だけだった。
次話は明日の10時に投稿です。