現代ダンジョンで成り上がり! 作:ダンジョン厨
三日後、晴人は医療区画のベッドから降りる許可を得た。
とはいえ、自由に動けるようになったわけではない。右腕はまだ固定具に包まれ、肩の傷も塞がったばかりで、少し無理に身体を捻れば医療端末が容赦なく警告音を鳴らす。魔力循環に関しては、さらに厳しかった。右腕へ一定以上の魔力を流すことは禁止。全身強化も出力二割まで。訓練時間は一回十五分。探索者としては、ほとんど歩行訓練からやり直しに近い扱いだった。
それでも、晴人は嬉しかった。
「よし。立てる。歩ける。つまり勝ちだな」
「はいはい」
リハビリ用の訓練室で、久我蓮司が呆れた声を出した。
晴人は支給された軽い訓練着に着替え、左手で手すりを掴みながらゆっくりと歩いていた。右腕が使えないだけで、身体のバランスは思ったより崩れる。たった十メートルの直線を歩くだけなのに、額には薄く汗が浮かんでいた。
「基準は低いところから始めた方が、成長を実感できるだろ」
「前向きなのはいいけど、医療班の人が見てるからな。調子に乗ったら即ベッド行きだぞ」
「それは困る」
晴人は素直に歩幅を小さくした。
訓練室の壁際では、朝比奈紗季が腕を組んでこちらを見ている。その隣には医療班の担当者と、鑑定局の女性職員、さらに監査部の篠宮もいた。たかが歩行訓練にしては見物人が多すぎる。
理由は分かっていた。
晴人の身体ではなく、《ORIGIN://AUTHORITY》の反応を見るためだ。
《状態:回復途中》
《右上肢魔力循環:不安定》
《推奨:全身循環ではなく左脚、体幹部への限定循環》
《訓練目標:十メートル歩行時の魔力漏出率を三〇%以下に抑制》
視界の端に、淡い文字が浮かんでいる。
初めて見た時ほどの恐怖はない。だが、慣れたわけでもない。自分の身体の状態が文字で表示されるのは、やはり少し気味が悪かった。
けれど、便利なのも確かだった。
晴人は息を吐き、足裏へ薄く魔力を流す。以前なら、ただ「足に回す」としか考えていなかった。だが今は、どこで魔力が漏れているのか、どこに余計な力が入っているのかが見える。膝の外側に赤い警告。腰の中心に黄色い揺らぎ。踏み込みの瞬間、足首から魔力が霧散している。
(そこか)
晴人は一度足を止め、呼吸を整えた。
足首に無理やり押し込むのではなく、土踏まずからふくらはぎ、膝、腰へと細く繋ぐ。強く流す必要はない。漏らさないこと。たぶん、今の自分に必要なのは出力ではなく効率だ。
《魔力漏出率:四十六%》
《改善》
「……よし」
思わず声が漏れた。
久我が首を傾げる。
「何がよしなんだよ」
「漏れが減った」
「漏れ?」
「魔力。前は足に流しても半分以上どっか行ってたけど、今ちょっと減った」
「どっか行ってたで済ませていい話か、それ」
「済ませてたから落ちこぼれてたんだろうなあ」
自分で言って、晴人は少し笑った。
卑屈な笑いではなかった。
今までは、何が悪いのか分からなかった。努力しても、結果が出ない。魔力を回しているつもりなのに、測定器の数値は伸びない。試験官からは「循環が粗い」と言われる。けれど、その粗さがどこにあるのか、自分では掴めなかった。
今は違う。
間違いが見える。直すべき場所が分かる。
それだけで、努力の意味が変わる。
「榊」
朝比奈が声を掛けた。
「はい」
「今、能力の指示に従った?」
「半分くらいです。表示は足首の漏れを教えてくれました。でも、流し方を変えたのは自分で考えました」
「その感覚を忘れないで。表示を鵜呑みにするのではなく、問題文として捉えなさい」
「問題文……」
「解くのはあなた」
晴人は頷いた。
その言い方は、しっくり来た。
《訓練目標を更新》
《基礎魔力循環:熟練度上昇》
《条件進行中》
表示が切り替わる。
晴人は手すりから左手を離し、もう一度歩いた。今度は支えなし。右腕が使えないせいで身体がぶれる。だが、さっきよりは安定している。
十メートル。
ただそれだけの距離を歩ききった時、晴人の息は上がっていた。
それでも、胸の奥には奇妙な達成感があった。
《魔力漏出率:三十八%》
《訓練目標:未達》
《改善幅:大》
「未達かあ」
「でも、顔が笑ってるぞ」
久我が言った。
「そりゃ笑うだろ。前より良くなってるって分かるんだぞ」
「お前、今までどれだけ闇雲で努力してたんだよ」
「割とずっと」
晴人は軽く答えた。
久我は何かを言いかけて、やめた。
代わりに、少し乱暴に頭を掻く。
「じゃあ、これからはもうちょち明るくて見やすいところでやれ」
「そのつもり」
晴人はもう一度、足元を見た。
自分はまだ弱い。右腕は使えない。魔力量も低い。身体強化も久我や朝比奈には遠く及ばない。けれど、昨日までの自分とは違う。
強くなったのではない。
強くなる方法が、見えはじめた。
それから数日、晴人の訓練は地味なものばかりだった。
歩く。止まる。魔力を流す。止める。片足立ちで循環を保つ。左手だけで短刀を構える。右腕に負荷をかけずに体幹で姿勢を支える。端末が鳴れば休む。医療班に怒られれば素直に謝る。朝比奈に睨まれれば、さらに素直に謝る。
派手なスキルは増えなかった。
火を出せるようにも、雷を撃てるようにもならない。《NULL/BLADE》は隔離されたままで、再使用の許可も下りていない。
それでも、表示は少しずつ変わった。
《魔力漏出率:三十五%》
《魔力漏出率:三十二%》
《魔力漏出率:二十九%》
《条件達成》
《スキル:基礎魔力循環 Lv.1 を取得》
その表示が出た時、晴人は訓練室の床に座り込んだまま、しばらく黙っていた。
久我が訓練用のタオルを投げてくる。
「どうした。痛むのか」
「取れた」
「何が」
「基礎魔力循環」
久我は一瞬きょとんとした後、目を見開いた。
「いや、それスキルになるのかよ」
「なった」
「基礎だぞ」
「基礎だからだろ」
晴人はタオルで汗を拭った。
基礎魔力循環。
探索者ならできて当然とされる技術。訓練校の初期課程で何度も叩き込まれる、あまりにも地味な基礎。久我にとっては、わざわざ能力として表示されるようなものではないのだろう。
だが、晴人にとっては違った。
ずっと手が届かなかったものだ。
努力しても、伸びなくて、何度も失敗して、それでも諦めきれなかったものだ。
その基礎に、ようやく名前がついた。
「……嬉しそうだな」
久我が言った。
「嬉しいよ」
「もっと派手なスキルじゃなくていいのか」
「派手なのは後でいい。まずは、ちゃんと立てるようにならないと」
晴人は訓練室の床を見下ろした。
ダンジョンの中で、自分は何度も転んだ。逃げて、滑って、壁にぶつかって、這いつくばった。死ななかったのは、能力のおかげであり、地形のおかげであり、運のおかげでもある。
けれど次は、それだけに頼りたくない。
ちゃんと立って、ちゃんと動いて、ちゃんと選びたい。
朝比奈が訓練室の入口から入ってきた。
「基礎魔力循環、取得したそうね」
「はい」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「じゃあ、次は避ける訓練よ」
晴人の笑顔が固まった。
「今ですか」
「今から」
「俺、今ちょっと感動してたんですけど」
「感動は三十秒で終わり。そもそもね、あなたはまだヒヨっ子なの。ぜんぜん遠くまで羽ばたけないんだから、感動して立ち止まってる暇なんてないのよ」
「名言っぽく言えば辛口でも許されると思ってませんか」
「ふっ、思ってる」
朝比奈は笑いながら平然と答えた。
「まぁ、とにかく。感動するのもいいけど、その感覚を忘れないうちに行動に移した方が成長に繋がるわ」
訓練室の中央に、協会の模擬戦用ドローンが運び込まれる。球体に短いアームが四本ついた機体で、低出力の衝撃弾を撃つ訓練機だ。もちろん殺傷能力はない。だが、当たれば普通に痛い。
晴人は思わず久我を見た。
「久我」
「俺は止めたぞ」
「まだ何も言ってない」
「顔に『助けて』って書いてある」
「読まないでくれ」
朝比奈が端末を操作すると、ドローンが浮かび上がった。
「右腕は使わない。魔力出力は二割まで。攻撃禁止。避けるだけ。三分間」
「三分って、長くないですか」
「門の中では三分なんて一瞬よ」
「それはそうですけど」
「開始」
「返事を待ってください!」
ドローンのアームが光った。
晴人の視界に、赤い線が伸びる。
《危険予測:衝撃弾》
《推奨:左へ半歩》
晴人は左へ動いた。
衝撃弾が訓練室の床を叩く。空気が小さく弾けた。
二発目。
《推奨:上体を下げろ》
晴人は膝を落とす。弾が肩の上を抜けた。
三発目。
《推奨:後退不可》
「後ろ駄目……!」
後退しかけた足を止め、逆に前へ踏み込む。衝撃弾が背後の床を叩いた。晴人はドローンの真下を抜ける。
見える。
危険な線が見える。
けれど、身体が追いつかない。
四発目は避けきれず、左脇腹に当たった。鈍い痛みが走る。
「いっ……!」
「止まらない!」
朝比奈の声が飛ぶ。
晴人は歯を食いしばって動く。
当たった痛みに意識を持っていかれると、次の表示が遅れる。いや、表示は出ているのに、読む自分が遅れる。頭で理解してから動くのでは間に合わない。表示を見て、考えて、判断して、動く。その間に弾は来る。
なら、もっと前に判断する。
赤い線が出る前、ドローンのアームに微細な光が集まる。魔力の予兆。弾が撃たれる直前に、必ずそこが揺れる。
(表示を待つな。表示の前を見る)
晴人は呼吸を整えた。
ドローンの右アームに光。
晴人は半歩ずれる。
直後、赤線が表示された。
《危険予測》
衝撃弾は、すでに晴人の横を抜けていた。
朝比奈の目がわずかに細くなる。
久我が小さく言った。
「今の、表示より先に動いたか」
晴人には返事をする余裕がなかった。
次。左アーム。床への反射弾。
晴人は足を引き、身体を斜めに逃がす。衝撃が床で跳ね、訓練着の裾を掠めた。
次。正面。二連射。
一発目を横へ避ける。二発目は避けきれない。なら、完全に避けない。左肩ではなく、訓練用の保護パッドがある腰側で受ける。
鈍い痛み。でも動ける。
《行動履歴:回避/予兆観測/被弾軽減》
《条件進行中》
三分間は長かった。
最後の一分は、ほとんど意地だった。息が切れ、足が重く、脇腹は痛み、視界の文字も少し滲んでいる。けれど晴人は倒れなかった。
終了音が鳴った瞬間、ドローンが停止する。
晴人は膝に手をついた。
「……三分、経ちました?」
「経ったわ」
朝比奈が端末を確認する。
「被弾七。回避二十一。直撃はなし。初回としては悪くない」
「悪くない、ですか」
「ええ。予想より良い」
晴人は息を切らしながら、少しだけ笑った。
視界に表示が浮かぶ。
《条件達成》
《スキル:回避歩法 Lv.1 を取得》
《危険予測 Lv.1:熟練度上昇》
《基礎魔力循環 Lv.1:熟練度上昇》
《レベルが上昇しました》
今度のレベルアップは、戦闘の中で得たものではない。
訓練の末に得たものだった。
晴人はそれが、思っていた以上に嬉しかった。
「朝比奈さん」
「何?」
「俺、ちょっと強くなりました」
朝比奈は数秒、晴人を見た。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
「ええ。ちょっとだけね」
「ちょっとだけでも、十分です」
「満足した?」
「いえ」
晴人は顔を上げた。
息はまだ荒い。身体も痛い。けれど、目だけはまっすぐだった。
「もっとやります」
久我が呆れたように笑った。
「本当に根性あるな、お前」
「根性しかなかったからな」
「今は能力もあるだろ」
「ある。でも、能力だけじゃ足りない」
晴人は自分の左手を見た。
表示は道を示す。危険を教える。弱点を照らす。スキルという形で、努力を残してくれる。
だが、動くのは自分だ。
足を出すのも、痛みに耐えるのも、怖くても前を見るのも、自分だ。
だから、強くなる過程は飛ばせない。
《再評価試験:第一項目》
《基礎回避能力:暫定合格》
《次項目:模擬敵性個体への攻略指示》
表示が静かに切り替わる。
晴人は思わず瞬きをした。
「次、あるんですか」
朝比奈が端末を操作しながら言う。
「もちろん。今日は再評価の初日よ」
「今ので終わりでは」
「準備運動ね」
「準備運動でレベル上がったんですけど」
「お得でよかったじゃない」
訓練室の奥で、今度は四足歩行型の模擬魔物が起動した。
久我が笑いを堪えている。
晴人は天井を仰いだ。
「探索者って、大変だな……」
「今さら?」
朝比奈の声に、晴人は笑った。
大変だ。怖いし、痛いし、分からないことばかりだ。
それでも、前より少しだけ強くなれるなら。
昨日できなかったことが、今日できるようになるなら。
この大変さは、嫌いではなかった。
次話は明日の9時に投稿予定です