現代ダンジョンで成り上がり!   作:ダンジョン厨

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第九話 最初の一歩

 

 三日後、晴人は医療区画のベッドから降りる許可を得た。

 

 とはいえ、自由に動けるようになったわけではない。右腕はまだ固定具に包まれ、肩の傷も塞がったばかりで、少し無理に身体を捻れば医療端末が容赦なく警告音を鳴らす。魔力循環に関しては、さらに厳しかった。右腕へ一定以上の魔力を流すことは禁止。全身強化も出力二割まで。訓練時間は一回十五分。探索者としては、ほとんど歩行訓練からやり直しに近い扱いだった。

 

 それでも、晴人は嬉しかった。

 

「よし。立てる。歩ける。つまり勝ちだな」

 

「はいはい」

 

 リハビリ用の訓練室で、久我蓮司が呆れた声を出した。

 

 晴人は支給された軽い訓練着に着替え、左手で手すりを掴みながらゆっくりと歩いていた。右腕が使えないだけで、身体のバランスは思ったより崩れる。たった十メートルの直線を歩くだけなのに、額には薄く汗が浮かんでいた。

 

「基準は低いところから始めた方が、成長を実感できるだろ」

 

「前向きなのはいいけど、医療班の人が見てるからな。調子に乗ったら即ベッド行きだぞ」

 

「それは困る」

 

 晴人は素直に歩幅を小さくした。

 

 訓練室の壁際では、朝比奈紗季が腕を組んでこちらを見ている。その隣には医療班の担当者と、鑑定局の女性職員、さらに監査部の篠宮もいた。たかが歩行訓練にしては見物人が多すぎる。

 

 理由は分かっていた。

 

 晴人の身体ではなく、《ORIGIN://AUTHORITY》の反応を見るためだ。

 

《状態:回復途中》

 

《右上肢魔力循環:不安定》

 

《推奨:全身循環ではなく左脚、体幹部への限定循環》

 

《訓練目標:十メートル歩行時の魔力漏出率を三〇%以下に抑制》

 

 視界の端に、淡い文字が浮かんでいる。

 

 初めて見た時ほどの恐怖はない。だが、慣れたわけでもない。自分の身体の状態が文字で表示されるのは、やはり少し気味が悪かった。

 

 けれど、便利なのも確かだった。

 

 晴人は息を吐き、足裏へ薄く魔力を流す。以前なら、ただ「足に回す」としか考えていなかった。だが今は、どこで魔力が漏れているのか、どこに余計な力が入っているのかが見える。膝の外側に赤い警告。腰の中心に黄色い揺らぎ。踏み込みの瞬間、足首から魔力が霧散している。

 

(そこか)

 

 晴人は一度足を止め、呼吸を整えた。

 

 足首に無理やり押し込むのではなく、土踏まずからふくらはぎ、膝、腰へと細く繋ぐ。強く流す必要はない。漏らさないこと。たぶん、今の自分に必要なのは出力ではなく効率だ。

 

《魔力漏出率:四十六%》

 

《改善》

 

「……よし」

 

 思わず声が漏れた。

 

 久我が首を傾げる。

 

「何がよしなんだよ」

 

「漏れが減った」

 

「漏れ?」

 

「魔力。前は足に流しても半分以上どっか行ってたけど、今ちょっと減った」

 

「どっか行ってたで済ませていい話か、それ」

 

「済ませてたから落ちこぼれてたんだろうなあ」

 

 自分で言って、晴人は少し笑った。

 

 卑屈な笑いではなかった。

 

 今までは、何が悪いのか分からなかった。努力しても、結果が出ない。魔力を回しているつもりなのに、測定器の数値は伸びない。試験官からは「循環が粗い」と言われる。けれど、その粗さがどこにあるのか、自分では掴めなかった。

 

 今は違う。

 間違いが見える。直すべき場所が分かる。

 それだけで、努力の意味が変わる。

 

「榊」

 

 朝比奈が声を掛けた。

 

「はい」

 

「今、能力の指示に従った?」

 

「半分くらいです。表示は足首の漏れを教えてくれました。でも、流し方を変えたのは自分で考えました」

 

「その感覚を忘れないで。表示を鵜呑みにするのではなく、問題文として捉えなさい」

 

「問題文……」

 

「解くのはあなた」

 

 晴人は頷いた。

 

 その言い方は、しっくり来た。

 

《訓練目標を更新》

 

《基礎魔力循環:熟練度上昇》

 

《条件進行中》

 

 表示が切り替わる。

 

 晴人は手すりから左手を離し、もう一度歩いた。今度は支えなし。右腕が使えないせいで身体がぶれる。だが、さっきよりは安定している。

 

 十メートル。

 

 ただそれだけの距離を歩ききった時、晴人の息は上がっていた。

 

 それでも、胸の奥には奇妙な達成感があった。

 

《魔力漏出率:三十八%》

 

《訓練目標:未達》

 

《改善幅:大》

 

「未達かあ」

 

「でも、顔が笑ってるぞ」

 

 久我が言った。

 

「そりゃ笑うだろ。前より良くなってるって分かるんだぞ」

 

「お前、今までどれだけ闇雲で努力してたんだよ」

 

「割とずっと」

 

 晴人は軽く答えた。

 

 久我は何かを言いかけて、やめた。

 代わりに、少し乱暴に頭を掻く。

 

「じゃあ、これからはもうちょち明るくて見やすいところでやれ」

 

「そのつもり」

 

 晴人はもう一度、足元を見た。

 

 自分はまだ弱い。右腕は使えない。魔力量も低い。身体強化も久我や朝比奈には遠く及ばない。けれど、昨日までの自分とは違う。

 

 強くなったのではない。

 

 強くなる方法が、見えはじめた。

 

 それから数日、晴人の訓練は地味なものばかりだった。

 

 歩く。止まる。魔力を流す。止める。片足立ちで循環を保つ。左手だけで短刀を構える。右腕に負荷をかけずに体幹で姿勢を支える。端末が鳴れば休む。医療班に怒られれば素直に謝る。朝比奈に睨まれれば、さらに素直に謝る。

 

 派手なスキルは増えなかった。

 

 火を出せるようにも、雷を撃てるようにもならない。《NULL/BLADE》は隔離されたままで、再使用の許可も下りていない。

 

 それでも、表示は少しずつ変わった。

 

《魔力漏出率:三十五%》

 

《魔力漏出率:三十二%》

 

《魔力漏出率:二十九%》

 

《条件達成》

 

《スキル:基礎魔力循環 Lv.1 を取得》

 

 その表示が出た時、晴人は訓練室の床に座り込んだまま、しばらく黙っていた。

 

 久我が訓練用のタオルを投げてくる。

 

「どうした。痛むのか」

 

「取れた」

 

「何が」

 

「基礎魔力循環」

 

 久我は一瞬きょとんとした後、目を見開いた。

 

「いや、それスキルになるのかよ」

 

「なった」

 

「基礎だぞ」

 

「基礎だからだろ」

 

 晴人はタオルで汗を拭った。

 

 基礎魔力循環。

 

 探索者ならできて当然とされる技術。訓練校の初期課程で何度も叩き込まれる、あまりにも地味な基礎。久我にとっては、わざわざ能力として表示されるようなものではないのだろう。

 

 だが、晴人にとっては違った。

 ずっと手が届かなかったものだ。

 努力しても、伸びなくて、何度も失敗して、それでも諦めきれなかったものだ。

 

 その基礎に、ようやく名前がついた。

 

「……嬉しそうだな」

 

 久我が言った。

 

「嬉しいよ」

 

「もっと派手なスキルじゃなくていいのか」

 

「派手なのは後でいい。まずは、ちゃんと立てるようにならないと」

 

 晴人は訓練室の床を見下ろした。

 

 ダンジョンの中で、自分は何度も転んだ。逃げて、滑って、壁にぶつかって、這いつくばった。死ななかったのは、能力のおかげであり、地形のおかげであり、運のおかげでもある。

 

 けれど次は、それだけに頼りたくない。

 ちゃんと立って、ちゃんと動いて、ちゃんと選びたい。

 

 朝比奈が訓練室の入口から入ってきた。

 

「基礎魔力循環、取得したそうね」

 

「はい」

 

「おめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

「じゃあ、次は避ける訓練よ」

 

 晴人の笑顔が固まった。

 

「今ですか」

 

「今から」

 

「俺、今ちょっと感動してたんですけど」

 

「感動は三十秒で終わり。そもそもね、あなたはまだヒヨっ子なの。ぜんぜん遠くまで羽ばたけないんだから、感動して立ち止まってる暇なんてないのよ」

 

「名言っぽく言えば辛口でも許されると思ってませんか」

 

「ふっ、思ってる」

 

 朝比奈は笑いながら平然と答えた。

 

「まぁ、とにかく。感動するのもいいけど、その感覚を忘れないうちに行動に移した方が成長に繋がるわ」

 

 訓練室の中央に、協会の模擬戦用ドローンが運び込まれる。球体に短いアームが四本ついた機体で、低出力の衝撃弾を撃つ訓練機だ。もちろん殺傷能力はない。だが、当たれば普通に痛い。

 

 晴人は思わず久我を見た。

 

「久我」

 

「俺は止めたぞ」

 

「まだ何も言ってない」

 

「顔に『助けて』って書いてある」

 

「読まないでくれ」

 

 朝比奈が端末を操作すると、ドローンが浮かび上がった。

 

「右腕は使わない。魔力出力は二割まで。攻撃禁止。避けるだけ。三分間」

 

「三分って、長くないですか」

 

「門の中では三分なんて一瞬よ」

 

「それはそうですけど」

 

「開始」

 

「返事を待ってください!」

 

 ドローンのアームが光った。

 

 晴人の視界に、赤い線が伸びる。

 

《危険予測:衝撃弾》

 

《推奨:左へ半歩》

 

 晴人は左へ動いた。

 

 衝撃弾が訓練室の床を叩く。空気が小さく弾けた。

 

 二発目。

 

《推奨:上体を下げろ》

 

 晴人は膝を落とす。弾が肩の上を抜けた。

 

 三発目。

 

《推奨:後退不可》

 

「後ろ駄目……!」

 

 後退しかけた足を止め、逆に前へ踏み込む。衝撃弾が背後の床を叩いた。晴人はドローンの真下を抜ける。

 

 見える。

 

 危険な線が見える。

 

 けれど、身体が追いつかない。

 

 四発目は避けきれず、左脇腹に当たった。鈍い痛みが走る。

 

「いっ……!」

 

「止まらない!」

 

 朝比奈の声が飛ぶ。

 

 晴人は歯を食いしばって動く。

 

 当たった痛みに意識を持っていかれると、次の表示が遅れる。いや、表示は出ているのに、読む自分が遅れる。頭で理解してから動くのでは間に合わない。表示を見て、考えて、判断して、動く。その間に弾は来る。

 

 なら、もっと前に判断する。

 

 赤い線が出る前、ドローンのアームに微細な光が集まる。魔力の予兆。弾が撃たれる直前に、必ずそこが揺れる。

 

(表示を待つな。表示の前を見る)

 

 晴人は呼吸を整えた。

 

 ドローンの右アームに光。

 晴人は半歩ずれる。

 

 直後、赤線が表示された。

 

《危険予測》

 

 衝撃弾は、すでに晴人の横を抜けていた。

 

 朝比奈の目がわずかに細くなる。

 

 久我が小さく言った。

 

「今の、表示より先に動いたか」

 

 晴人には返事をする余裕がなかった。

 

 次。左アーム。床への反射弾。

 晴人は足を引き、身体を斜めに逃がす。衝撃が床で跳ね、訓練着の裾を掠めた。

 

 次。正面。二連射。

 一発目を横へ避ける。二発目は避けきれない。なら、完全に避けない。左肩ではなく、訓練用の保護パッドがある腰側で受ける。

 

 鈍い痛み。でも動ける。

 

《行動履歴:回避/予兆観測/被弾軽減》

 

《条件進行中》

 

 三分間は長かった。

 

 最後の一分は、ほとんど意地だった。息が切れ、足が重く、脇腹は痛み、視界の文字も少し滲んでいる。けれど晴人は倒れなかった。

 

 終了音が鳴った瞬間、ドローンが停止する。

 晴人は膝に手をついた。

 

「……三分、経ちました?」

 

「経ったわ」

 

 朝比奈が端末を確認する。

 

「被弾七。回避二十一。直撃はなし。初回としては悪くない」

 

「悪くない、ですか」

 

「ええ。予想より良い」

 

 晴人は息を切らしながら、少しだけ笑った。

 視界に表示が浮かぶ。

 

《条件達成》

 

《スキル:回避歩法 Lv.1 を取得》

 

《危険予測 Lv.1:熟練度上昇》

 

《基礎魔力循環 Lv.1:熟練度上昇》

 

《レベルが上昇しました》

 

 今度のレベルアップは、戦闘の中で得たものではない。

 訓練の末に得たものだった。

 晴人はそれが、思っていた以上に嬉しかった。

 

「朝比奈さん」

 

「何?」

 

「俺、ちょっと強くなりました」

 

 朝比奈は数秒、晴人を見た。

 それから、ほんの少しだけ口元を緩める。

 

「ええ。ちょっとだけね」

 

「ちょっとだけでも、十分です」

 

「満足した?」

 

「いえ」

 

 晴人は顔を上げた。

 息はまだ荒い。身体も痛い。けれど、目だけはまっすぐだった。

 

「もっとやります」

 

 久我が呆れたように笑った。

 

「本当に根性あるな、お前」

 

「根性しかなかったからな」

 

「今は能力もあるだろ」

 

「ある。でも、能力だけじゃ足りない」

 

 晴人は自分の左手を見た。

 表示は道を示す。危険を教える。弱点を照らす。スキルという形で、努力を残してくれる。

 だが、動くのは自分だ。

 足を出すのも、痛みに耐えるのも、怖くても前を見るのも、自分だ。

 だから、強くなる過程は飛ばせない。

 

《再評価試験:第一項目》

 

《基礎回避能力:暫定合格》

 

《次項目:模擬敵性個体への攻略指示》

 

 表示が静かに切り替わる。

 晴人は思わず瞬きをした。

 

「次、あるんですか」

 

 朝比奈が端末を操作しながら言う。

 

「もちろん。今日は再評価の初日よ」

 

「今ので終わりでは」

 

「準備運動ね」

 

「準備運動でレベル上がったんですけど」

 

「お得でよかったじゃない」

 

 訓練室の奥で、今度は四足歩行型の模擬魔物が起動した。

 久我が笑いを堪えている。

 晴人は天井を仰いだ。

 

「探索者って、大変だな……」

 

「今さら?」

 

 朝比奈の声に、晴人は笑った。

 大変だ。怖いし、痛いし、分からないことばかりだ。

 それでも、前より少しだけ強くなれるなら。

 昨日できなかったことが、今日できるようになるなら。

 この大変さは、嫌いではなかった。




次話は明日の9時に投稿予定です
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