大型犬な幼なじみと、狼な同僚に挟まれている   作:とりにく

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月曜日分の投稿です。
毎度、月曜日が来ると心底うんざりしちゃいますね。



幼馴染は俺の不調をだいたい見抜いてくる

 

その日の帰り道、俺は自分では普通に歩いているつもりだった。

 

背中が少し重い。

目の奥が少し熱い。

肩のあたりに、仕事の残り香みたいな疲れが貼りついている。

 

とはいえ、倒れるほどではない。

社会人にはよくある状態だ。

帰って、風呂に入って、適当に飯を食べて寝ればどうにかなる。

 

そう思っていた。

 

スマホが震えたのは、マンションの最寄り駅を出たところだった。

 

『晴人、もう帰ってる?』

 

陽菜からだった。

 

俺は足を止め、画面を見下ろす。

 

『帰ってる』

『今日はそのまま寝る予定』

 

そう返すと、すぐに既読がついた。

 

『じゃあ行くね』

 

俺は画面を見つめた。

 

じゃあ、とは。

 

『いや、寝る予定って言ったよな』

『だから行くんだよ』

『ご飯と、あったかいの持ってく』

 

会話が成立しているようで、していない。

 

いや、陽菜の中では成立しているのだろう。

俺が疲れている。

だから来る。

たぶん、それだけだ。

 

昔から陽菜は、俺が「大丈夫」と言った時ほど信用しない。

 

俺はスマホをしまい、小さく息を吐いた。

 

今日も俺の平穏は、幼なじみによって予定変更されるらしい。

 

 

 

 

マンションに戻り、ネクタイを緩めたところで、インターホンが鳴った。

 

早い。

 

俺はまだ上着も脱ぎきっていない。

陽菜の行動速度は、たまにワープでもしてるのかと思えるぐらい早い時がある。

 

玄関を開けると、そこには大きな紙袋を抱えた陽菜がいた。

 

「晴人、生きてる?」

 

「第一声が安否確認なのやめろ」

 

「だって顔が疲れてる」

 

「まだ顔見てないだろ」

 

「声が疲れてる」

 

「ああ、そっちか」

 

陽菜は俺を上から下まで見た。

 

明るい茶色の髪。

ふわりとした犬耳。

両腕には紙袋と、なぜか大きなクッション。

 

いや、なぜかではない。

陽菜の中ではたぶん理由がある。

ただ俺に説明されていないだけだ。

 

「……そのクッションは?」

 

「晴人を休ませる用」

 

「俺は荷物か?」

 

「疲れてる時の晴人は、だいたい荷物みたいなものだよ」

 

「ひどいな」

 

「大事な荷物」

 

「言い直せばいいってものじゃない」

 

陽菜は靴を脱いで、当然のように部屋へ入ってきた。

 

当然のように、である。

 

昔から家族ぐるみの付き合いで、部屋に来ること自体は珍しくない。

珍しくないのだが、二〇七センチの幼なじみが紙袋とクッションを抱えて入ってくると、それだけで部屋の人口密度が三割くらい上がった気がする。

 

「晴人、ソファ」

 

「命令形」

 

「いいから」

 

陽菜は紙袋をテーブルに置き、俺の背中を軽く押した。

 

軽く。

本人としては軽く。

 

だが俺は数歩進んだ。

 

「陽菜、俺は台車じゃない」

 

「今日は患者さんです」

 

「診断が早い」

 

「顔色、声、歩き方。あと、さっきから反応が遅い」

 

陽菜は指を折りながら言った。

 

「それだけで分かるのか?」

 

「分かるよ。晴人、疲れてる時は目がちょっと遠いし、返事の前に一拍空くし、歩く時に右肩が下がる」

 

「俺より俺の状態に詳しくないか?」

 

「幼なじみだからね!」

 

陽菜は得意げに胸を張った。

 

いや、張るな。

 

思わず視線が泳いだ。

 

陽菜が真正面に立っている。

俺の身長は一七三センチ。

陽菜は二〇七センチ。

 

この身長差だと、どうしても目線の行き先に問題が発生する。

 

もちろん、なるべく意識しないようにはしている。

意識し始めると身がもたないからだ。

 

だが、俺も男である。

 

目の前に大きな山脈がそびえていて、「見てません、完全に無です」と言い切れるほど修行を積んではいない。

悟りは開いていない。会社員だ。

 

しかも陽菜の場合、距離が近い。

山脈が近い。

地図上の距離感がおかしい。

 

「晴人?」

 

「何でもない。ソファに座ります」

 

「うん」

 

俺は素直にソファへ座った。

 

逃げたわけではない。

戦略的撤退である。

 

陽菜は満足そうに頷き、紙袋から容器を取り出した。

 

「今日はお粥と、野菜スープと、卵焼き」

 

「完全に体調不良メニューだな」

 

「でも晴人、こういうの好きでしょ」

 

「好きだけど」

 

「あと、あったかいお茶」

 

「用意がいい」

 

「晴人を休ませるって決めてきたから」

 

決めてきた。

 

その言葉に、俺は少しだけ黙った。

 

陽菜はこういう時、迷わない。

俺が疲れていると判断したら、もう助ける方向に動く。

頼んだかどうかは関係ない。

 

勝手だと思うこともある。

でも、その勝手さに救われたことの方が、ずっと多い。

 

「ほら、食べて」

 

「分かった」

 

俺が箸を取ろうとすると、陽菜が一瞬だけ手を止めた。

 

「食べられる?」

 

「さすがに食べられる」

 

「ほんと?」

 

「本当」

 

「じゃあよし」

 

心配性か。

 

いや、心配性なのだろう。

陽菜は普段明るいぶん、こういう時の目が妙に真剣になる。

 

俺はお粥を一口食べた。

 

温かい。

柔らかい。

味は薄めだが、疲れている体にはちょうどよかった。

 

「うまい」

 

そう言うと、陽菜の耳がぴんと立った。

 

「ほんと?」

 

「ほんと」

 

「よかった!」

 

尻尾が動いた。

 

テーブルの上の小さなリモコンが、静かに横へずれた。

 

「陽菜、尻尾」

 

「あっ」

 

陽菜は慌てて尻尾を押さえた。

 

「今日は一件目?」

 

「リモコンはまだ落ちてないから未遂」

 

「未遂ならセーフ!」

 

「その法理、前にも聞いたな」

 

「成長してるから!」

 

「成長してるなら未遂も減らしてくれ」

 

陽菜はむっと頬を膨らませた。

 

その表情を見ていると、疲れていた頭が少しずつ緩んでいく。

 

陽菜は紙袋からさらに小さな包みを取り出した。

 

「あとプリン」

 

「なぜプリン」

 

「晴人、疲れてる時プリン食べるとちょっと元気になるから」

 

「俺、そんな習性ある?」

 

「あるよ」

 

断言された。

 

俺の知らない俺の習性を、陽菜が把握している。

 

幼なじみというのは恐ろしい。

いや、ありがたいのか。

たぶん両方だ。

 

食事を終えると、陽菜は俺に大きなクッションを押しつけた。

 

「はい」

 

「何だこれは」

 

「抱えて」

 

「なぜ」

 

「落ち着くから」

 

「俺は幼児か」

 

「疲れてる大人にもクッションは効くよ」

 

妙に説得力がある。

 

俺は言われるままにクッションを抱えた。

ふかふかしている。

確かに悪くない。

 

陽菜は俺の隣に腰を下ろした。

 

ソファが少し沈む。

 

近い。

 

陽菜が隣に座ると、部屋の温度が一段上がったような気がする。

体温というか、存在感というか、とにかく近い。

 

「ちょっと顔見せて」

 

「今さら?」

 

「食べたら少し戻ったかなって」

 

陽菜がこちらを覗き込んでくる。

 

近い。

 

やはり近い。

 

そして、この角度がよくない。

 

俺はクッションを抱えたまま、必死に視線の置き場を探した。

 

顔を見る。

近い。

耳を見る。

かわいい。

尻尾を見る。

動いている。

視線を少し下げる。

山。

 

だめだ。

山脈がある。

 

大きい。

ただ単純に大きいし、柔らかそうだ。

 

いや、違う。

これは体調確認の場面だ。

邪念を挟むところではない。

俺は休まされている側であり、陽菜は心配してくれている側だ。

 

だが、状況がよくない。

 

二メートル超えの幼なじみが、隣でこちらを覗き込んでくる。

その距離で、巨大な山岳地帯が視界の端に入る。

これはもう自然災害に近い。

 

俺は悪くない。

たぶん悪くない。

いや、少しは悪いかもしれないが、全部ではない。

 

「晴人、顔赤い」

 

「お粥が熱かった」

 

「もう食べ終わったよ」

 

「余熱だ」

 

「人間って余熱で赤くなるの?」

 

「なる時もある」

 

「ほんとかなあ」

 

陽菜は疑わしそうに俺を見た。

 

やめてくれ。

その純粋な目で見るな。

心配されてるのにやましい気持ちを抱えてる俺が浄化されそうだ。

 

「熱はなさそうだけど」

 

陽菜はそう言って、俺の額に手を伸ばした。

 

大きな手が、そっと額に触れる。

 

さっきまでの内心の騒がしさが、一瞬だけ止まった。

 

陽菜の手は温かい。

指先は大きいのに、触れ方は優しい。

昔からそうだった。

 

俺が転んだ時も、熱を出した時も、落ち込んで黙っていた時も。

陽菜はだいたい、こうして近くにいた。

 

勢いは強い。

距離感はおかしい。

でも、触れ方だけはいつも丁寧だった。

 

「……熱はないね」

 

「だから言っただろ」

 

「でも疲れてる」

 

「それは否定しない」

 

「じゃあ今日はもう何もしない」

 

「まだ風呂がある」

 

「それは入って」

 

「そこは許可制なんだな」

 

「お風呂入ったら、あとは寝る」

 

「はいはい」

 

陽菜は少しだけ目を細めた。

 

「晴人、すぐ自分のこと後回しにするから」

 

「そんなことない」

 

「ある」

 

「即答」

 

「あるよ」

 

陽菜の声は静かだった。

 

さっきまでの明るさが少しだけ引いて、真剣な色が残る。

 

「仕事も、頼まれたことも、周りのことも、ちゃんとやるのはいいけど。晴人、自分の疲れを後ろに置きすぎる時ある」

 

俺は何も言えなかった。

 

否定しようと思えばできた。

けれど、陽菜はたぶん当たっている。

 

「わたし、晴人が大丈夫って言うの、全部は信じないことにしてる」

 

「ひどいな」

 

「ひどくないよ」

 

陽菜は少し笑った。

 

「だって晴人の大丈夫、たまに便利なフタみたいになってるから」

 

便利なフタ。

 

妙に刺さる表現だった。

 

俺は疲れていても、大丈夫と言う。

困っていても、まあ何とかなると言う。

前世の頃から、そういう癖があったのかもしれない。

 

一度人生が終わって、もう一度始まっても、そういう部分はあまり変わらなかった。

 

けれど陽菜は、そのフタを簡単に開けてくる。

 

「だから、たまには頼って」

 

陽菜は言った。

 

「ご飯持ってくるくらいならできるし。クッションも持ってくるし。必要なら、晴人をソファに固定する」

 

「最後だけ急に物理的だな」

 

「逃げるから」

 

「逃げない」

 

「逃げる」

 

「信用がない」

 

「実績がある」

 

実績と言われると弱い。

 

陽菜は俺の顔を見て、少しだけ柔らかく笑った。

 

「晴人が元気ないと、わたしも落ち着かないんだよ」

 

その言葉は、軽く言ったようでいて、奥の方に重さがあった。

 

俺はクッションを抱えたまま、視線を落とした。

 

陽菜は近い。

近すぎるくらい近い。

 

山脈も近い。

そこは本当にどうにかしてほしい。

 

でも、それ以上に。

 

陽菜の優しさが近い。

 

ふざけた調子で部屋に来て、勝手に飯を用意して、勝手に休ませて、勝手に心配してくる。

その全部が、俺には少し眩しい。

 

「……助かってるよ」

 

俺は小さく言った。

 

陽菜の耳がぴくりと動く。

 

「ほんと?」

 

「ほんと。たぶん、陽菜が来なかったら、今日は本当に適当に飯食って寝てた」

 

「でしょ」

 

「でもクッション持参はやりすぎ」

 

「必要だったでしょ」

 

「まあ、悪くはない」

 

「ほら」

 

陽菜の尻尾が嬉しそうに揺れた。

 

今度は、テーブルの端に置いてあった空の容器が、こつんと音を立てて動いた。

 

俺はそれを見て、思わず笑った。

 

「本日一件目」

 

「落ちてないから未遂!」

 

「未遂多いな」

 

「成長途中だから」

 

「尻尾の成長か?」

 

「制御の成長!」

 

陽菜はむっとしながらも、どこか楽しそうだった。

 

その顔を見ていると、胸の奥に残っていた重さが少しずつほどけていく。

 

俺はクッションにもたれ、息を吐いた。

 

「……少し眠くなってきた」

 

「寝ていいよ」

 

「いや、風呂」

 

「じゃあ先にお風呂。出たら寝る」

 

「陽菜は?」

 

「片づけてから帰る」

 

「そこまでしなくていい」

 

「したいからするの」

 

陽菜は立ち上がり、容器をまとめ始めた。

 

その背中を見ながら、俺は思う。

 

陽菜は、いつも俺の生活の中に当たり前みたいに入ってくる。

勝手に予定を変えて、勝手に心配して、勝手に救っていく。

 

それを迷惑だと断ち切れないのは、俺が甘えているからだろう。

 

そして、たぶん。

 

俺はその甘さを、もうずいぶん長いこと手放せずにいる。

 

「晴人?」

 

「何でもない」

 

「ちゃんとお風呂入る?」

 

「入る」

 

「倒れない?」

 

「倒れない」

 

「ほんと?」

 

「ほんと」

 

陽菜はじっと俺を見た。

 

俺は両手を上げる。

 

「分かった。風呂場で寝落ちしそうになったら声を出す」

 

「それはその前に出てきて」

 

「正論」

 

陽菜は満足したように頷いた。

 

俺は立ち上がり、風呂場へ向かおうとして、ふと振り返る。

 

「陽菜」

 

「ん?」

 

「ありがとな」

 

陽菜は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと笑った。

 

「うん!」

 

尻尾が大きく揺れる。

 

そして、ソファの上に置かれていた予備のクッションが床に落ちた。

 

ぽすん、と間抜けな音がした。

 

俺と陽菜は同時にそれを見る。

 

「……本日一件目」

 

「今のは嬉しかったから!」

 

「理由があれば物は落ちていいのか」

 

「よくないけど!」

 

陽菜は慌ててクッションを拾った。

 

俺は笑いながら、今度こそ風呂場へ向かった。

 

体はまだ少し重い。

疲れが全部消えたわけではない。

 

でも、さっきより呼吸は楽だった。

 

たぶん、陽菜の持ってきたお粥とスープとプリンと、あとクッションのせいだ。

 

それから、近すぎる幼なじみの、少し乱暴で、かなり優しい休ませ方のせいでもある。

 

俺は洗面所の扉を閉める前に、もう一度だけリビングを見た。

 

陽菜が鼻歌まじりに片づけをしている。

大きな背中。揺れる尻尾。床に戻されたクッション。

 

その光景が、妙に安心した。

 

そして同時に、ほんの少しだけ困った。

 

安心する相手に、いちいちドギマギしていたら身がもたない。

 

けれど、俺はもう知っている。

 

理性でどうにかなるなら、とっくにどうにかなっている。

 

陽菜は近い。

山脈も近い。

優しさも近い。

 

その全部に振り回されながら、俺は今日もどうにか生きている。




疲れてる時にクッションが効くのはガチ。
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