血盟騎士団の本部を飛び出した俺は、あてもなく転移ゲートを潜り、前線の街へと向かっていた。
キリトに叩きつけられた言葉が、今も頭の中で激しくリフレインしている。
『誰も死なせたくないから、最初から誰も近づけないようにしてるんだろ!?』
図星だった。俺は「みんなを守るため」という大義名分を盾にして、本当はただ、これ以上大切な人が目の前で光の粒子になって消えていく恐怖から、必死に逃げていただけだったんだ。心を機械にすれば、誰も近づけなければ、もう傷つかずに済むからと。
そんな情けない自責の念に駆られながら、前線の街の広場を歩いていた、その時だった。
「――え?」
聞き慣れた、けれど、もう二度と聞くことはないと思っていた声が、雑踏の向こうから聞こえた。
ハッとして視線を向ける。
転移ゲートの眩い光が収まったその場所に、彼らはいた。
大声をあげて周囲を鼓舞している、一回り大きく、頼もしくなった刀使いのガク。
その隣で、静かに、けれど油断のない鋭い眼差しで長槍を携えているレンさん。
チケットを確認する仕草を見せながら、二人の後ろで真剣な表情で周囲を警戒している後衛職のナナ。
「みんな……」
喉の奥から、名前が溢れそうになった。
現実世界でゲームをくだらないと切り捨て、アインクラッドの片隅で震えていたナナが、今や前線の過酷な空気に耐えうる立派なプレイヤーになっている。ガクも、レンさんも、確実にレベルを上げ、俺の知らないところで強くなっていた。
その姿を見た瞬間、愛おしさと同時に、心臓を直接 氷の刃で突き刺されたような、凄ましきパニックが俺を襲った。
(なんで……なんでお前たちがここにいるんだよ……!)
ここは最前線だ。いつ、あのラフィン・コフィンのような殺人鬼が闇から襲ってくるか分からない。いつ、悪意に満ちたトラップが発動して命を奪うか分からない、地獄の戦場だ。
カナメの、あの最期の瞬間が脳裏をよぎる。もし、ここでまた奴らが現れたら。もし、俺の目の前でガクが、レンさんが、ナナが消えてしまったら。
(嫌だ。それだけは、絶対に嫌だ……!)
「サイ!」
俺の姿に気づいたガクが、目を見開いて叫んだ。
駆け寄ってこようとするガク。レンさんも槍を少し下げて驚いた顔をし、ナナはどこか悲しげな、けれど切実な瞳で俺を見つめてくる。
本当は、今すぐ大剣を投げ捨てて、あいつらの元へ走りたかった。
「悪かった」と謝って、またあの眩しい四人のパーティーに戻りたかった。
けれど、俺の背中には、血盟騎士団の「赤と白」のマントが翻っている。俺が甘えれば、あいつらはもっと危険な前線へ踏み込んでくるかもしれない。今の俺にできる唯一のことは、あいつらをこの地獄から遠ざけることだけだ。
俺は歩みを止め、溢れそうになる感情を鉄の理性で無理やり抑え込んだ。ガクたちに向けたのは、酷く冷めた、けれど奥底で激しく震える瞳だった。
「……危険な階層には来るなよ」
敢えて突き放すような、突き刺すほど冷徹な声を、俺はかつての仲間に向けた。
「ここは、お前たちがいるべき場所じゃない」
「なっ……サイ、お前ッ!」
ガクが激昂して何かを言いかけたが、俺はそれ以上彼らの顔を見ることができなかった。これ以上顔を見たら、涙が溢れて、張り詰めた仮面が割れてしまう。
(頼むから、前線には来ないでくれ。これ以上、俺の大切なものを奪わないでくれ……!)
心の中で血を吐くような祈りを叫びながら、俺は翻る白いマントと共に、素早く転移ゲートへと歩き出し、彼らの前から遠くへと去ろうとした。
――その時だった。
パチンッ、と、頬に透き通る痛みと乾いた音が鳴り響いた。
「え……」
衝撃に視線を戻すと、目の前にいたのは、ナナだった。彼女の右手が小さく震えている。涙目で、全身で怒りを露わにしながら、彼女は俺の頬を叩いたのだ。
ナナはそのまま、俺の血盟騎士団の襟元を両手で強く掴み、引き寄せた。
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! アンタ本当に馬鹿!!」
言葉にならないような声を絞り出し、涙をボロボロと溢れさせながら、ナナは俺の胸を何度も拳で叩き、叫び続けた。
「なんでアンタが背負うのよ! あれは私のせいじゃない! なんでアンタが気負うのよ、私のせいじゃない! 何でアンタが苦しむのよ、私のせいじゃない!! ――だったら、私を攻めなさいよ! 茅場の従兄弟の私を、攻めなさいよ!!」
「ナナ……」
胸が、張り裂けそうだった。ナナはずっと、自分が身代わりになったせいでカナメが死んだと、自分を責め続けていたんだ。そして俺が孤独に戦う姿を見て、さらにその罪悪感を募らせていた。俺が一人で背負い込もうとした「優しさ」は、結果的にナナを、みんなを一番傷つけていたんだ。
「嗚呼、とびっきりの大馬鹿だ」
後ろから、大きな手が伸びてきて、俺の頭をワシャワシャと乱暴に、けれど温かく撫で回した。
蓮さんだった。彼はいつもの冷静な仮面を外し、痛烈な自嘲の笑みを浮かべていた。
「責任はお前だけの物じゃない。俺もそうだ。あの時、俺が司令塔でありながら、ナナをもっと守りきれてればこんな事にはならなかった。あの時俺が代わりになっていれば、お前はこんな風にならなかった……そう何度考えたと思う?」
「レンさん……」
そして、ガクが俺の前に一歩踏み出し、俺の両手首を骨が軋むほどの力で強く握りしめた。その目からも、大粒の涙が溢れていた。
「お前だけが責任を負うんじゃねーよ! お前が独りで前に走るたび、次はお前が死ぬんじゃねーのかって……ずっと、ずっとずっとずっと怖かったんだよ!!」
広場の雑踏の中、ガクの叫びが響き渡る。
「お前だけじゃねーよ。俺達全員馬鹿だよ。だけどな、一番の大馬鹿野郎はお前だ、サイ! なんで俺はあの時、お前の変化に気づけたのに、その手を放してしまったのか……今までずっと、自分に猛烈に腹が立ってるんだよ!」
ガクの熱い体温が、握られた手首から俺の凍りついた身体へと流れ込んでくる。
太い鎖で閉ざしていた俺の心の檻が、三人の放った言葉の光によって、音を立てて粉々になっていくのが分かった。
「だから言わせてもらう」
ガクは鼻をあきらめたようにすすり、俺の目を真っ直ぐに見つめて、最高の笑顔で宣言した。
「もう離さねえよ。この手だけはな」
夕暮れに染まる前線の街。
俺の背中で、血盟騎士団の赤と白のマントが風に揺れている。けれど、もうそこに冷たい孤独の重みはなかった。
『自分は何を持って、人間として立つか』
感情を殺して機械になるんじゃない。
どれだけ怖くても、どれだけ傷つこうとも、このバカみたいに温かい仲間たちの手を、もう二度と離さないこと。それこそが、俺がこの世界で、一人の「人間」として立ち続けるための、本当の芯なんだ。
「……ただいま」
俺の口から、ずっと言えなかった言葉が自然と溢れた。
俺の手首を握るガクの手に、そしてナナの小さな手に、俺は自分の手を強く、強く重ね返した。