アインクラッドの夜風は、どこまでも心地よかった。
血盟騎士団(KoB)の制服を脱ぎ捨て、かつての粗末な軽鎧に戻った俺は、ガク、レンさん、ナナと共に第七十六層の賑やかな宿場町を歩いていた。
「おいサイ! 戻ってきた祝いだ、今夜はレンさんの奢りで最高級のラグー・ラビットの肉を食いに行くぞ!」
「おいガク、誰が奢ると言った。……まあ、サイの復帰祝いなら、少しは財布の紐を緩めてもいいがね」
「やった! レンさん大好き!」
ガクとレンさんの軽口の応酬に、ナナが子供みたいにはしゃぐ。
数時間前まで、心が焼き切れるような狂気の中にいたのが嘘みたいだ。隣を歩く仲間の体温が、足音の響きが、システムに作られた偽物の世界のはずなのに、今の俺には何よりもリアルに感じられた。
――その時だった。
『――緊急システムアナウンス。本日22時を以て、全階層の迷宮区、および未開拓エリアの仕様が一部変更されます』
街中に響き渡る、無機質なシステムボイス。
行き交うプレイヤーたちが足を止め、一斉にメニュー画面を開き始める。前線の仕様変更。それはデスゲームにおいて、時に致命的な初見殺しの罠を意味する。
「レンさん、これ……」
俺が声をかけると、レンさんはすでに鋭い司令塔の目に戻っていた。
「ああ、始まったな。『ラフコフ』の件以降、前線のモブのアルゴリズムが狂暴化しているという噂は本当だったらしい。……ガク、ナナ、装備のチェックを怠るな」
「へっ、望むところだぜ。サイが戻ってきた今の俺たちなら、どんなエリアだって突破してやるよ!」
ガクが刀の柄を叩いて不敵に笑う。
だが、俺の胸の奥で、微かな、けれど確かな『嫌な予感』が燻っていた。
ユニークスキル『リバーサル・コード』を会得したあの孤立無援の闘技場。そして、カナメを奪ったラフィン・コフィンの冷酷な刃。あの時感じた不条理な世界の悪意が、この仕様変更の裏側で鎌を首筋に突きつけているような、そんな錯覚。
「サイ?」
ナナが俺の顔を覗き込んできた。その瞳には、もう怯えはない。俺を信じ、共に歩むと決めた強い光がある。
「……いや、なんでもない。行こう、レンさん。俺たちの連携、鈍ってないか試させてくれ」
「ふっ、いいだろう。俺の指示に遅れるなよ、大剣使い」
俺は大剣のグリップを強く握りしめた。
キリト先輩に言われた言葉が蘇る。――お前が無茶すると、絶対にお前の仲間も無茶をする。
だったら、俺の役割は一つだけだ。
一人で突っ込んで敵を壊滅させる破壊兵器になるんじゃない。レンさんの指揮の元、ガクの死角を補い、ナナの盾となり、全員で生きて次の階層へ進むための「絶対の楔」になる。
「ゲート、オープン。第七十六層、迷宮区!」
レンさんの掲げた転移結晶が眩い光を放ち、俺たちの身体を包み込む。
光の向こうに待つのは、さらなる地獄か、それとも現実への希望か。
カナメの遺志を刃に宿し、仲間と手を繋いだサイの、本当の「攻略戦」が幕を開ける。