第七十六層の迷宮区は、これまでの階層とは一線を画す、不気味な赤黒い粘岩に覆われた迷路だった。
システムアナウンスがあった通り、エリア全体の仕様が書き換わっている。壁の隙間から染み出す蒸気、視界を遮る赤暗い霧。そして何より、ポップするモンスターの気配が、これまでとは比較にならないほど狂暴だった。
「――来るぞ! 前方から3体、新種の蜘蛛型(スパイダー)モブだ!」
陣形の中央から、レンさんの鋭い指揮が飛ぶ。
「ガクは左の個体のタゲを取れ! ナナはガクのサポート、防御バフを維持! サイ、右の2体を受け止めろ、俺が中央から遊撃に入る!」
「了解ッ!」
俺は一歩前に踏み出し、大剣を低く構えた。
突進してくる巨大な蜘蛛型モンスター。その動きはシステム変更のせいか、不規則で異常に速い。硬直の大きい大剣では、まともに振り回せば一瞬で懐に潜り込まれる。
(だけど、今の俺は一人じゃない)
「キシャアアアッ!」
蜘蛛の鋭い前足が、鋭利な槍のように俺の胸元へ突き出される。
「『リバーサル・コード』――ッ!!」
俺はあえて大剣を振るわず、最小限の動きで相手の打撃の「軌道」に剣の腹を合わせた。ユニークスキルが発動し、超高速の反転運動が駆動する。
ズンッ、と重い衝撃波が走り、蜘蛛自身の突進威力がそのまま反転して奴の巨体を激しく弾き飛ばした。
「今だ、ガク!」
「おうりゃあああッ!」
俺が作った完璧な隙を見逃さず、左側からガクの刀が鋭い弧を描いて蜘蛛の結合部を深く切り裂く。同時に、ナナの詠唱した支援光線がガクの刀身を包み、攻撃力を跳ね上げていた。
「仕上げだ、サイ!」
中央からレンさんの長槍が電光石火の連続突きを繰り出し、もう1体の動きを完全に止める。
その横をすり抜けながら、俺は大剣を大きく振りかぶった。仲間が繋いでくれた、最高のお膳立て。
「はああああっ!!」
一閃。重厚な斬撃音が迷宮区に響き渡り、2体のモンスターは同時に、綺麗なポリゴンの破片となって爆発霧散した。
「ふぅ……。仕様変更って聞いてビビってたけど、いいじゃん! サイのカウンターから俺らの連撃、完璧に噛み合ってるぜ!」
ガクが刀をサヤに収めながら、嬉しそうに俺の肩を小突く。
「ああ。サイが前線維持に徹してくれるおかげで、こちらの攻撃効率が劇的に上がっている。……本当に、強くなったな」
レンさんも満足そうに頷いた。
仲間と呼吸を合わせ、互いの隙を補い合って勝つ。血盟騎士団で心を機械にしてモンスターをなぎ倒していた時とは、比べ物にならない充実感が胸を満たしていた。
「ありがと、みんな。……でも、油断はできないよ。アルゴの噂だと、このエリアの奥には――」
俺が言葉を続けようとした、その時だった。
カツン……、カツン……。
迷宮区の奥、赤暗い霧の向こうから、モンスターの足音とは明らかに違う、規則正しい「ブーツの音」が響いてきた。
俺たちの身体に、あの時と同じ、総毛立つような悪寒が走る。
霧を割って姿を現したのは、一様に身に纏う不気味な黒いフード付きのマント。その数は三人。
「ひゃはは、見ぃつけた。血盟騎士団の制服を脱ぎ捨てたっていう『リバーサル・コード』の使い手さんよぉ」
「団員じゃなくなったなら、もう誰も守ってくれないよなぁ? 寂しいだろうから、俺たちが一足先に、あの世の細剣使いのネエちゃんの元へ送ってやるよ」
「……っ、ラフコフ……!」
ガクが歯を剥き出しにして刀の柄を握りしめる。ナナの顔からサッと血の気が引いていくのが分かった。
カナメを奪った、最悪の殺人ギルド『ラフィン・コフィン』の残党。仕様変更の混乱に乗じて、俺たちを、いや、俺を明確に狙って待ち伏せていたのだ。
過去のトラウマが脳裏をよぎり、一瞬だけ視界がブレそうになる。
だが、その瞬間、俺の左手首をガクの手が、右手首をナナの手が、背中をレンさんの気配が、ガチリと支えた。
『もう離さねえよ、この手だけはな』
あの日、みんなが俺にくれた言葉が、胸の奥で爆発的な熱量に変わる。
キリト、見ててくれ。俺はもう、一人で無茶して仲間を巻き込むような大馬鹿野郎じゃない。
俺は大剣を引き抜き、ラフコフの悪意を正面から睨み据えた。
「レンさん、指示を」
俺の静かな、けれど揺るぎない声に、レンさんがフッと不敵な笑みを漏らす。長槍の穂先が、真っ直ぐに黒フードの男たちへ向けられた。
「……行くぞ、お前たち。過去の因縁を、ここで完全に断ち切る! 迎撃陣形、サイを起点に突撃せよ!」
「「「おおおおおッ!!」」」
カナメが遺してくれた絆の刃を胸に、俺たちは大切な未来を守るため、最悪の悪意へと向かって迷いなく飛び込んだ。