――それは、本当に唐突な悪夢だった。
四人とカナメ、合わせて五人のパーティーは順調にレベルを上げ、いよいよ最前線……攻略組の背中が見えるところまで足を踏み入れようとしていた。
その日、僕たちは次の階層へと続く、薄暗い迷宮区の未開拓ルートを慎重に進んでいた。
「なぁレンさん、この先のエリア、なんか妙に静かすぎねえか?」
ガクが愛刀の柄に手をかけながら、眉をひそめる。
俺たちのパーティーの司令塔である蓮さんは、長槍を低く構え、油断なく周囲の闇を睨み据えた。
「ああ、気を引き締めろ。モンスターのポップ(湧き)とは違う気配がする。……ガク、サイ、前に出るなよ。カナメはサイの斜め後ろ、ナナは俺の後ろだ。陣形を崩すな」
的確な蓮さんの指示。僕は重い大剣のグリップを握り直し、指示通りに隣のカナメへ視線を送った。カナメは小さく頷き、細剣を抜く。
その直後だった。
通路の奥、そして俺たちの背後の影から、ゆらりと複数の影が立ち現れた。
そのアバターたちを見た瞬間、全身の血が凍りつくような悪寒が走った。
一様に身に纏う、不気味な黒いフード付きのマント。そして、その下からのぞく、狂気と愉悦に歪んだ笑み。
「ひゃはは! 運がいい。小綺麗なパーティーが迷い込んできたぞぉ」
「おいおい、そこの大剣持ち……いい装備してるじゃねえか。置いてけよ、お前らの『命』と一緒になぁ!」
――殺人ギルド『ラフィン・コフィン』。
プレイヤーを殺すことを何とも思わない、このデスゲームが生み出した最悪の悪意の集団。
「奇襲だ! 慌てるな、迎撃陣形!」
瞬時に蓮さんの鋭い怒号が飛ぶ。
「ガクは左、サイは右の敵を止めろ! 俺が中央を維持してナナを守る! カナメはサイのサポートに回れ、深追いするな!」
「おうっ!!」
蓮さんの完璧な指揮に合わせ、凄惨な乱戦の幕が上がった。
奴らの攻撃は、これまで戦ってきたモンスターとは根本的に違っていた。隙を突き、死角から執拗に刃を滑り込ませてくる、対人戦闘に特化した冷酷な動き。
「死ねやぁ!」
黒フードの男が、禍々しい戦斧を俺の脳天目がけて振り下ろす。
硬直の大きい大剣では、防ぎきれない――そう判断した瞬間、俺の奥底で、あの闘技場で会得した希少なユニークスキルが駆動した。
「――『リバーサル・コード』!!」
僕の身体が、システムアシストを超えた超高速の「反転」運動を始める。
本来なら受け流せないはずの敵の刃を、大剣の腹で完璧に弾き返し、逆にその威力を相手へと『反転』させて吹き飛ばした。
「ガァッ!? なんだこのスキルは……!?」
「サイ、ナイス! たああああっ!」
蓮さんの指示通り、俺のすぐ後ろに控えていたカナメの細剣が、弾かれた敵の隙を逃さず電光石火の三連撃を突き刺す。敵のHPバーが大きく削れた。
左翼ではガクが吠えながら刀を振るい、中央では蓮さんの槍が、冷徹な精密さでナナを狙う刃を次々と弾き飛ばしていく。
蓮さんの冷静な指揮の元、俺たちは完璧に連動していた。泥臭く、けれど死に物狂いで、奴らの圧倒的な悪意に抗えていた。
(いける……! レンさんの指示通りに動けば、このまま押し返して、みんなで生き残れる……!)
だが、ラフコフの悪意は、俺たちのそんな規律正しい連携すらも、一番不条理な形で打ち砕いた。
「ハハハ! 前衛がどれだけ頑張っても、そっちの『隙』はガタガタだぜ?」
背後から響いた、別の男の不気味な声。
ハッと振り返った僕の視界が、まるでスローモーションのように引き延ばされる。
防戦一方だったはずの別の黒フードが、連撃の最中だった蓮さんの槍のわずかな隙――その一瞬の死角を突き、あろうことか、後衛でポーションを構えていたナナへと刃を向けたのだ。
「しまっ――! ナナっ!!」
完璧な指揮を執っていた蓮さんの顔が、初めて恐怖に歪む。槍を引き戻すのは間に合わない。ガクも、俺も、それぞれの敵に阻まれて手が届かない。
「ナナちゃん、危ないっ!!」
叫んだのは、カナメだった。
ナナの前に飛び込んだのは、誰よりも近くで俺のサポートに回っていた――そして、フェンシングのステップで最も身軽に動けた、カナメだった。
「あ――」
肉体が肉体を貫く、嫌な、鈍い音が迷宮区に響いた。
ラフコフの愉悦混じりの笑い声と共に、無慈悲に、深く、冷酷な刃が、ナナを庇ったカナメの華奢なアバターを真っ直ぐに貫いていた。
「カナ、メ……?」
僕の口から、掠れた声が漏れる。
「――サイ……っ」
それが、彼女の最期の言葉だった。
僕を見つめるその瞳から、急速に光が失われていく。
次の瞬間、俺の手が彼女に届くより早く――カナメの身体は、無数の光の粒子となって激しく砕け散り、二度と戻らない虚空へと消え去った。
ガクの絶叫が聞こえた気がした。指示を出し損ねた蓮さんの、痛恨に満ちた呻きが聞こえた気がした。ナナの悲鳴が響いた気がした。
けれど、僕の耳にはもう、何も届かなかった。
全員で、生きて帰る。
サイ自身も、絶対に無事でいる。
あの夕暮れの光の中で交わした、二つの約束。
どれだけ強くなっても、どれだけ完璧に蓮さんが指揮を執って戦っても、理不尽な悪意の前には、そんなものは何の意味もなさなかった。
「あああああああああああああああああああっ!!!!」
その瞬間、俺の中で「守られる側で、ただ奪われるだけだった少年」は完全に死んだ。
脳の回路が焼き切れるような怒りと、底知れない喪失感が、俺の肉体を突き動かす。蓮さんの「引くな、陣形を維持しろ!」という制止の指示すら無視し、俺は感情のままに大剣を振り回した。ユニークスキル『リバーサル・コード』を限界を超えて狂気的に発動させ、突っ込んでいく。
狂ったように吠え、凄まじい質量で迫る俺の剣に、ラフコフの連中さえも本物の恐怖を抱いたように、捨て台詞を残して闇の中へと退散していった。
静寂の籠った迷宮区。
地面には、カナメが使っていた細剣だけが、ぽつんと転がっていた。
俺はそれを拾い上げることもできず、ただ、光の粒子が消え去った虚空を見つめて、立ち尽くしていた。
完璧な指揮があっても守れなかった。圧倒的な力がなければ、大切なものは一瞬で奪われる。
俺の心には、もう二度と修復することのない、真っ黒な深い闇の檻が完成していた。