ある日、第七十五層の主街区『コリニア』の闘技場で、前線の誰もが息を呑む決闘(PvP)が行われた。
対峙していたのは、血盟騎士団の団長であり、神聖剣の使い手である『ヒースクリフ』。
そして、突如として前線に現れた、黒の剣士――二刀流の『キリト』。
これまで何度か二人を目にしたことはあった。だが、限界設定(ファースト・ブラッド)で行われたその戦いは、今の俺がどれほど命を削ろうとも届かない、「格の差」を嫌というほど思い知らされるものだった。システムアシストを超越した二刀の猛撃と、それをミリ単位の狂いもなく弾き返す神聖剣の鉄壁。
それを見た瞬間、俺の胸の奥で、どす黒い焦燥感が弾けた。
(足りない。全然足りない。あんな次元の強さがなければ……ラフコフの悪意から、カナメを守ることなんて、最初から出来っこなかったんだ)
それからの俺は、完全に狂った。
モンスターを倒す。
モンスターを倒す。
モンスターを倒す。
モンスターを倒す。
モンスターを倒す。
血盟騎士団の赤と白の制服を血と泥に染めながら、最前線の迷宮区に籠もり続けた。
どれだけ剣を振るっても、どれだけ名前が売れても、虚しさだけが俺の中に留まり続ける。心に空いた穴から、冷たい風が吹き抜けていく。
それでも、モンスターを倒す。
どれだけ自分が精神的に弱く、不器用であっても、この世界は非情なまでに「経験値」が物を言う世界だ。レベルを上げ、数値を上げ、圧倒的なステータスという暴力を手に入れなければ、また誰かが消える。
倒す。倒す。倒す。倒す。
「邪魔だ! 邪魔だ邪魔だ! 俺の邪魔をするな!!」
眼前に現れる野良のモンスターを、ユニークスキル『リバーサル・コード』の反転衝撃と共に、原型が残らないほどに叩き潰す。ただひたすら前だけを見て、狂犬のように突っ走る俺の姿は、ギルド内でも浮き上がっていた。
そんな俺の前に、一人の女性が立ちはだかった。
血盟騎士団の副団長であり、かつてカナメと同じ細剣を駆る閃光の『アスナ』。
「そこまでにしなさい、サイ! あなた、ここ数日まともに宿に戻ってないでしょ!? 一度安全圏に戻って、休みなさい。これは副団長命令よ!」
口酸っぱく、けれど明確にこちらの身を案じて言ってくるアスナ。その真っ直ぐな瞳が、かつてのカナメと、そして俺を突き放したガクたちの優しさと重なって、猛烈に脳の髄が逆立った。
うるさい。
休んで何が変わるんだ。
この理不尽な世界が存在し、茅場晶彦が頭上でお前たちの命を弄んでいる限り、休んだって何も変わりはしないんだ!
「横槍突く暇あるなら――そこをどけ!!」
俺が憎悪を剥き出しにして大剣の石突きで地面を叩いた、その時だった。
「サイ君」
背後の通路から、低く、全てを見透かしたような鉄の声が響いた。
振り返ると、いつの間にかヒースクリフ団長が、その大盾を携えて佇んでいた。
「君がそんなに働きたいというのなら、条件を出そう。……そこにいるキリト君とPvPをして、君が勝てたら、好きなだけ前線へ行かせてあげよう」
団長の言葉に、隣にいたアスナが鋭く声をあげる。
「団長!? 何を言っているんですか! 今のサイは正常な精神状態じゃ――」
「構わないよ」
アスナの言葉を遮ったのは、いつの間にか団長の斜め後ろに立っていた、黒の剣士だった。
キリトは背中に背負った二振りの剣の柄に手をかけることもせず、前髪の隙間から、酷く静かな、けれど射抜くような瞳で俺を見ていた。
そして、ぽつりと呟いたんだ。
「……分かるよ。気持ちは」
――分かる?
お前に何が分かる。二刀流なんて特別な力を与えられ、チヤホヤされているお前に、目の前で大切な幼馴染を肉塊にされ、光の粒子に変えられた俺の、この地獄のような狂いそうな気持ちが、お前に分かってたまるかよ!!
「ふざけるな……ッ!!」
俺の脳内で、何かが完全に弾け飛んだ。
怒りと、悲しみと、行き場のない拒絶が爆発する。
「キリトォォォッ!! 剣を抜け!!」
俺は真っ赤に染まった視界の中で、カナメの細剣のデータが眠る大剣を激しく引き抜き、黒の剣士へと突っ込んだ。