「ステディラン。悪いが、頼んだぞ」
私は黙ってうなずいた。トレーナー、何も悪いことなんか。
10、11、12――。2000の標識を通過してポジションは予定通り。
逃げウマの後ろについて、音を上げさせる。こいつを沈めればあの子が差し切る。スパークフレアならできる。鼓動と呼吸を確かめる。いつもと変わらないペース。心を静めて芝を蹴る。早まるな、気持ちを抑えろ。気取られると後が苦しくなる。今日は絶対に後ろを確認しない。走る前から決めていた。見なくてもあの子は来る。
問題は前。元から器用なタイプじゃない。できることをやる。自分からスタイルを崩すな。トレーナーの教えだ。これが唯一の勝ち筋。私にもっとスタミナがあれば、一回くらいはメインレースで走れたのかも。
最初のコーナーだ。隊列はほぼ決まった。スタンドに背を向けられる、一番楽な区間。気も抜けやすい。そうも言ってられない。前に楽逃げはさせない。だけど、かかるのもやめてほしい。付いてきてるだけ、そう思わせるのが理想。つまり……私がいつも通りならそれでいい。
10、11、12――。向こう正面に入った。表情を引き締める。
後ろめたさが脚を重くするかと思った。……軽い。秋のひんやりした風が尾を流す。3番手以降が仕掛ける気配もない。好都合。このまま逃げウマの脚を削る。1000を通過して60をわずかに切る。大丈夫、やれる。
前との差が詰まってきた。息を入れたいのだろう、そうはいかない。こちらのペースを押しつける。前が一瞬こちらを振り返った。対戦経験のある相手だ。私が先にバテる、そう思ったはず。正しい予測だ。こちらはバテても構わない。そこで向こうは読み違える。浅く息を吸い込む。慣れた土の匂いだ。熱を吐き出し、冷えた血を巡らせる。
もっと隊列を長く。ウマ込みをバラけさせたほうが来やすいはず。夏合宿の併走では、3歩と待たずに置いていかれた。あの末脚を大舞台で。
一瞬、鼓動が高まった。歯がゆい。このペースが限界だ。フレアは引き離しても上がってくるが、私が持たない。前を見据える。主導権を握っているのはあの逃げウマ。まだだ。4コーナーまでやってやる。
3コーナー。800。前のウマを……かわした。早まったか? いや、相手が遅くなっただけ。ならもらっておく。鼓動も呼吸も変わらない。目印がなくなった。でもやることは同じ。
自然体で走ると、こんなに楽だったのか。もう1ハロンよけいに走れそうだ。勝たなきゃ、そういう意識を手放したことで、力が抜けていた。発見なんだけど、活かす場はない。……だからみんなアドバイスしたくなるのか。力を抜け。練習通りにやれ。 ……なんて。
4コーナー。最後のコーナー。食いしばってラチに張りつく。外にふくらんではダメだ。歓声が聞こえる。後ろに向けられたもの。まだ遠い。でも末脚で変わる距離。このまま、終いまで。
直線。どこを走ってもいい。緩めさえしなければ。追撃を許すのは一人。他は振り切る。
体が軽い。自己ベストかも。
ライブ、隣に立てるかな。
あ、ゴール板。
……なんで誰も上がってこない? 待て、今何秒だ?