「知らない天井だ」
目が覚めたら
見慣れない布団から起き上がり、狭隘でボロいアパートといった趣の室内を物色した。
ようやく見つけた安紙の無愛想なカレンダーに載っていた西暦は1999年。
もう、冬月先生とは出会った後なのだろうか。
現状、自分が何者なのかは不思議とはっきり見えてきた一方で、マダオ以前の自分についての記憶のすべてが存在しない。
他方で、自分が本来ならば決して、こんな特別な人間なんかじゃないことも重々承知しているという不思議。
ましてや、これが物語の中の話だなんてことを淡白に外から眺めているような感覚さえ同居している。
『私』は何者なのか、それはさて置いておこうか。
なにせ、今は
「腹が減った…」
1999年。某日A。
財布の中身は三千円。何となく立ち寄った居酒屋。まだ昼間だというのに酒を頼んだのが悪かったのか、因縁を付けられた。
生まれて初めて喧嘩をして、生まれて初めて殴られた。少なくともマダオの中身の『私』は。
挙句の果てには、警察のお世話になってしまった。
お通しで出された冷奴が冷凍の奴だったようで、半解凍の硬い奴が私の頭に直撃したのだ。
私は石頭ではなかったようで、出血したりで大事になった。
誰が呼んだか、お巡りさんがやってきて仲裁されたのだが、悪いのは私ということになってしまい今に至る。
まぁ、人相が悪いことは認めるほかないので、素直に署に連行されていった。
ただ、その後は調書にも殊勝な態度で応じたので、思ったよりも警官が親身になってくれて心強かった。
とはいえ、特に問題なしとされた後で、身元引受人の指定を望まれた時は答えに窮してしまったのだが…。
結局、ここは『原作』にタダ乗りして冬月先生に御足労を願おうか。
1999年。某日B。
あれからしばらく、マダオとしての人生にも慣れてきた頃。
専ら冬月先生のお世話になりながら、周囲ともつかず離れずでお付き合いをしながら上手くやっていた。
一人でいる時間が多かったり、親族の所在が不明だったりと諸問題にはぶち当たったりしたものの、それも冬月先生が助けてくれた。
冬月先生ってゲンドウにここまで優しかったっけ?とは思わなくもないが。
ゲンドウの優秀な頭脳の御蔭も相増さり、また冬月先生の推薦もあったりで奨学生として大学生活を送っていた。
そんな折に、大学の食堂でばったり彼女と出会った。
そうだ、碇ユイに。
今の私は六分儀ゲンドウらしいので、このまま彼女との接点がなくなれば碇姓になることはないだろうな、なんてことを考えていた。
上の空で、始終、彼女から話しかけられていたのを聞いた。
どうにも、彼女は冬月先生のお気に入りだと噂の私に興味があったらしい。
らしい、というのは彼女から直接きいたからだが、それでも確証は持てないからだ。
だって考えてもみろ、旦那も息子も残して、人類のすべてを遺すためにポッと消えちまうような女だぞ?
そんな
あくまでも、つもりでしかなかったことを知るのは、もう少し先の話になるのだが…。
1999年。某日C。
冬月先生に誘われて山登りに向かったら、何故か碇ユイもいた。
いや、何故だね。
冬月先生曰く、彼女は私と交際しているのだそうだ。
いや、なんだそれ、私は初耳なんだが…そうか、私たちは交際していたのか…。
って、納得するわけないだろう?
なんなのだこの女は。
考えてみればあの日、大学食堂で会ってからというもの矢鱈と方々で出くわすなとは感じていたが…これ、本来なら逆のシチュエーションなんじゃないか?
どう考えても矢印の方向は『マダオ』から碇ユイへの方が大きかっただろうに。
変な執着をされたものだな…にしても、冬月先生…貴方もどうかそれで納得しないでくれませんか?
何が「お似合いのアベックだな」ですか。
『原作』の貴方なら絶対に言わなさそうなことを、よくもまぁ…。
そんなこんなで、私たちは三人で山登りをした。
普通に楽しかったし、いい運動になったと思う。私の将来はほぼ確定で研究職だからな、遠からず腹が弛みそうで心配だ。いや、『原作』のマダオは瘦せてたっけな。
端折りが酷いって?
それもこれも根負けして交際を否定できなかった私の過失である。
休み明けの大学で友人たちから祝福を受けた時は何事かと思ったが、最早完全に既成事実として私と碇ユイの交際が知れ渡ってしまっていて、そのことで「よくやった」ということだったらしい。
驚くべきことに、あの女は山登りの以前から交際関係について周囲にほのめかしていたらしい。
あの山登りの日がターニングポイントだったらしく、あれ以降は完全に鴛鴦夫婦扱いである。
にしても…これ、『原作』からの乖離が既に始まってないか?
『私』はまだ特別何かを変えようと動いた覚えがないんだが。
うーん…まぁ、いっか。
なるようになれ、だな。
なにもかも明日の私に投げることにしよう。
2000年。某日A。
何だかんだで順調に大学を卒業して、そのまま就職したまではよかった。
向こうから働き口が来た点は正直ありがたかったし、よかったのだが…ここでも碇ユイに引っ張られてしまった…。
まんまと彼女と同じ職場、なにやら怪しい秘密結社的なところに引きずり込まれてしまった。
彼女との関係は今も変わらずだ。
相変わらず、こんな男の何がいいんだか。
どうにも重たい感情を向けられているような気がしてならない…が、今のところ同衾は許していない。
まだ、という注釈がつくかもしれないがな。
私も男であるし、彼女のように美しい(しかし危険である)女性から迫られるのはまんざらでもないのだが…。
それはさておき、仕事の話をしよう。
今の仕事は…あー…世の中をー…えー…世界を救うための仕事をしている。うん。
まぁ、要するにロンギヌスの槍でアダムをチクッとしちゃおう大作戦を計画中なのだ。
その過程で葛城博士と葛城ミサトに出会った。
うーん?これは私の気のせいだろうか。ひじょーに馴れ馴れしいのだが。主に葛城親子が。
南極調査団を組織するにあたって、私も当然その名簿に名前が載っているわけだが…職場が同じにしたって、それだけにしては親しげ過ぎるよなぁ。
ふむ…なるほど?冬月先生から私のことは詳しく聞いていると?非常によく出来た人間だと?
ふ、ふう…あー、つまりは、なんだ、冬月先生ぇ!あんた、余計なことを思いっきりしちゃってるじゃないか!
く、くそう、これでは『原作』通りにこの人を死なせることなんて、『私』にはできそうにないぞ?
う、うーむ…それにしたって冬月先生をはじめ、碇ユイや葛城親子からの好感度が高すぎる気がするのだが。
これは私の気のせいだろうか…。
本当の本当に、私はまだ何も、何も能動的な行動に打って出てはいないのだが…。
…考えても仕方がない、か。
今はとりあえず仕事に集中しよう。幸い、今の『私』の頭脳は非常に出来がいいらしいからな。
以前だったら理解できないはずの難解な理論でもちょちょいのちょいである。
いや、言い過ぎた。流石にそこまでではない。
ただ少しだけ、周りに優秀な人間が多く固まっているので、彼らに仕事を押し付けるのが上手なだけである。
ついでに、組織の潤滑油として功績を積むことも得意な分野かもしれない。
同僚間のディスコミュニケーションを解きほぐすだけで私に割り振られた分の仕事を押し付けられるのだから、安いもんだぜ。
はぁ…それにしたって、南極調査の日が刻一刻と近づいてきてるのは憂鬱の極みだ。
今の私は確かにマダオだが…それでも、『私』に葛城親子や他の同僚たちを見殺しにできるというのだろうか…。
それだけが、不確かで、不安だ…。
2000年。某日B。
『私』には、できなかった。
色々と難癖をつけて非常用シェルターを予定の十倍以上作らせたし、アダムを還元する際には避難誘導を買って出たし、そもそも前日、12日に帰ることができなかった。
今の私は…生きてはいる。
ただ、重傷を負ってしまった。幸い髪は無事だがね。
背中と腹部と脚と腕、それから顔面に酷い裂傷と火傷が遺る羽目になった。
でも…それでも、生きている。私は生きているんだッ…。
私だけじゃない。私は最後に避難したからこのザマだが、私以外の葛城調査団は全員無事である。
いや、負傷者も多いが…それでも、誰一人として欠けることなくアダムの還元に成功したのだ。快挙と言って差し支えないだろう。
とはいえ、セカンドインパクトは起きてしまった。それは紛れもない事実だ。
これを防ぐ手立てがあればよかったのだが…前世より多少は優れた私の灰色の脳みそをもってしても、私よりも遥かに賢い世間の賢人たちの叡智をもってしても。
それだけは叶わなかったのだ。
だから、今はとりあえずセカンドインパクトからの生還を素直に喜ぼうと思う。
来年には、妻の念願だった子供も生まれることだしな…。
それにしても…まさか『私』が自己犠牲系主人公染みた行動に打って出るとは思いも寄らなかったなぁ。
全く以て意外である。
まぁ、自己陶酔の暇なんてなかったし、ただ必死に業務上必要なことをしたまでだという感覚が強いのだけれども。
そうは言っても、である。よくやった、『私』。
目の前で泣かれるのは心苦しいが、救出されてすぐさま、お互いに生きた状態で葛城親子と同僚たちと再会できたことは、私にとって何物にも代え難い幸福と安堵を感じる瞬間だったよ。
安心しすぎて、ちょぴっと涙が出てしまったがね。
コロンと転がり落ちる涙を、自分が流したものだと認識するまで少しだけ時間が必要だった。
それだけ必死だったということかな…でも、その価値はあったはずだ。
とはいえ、これで終わりじゃないからな。私はまだまだ忙しい。
回復したらすぐにアダムの存在を知ってしまった葛城調査団が、あの怪しげな秘密結社に害されたりしないように取り計らわなければ。
まぁ、これに関しちゃほとんど奥さん頼みなんですけどね?
それでも、まぁ早晩殺されることはないだろうなぁ…なにせ誰もが優秀な科学者だし、今後の世界には必要不可欠な人材ばかりだ。
そんな楽観主義的な予測を立てつつ、私は鎮痛剤が齎す眠気に身を委ねたのだった。
2001年。某日C。
体がすっかり回復してからすぐに、積もりに積もった仕事に掛かりきりだったのだが、ふとした瞬間に見流していたテレビに孤児についてのドキュメンタリーを見たことで、私の時間は再びあらぬ方向へと動き出したように感じる。
白衣を脱いで、一張羅を着込んでコートを羽織り、身重の妻には何も言わずに旧東京の孤児院を訪ねた。
劣悪な環境で、それでも命をつないでいる子供たちの為に、出来るだけの処置がなされていることは重々承知の上で、私はそこから孤児を二人だけ引き取ってきた。
ピシっとした外見がやはり功を奏して、引き取るまでの手続きはすんなりと進んだ。
一つだけ、新たに知ったことがあったとすれば、それは『私』の知らない名前の一つが旧東京の戸籍欄に刻まれていたという事実である。
引き取った孤児の二人は兄弟で、加地リョウジと加地リョウスケと言った。
セカンドインパクトという世紀末的な大災厄があった後にもかかわらず、我が家の家計は非常に裕福だったからこそ可能なことだとは理解しつつ、私は職場からほど近い地方に、妻といずれ生まれるであろう息子と一緒に暮らす家とは別の、借り家を一軒確保した。
孤児院もパンク寸前だったのだ。一人でも二人でも減るならこれ幸いにとばかりに、その日のうちに二人を引き取ることができた。
引き取ったその足で、私は子供たちに新しい衣服を買い与え、借り家で風呂に入れ、一緒に夕飯を囲んだ。
そして、二人に私には家庭があり仕事も忙しいので家に帰ってくるのは数日おきになることと、生活費を振り込みとは別に現金でも置いていくのでそれで生活するようにと、また無理にご近所づきあいはしなくていいから防犯にだけは気を付けるようにと、そう随分と酷なことを一方的に宣った。
それから、歯を磨いた二人が新品の布団に入り、眠りに落ちるのを待ってから私は家を出た。次に来るのは明後日か週末になるだろう。
夜道を車で走り、深夜に職場に戻った私は孤児院の状況改善の為のマルドゥック機関設立に掛かる議案書を一本書き上げてから職場を後にした。
職場を出て車を走らせていると、朝日が早送りの連続写真のような勢いで昇るのを感じた。
その日、私は生まれて初めて朝帰りをした。
私は、妊娠してから半年を超えた妻にはこっぴどく叱られるものと考えていた。
だが、彼女は私の顔を見て微笑むと、ただいつも通りに「おかえり」と言ってくれた。
ただ、それだけだった。
それからさらに数か月後のこと、2001年6月6日に私たちの子供は無事に生まれた。
名前はシンジ、碇シンジだ。
主人公である、言うまでもないことだが。