『常闇を穿つ影の王(シャドウ・ブレイズ)』 作:トート
最下層の街「シャドウ・スクエア」を立ち上がったハルトが最初に目指したのは、天空城へと昇るための唯一の巨大昇降機(エレベーター)が存在する大門都市――『ゲート・シティ』だった。
ここは最下層とは打って変わり、皇帝の恩恵である『聖光石(ルクス)』の光が隅々まで行き届いた、きらびやかで美しい近代的な都市だった。街を行き交う人々は誰もが上質な衣服を纏い、例外なく満面の「笑顔」を浮かべている。一見すれば、誰もが幸福を享受する理想郷(ユートピア)そのものの光景だった。
しかし、ハルトが一歩街に足を踏み入れた瞬間、彼の本能が猛烈な警鐘を鳴らした。
「……気持ち悪りぃ街だな」
ハルトの足元で、彼の意志と共鳴するように、影が不気味に、そして鋭く波打つ。
街の人々の笑顔は、どこか不自然だった。まばたきの回数が異常に少なく、瞳の奥に生気というものが一切存在しない。ロボットのように正確な足取りで、ただ「幸せだ」「皇帝陛下に感謝を」と、同じ言葉を機械的に呟きながら歩いている。
彼らの頭上、街の中央広場には、巨大な時計塔のような形をした魔導兵器『洗脳の灯台(メンタル・チューナー)』がそびえ立っていた。
その頂点から放たれているのは、うっすらとピンク色に濁った、街全体を包み込む「聖天の光」。
それは人々の脳波や精神の波長を光の力で強制的に調律し、悲しみや怒り、疑問といった「不都合な思考」を完全に消去して、強制的に笑顔の奴隷へと作り替える、最も悪趣味な精神支配兵器だった。
「侵入者を検知。不適合遺伝子、および未登録の『影』を確認」
突如として、街のスピーカーから冷徹な機械音声が響き渡った。
それと同時に、さっきまで穏やかに笑っていた市民たちの動きがピタリと止まる。彼らは一斉に首をギチギチと不自然な角度で回し、虚ろな笑顔のまま、ハルトへと視線を固定した。
「エデンへの、反逆、許さない」
「光に、従え。笑顔に、なれ」
市民たちが懐から護身用の光線銃やナイフを取り出し、まるでゾンビの集団のようにハルトを押しつぶさんと殺到してくる。システムに脳をハッキングされた彼らは、もはや自分の命がどうなろうと関係ない、ただの肉の壁だった。
「チッ、一般人を盾にするってか。どこまでも腐ってやがるな、上の奴らは!」
ハルトは舌打ちをしながらも、漆黒の大剣『シャドウ・ブレイズ』を抜き放った。
だが、彼は剣を市民に向けることはしなかった。そんなことをすれば、皇帝の思うツボだ。ハルトが狙うべきは、彼らの頭上で不気味な光を放ち続ける、あの洗脳の元凶だけだった。「どいてろ、お前らに用はねぇ!」
ハルトが地を蹴った瞬間、彼の身体は最初からそこに存在している「建物の影」のネットワークへと溶け込んだ。
市民たちがハルトを見失い、虚ろな目をキョロキョロと動かした次の瞬間には、ハルトはすでに市民の頭上を飛び越え、中央の『洗脳の灯台』の直前へと跳躍していた。
「反逆者め、聖天の光に焼かれて消え失せろ!」
灯台の防衛システムが作動し、周囲の空間からハルトを目がけて、精神を焼き尽くす高密度の洗脳光線が一斉に放射された。まともに浴びれば、どれほど強靭な戦士であっても脳を破壊され、一瞬で皇帝を崇拝する操り人形に成り果てる絶対の防壁。
しかし、ハルトは空中ですら不敵に微笑んだ。
「その程度の光、俺の影の『腹』を満たす役にも立たねぇよ!」
ハルトが漆黒の大剣を横一文字に薙ぐと、彼の背後から爆発的な漆黒の炎――『影炎(シャドウ・ブレイズ)』が解き放たれた。
影炎は迫り来るピンク色の光線を、物理的に「喰らう」ようにして次々と飲み込んでいく。光が影を消すのではない。ハルトの影炎は、聖天の光そのものを燃料として燃え盛る、光の天敵たる絶対の暗黒だった。
「オラァッ!!」
ハルトの咆哮とともに、影炎を纏った大剣が『洗脳の灯台』の心臓部へと叩き込まれた。
強力な物理破壊の衝撃と、エネルギーの拒絶反応により、巨大な時計塔は内側からバチバチと黒い火花を吹き散らし、轟音を立てて爆散した。
光の霧が街から晴れていく。
それと同時に、操られていた市民たちが、糸の切れた人形のようにその場にバタバタと崩れ落ちた。彼らの瞳には、次第に「本物の生気」が戻り、自分たちが何をしていたのかを理解して、困惑と解放の涙を流し始めていた。
「おい、大丈夫か?」
ハルトが声をかけると、一人の老人が震える手でハルトを見上げ、涙ながらに感謝の言葉を述べた。
「ああ……頭の霧が晴れた……。私たちは、ずっと悪夢を見ていたようだ……。ありがとう、黒き炎の少年よ……!」
ハルトは無言で頷き、大剣を背中に収めた。システムによって心を殺されていた人々を、彼は圧倒的な力で、1人の犠牲者も出さずに救い出したのだ。
洗脳の灯台が崩壊したその瞬間、莫大な魔力の逆流が発生した。
壊された兵器から溢れ出たエネルギーの残響が、ハルトの胸に埋め込まれた「影の歯車」と共鳴し、彼の意識を一時的に、遥か高次元の空間へと引き上げた。
(……ここは?)
ハルトが気づくと、そこは色彩のない、精神の海のような真っ白な空間だった。
その空間の中央、光の鎖に全身を縛られ、今にも消え入りそうなほど儚い輪郭をした、一人の美しい少女の精神体が浮遊していた。
長い金髪に、どこか寂しげな、しかし強い意志を秘めた翡翠色の瞳。彼女こそが、人工太陽『ゼニス・コア』の生贄として囚われている、世界でただ一人の聖女――フィリアだった。
「……あなた、は……?」
フィリアの声が、虚空を震わせてハルトの脳内に直接届く。
彼女の精神は、世界の光を維持するために絶え間なくすり潰され、深い絶望の淵に沈みかけていた。誰の助けも届かない、永遠の孤独の中で、彼女はただ消え去るのを待っていたのだ。
「俺の名前はハルト。お前をそのクソみたいな人工太陽から、引きずり下ろしに来た男だ」
ハルトは真っ直ぐにフィリアを見つめ、不敵に言い放った。
フィリアの瞳が、驚愕に小さく見開かれる。
「ダメ……、来てはダメです……。ここに近づけば、あなたも皇帝の光に呑まれて、心を壊されてしまう……。私のことは、もういいのです……」
彼女は自らの運命を諦め、ハルトを巻き込むまいと悲しげに首を振った。
だが、ハルトはそんな彼女の言葉を、鼻で笑い飛ばした。
「いいわけねぇだろ。誰が書いたか知らねぇが、女の子が一人で泣いて死ぬなんてシナリオ、俺の大剣が許さねぇんだよ」
ハルトが一歩進むと、精神世界であるはずのその空間に、バチバチと力強い黒い炎が燃え上がった。その暖かくも力強い炎の光が、フィリアを縛る光の鎖を外側からかすかに融かしていく。
「フィリア。お前が何年そこに囚われていようが関係ねぇ。俺がお前の手を握るまで、絶対に絶望してやるな。その心を、しっかり繋ぎ止めておけ!」
「ハルト……さん……」
フィリアの翡翠色の瞳に、何年ぶりかの本物の「希望の光」が宿り、その頬を一条の涙が伝った。
(カチリ、と現実の世界が動き出す)
ハルトの意識は、大門都市の中央広場へと戻ってきた。
目の前には、天空城へと続く巨大な昇降機の扉が開かれている。
「待ってろ、フィリア。今、行く」
ハルトは一歩の躊躇もなく、昇降機の中へと足を踏み出した。
理不尽な世界のルールを力ずくで殴り殺し、少女に本当の笑顔を取り戻すための最強の逆転劇は、ここからさらに加速していく。