『常闇を穿つ影の王(シャドウ・ブレイズ)』 作:トート
「おのれ……おのれ、下劣な泥の住人がぁぁああッ!!」
崩壊した神殿の奥から立ち上がった皇帝ゼニスの姿は、もはや聖性を帯びた美しき統治者のそれではありませんでした。
白銀の衣服は乱れ、右腕はハルトの影炎によって醜く焼けただれている。だが、彼の全身から湧き上がる魔力の質量は、先ほどまでの比ではありませんでした。
ゼニスは自らの胸に直接手を突き立てると、人工太陽『ゼニス・コア』の制御術式を力ずくで引きちぎり、自らの心臓へと強制的に結合させたのです。
【警告:天空城全体のエネルギーを生命維持に転換。システム『終焉の反転(リバース)』を起動します】
神殿全体を揺るがす、悍ましい警告音が鳴り響く。
それは、天空城に蓄積された「数百年分の人類の光」を一瞬で逆流させ、空間そのものを『無』へと融かし尽くす、神の最終禁忌術式でした。
世界の光が反転し、神殿の白石が、空が、次々とどす黒い虚無の歪みへと飲み込まれていく。触れれば存在の歴史ごと宇宙から消去される、逃げ場のない『終焉の領域』が、ハルトたちの足元へ向かって猛烈な速さで広がっていきます。
「ハルトさん……! あの男、世界そのものを自爆させて、私たちを道連れにする気です……っ!」
フィリアがハルトの腕を強く掴み、迫り来る黒い虚無の境界線を見つめて息を呑みました。
どんなに強くとも、世界そのものが消滅してしまえば、生き残る道はない。神が最後に仕掛けた、これ以上ない理不尽な心中シナリオ。
だが、ハルトは迫り来る世界の終わりを目の前にしても、ふっと不敵な笑みを浮かべただけでした。
「世界を道連れに自爆だ? どこまでも独りよがりで、反吐が出るほどつまんねぇシナリオだな、クソ皇帝」
ハルトは漆黒の大剣『シャドウ・ブレイズ』を強く握り直し、フィリアの腰を左腕でグッと抱き寄せました。
「フィリア、怖えか?」
「いいえ。……ハルトさんと一緒なら、どんな暗闇も怖くありません!」
フィリアはハルトを見上げ、涙を完全に拭い去った、美しく力強い翡屈色の瞳で真っ直ぐに答えました。彼女の胸の奥から、ハルトを信じる無垢な聖なる魔力が、これまで以上の輝きをもって溢れ出します。
「よし。行くぞ、フィリア。神様が必死に書いたバッドエンドの最終ページ、俺たちの手で綺麗に破り捨ててやる」
「消え去れ! 運命に抗う愚者どもよ! 神の怒りとともに、跡形もなく無へと還るがいい!」
皇帝ゼニスが残った左腕を突き出すと、反転した黒き光の濁流が、ハルトたちを完全に消し去るべく全方位から殺到しました。空間そのものを侵食しながら突き進む、絶対的な処刑の波。
しかし、ハルトは自らの胸の奥にある『影の歯車』を、これまでにない速度で暴走させました。
「お前が空間を消すっていうなら、その『消えかかった空間の隙間の影』を通るだけだ!」
ハルトの肉体が、爆発的な紫黒の神火を纏って地を蹴りました。
ハルトが選んだ移動経路。それは、皇帝の術式によって消滅しつつある、物質の「最後の境界線に生まれる極小の影」でした。光が消え去るその一瞬の隙間に滑り込み、ハルトはフィリアを抱きかかえたまま、空間消滅の濁流の『内側』を縫うようにして、神速の残像となって突き進んでいったのです。
皇帝の視界には、ハルトがどの方角から迫っているのか、完全に認識すらできませんでした。
全方位を消滅させているはずなのに、その消滅の速度すらも追い抜いて、紫黒の雷光が皇帝の眼前へと一瞬で肉薄します。
「ば、馬鹿な……! 我が終焉の光をも、お前の影は利用するというのか……ッ!?」
「あったり前だろ! 誰に向かって言ってやがる!」
絶対的な神速の世界の中、ハルトは皇帝の放つ黒き光の障壁を大剣の一閃で叩き割り、その懐へと完全に侵入しました。
大剣『シャドウ・ブレイズ』の刃には、ハルトの極大の魔力と、フィリアの純粋な祈りが完全にシンクロした、かつてないほど高密度の紫黒の炎が爆発的に収束していました。
「俺たちの未来を、お前なんかの巻き添えで終わらせてたまるかぁぁああッ!!」
ハルトの咆哮とともに、紫黒の神火を纏った大剣が、皇帝ゼニスの左肩から胸元へと向けて、一世一代の力で斜めに振り下ろされました。
刃が触れた瞬間、皇帝が心臓に結合させていたゼニス・コアの制御術式が、パキィンと軽い音を立てて完全に切断されました。影炎が皇帝の体内に直接流れ込み、暴走していた莫大な魔力の流れを力ずくで逆流させ、彼の肉体を内側から激しく侵食していきます。
「ぐ、あああああああッ!!!」
皇帝ゼニスは言語を絶する悲鳴を上げ、結合していた人工太陽のエネルギーが暴発した衝撃により、神殿の床を何百メートルも吹き飛び、奥の崩壊した壁へと無残に叩きつけられました。
皇帝のクラッシュとともに、世界を消滅させようとしていた黒い虚無の広がりがピタリと停止し、霧散していきました。神が仕掛けた最悪の心中プログラムは、ハルトの圧倒的な強さと、フィリアの揺るぎない信頼の前に、傷一つ負わせることもできず、またしても完全粉砕されたのです。
ハルトは大剣を肩に担ぎ直し、腕の中のフィリアへと不敵に笑いかけました。
「フィリア、約束通り、1ミリも曇らせてねぇだろ?」
「はい……! 本当に、最高のヒーローです、ハルトさん……!」
フィリアはハルトの首に両腕を回し、心の底からの幸福に満ちた笑顔を咲かせました。彼女の瞳に映るのは、世界の終わりではなく、この少年の背中の向こうに確かにある、自分たちの輝かしい未来の光だけでした。
しかし、崩壊した壁の向こう、人工太陽の残骸の中心から、全身から血を流し、完全に理性を失って獣のような咆哮を上げる皇帝ゼニスの影が、三度立ち上がりました。
「許さぬ……許さぬぞ、人間どもぉぉおおおッ!!!」
皇帝の肉体が、残された人工太陽の全エネルギーを強制吸収し、巨大な光の化神へと変貌を始めます。
いよいよ物語は、世界を救い出した二人が、理不尽な神の王を完全に殴り殺すための、本当の『最終決戦』へと突入していく。