『放課後、僕らは嘘を重ねる』   作:トート

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IF: 第9話:傷跡に触れる言葉(修正版)

二週間の自宅謹慎期間は、世界のすべてが停止したかのような、灰色の一本道だった。

スマホの電源は切ったまま。部屋のカーテンも閉めきり、薄暗い部屋の中でただ天井を見つめて過ごした。

隣の家からは、時折、律の父親の怒鳴り声や、何かが壊れるような鈍い音がかすかに聞こえてきけれど、今の私にはそれさえも遠い世界の出来事のように思えた。私の家でも、母は私と目を合わせようとせず、ため息の数だけが静まり返ったリビングに重く積もっていく。

(私が、全部壊したんだ……)

誰も傷つけたくなかったはずなのに、自分の寂しさから逃げるために重ねた嘘が、結果として全員を最悪の形で傷つけた。

そんな精神的な地獄のなかにいたから、最初はただのストレスだと思い込もうとしていた。

異変が始まったのは、謹慎の一週目の終わり頃だった。

朝、目が覚めると、身体が鉛のように重く、インフルエンザの初期症状のような微熱がずっと続いていた。そして、寝起きに強烈な吐き気が襲うようになった。

「うっ……、く……」

洗面所に駆け込み、胃の中のものをすべて吐き出そうとするけれど、何も出てこない。酸っぱい胃液だけが喉を焼き、涙がボロボロと溢れ落ちる。

「葵? 大丈夫なの?」

ドア越しに母の冷淡な声がした。

「うん……ちょっと、胃が荒れてるだけ。大丈夫」

洗面台の鏡に映った自分の顔は、驚くほど真っ白で、目の周りがひどく窪んでいた。

そのとき、私の頭の中に、ある恐ろしい可能性が雷を落としたように閃いた。

(嘘……でしょ……)

カレンダーを数える。手がカタカタと震えて、スマホの画面をうまくタップできない。

あの雨の金曜日の夜。そして、文化祭前夜の旧校舎。

どちらのときも、私たちは自暴自棄の極みにいて、避妊なんてまともな大人の手順を踏んでいなかった。お互いの寂しさを埋めること、世界への復讐を果たすことだけに必死で、最悪の可能性から完全に目を背けていたのだ。

翌日、私は母の目を盗んで、近所のドラッグストアのセルフレジで妊娠検査薬を買った。

自分の部屋のトイレで、心臓が破裂しそうなほどのバクバクという音を聞きながら、スティックに尿をかける。

判定を待つ一分間が、10年にも、100年にも感じられた。

ゆっくりと、プラスチックの小窓に赤いラインが浮かび上がってくる。

くっきりと、一点の曇りもない、鮮やかな二本の並行線。陽性。

「あ……、あ……」

喉の奥から、言葉にならない悲鳴が漏れた。

私は検査薬を握りしめたまま、トイレの床にヘタリ込み、声を殺して泣き崩れた。

一ノ瀬くんに選ばれなかったとか、結衣への裏切りの罪悪感とか、そんな「子供の恋愛のすれ違い」のすべてを力ずくで吹き飛ばすような、圧倒的で、残酷な現実。

私の身体の中に、言い訳も嘘も絶対に通用しない、新しい「命」が宿ってしまったのだ。

十一月の半ば、謹慎期間が明けた。

学校へと続く坂道を上る足取りは、二週間前とは全く違う意味で重かった。

お腹のあたりを、ブレザーの上からそっと手で押さえる。まだ膨らみなんてどこにもないけれど、そこに確かな質量を持った現実があるのだと思うだけで、足がすくみそうになる。

教室に入ると、一瞬で全体のざわめきが止まった。

「戻ってきたんだ」「よく平気な顔して来れるよね」

ひそひそ話が耳に届くけれど、今の私にはそのすべてが酷くくだらない、遠い遠いノイズのように思えた。私の世界の中心は、もうクラスの噂話なんかにはなかった。

私のすぐ後ろ。律の席を見ると、彼はすでに座っていた。

前髪を短く切り落とし、窓の外をじっと見つめている。

私は席に座ると、小さく折りたたんだルーズリーフの切れ端を、後ろの律の机の上にそっと置いた。

『放課後、すぐに対策室(旧校舎の美術準備室)に来て。大事な話がある』

律の身体が、微かに緊張で強張ったのを私は感じた。

放課後。完全下校のチャイムが鳴り響き、クラスの生徒たちが帰っていく中、私は一人で旧校舎の美術準備室へと向かった。

夕暮れの赤い光が、埃っぽい室内に斜めに差し込んでいる。

しばらく待つと、ガチャリとドアが開き、律が入ってきた。

「……葵。何だよ、こんなところに呼び出して。また一ノ瀬たちに……」

「律」

私は、律の言葉を遮った。

そして、カバンの中から、ティッシュに包まれたあのプラスチックのスティックを取り出し、律の目の前に差し出した。

「これ、見て」

律は眉をひそめ、不審そうにそれを受け取った。ティッシュを開き、赤い二本のラインを目にした瞬間、彼の動きが完全に凍りついた。

「……これ、何だよ」

「妊娠検査薬。……赤ちゃんが、できた。律と私の、子供だよ」

室内の空気が、一瞬で絶対零度まで冷え切った。

律の顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが分かった。いつも強気で、何でも力づくで解決しそうな律の大きな身体が、目に見えてガタガタと震え始める。

「嘘、だろ……。だって、まだ俺たち、高校生で……」

律の声は、今にも消えそうなほど小さく、掠れていた。結衣にフラれたとき、一ノ瀬くんに大人たちの前で全てを暴かれたとき、そのどんな瞬間よりも、律は激しく狼狽し、絶望していた。

「嘘じゃないよ。二回試した。朝、ずっと吐き気が止まらないの」

私は地面を見つめながら、涙をポロポロと床に落とした。

「どうしよう、律……。学校も、親も、これからどうなるか分からない。私、本当に怖くて……っ」

私の身体が恐怖で崩れそうになった、その時だった。

ギュッと、強い力で身体を抱きしめられた。

「……葵」

律だった。彼の大きな腕が、私の震える身体を、壊れ物を扱うように、だけど絶対に離さないという強い意志を込めて、きつく抱きしめていた。

律の身体も、私と同じように激しく震えていた。だけど、彼の首筋からは、あの雨の夜の自暴自棄な熱ではなく、確かな「覚悟」の熱が伝わってきた。

「……ごめん。俺のせいだ。俺が、お前をこんな目に合わせた」

律の声が、私の耳元で震える。

「でも、俺、逃げねえから。お前を一人になんか、絶対にしねえ。俺たちの子供だ。俺が、何があっても、お前とこの子を守る」

律の口から出たのは、結衣の身代わりに私を抱いたときの嘘の言葉ではなかった。

自分の犯した過ちの重さをすべて背負い、男として、父親として、水瀬葵という一人の女の子と一生生きていくという、初めての、本物の言葉だった。

その温かさに触れた瞬間、私の胸の奥の凍りついていた場所が、一気に溶け出して涙となった。私は律の学ランの胸元に顔を埋め、声を上げて泣いた。

私たちは最悪の間違いを犯した。だけど、その泥沼の果てに、私たちはようやく、お互いだけを見つめる本物の関係に、辿り着いたのかもしれない。

「――そこにいたんだね」

静かな声がして、私たちは慌てて離れた。

美術準備室の入り口。ドアを開けて立っていたのは、一ノ瀬くんと結衣だった。

結衣の短い髪が、夕風に揺れている。一ノ瀬くんはいつも通り冷静な目で私たちを見つめていた。

「一ノ瀬……佐倉……」

律が私を庇うように、一歩前に出た。その右手には、もう怯えはなかった。

「話そう、4人で。これ以上、大人たちの前で話を歪められるのは嫌だからね」

一ノ瀬くんが室内に一歩足を踏み入れ、ドアを閉めた。文化祭の喧騒が遠ざかり、部屋の中に4人の気配だけが満ちる。

「私ね……」結衣が、涙を浮かべながら口を開いた。「二週間、ずっと考えてたの。私、律のことが大好きだった。でも、それはただの甘えだったんだって、気づいたの。律がずっと隣にいてくれるのが当たり前で、律が私以外の誰かを見るのが嫌だったから、一ノ瀬くんに縋って、律を試そうとしちゃった。私が、二人を追い詰めたんだよね……」

結衣の流す涙は、かつての純粋な被害者のものではなかった。彼女もまた、自分のなかの醜い独占欲を認め、謝罪していた。

「僕も同じだよ」一ノ瀬くんが眼鏡を外して目元を押さえた。「水瀬さんの気持ちを知りながら、結衣ちゃんを手に入れるためにそれを利用した。君たちを煽って、最悪な形に追い込んだのは、僕の傲慢さのせいだ。すまなかった」

結衣と一ノ瀬くんの本音が、埃っぽい室内に響く。

これまでの4人なら、ここで「お互いに悪かったね」と傷を舐め合い、少しずつ元の関係に戻る努力を始められたのかもしれない。

だけど、今の私と律には、もうその「子供の恋愛劇」に付き合う余裕は、一滴も残されていなかった。

「……もう、いいよ」

私が口を開くと、3人の視線が一斉に私に集まった。

「結衣、一ノ瀬くん。謝ってくれてありがとう。でも……私たちは、もうあなたたちのいる場所には戻れないの」

私は律の隣に並び、彼の大きく、傷跡の残る右手をしっかりと握りしめた。

「私たちは最低なことをした。親友を裏切って、お互いを身代わりにして、体を重ねた。……その代償が、今、私たちのところに返ってきたの」

律が静かに頷き、一ノ瀬くんと結衣を真っ直ぐに見据えた。

「俺たちの間にさ、子供ができた」

「……え?」

結衣が目を見開き、息を呑んだ。一ノ瀬くんも、いつも崩さない冷静な表情を完璧に失い、絶句して私たちを見つめている。

「嘘じゃない。俺たちは、もう『学校の友達関係が壊れた』とか、そんな次元の話をしてねえんだよ」

律の声は、驚くほど低く、安定していた。

「俺と葵は、学校を辞めることになるかもしれない。親に殴られて、勘当されるかもしれない。……だけど、二人でこの子を育てて、生きていくって決めたんだ。だから、お前たちの恋のすれ違いとか、もう俺たちには本当に関係ねえんだよ」

言葉の重さが、夕暮れの美術準備室を完全に支配した。

結衣は、あまりにも巨大すぎる現実を前に、言葉を失ってただ涙を流していた。一ノ瀬くんは、自分の大人のような正義感が、いかに子供じみた綺麗事であったかを思い知らされたように、ただ拳を握りしめてうつむいていた。

「……そう、か」

一ノ瀬くんが、絞り出すような声で言った。

「長谷川くん、水瀬さん。僕は……君たちを軽蔑していた。だけど、君たちがそれだけの覚悟を背負うというなら、僕が言える言葉は、もう何もない」

一ノ瀬くんは結衣の肩を優しく抱き寄せた。

「行こう、結衣ちゃん。僕たちがここにいるのは、もう間違いだ」

結衣は、激しく泣きながら、最後に一度だけ私の方を振り返った。その目には、裏切りへの怒りではなく、私の体調を気遣うような、かつての親友としての本物の優しさが浮かんでいた。

「葵……、元気で、ね……」

ガチャリ、とドアが閉まり、二人の足音が廊下に消えていく。

残されたのは、真っ赤な夕日に染まった美術準備室と、私と律の二人だけ。

私たちの耳には、もう後夜祭の花火の音も、クラスメイトたちの楽しそうな笑い声も、何も届かなかった。

「葵」

律が私の手を、さらに強く握りしめた。

「明日、学校に退学届、出しに行こう。それから、お前の親と、俺の親に、全部話す」

「うん……。めちゃくちゃに怒られるよね。たくさん、傷つけるよね」

「ああ。でも、二人で頭下げよう。何回でも、何十回でもさ」

律がふっと、優しく笑った。その笑顔は、かつての傲慢な幼馴染のものではなく、私と、そして小さな命を一生をかけて守り抜くという、一人の「男」の顔だった。

窓の外からは、夜の帳が静かに降りてきていた。

私たちは自分たちの嘘によって、一番守りたかった友情も、届かなかった恋も、すべてを失った。

だけど、この暗闇のなかで、お互いの手の温かさと、私の身体の中に宿る小さな鼓動だけが、私たちが手に入れた、唯一の、そして絶対に離してはいけない「真実」だった。

退路のない、過酷な未来へ向かって。

私たちは傷跡を抱えたまま、二人でしっかりと足を踏み出し始めていた――。

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