少女は、気持ちよさそうに眠る少年を見下ろし、いたずらな笑みを浮かべた。
「朝だーっ!」
カーテンを勢いよく開け放つ。
容赦ない日光が室内に雪崩れ込み、少年はうめき声とともに布団をかぶった。
その様子を見て、彼女は腰に手を当てた。
「ソル。昨日、約束したじゃない」
布団の山から、のんきな欠伸が一つ返ってきた。
「……そっか。今日は父さんが帰ってくる日だったな」
どさり、と布団がめくれる。
「よっと!」
ソルはがばっと上半身を起こし、彼女に顔を向けた。
「マーニ、おはよう!」
「おはよう」
朝の挨拶をしたふたりは、16歳の双子だった。
赤毛に青い眼。
額に古傷のある兄ソルと、肩まで伸びた髪を青いリボンで纏めた妹マーニ。
「私が部屋の掃除をするから、ソルは食材の調達」
「おう、すぐ支度する」
ソルは手早く朝の支度を済ませた。
古くなった皮の胸当てを身に着け、継ぎ接ぎのカバンを背負う。
出がけに、マーニが背中へ声を投げた。
「父さんの分も忘れずにね!」
「わかってるって、行ってくる」
親指を一本立てて、玄関のドアを閉める。
納屋で使い古した斧を手に取り、外へ出た。
すれ違う村人と挨拶を交わしながら村を抜けると、木々のざわめきが耳に届いた。
ソルは深呼吸を一つして、足を進めた。
果実、キノコ、野草を潰れないようカバンに詰め、見慣れた木の根元に下ろした。
「あとは肉か」
奥へ向かい、耳を澄ませた。
微かに舞う羽音を頼りに歩いていると——ソルは足を止め、口角をわずかに上げた。
視線の先で、全長数十センチはあろう虫が一匹、ふらふらと飛んでいた。
縞模様のない黄色の体のあちこちに傷を負った、琥珀蜂だ。
群れで行動する肉食虫だが、その攻撃的な性格から同士討ちが起きることがある。
傷を負った個体は群れからはぐれ、仕留めやすい。
ただし、傷を負った個体がいるということは、群れが近くにいる証拠でもある。
ソルは音を殺して背後に忍び寄り、呼吸を一つ挟んで斧を振り下ろした。
ぐしゃり。
殻が砕け、羽音が消えた。
ソルは琥珀蜂を踏みつけ、斧を引き抜き、再び振り下ろして針を切断した。
死を確認してから拾い上げ、足早に木の根元へ戻る。
群れに見つかれば厄介なことになる。長居は無用だった。
腰を下ろし、慣れた手つきで関節を捻じって羽根を毟り取る。
殻で出汁が取れ、中の肉は臭みが少なく柔らかい。
村では貴重な食糧源——山の甲殻類と呼ばれるゆえんだ。
羽根以外をカバンに詰め、土埃を払って立ち上がった。
「ただいま」
家の中では、野菜の下ごしらえを済ませたマーニが椅子に座り、本を読みながらソルの帰りを待っていた。
「おかえり」
ソルは収穫物をテーブルに並べながら、彼女の横顔に視線を送った。
「あのことを話せば、父さんは反対するかもしれない」
マーニは本を閉じた。
静かに、しかしはっきりと頷く。
「私はもう子どもじゃないんだよ。父さんだって、きっとわかってくれるはずだよ」
マーニはまっすぐソルを見た。
「ソルのほうこそ、あの約束を忘れていないよね?」
「ああ」
一拍置いて、ソルは続けた。
「俺がお前を守る。そのために、特訓を兼ねて森で狩りを始めた。だから、マーニ——自分の口で言うんだ」
彼女は一瞬だけ目を伏せ、それから柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、ソル。少しでも父さんの機嫌を取るために、今日は腕によりをかけて美味しいご飯を作るよ」
「俺も手伝うよ。何をすればいい」
「琥珀蜂の下ごしらえ、お願い」
昼過ぎ、玄関のドアが開いた。
古びた外套を纏った男が帽子を脱ぐと、40過ぎの痩せこけた顔が覗いた。
旅の疲れが滲んでいる。
それでも、ふたりの顔を見た瞬間——男は満面の笑みを浮かべた。
ケイン・アルヘイナ。
ふたりの父親で、考古学の研究者だ。
「ソル、マーニ、ただいま」
「父さん、おかえり」
ふたりの声が重なった。
マーニが続ける。
「もう少しでご飯ができるから、着替えてきて」
「もうお腹ぺこぺこだよ」
ケインは鼻をひくつかせ、目を細めた。
「琥珀蜂のパイと肉団子のスープだね。僕の大好物だ」
「うん、父さんが好きなものを用意したよ」
ふふっと笑い、ケインは自室へ向かった。
その背中が見えなくなった瞬間、ふたりは顔を見合わせた。
ただ、力強く頷き合った。
テーブルに料理を並べ、三人が席についた。
久しぶりに揃った食卓に、温かい湯気が立ち上る。
ケインは料理に手をつける前に、静かに咳払いをした。
「食事の前に」
穏やかな声だった。
それでも、マーニの背筋がわずかに伸びた。
「ふたりは僕に、話があるんじゃないのかな」
沈黙が落ちた。
マーニはテーブルの上で手を握り、ゆっくりと父を見た。
「父さん……」
一度、息を吸う。
「私、始原の故国エレメンティアへ——行きたいの」