シャワーの音がする。細い水が地面に付着して、足元を濡らす。窓には蒸気が染みてほんのりと曇っている。曇りガラスからは、ネオンの光が反射して、薄暗い風呂場にあかりを灯す。
最近は仕事ばかりでロクに風呂に入っていないせいか、シャワーが心地いい。脂と泥で汚れ切った自分の身体を綺麗にしてくれる。
シャワーは良い。自分の考えを整理できるし、身体だって綺麗になる。昔から人間はシャワーや風呂に入って一日を終えるものだ。その習慣が、何百年と繰り返されているのは、きっと、進化を重ねていくうちに、清潔であることがひとつのステータスになったからなのだろう。金持ちが風呂に浸かって温まっている裏で、路上で暮らす人間たちは、薄汚いノミと共生している。そんな小さな格差が何百年と続き、今の社会が作られたんだと思う。自分たちが生きるずっと前から……。
「おいレックス、聞いてるのか?」
携帯電話から低い男の声がした。
「ん、ああ悪い。ボーっとしてた」
湯船に浸かっているせいか、妙に緊張感が抜ける。疲れた時こそ、湯船が効くもんだな。
「大丈夫か?」
「大したことない平気だ」
「風呂でのぼせたのかと思ったぜ」
「疲れが溜まってるんだ。少しくらい休ませてくれ。最近はヤケにレーダーの連中が仕事ばかり持ち込んでくるからな。企業や金持ち連中にとって俺たちコンジットはただの消耗品なんだろうさ。給料は安いくせに人を道具みたいに扱ってばかりだ」
「さすがは伝説のコンジット様だな。腕が一流なら雇い主も一流って訳か」
「それは、嫌味か?」
「まさか。褒めてるんだよ。誰もがその名を一度は聞いたことがある伝説の男が、ブラックシティに帰ってきたんだ。せめて祝いの言葉くらい言わせてくれよ」
「よしてくれ。その名はもう捨てた」
「噂には聞いてるぞ。俺のいない間に仕事が増えたらしいな」
「ああ。お前が消えた数年間でブラックシティの治安は悪化の一途を辿っている。これがどう言う意味かわかるか?」
「お前を警戒していたギャング共がまた悪さをし始めたんだ。そのおかげで稼がせてもらってはいるが、仕事の内容はピンキリだ。まともに稼げるのはせいぜい企業に雇われたコンジットくらいで、俺たち下請けのコンジットがもらえる金は雀の涙だ。だけど、今はお前がいる。お前とまたこうやって仕事ができるなんて夢みたいだ」
「また、一緒に伝説を作ろうぜ」
「そうは言っても、最近は、ほとんどフリーの依頼ばかり受けているから、腕が鈍ってないと言いんだがな」
「それだけ信頼されてるってことだろ。今じゃ政府に変わって企業が実権を握る世の中だ。珍しい話でもない」
「精神を電子化したり、肉体が機械に変わったのもここ数百年の話だ。今更、月が降ってきてもおどろかねぇよ」
「お前も、文句を並べないでさっさとゲシュタルト手術を受けてみたらどうだ? 今どき赤ん坊だってゲシュタルト手術を受けて産まれてくるって言うのに、そんな
「何度も言ってるだろ。俺はゲシュタルト化なんてしない。今のままでも充分動けてるし、仕事に支障はない。ゲシュタルト化すればメンテナンスやコスチュームで金を食うし、何より俺は人間の身体が好きなんだよ」
「物好きな奴だな」
「お前だけには言われたくない」
「それじゃあそろそろ切るぞ。話の続きは"いつもの場所"でしよう」
「せいぜい仕事に殺されないよう気をつけろよ」
シャワーを終えて、タオルを被る。着替えは用意していない。全裸のまま脱衣室から出る。
狭い空間には、シングルベッドと机、壊れかけのラバライト。ベランダの方へ視線を向けると、白地の白衣を羽織った女がタバコを片手に窓から外の街を眺めていた。
「まだ帰ってなかったのか、タグ」
「心配だから待ってたんだよ。シャワーを浴びている最中に傷が開いたら嫌だしさ」
「怪我の調子はどう? 応急処置はしたから、後は安静にしてれば勝手に治るよ……と言っても、キミは素直にジッとできるような人間じゃないでしょうけど」
「無茶をする男は嫌いか?」
「その質問は卑怯よ」
まだ、傷口が塞がっていないせいか、歩くのに余計な体力を使う。鎮痛剤でなんとかカバーできているが、無理をすれば傷口が広がる。任務で怪我を負うなんて何年ぶりだ。腕が落ちているとは言え、レックスはまだ二十三歳。肉体は未だ全盛期であり、失った勘を取り戻すのにさほどの時間はかからないはずだ。
「キミが私に治療を頼むのも何年ぶりだろうね。始めて会った時から思ってたけど、キミって意外とタフだよね。まぁそうは言っても人間はゲシュタルトよりもろいし、特にキミは自分の身体の危険なんて考えない子だから、怪我をしても仕方ないんだろうけど」
「いつも助かってるよ」
「こう見えてもちゃんと患者のことを考えてるからね。私だって、患者が死ぬところなんて見たくないし」
「別に誰でも良いって訳じゃないの……キミは特別だから……私は、キミの為ならなんだってしてあげる……"なんでも"だよ」
レックスのそばにいると、胸がざわつく。なぜだろう。彼との関係が深まっていくうちに、恋にでも落ちてしまったのだろうか。タグはレックスのことが好きだ。それは異性として意識しているのか、はたまた友人として好意を抱いているのかはわからないが、彼のいない生活は考えたくない。
レックスも、彼女とは良い関係を築きたいと思っている。だが、それは恋心では無い。この街で人間を治療できるのは
「ねぇ……たまには私の相手をしてくれてもいいでしょ。私を満足させてよ。まだ夜は長いわ。少しくらい気持ちよくさせて」
妖艶にレックスの耳元で囁くが、レックスは無視に近しい態度で、服を羽織る。
「そそられる話だな。けど、ダメだ。今日は
「また仕事?」
「おそらくな」
身支度をしていると、突然、柔らかい感触が背中に広がった。タグが、レックスの胴体に腕を回し、固く抱き寄せる。
「行かないで……」
「どうした。今日はヤケに積極的だな」
「キミは、いつも無茶をするから心配してるの。ただでさえ身体は私たちより弱いんだから、無理したらいつか死んじゃうんじゃないかって不安なの」
「俺は死なないさ」
「安心しろ。嘘はつかない」
「その言葉……信じて良いんだよね」
「俺の言葉は信用できないか?」
「ううん……信じる。信じてるよ」
ひとり、部屋に取り残されたタグは、タバコを片手に静かに息を吐く。その息は、静寂の中へと消えていき、ふう、とわざわざ声に出して肺の中身を全て出してしまうようなわざとらしいため息をついた。