「演技ができない人、下手な人を大根役者ってよく言うよね」
いつもの場所で煙草を吸おうとした時に、先にあかねちゃんがいた。副流煙を吸わせるわけにもいかないので、話をして脳を誤魔化す為に会話をする。
「……急にどうしたんですか、それ」
あかねちゃんは少しだけ首をかしげて、こちらを見る。珍しく僕の方から話しかけたので、意外な反応をする。
「いきなり演技論とか語り出すの、ちょっと珍しいですね」
「別にそんな話じゃないよ……大根役者の由来って知っているかい?」
演技がどうこうとか、そういう話ではない。偶々見た雑学に関して話しているだけである。
「由来、ですか?」
あかねちゃんは一瞬だけ目を瞬かせてから、少し考えるように視線を落とす。
「えっと……“大根は味がないから”とか、そういうのじゃないんですか?」
すぐに自分で否定するように、小さく首を振る。
「でも、お兄さんがわざわざ聞くってことは、それじゃないんですよね」
軽く息を吐いてから、こちらを見る目が少しだけ興味に寄る。
「……それ、どんな意味なんですか?」
「最も有力なのが、“ダイコンはどんなに食べても食あたりしない”という性質に掛けたもの。つまり、“演技が下手で役が当たらない”っていう意味の皮肉から来ているらしいよ。それと、“大根の白い色が素人っぽいから”っていう説もあるみたいだね」
「……へぇ」
あかねちゃんは小さく目を丸くして、それから少しだけ感心したような声を上げた。
「思ったよりちゃんとした由来なんですね。てっきり“適当な見た目の比喩”くらいだと思ってました」
軽く肩をすくめて、こちらを見る。
「でもそれ、お兄さんがドヤ顔で言うにはちょっと渋い雑学すぎません?」
ドヤ顔をしていたのかい、僕? だとしたら無意識だ。自分ではそんな顔をしているつもりはないのだけどね。あかねちゃんからしたら、ドヤ顔をしていたらしい。
「雑学は面白いよ……知らないことを知れるからね」
「その言い方だけは、ちょっとそれっぽいですね」
彼女はそう言いながら、クスりと笑う。どこか呆れを残したままなのに、その笑い方だけは柔らかい。
「でも、お兄さんってそういうの好きですよね。知識そのものっていうより、“誰も気にしないところを知ってる”感じのやつ」
少し間を置いてから、横目でこちらを見る。
「そういうの聞くと、たまにちゃんと真面目な人に見えるんですけど……すぐ煙草に戻るのが残念ポイントです」
「お兄さんにとって煙草は、必要な物だよ……」
立ち上がり、彼女から少し距離を取る。雑学を話して誤魔化していたけど、そろそろ煙草が吸いたくなってきた。箱から1本の煙草を取り出し、ライターで火をつける。先端が燃え、煙が出てくる。
「………ふぅ」
その煙を吸い込み、その後吐き出す。白い煙と煙草の独特の匂いが辺りに充満する。やはり煙草はいい……特に仕事終わりに吸うのが。
「……ほんと、わかりやすいですね」
あかねちゃんは軽く目を細めて、煙が流れていくのを見送るように視線を追う。
「さっきまで普通に話してたのに、それが終わった瞬間もうそっちに戻るんですから」
小さくため息をついて、それから少しだけ肩をすくめた。
「というか敬語……やめてくれないかい? 何というか、むず痒い」
「……え」
あかねちゃんは一瞬だけきょとんとして、それから小さく瞬きをした。そんな反応をするとは……少し予想外だった。
「今さらそこ気にするんですか?」
軽く笑いながらも、どこか確かめるようにこちらを見る。
「別に嫌とかじゃないですけど……お兄さんがそういうの言うと、逆に距離できてる感じして変な気分になります」
「最近、後輩が出来たんだよ……敬語で話されると会社を思い出してしまう。せめて知っている人くらいからは、フランクに話しかけて欲しいんだよ」
吸いながら答える。嫌ではないのだが……僕には後輩という存在がそんなにいなかった。高校の時の生徒会の時ぐらいだろうか。それ以降は後輩は出来たことなかったし、大学では、後輩と喋る機会はそんなになかった。社会人になって3年目で後輩が出来たが、慣れていない……何というか違和感がある。
「……ああ、なるほど」
あかねちゃんは少しだけ納得したように目を細めて、煙草を吸う僕の横顔を見る。
「そういう理由なら、まあ分からなくはないです」
完全に僕の都合だけどね……でも、歳が離れていてもあの頃みたいに話して欲しい。敬語で話されていると、僕は逆に距離を取られたと思ってしまうから。
「じゃあ……お兄さんの前では、ちゃんと崩して話すようにします」
「それでいい……話は変わるけど、ハリウッドの異常な役作りを知っているかい?」
「……また急ですね」
あかねちゃんは呆れたように目を瞬かせて、それから小さく笑う。
「でも、お兄さんってそうやって話題飛ばすの癖ですよね」
軽く肩をすくめてから、少しだけ興味を乗せた目になる。
「ハリウッドの役作りって……あの、体重増減とかするやつのことですか?」
確かに、体重を大きく変える人もいる。役に合わせて太った人もいれば、その逆に体を絞った人もいる。でも……本気になったハリウッドの役者はレベルが違う。
「役作りの一環として、実際にタクシーの免許を取った人がいたんだとか……凄いよね。役に真摯に向き合って、実際に免許を取るだなんてね」
「……それ、さすがにやりすぎじゃないですか?」
あかねちゃんは少しだけ目を丸くし、そのあと呆れたように肩をすくめた。
「役作りっていうより、もはや生活のほうが乗っ取られてる気がします」
軽く視線を落として、少し考えるように間を置く。
「でも……そこまでやるから“本物”って言われるんでしょうね」
「……仕事をする者は皆プロであり、その人はプロとしての役目を果たしたとも言えるね」
ちょうど煙草を吸い終わった。いつものように煙草の後処理をして、彼女の隣に座り直す。
「……お兄さんって、そういうところはちゃんと評価するんですね」
あかねちゃんは、他人事みたいに言っているけど……。
「さっきまで雑学とか役作りの話してたのに、急に“プロ”とか言い出すの、ちょっと温度差ありますけど」
「まぁ……そうだね。でも、他人事みたいに言っているけど、あかねちゃんもプロでしょ……役者の。ネットで記事になってるレベルだし」
「……そうですけど」
あかねちゃんは少しだけ視線を逸らして、川の流れを見ている。
「そういう言い方されると、なんか変に重くなるんですよね」
少しだけだけど、彼女の演技をネットで見た。まだ高校生という歳であのレベルの演技。それで謙遜するとはね。もう少し自信を持った方がいいと、お兄さんは思うけどね。
「別に、そんな立派なものじゃないですよ。まだ途中ですし」
「僕は演技のことは知らないから、君がそう言うならそうなんだろう。でも、アレで途中とはね」
昨日ネットで流れて来た、彼女のドラマでの演技。それが浮かぶ。とても途中とは思えなかった。小さい時に子役をしていたのは見てたけど、ここまでとはね……人生、わからない物だよ。
「……お兄さん、それ」
あかねちゃんは少しだけ間を置いてから、こちらを見る。
「素直に褒めてるようで、ちょっと評価のハードル上げてません?」
困ったように小さく笑って、視線を逸らした。お兄さん的にはそんなつもりなかったのだけど……プレッシャーを与えてしまったらしい。
「そういうの言われると、逆にやりづらくなるんですけど」
「そうかい? 素人の僕よりかは、君の評価が正しいと思っただけだよ。それに、僕はあかねちゃんの演技好きだよ。まだ、あかねちゃんの演技しか見てないけどね」
さりげなく演技を褒めながらスマホを取り出して画面を見せる。それは最近、貴女が出演していたドラマのワンシーン。ネットで転載されている物だ。
「……ほんとに見てるんですね」
あかねちゃんは一瞬だけ画面を見て、それから小さく目を伏せた。
「そういうの、わざわざ見られるのは……ちょっと恥ずかしいです」
少しだけ間を置いてから、こちらを見て困ったように笑っていた。
「しかも“好きだよ”って、軽く言いますね、お兄さん」
あかねの言葉に、不思議そうに彼は首を傾げている。
「好きなものに対して好きと言うのは、普通の事じゃないかい?」
スマホをポケットにしまいながら言葉を返してくる。当たり前のように言ってくる彼の姿は、少しだけ彼女の記憶にある昔の彼と重なる。
「……そういうところは、昔から変わってないですね」
あかねちゃんは小さく目を細めて、どこか懐かしむようにこちらを見る。
「さらっと言うのに、ちゃんと本気っぽいところとか」
「何言ってるんだい? 僕は、本気であかねちゃんの演技が好きって言ってんだよ?」
捻くれているのに、こういう所だけは真っ直ぐな彼。その彼の言葉に、あかねの思考が一瞬にして乱されてしまう。
「……っ」
あかねちゃんは一瞬、言葉を失ったように固まって、それから慌てるように視線を逸らした。
「そ、そういうの……本当に困るんですけど」
耳元まで少し赤くなったのを隠すみたいに、髪を軽くいじる。
「真面目に言われると、どう返せばいいのか分からなくなるので……やめてください、そういうの」
「へぇ……照れてるんだね」
耳まで赤くなっている彼女を見て、彼は悪戯っぽく笑った。その表情を見るのは初めてで、出会わなかった年月の中で彼が変わっていたことを、改めて思い知らされる。
「……っ、だからそういうのが一番ずるいです」
あかねちゃんは顔を逸らしたまま、小さく声を絞り出すように言う。
「分かっててやってますよね、お兄さん」
「さぁ?……何の事かな……お兄さん全然わからないなぁ」
わざとらしいその声は、いつもより少し高く、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。成長したと同時に、性格も少し曲がったみたいだ。
「……そういうところです」
あかねちゃんは顔を逸らしたまま、少しだけ語気を強めて言う。
「そうやって、全部はぐらかすところとか」
「ごめんね……少し虐め過ぎたみたいだね。こんなお兄さんは、あかねちゃんは嫌いかい?」
覗き込むように彼女の顔を見て、彼はニコッと笑いながらそう尋ねる。
「……嫌い、ではないです」
あかねちゃんは顔を逸らしたまま、小さく間を置いてから答える。
「そういうところも含めて……面倒くさいなって思ってるだけです」
面倒くさいか……高校の頃にもよく言われていた言葉だ。少しだけ懐かしさが胸をかすめ、どこか透き通るような感覚が残る。
「とりあえず今日は、あかねちゃんの可愛い所が見れて、お兄さん的には満足だね」
「……っ、もう」
一瞬だけ言葉に詰まって、それから顔を逸らしたまま小さく声を漏らす。
「そういうの、軽く言わないでください」
「軽くないって言ったら?」
彼女に顔を近づけ、真剣な顔でそう言う彼。
「……っ、それは」
思わず息を呑んで、逃げるみたいに視線を逸らす。
「それ以上は、ほんとにダメですから……」
おや……さらに赤くなった。でも……これ以上はやめておこうかな?
「なんてね……お兄さんみたいな悪い大人に引っかかったらダメだよ」
そう言いながら距離を取り、立ち上がる。開いていた鞄を手に取って、彼はその場を離れてゆく。
「じゃあね……あかねちゃん。今日は楽しかったよ」
何事もなかったように手を振りながら、彼は先に帰って行った。
「……ああいうところなんだよなぁ」
離れていく彼の背中を見つめたまま、小さく呟く。
「無駄に人の心だけ掻き回して、自分は満足して帰っていくの」
それでも嫌いになれないのが、たぶん一番厄介だった。
あんなふうに軽く笑って、冗談みたいに距離を詰めてきたかと思えば、最後には何事もなかった顔で離れていく。振り回されているのは自分の方なのに、気づけばその背中を目で追ってしまっている。
「……ほんと、ずるい」
もう聞こえない距離なのに、彼女は小さくそう零していた。
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