「……そういえば、お兄さんってお酒は飲まないんですか?」
少しだけ間を置いてから、思い出したように視線を向ける。何気ないふりをしながらも、ちゃんと観察の延長みたいに相手の反応を伺っている。
「あんな毒は二度と飲みたくないね」
「……煙草も十分、体に悪いと思いますけど」
少しだけ間を置いてから、淡々とした声で言う。呆れているというより、事実を確認するみたいなトーンで視線が彼に向けられた。
「それを吸ってる人が“お酒は毒”って言うの、ちょっと説得力ないですよ」
「何を言ってるんだい?煙草は毒じゃないよ」
真顔でそんな事を言ってくる。昔は『毒ガス』と表現していたのに、今では完全に喫煙者の思考になっていた。この表情からして、本気か冗談かわからない顔をしていた。
「……いや、どう考えても毒ですけど」
彼の反応に対して、彼女のツッコミが返ってきた。
「昔は“毒ガス”って言ってたのに、そこだけ都合よく忘れてません?」
「…………あれは、僕が社会人になって数週間の話で」
「今、話逸らしましたよね」
少しだけ間を置いて、淡々とそう言われる。責めるというより、事実を確認するみたいに……せっかく話を逸らしたのに……。
「さっきの話の続き、まだ終わってないと思うんですけど」
「…………新人歓迎会の時だった」
彼が取った行動は強行突破。無理やり話を始めた。そんな彼を見て、彼女は諦めたような表情をして話を聞くことにした。
「上司に酒を勧められてね、飲んだ。凄く不味かった……でも、断れなくてね。そのまま飲み続けたよ」
「……それ、ほぼ答えになってないです」
少しだけ間を置いてから、静かにそう返す。呆れているというより、事実を整理するみたいな声。
「話はまだ終わってないよ………その後に思いっきりその場で吐いてしまった………あの時の悲鳴は今でも覚えているよ」
「……それ、思い出話にしていいやつじゃないと思いますけど」
少しだけ間を置いてから、静かにそう返される。呆れているというより、評価を下すみたいな……現在進行形でお兄さんの株が下がっている気がする。
「むしろお酒がどうこう以前に、体質とかの問題じゃないですか、それ」
「あれ以降……上司から誘われても『また思いっきり吐きますよ』……って脅しの言葉として使っているよ」
最後にそう締めくくって話が終わった。最後は、どこか清々しい顔をしながらドヤ顔を浮かべていた。話のオチとしては最悪だ。
「……それ、誇れることじゃないと思いますけど」
少しだけ間を置いて、静かにそう返す。声は淡々としているのに、視線だけはしっかりと僕を捉えている。………普通に怖い。
「というか、それで“脅しになる”って思ってるの、たぶんお兄さんだけですよ」
小さく息を吐いて、呆れを隠す気もなくなる。とても素直だ……僕としてはそっちの方がいい。僕は、陰口や悪口は陰で言われるのは嫌でね。言うなら真正面から言ってきて欲しい。まぁ……彼女の場合は悪口とかではないけどね。
「普通は……“お酒が苦手”ってところで終わる話じゃないですか」
普通なら確かにそうだ。でも、その普通にお兄さんを当てはめないで欲しいものだね。
「わざわざ“吐く”までセットにして主張する人、初めて見ました」
「あれから僕はお酒が嫌いになった……お兄さんは煙草臭くはあるけど、酒臭くはならないよ」
「その比較いりません」
怒られてしまった。
「お酒の話をしてたはずなんですけど」
一拍置いて、淡々と続けられる。
「なんでまた、煙草の話に戻ってるんですか」
細かいな、あかねちゃんは。話が少し置き変わっただけなのに。
「とりあえず……飲むなら適正量。お酒は飲んでも呑まれるなってね……お兄さんとの約束だぞ」
あざとくウィンクをしながら、人差し指を鼻のあたりに当ててそんなことを言ってくる。顔立ちはイケメンと言っていい部類なのに、さっきまでのやり取りのせいでどうしても残念さが拭えない。
「……はいはい」
今日何度目かわからないため息を吐きながら、彼女は雑に返事を返してくる。あかねちゃんも、お兄さんの扱いが雑になってきたね。
「約束っていうか、今勝手に作りましたよね、それ」
一拍置いて、淡々と続ける。
「しかも内容が雑すぎて、守る以前の問題なんですけど」
「前にも言っただろう……反面教師にするといいって」
「……それ、自分で堂々と言うところまで含めてお兄さんなんですよね」
自分がダメな所があり、それで何度も失敗してきたのを自分がよく理解している。それに、今更カッコいいお兄さんブームは無理だからね……開き直った方がいい。
「普通、反面教師って自分で言うものじゃないと思うんですけど」
ごもっともな意見だ。普通なら言わないけど……僕はあいにく普通ではないので……自分でも言うのもあれだが、再会した子に対して「煙草買ってきて」だからね。
「しかも、言い方に全然反省してる感じがないですし」
「してないね……飲ませてきたの上司だからね。それに、お兄さんは過去を振り返らない男だから」
「……さっきめちゃくちゃ振り返ってたじゃないですか」
ツッコミが飛んでくる。いい反応をしてくれるから、あかねちゃんとの会話は楽しい。彼女からしたらとても面倒な存在だろうけど。
「新人歓迎会の話、自分から細かく説明してたのに」
おっと……痛い所をついてくるじゃないか。
「そういうところ、本当にその場のノリで喋ってますよね、お兄さんって」
「あかねちゃん……いい事を教えてあげよう。人生は勢いとノリで案外何とかなるんだよ」
「……その理論、お兄さんが言うと全然安心感ないんですけど」
おやおや……お兄さんは信頼がないみたいだ………およよ。
「実例が目の前にいるせいで、“何とかなる”より“何とかしてる途中”に聞こえます」
小さく息を吐いてから、ほんの少しだけ肩を竦めた。
「勢いとノリで生きてる人って、もっとキラキラした感じを想像してたんですけどね……思ったより生活感あるんですね、お兄さん」
「………昔はあんなにお兄さんって可愛く呼んでくれたのに、あかねちゃんがグレちゃった………お兄さん悲しいなぁ」
わざとらしくえーんと泣きながら両手で顔を隠す。しかし、指の隙間から彼女の方をチラッと見ている。役者をしている彼女にとって、嘘泣きというのは丸わかりだ。役者じゃなくても、演技が下手なのでわかりそうな感じはする。
「……泣き真似するなら、せめてもう少し隠してください」
あかねちゃんは、呆れたようにそう言いながら、指の隙間からこちらを見ている視線に気づいたみたいだ。ちょっと露骨過ぎたかな?
「普通、泣いてる人ってそんなチラチラ反応確認しませんよ」
一拍置いてから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「というか、お兄さんの場合“グレた”っていうより、私が慣れただけだと思います」
「適応能力が高くて、お兄さんは嬉しいよ」
わざとらしい泣き真似をやめて、ニコッと微笑んでくる。メンタルが弱いのか強いのか、わからない。打たれ弱い所もあれば、自分の失敗を堂々と話す時もある。
「……褒められてる気がしないんですけど」
お兄さん的にはちゃんと褒めたつもりだったのだけど………どうやら彼女からしたらそうは受け取ってもらえなかったみたいだね。
「というか、お兄さんって時々ほんとによく分からないです」
一拍置いて、彼の方を見ながらそう言ってくる。まるで観察するかのように。対象をジッと見ている。
「変なところで気にするくせに、開き直る時は妙に堂々としてますし」
「開き直りには定評があるんだよ………お兄さんは」
「……そこ、自信満々に言うところじゃないと思います」
今日話した内容を振り返ると、この男は酒の席で吐いて開き直っている。この字面だけでダメな大人だとわかるほど、話の内容が酷かった。
「なんでお兄さんって、変な部分だけそんな誇らしげなんですか」
さすがの黒川あかねでもフォローしきれなかった。
「普通もっと、別のところアピールしません?」
「…………お兄さんの唯一、アピールできる所があったよ、あかねちゃん」
少し考え込んで、そんな事を言ってくる。
「……嫌な予感しかしないんですけど」
少しだけ間を置いてから、警戒する視線を彼に送る。
「今日の流れで“アピールポイント”って言われても、素直に期待できないです」
小さく息を吐いてから、じっと彼を見ている。
「……一応、聞きますけど。今度はちゃんとしたやつなんですよね?」
「もちろんさ……ちゃんとアピールできる所さ」
自信満々に言っているが……嫌な予感しかしない。出会ってからの言動の数々から、あかねの第六感が反応している。
「顔がいい事だ………」
ルッキズムの権化みたいな事を言いながら、自信満々に胸を張っていた。確かに、顔は整っていて一般的にはイケメンと呼べる。
「……そこ、自分で言うんですね」
少しだけ間を置いてから、呆れ半分みたいな声で返す。
「普通そういうのって、周りが言うものじゃないですか」
確かにそうだけど……こう見えて高校や大学ではモテていた。その時に、自分が顔がいい事に気づいたけど。
「しかも中身の話をしてたのに、最後にそこへ着地するの、なんかずるいです」
「あかねちゃんも中身だけとは言ってなかったでしょ………まだまだ、だね。あかねちゃん」
楽しげに笑う姿は、昔と少し違い、どこか気怠げな空気を纏っていた。昔はもっと掴みどころのない軽さだけだったのに、今はそこに大人特有の疲れや諦めが薄く混ざっている。それでも、ふざけたことを言って笑う時の雰囲気だけは、昔とほとんど変わっていなかった。
「……そこは成長したって言ってくださいよ」
小さく息を吐きながらも、どこか呆れきれないような声音で返す。
「お兄さんこそ、昔より色々増えてるじゃないですか」
一拍置いてから、彼の顔をじっと見た。
「煙草とか、生活感とか……変な開き直りとか」
淡々と並べていくその口調に棘はない。ただ事実を確認しているみたいだった。
「なのに、ふざけ方だけ昔のままなの、なんか変な感じです」
そう言ってから、あかねはほんの少しだけ口元を緩める。
「……でも、ちょっと安心しました」
そう呟いた彼女の表情は、さっきまでみたいな呆れ半分のものではなかった。
昔と変わってしまった部分は確かにある。煙草を吸うようになって、生活感も増えて、どこか疲れた大人みたいな空気も纏うようになった。それでも……くだらないことで笑って、適当なことを言って、からかわれても楽しそうにしている姿だけは、記憶の中にいた“お兄さん”のままだった。
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