『天上天下 〜銀髪の蛇、宿命の檻〜』   作:トート

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第5話:不変の枷、胎動する爆拳

【一】

執行部の急襲を退けた夜から、銀はまた、どこへともなく姿を消していた。

百九十九センチメートルの超筋肉質な体格を持つあの銀髪の怪物は、普段、旧校舎の道場に居座るような真似はしない。ただ、彼がその場にいなくとも、道場に遺された圧倒的な気の残滓と血の臭いは、そこにいる少年たちの心を冷酷に縛り付け続けていた。銀という存在は、姿を見せぬ時ほど、真夜の精神を深く侵食する「目に見えない鉄格子」としてその威厳を増すのだ。

「……ッ、らあああッ!!」

翌朝の旧校舎の裏庭。凪宗一郎の叫び声とともに、乾いた打撃音が木霊した。

宗一郎は自らの拳から、未だかつてないほど激しい「熱」が湧き上がるのを感じていた。まだ雅孝に教えられた『気』の概念を完全には制御できていない。しかし、前夜に目撃した、真夜が放ったあの悍ましくも圧倒的な大人の気――銀の影を色濃く宿した黒い波動が、彼の野性を激しく突き動かしていた。

「宗一郎、焦るな。息が乱れてるぞ」

一歩下がった位置から、冷静に、しかし鋭い視線で指示を飛ばすのは高柳雅孝だった。

雅孝の胸中もまた、言葉にできない激しいやきもちと無力感で引き裂かれていた。実の兄である光臣の執念、そして真夜の目が銀だけを追っているという残酷な現実。だからこそ、彼はこの新入生たちを死線へと追い込み、銀の牙を砕くための「真の爆拳」を呼び覚ましようとしていた。

「分かってんだよ……! でも、あの銀髪の野郎の呪いに侵されて、あんな悍ましい気を放ってた真夜さんの姿が、頭から離れねぇんだ!」

宗一郎は茶髪を振り乱して並走する亜夜の姿を視界の端に捉えながら、さらに深く腰を落とした。

「凪くん、無理しないで……!」

亜夜は、汗を流す宗一郎の隣で、自らも棗一族の体術の型を愚直に繰り返していた。鮮やかな茶髪が朝光を浴びてきらめく。彼女はそれなりに戦える強さを持っていたが、それでもお姉ちゃんの放つ異質な闇の前では、己の無垢な光が容易に押しつぶされることを本能で察していた。だからこそ、大好きな宗一郎の盾になるために、健気に己を鍛え上げていた。

「ボブ、右の大脈だ! 体内の気の流れを一点に集中させろ!」

雅孝の怒号が響く。ボブ牧原もまた、己の限界を超える打撃を岩肌へと叩き込み、拳から火花を散らせていた。少年たちの壊れゆく純粋な正義感が、姿なき最強の怪物への反逆を胸に、血を吐くような修行の中で急速に牙を研ぎ澄ませていく。

【二】

一方、学園の最高峰に位置する執行部会長室。

格子窓から差し込む斜陽を背に、高柳光臣は、鉄の規律で統治された学園の動向を冷徹に見つめていた。

前夜の柔剣部襲撃の失敗。精鋭部隊を一瞬で当身によって無力化した、真夜の背後に揺らめいていた銀の『黒厳蛇』の脅威。

光臣の心は、真夜への歪んだ未練と、銀への狂気的な嫉妬によって、すでに限界を迎えていた。実の弟である雅孝や、慎の妹である亜夜までもが柔剣部に集い、あの男の影の元で自分に牙を剥こうとしている。

「銀……お前がどれだけ真夜の五体を縛ろうが関係ない。俺は高柳のすべてを賭けて、お前をこの学園ごと完全に葬り去る」

光臣の拳から、黄金色の龍の気の波動が陽炎のように立ち上り、周囲の空気をみしり、と震わせる。

彼はこれ以上の足踏みを許さなかった。柔剣部を、そしてその背後に潜む銀を合法的に圧殺するため、光臣は執行部が誇る最強の特攻隊長であり、人間離れした怪力を持つ巨漢「道海」を呼び出し、柔剣部の完全抹殺を冷酷に命じたのだった。

【三】

その夜、柔剣部室の奥の薄暗い私室。

銀の姿はどこにもない。しかし、部屋の古びた寝台の上に横たわる真夜の胸の内は、銀のいない静寂の中でこそ、より激しく引き裂かれていた。

(殺したい……。あんたをこの手で殺して、兄さんの仇を討つ……っ)

真夜の胸を占めるのは、銀への「凄まじい憎悪」だ。しかし、彼がいない夜の冷たさが、逆に、彼女の皮膚の裏側に残る銀の無骨な手のひらの熱を鮮烈に呼び覚ましていた。あの圧倒的な暴力で自分を壁に圧し潰したあとに与えられる、自分だけのものであるはずの優しい手つき。

その記憶が脳裏を支配するたび、真夜の心は、「それに勝る狂おしいほどの愛」に灼かれ、彼なしでは息ができない壊れた人形のように震えるのだった。

「……ん、ぁ……っ。死ぬほど憎いのに……どうして、あんたの熱が、こんなに愛おしいの……っ!」

真夜は涙を流しながら、自らの首筋に残る傷痕を強く指でなぞった。光臣の未練や、雅孝の視線、あるいは妹である亜夜の純粋な光――それらが迫れば迫るほど、真夜のやきもちは歪んだ形で銀への絶対的な依存へと昇華されていく。

その時だった。

ドゴォォォォンッ!!

柔剣部の道場全体を揺らす、凄まじい地鳴りのような衝撃音が私室まで響き渡った。

「柔剣部のガキどもォ! 執行部特攻隊長、道海が相手をしてやるたい!」

凄まじい巨体を誇る修行僧・道海の咆哮が、夜の道場に響き渡る。光臣の命令を受け、柔剣部を今度こそ完全に圧殺せんとする、執行部最強の刺客の来襲であった。

「……来たわね」

真夜は涙を拭うと、大人の色気と強さの仮面を再び被り、腰の式刀『零毀』に手をかけた。

銀はここにはいない。だが、彼の残した絶対的な檻を守るため、そして少年たちの覚醒をかけた、学園一斉抗争の本当の地獄が、ついに幕を開けるのだった――。

 

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