Archive of the Ear 作:階段の隅
お題
キャラ:マキ
シチュ:自分以外誰も来ていないのに描いた覚えのない落書きが増えていく廃墟、よく見ると落書きにはメッセージが隠されていて……
「うっ……臭いスゴ……」
「足元気を付けてね。結構ボロだし、ゴミとかもいっぱいあるから」
「う、うん……」
艶やかな栗色の髪を腰まで伸ばした少女が散らかった足元なんてものともせずにマンションの中を進んでいく。
彼女との出会いは唐突だった。
グラフィティを描きたい衝動を誤魔化すように、外でスケッチブックに心のままペンを走らせてる時のことだ。
「ねえ、アナタ絵が好きなの?」
不思議な雰囲気の子だった。たぶん、年上だ。
けれど年上感を感じさせない雰囲気で彼女は話しかけてきた。いや、勝手に話し出したと言うべきか。
「私もね、好きなんだ。こういう大きな壁とか見るともううずいちゃってさ」
「キミも? 実は私もなんだよ!」
マキの背後にはグラフィティを描くのにおあつらえ向きな壁があった。
けれど、マキは先生との約束の手前描くわけにはいかなかった。
だから絵を描く衝動を誤魔化す為にスケッチブックを開いていたのだ。
とにかく、少女の言葉で彼女がいわゆる同類だと直感してからはあっという間だった。
ほんの僅かに存在した彼女との壁は最初から無かったように二人はグラフィティについて語りあった。
その途中で彼女が不意に誘ってきたのだ。
「ねえ、ちょっと行ったマンションにさ。私の描いた絵があるんだ。見てみない?」
断ると言う選択肢なんて無かった。この人はどんな絵を描くんだろう。どんな色使いをするんだろう。
そんな興味が沸いてしまって仕方がない。
だから、誘われるままに付いてきたのだ。
そうしてたどり着いたのは割と大きなマンションだった。
6階建てくらいだろうか。大きさだけならかなりのものだろう。
けれど、外から見ただけで分かるほどにそのマンションはボロボロだった。
外壁の塗装は剥がれ落ち、あちこちに落書きがされ、半分かそれよりちょっと多いくらいの部屋の窓ガラスは割れている。
エントランス前の広場なんかは雑草が延び放題になっていて、一人なら間違いなく踵を返していただろう。
そんな道を通りながらマンションの中に入って、今に至る。
「ねえ、ホントにここなの?」
もしかして、自分は騙されたのではないか。そんな不安がマキの心の中にじわりとしみ出してくる。
それくらい、マンションの中は荒れ放題だった。
不良が溜まり場にしていて、時おり今のマキのような子を連れてきては身ぐるみはがすために使っている。
そんなことを言われたって納得できるほどに。
「汚いのは悪いと思ってるよ。夜なんかは不良が溜まり場にしてるみたいだしね。でもあいつらの後始末を私がするのも癪だし」
少女はどこか気に入らなさそうな声でマキの問いに返した。
彼女はマキの前を歩いているから表情までは見えない。
それでも、その声色から彼女も不良たちをよく思ってないように感じられた。だからと言って、無条件でそれを信じられるわけではない。
油断はしないようにしなきゃ。心の中でそう呟きながら、マキはゴミに足を取られないように気を付けつつ少女について行く。
階段を上り、2階へ。廃墟だから当たり前だけれど、マキと少女の足音だけが建物に響いた。
少女は器用にゴミや廃材を避けながら廊下を歩いていく。
2階ともなると外からの光もほとんど入らない。今はまだ踊り場に取り付けられている採光窓からの光で先が見えるけれど、その距離だってたかが知れている。階段前の広場から廊下に入って2メートルも見えれば良い方だろう。
なのに、少女はまるで暗闇でも目が見えるかのようにすいすいと進んでいく。
「ま、待ってよ!」
慌ててポケットからスマホを出して、ライトを点灯させる。
これから進む暗い廊下を照らすには、スマホの光は余りにも頼りない。
けれど、少し先を行く少女姿を照らすには十分だったようだ。
「ほら、早く」
ゴミや埃、カビ、錆まみれの廃墟の中にあって、スマホのライトに照らされて微笑む少女の姿だけが異様なほど美しかった。
「う、うん!」
見とれそうになったのを誤魔化すように早足で少女に歩み寄ると、彼女は自然な手付きでマキの空いた手を握ってきた。
ひんやりしていて、少し気持ちが良い。そう感じるのは普段立ち入らないような危ない場所に来てテンションが上がっているせいだろう。
だってこんなシチュエーション、レトロな娯楽本にあったようなちょっと冒険そのものじゃないか。
これから見られるであろう少女の絵への期待と、非日常感溢れるシチュエーションにマキは舞い上がっていた。
さっきまで鼻をつまみたくなっていた悪臭や、どことなく怖く見えた暗闇も今では冒険を楽しむ良いスパイスにしかならない。
「さ、まずはここかな」
少女が足を止めたのは廊下の突き当たりにある部屋だった。
電気が通ってないマンションなのに僅かに開いた玄関ドアの隙間からかすかに明かりが漏れてくる。
オレンジ色の光は、たぶん夕陽だろう。
少女がドアに手を掛けてゆっくりと開けていく。
廃墟にしては意外なことに
静かに開いたドアと、部屋の中から漏れてくるオレンジ色の光はマキを歓迎している……ように見えなくもない。
自然とマキは唾を飲み込んだ。怖くなんてない。これは期待だ。
少しだけ強く、少女の手を握った。
それを合図と受け取ったのか、少女は部屋の中に入っていく。
彼女に手を引かれるように、マキはゆっくりと足を踏み出して部屋の中に入っていった。
玄関を通りすぎ、数歩分くらいしか距離のない廊下を通りすぎて奥の部屋へ入る。
大きな窓の外にベランダがあり、部屋の片側にはシンクやカウンターが備え付けられているのを見るにここがリビングだったのだろう。
そのシンクの反対側。日焼けした壁紙に絵が描かれていた。
「え……なに、これ……」
マキの口からそんな言葉が文字通り漏れ出ていた。
もとはきっと、儚さを感じるような少女の絵だったのだろう。
線が細く、どこか憂い気な目をしたロングヘアの少女が写実的に描かれていた。
けれど、その上から。
キモい!
ブス!
ヘタクソ!
画家気取りめ!
真っ赤なスプレーで罵詈雑言が書き連ねられていた。
「なんで、こんな酷いこと……」
「あのバカどものせいだよ。アイツらは、芸術がなんたるかを理解しようともしないんだから」
少女はなんでもない風を装っていたけれど、その声には隠しきれない怒りがにじんでいるようにも聞こえた。
マキもまた、こんな非道を行った奴らに怒りを覚えていた。
たとえ廃墟であっても勝手にグラフィティを描くのはいけないことだ。それは分かっている。
だとしても、こんな仕打ちはあんまりではないか。
いったい誰が。
「ねえこれ、さっき言ってた不良たちがやったの?」
聞いてどうなるわけでもないのは分かっていた。それでも、聞かずにはいられなかった。
けれど、少女の答えは不自然なほどにあっさりとしたものだった。
「さあ。誰かなんてどうでもいいよ。そんなことより次行こ。ここだけじゃないんだ」
「えっ……あ、わっ……待って待って!」
「早く早く。日が暮れたら見にくくなるよ」
どうして、こんな酷いことをされたのに。
そんな疑問を持つ隙すら与えまいとするかのように、少女は部屋を後にする。
マキが手を引かれて部屋を出ると同時に、真後ろで玄関ドアが音を立てて閉じた。
驚く暇もなく、マキは少女に手を引かれるがままに歩く。
もちろん、足元に気を付けながら。ゴミや廃材が散らかっているのは変わりない。
だから気が付くのが遅れた。
「……っ!」
階段上って4階に着いた時だ。
その異様な光景にマキは言葉を失った。
出ていけ!
害虫!!
恥知らず!
あの絵に書きなぐられていたものと同じような罵詈雑言が、床に、壁に、天井にまで書かれていた。
「気にしちゃダメだよ。ただのやっかみなんだから」
ただ少女だけが、この異様さに呑まれることなく自然だった。
マキはもうほとんど何が何だか分からなかった。
目から入る情報を、うまく処理できない。
帰るべきだ。本能的にそう感じた。
なのに、マキは自分の手を引いて廃墟の奥へ進む少女を振り払えずにいた。
それが何故なのかは、マキにも分からなかった。
そうして、またひとつの部屋にたどり着く。
少女が静かに扉を開けると、また中から光が漏れてきた。
先程よりも明るく、そして何となく赤く見える。
日没が近い。
部屋のレイアウトは2階の部屋と変わらなかった。
不思議と、部屋の中には罵詈雑言が書かれていなかった。
奥へ進む。
リビングの、やはり一番奥の壁にそれはあった。
「…………」
最早言葉もなかった。
そこには罵詈雑言だけではない。もともと描かれていたのだろう絵の上に子供が描いたような稚拙な絵が……いや、絵と呼ぶには余りにも悪意に満ちたそれが塗りたくられていた。
もとの絵は……怒っているのだろうか。目を吊り上げて何かを見上げるようにしている少女を横から見た絵のように見える。
それが悪意の主にとって都合が良かったのだろう。
少女の口元にはまるで悪魔のような牙が、頭には角が。そして背中には皮膜のない骨だけの翼が描き足されていた。
その上からさらに悪辣な言葉が叩きつけられている。
街の汚物!!
一流(笑)
芸術魂とかw
厨二病乙
余りにも酷い有り様に、マキはもう絵を見ることが出来なかった。
目をぎゅっと閉じて絵から顔を逸らす。
けれども、目にした悪口がまぶたの裏に焼き付いて離れない。
「……やっかみもここまで来ると立派だよね。そんなことする暇あるなら、自分の腕を磨けば良いのにさ」
心底呆れた、と言わんばかりにため息を吐く少女にマキは思わず声を荒げた。
「こんな、こんなの酷すぎるよ! いくらなんでもやりすぎだって!」
自分の絵じゃないけれど、少女の心中をマキは想像せずにいられなくて、だから無性に悔しくて、悲しかった。
そんなマキを見て少女はくすりと笑みをこぼす。
「やっぱり、アナタはちゃんと芸術が分かるんだ。連れてきて良かった」
「……でも、そうだとしても私なにもしてあげられない」
グラフィティはミドリが使うようなペンタブでイラストを描くのとは訳が違う。ボタンひとつで気に入らない表現を消すなんてことは出来ない。
どうしても消したいのなら、キャンバスをまるごと洗うか……あるいは上から全てを塗りつぶすか。どちらかだ。
そしてそれは、少女の絵を、彼女のその時の思いを、そこまでかけた時間を全て無かったことにするのに等しい。
そんなこと、マキには出来るはずもなかった。
悪意の下にかすかに見えた、少女たちの絵。
何かを訴えるかのような、訴え掛けられるような。そんな不思議な感覚にさせられるあの絵たちを無かったことにするなんて。
「ごめん」
マキは自分の無力さを謝ることしか出来なかった。
そんな彼女の手を、少女は笑って掴んだ。
「そう思ってくれるなら、最後の絵も見てってよ。きっと、あれは大丈夫だから」
「最後の……?」
「そう。ほら、いこ?」
再び少女に手を引かれてマキは廊下に出る。
スマホのライトが最早隙間もないほどに書き込まれた悪意たちを照らし出す。
薄暗く、埃っぽい廊下は既にない。
赤いスプレーで書かれた悪意で埋め尽くされたそこは、まるで怪物の腹の中のようにすら思えた。
見ないようにと意識しても、悪意たちは目に飛び込んでくる。それでも出来るだけ見たくなくて、うつむきがちに歩いた。
嗅ぎなれたはずのスプレーの匂いが、今だけは鼻の奥に突き刺さって痛い。
まるで、これらはたった今書かれたもののようにすら思えた。そんなはずはないのに。
視覚と嗅覚。その両方を攻め立てられながら歩く廊下はとても長く感じた。
階段にたどり着き、一段ずつ上る。やはり、階段にもそれらは存在した。
息が詰まりそうになりながら一段ずつ上っていく。
そうして、終着点にたどり着いた。
「着いたよ」
少女の言葉に顔を上げる。
目の前には屋上に続くのだろう扉がそこにあった。
悪意にまみれた怪物の腹の中で、これだけが何ともなかった。
ただの灰色の鉄扉が、それだけで何か特別なもののように見える。
「さあ、私の傑作を見て?」
手を繋いだ少女が先を行き、鉄扉を押し開ける。
沈みかけた夕陽の光が暗闇に慣れた目には眩しい。
目を細めながら少女に手を引かれるまま屋上に出て、少し歩く。
「あ……」
少女が足を止めたのと、マキがその絵に気が付いたのはほとんど同時だった。
屋上に建てられた、何らかの小屋のような建物。
その側壁をキャンバスにして、ひとつの絵が描かれていた。
落書きも悪意もない、純粋な絵だった。
「すごい……」
思わず一歩、足を踏み出した。もっと近くで見たいと思ったから。
描かれていたのはやはり写実的な少女の絵だ。
ただ、これまでと違うのはその表情と雰囲気だろう。
描かれた少女の表情は晴れやかで、希望に満ちているようにその目は輝いている。
まるで今にも飛び立っていきそうに見えるのは背中にある純白の翼を大きく広げているからだろうか。
前二つの絵に比べて、それは"自由"だった。
何から自由になったのか。それは描かれていない。
それでもマキはその絵から"自由"を確かに感じた。
素晴らしい絵だった。掛け値無しにそう思えた。
「ねえ! これ本当にすごいね! あと写真撮っても――」
だから、この感動を作者である少女に伝えたくて、そして写真に残したくて許可をとろうと振り返った。
「……あれ? ねえ、どこ!?」
そこにいたはずの少女は、どこにもいなかった。
まるで最初から誰もいなかったかのように、彼女は音もなく姿を消していた。
ちょうど、日が沈むところだった。
「ってことが昨日あったんだよねー」
翌日、マキはゲーム開発部のミドリと昼食を食べながら昨日の出来事を語っていた。
「ホントに凄くてさー。結局その後あの人見つかんなくて。悪いなとは思ったんだけど、写真だけ撮って帰ってきちゃった」
語りながらマキは手元のスマホを見て頬を緩める。
そこには、あの屋上の絵が写っていた。
「ねえ、マキちゃん」
「なあにミド」
ミドリに声をかけられてスマホから顔を上げると、そこには怪訝そうな顔をしたミドリがこちらを見つめていた。
「そのマンションって……ミレニアムから電車で20分くらいの駅からちょっと歩いたとこ?」
「え? うーん、確かそうだったかな。それが?」
ミドリの意図が読めず、首をかしげながらそう聞き返す。
するとミドリは何かを言おうとして迷うような表情をした後、彼女のスマホを見せながら口を開いた。
「そのマンション、もう無いはずなんだけど……」
ミドリが見せてきたスマホには、心霊スポットをまとめたサイトが表示されている。
そして今表示されているのは、確かに昨日訪れたあのマンションの写真が載せられたページだった。
記事のトップには赤文字で大きく注釈が書かれている。
その注釈を読んで、マキは驚きに目を見開いた。
「既に解体済み。現在は空き地となっており、心霊現象の報告もない……嘘、だって確かに……!」
あわてて自分のスマホに目を落とす。
そこには確かに、昨日撮ったあの絵の写真が表示されている。
では、これは一体何なのか。
「ちょっと見てくる!」
「え!? 午後の授業は!?」
「ごめんミド! 適当に誤魔化しといて!」
いてもたってもいられず、マキは学校を飛び出して昨日訪れたはずのマンションへ向かう。
向かっている間、ずっと心臓がドキドキしていた。
そんなはずはない。昨日は確かに。なんて言葉がずっと頭の中で反響している。
記憶を頼りにあのマンションへの道を急ぐ。
幸いにも、と言うべきか。迷うこともなく見覚えのある道にまでたどり着くことが出来た。
昨日見た通りの道を早足で通り抜ける。あと少し歩いて曲がり角を曲がればマンションがあるはずだ。
そうして記憶の通りの曲がり角を曲がった時だった。
「…………」
何もなかった。延び放題だった雑草も。あのボロボロのマンションも。
最初からそんなものはなかったかのように、そこには土がむき出しになった空き地がぽっかりとあるだけだった。
目の前の現実に、どうしたらいいか分からない。
どう考えてもおかしかった。あの絵の写真は確かにマンションの屋上で撮ったのだ。
屋上までは高さにして約20メートルといったところだろうか。目の前の光景が現実なら、昨日マキは20メートル近く空を飛んでありもしない絵を撮ったことになる。
そんなことが出来るはずがない。体ひとつで空を飛び回るような技術は、ミレニアムでもまだ作れていないのだから。
じゃあ、いったいどうやって。
マキはしばらくの間、スマホの写真と目の前の空き地の間を何度も見比べた。
もちろん、そんなことをしたってなにも分からなかったけれど。
そうして、どのくらい経った頃だろうか。
不意にスマホからモモトークの着信を知らせる通知音がなった。
ミドかな、とぼんやりと考えながら緩慢な動きでモモトークを開く。
バグだろうか。トーク相手の名前が表示されない。
けれど、マキには誰からのメッセージかすぐに分かった。
また今度、良いのが出来たら教えるね
「キミは……一体誰なの……?」
スマホから顔を上げて、何もない空き地に向かって呟く。
その問いに、答えてくれるものはいない。
ただひとつ、分かったことがある。
あの不思議な出会いには、きっと次があるということだ。
「……次は名前、教えてくれるかな」
熱に浮かされたようなため息と共に漏れでた言葉は、生ぬるい風に流されて消えていった。
結構お題を無視した内容になったかもしれない。許して