秋の夜だった。
夏の熱もすっかり消えて、風に少しだけ冷たさが混じり始めている。
仕事帰り。
時計はもう十一時を回っていた。
別に残業があったわけじゃない。
ただ、家に帰る前に少しだけ歩きたくなった。
最近はそんな夜が多い。
昔みたいに眠れないわけじゃない。
寂しいわけでもない。
ただ、夜の静けさが好きだった。
街灯。
遠くを走る電車。
コンビニの明かり。
人の少ない道。
そういうものを眺めながら歩いていると、少しだけ気持ちが軽くなる。
空を見上げる。
月が綺麗だった。
「……秋か」
誰に言うでもなく呟く。
その時。
「見つけた」
声がした。
後ろからだった。
聞き間違えるはずのない声。
懐かしい声。
胸の奥が、どくんと鳴る。
ゆっくり振り返る。
街灯の下。
帽子。
緑色の髪。
少しだけ嬉しそうな顔。
「やっと会えた」
こいしちゃんがいた。
その瞬間。
時間が止まった。
声が出ない。
何も言えない。
ただ、見つめることしかできなかった。
こいしちゃんは少し困ったように笑う。
「どうしたの」
返事ができない。
だって。
何年だろう。
三年?
四年?
もっとかもしれない。
もう会えないと思っていた。
春の朝。
あの別れ。
あの笑顔。
「ちゃんと夜を好きでいて」
その言葉だけを残して、彼女は消えた。
それから。
仕事をして。
人と出会って。
笑って。
泣いて。
時々夜を歩いて。
時々思い出して。
でも。
会えるなんて思わなかった。
だから。
「……こいしちゃん?」
やっと出た声は、少し震えていた。
「うん」
変わらない返事。
「……本当に?」
「本当だよ」
彼女はくすっと笑う。
「偽物だったらどうするの」
その笑い方。
その声。
その顔。
懐かしくて。
懐かしすぎて。
胸の奥が熱くなる。
「……会いたかった」
気づけば口にしていた。
自分でも驚くくらい自然に。
「すごく」
こいしちゃんは少し目を丸くした。
それから。
少し照れたように笑った。
「うん」
風が吹く。
秋の匂いがする。
「私も」
その一言だけで。
何年も空いていた時間が、ふっと埋まっていく気がした。
こいしちゃんは僕の顔をじっと見つめる。
「変わったね」
「そうか?」
「うん」
彼女は嬉しそうだった。
「ちゃんと大人になってる」
「そりゃなるよ」
「えらい」
「子供扱いするな」
「えへへ」
笑う。
昔と変わらない笑顔だった。
でも。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
優しい笑い方になっていた。
「君は変わらないな」
僕が言うと、こいしちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「そう?」
「うん」
「変わってるよ?」
「どこが」
「秘密」
そう言って笑う。
しばらく二人で立っていた。
夜風が吹く。
虫の声が聞こえる。
誰もいない道。
静かな時間。
不思議だった。
気まずくない。
何年も会っていなかったのに。
まるで昨日の続きみたいだった。
「ねえ」
こいしちゃんが空を見上げる。
「夜、好き?」
僕は少し笑った。
「好きだよ」
「ほんと?」
「うん」
「ちゃんと?」
「ちゃんと」
すると彼女は、どこか安心したように笑った。
「よかった」
その笑顔を見て、胸が少し痛くなる。
会いたかった。
本当に。
もう一度会いたかった。
たぶん、思っていたよりずっと。
「ねえ」
僕が呼ぶ。
「ん?」
「また会える?」
こいしちゃんは少し考えて。
それから悪戯っぽく笑った。
「どうかな」
「おい」
「でも」
彼女は一歩近づいてくる。
月明かりの中。
昔より少しだけ背の高くなった僕を見上げながら。
「今度は、そんなに待たせないよ」
その声は優しかった。
そして。
どこか嬉しそうだった。
「だからさ」
こいしちゃんは笑う。
「久しぶりなんだから、歩こ?」
僕も笑った。
「どこに」
「知らないところ」
「相変わらずだな」
「夜なんだから」
そう言って。
こいしちゃんは先に歩き出す。
月明かりの下。
揺れる帽子。
懐かしい背中。
僕は少しだけ目を細めた。
秋の風が吹く。
夜は静かだった。
でも。
もう寂しくはなかった。
隣に、ちゃんと。
会いたかった人がいるから。
止まっていた僕の夜が、また動き出した気がした。
前回で最終回といいつつ翌日に次を出すっていうね。すみませんね。やっぱりこのシリーズは書いていて楽くて、続き書きたくなっちゃいました。せっかく結構綺麗に終わったのになあと少し後悔はありますがあくまで自己満なのでご容赦ください。最後に、こんな後書きまで読んで頂き、ありがとうごさいます。