世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録   作:ルーズベルト(-5㎏)

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15. るんるん

バイキン城・格納庫。

 

 だだんだんの装甲に、るんるんの培養カプセルが無数に増設されている。ばいきんまんが最終チェックをしながら、コンソールを叩いている。

 カバオが傍らで、だだんだんの修理パーツを磨きながら黙って見ている。るんるんの声が遠くから微かに聞こえる。ドームの方角から。

 ドキンが出撃するばいきんまんを見送る。何も言わない。ただ、彼の背中に向かって、汚れた指先で真紅のポリッシュを塗り直したばかりの自分の爪を、手のひらの中で強く握りしめた。

 

 それだけだった。

 

 夜の荒野。だだんだんがドームへ向けて進軍する。

 

【挿絵表示】

 

 鉛色の雲が低く垂れ込め、荒野の地平線にはドームの琥珀色の光だけが、冷たく滲んでいた。防壁の外縁に近づくにつれ、大気が変わる。無菌の熱と、外の世界の凍えた空気が衝突し、濃密な白い霧が視界を覆っていく。

 ばいきんまんがカプセルの解放レバーを引いた。音もなく、カプセルの封が破れた。

 

 無数の青黒い胞子が、夜の大気へと一斉に解き放たれた。それはまるで、闇そのものが生き物として膨張していくような光景だった。一粒一粒は目に見えないほど小さい。しかし数万、数十万と寄り集まり、夜霧と混ざり合いながら、ドームの換気システムへ、配給ラインへ、住民の呼吸へと静かに広がっていく。

 るんるんは命令を待たない。ただ、甘い匂いを追って、本能のままに。

「さあ、行け。あの無菌室を、思う存分汚染してこい」

 

 ドームの内側。

 それは、甘かった。圧倒的に、狂おしいほどに、甘かった。

 

 るんるんの群体にとって、この白い箱の中は楽園だった。至るところに充満する糖質と有機水分の匂い。配給ラインを流れるパンの生地、住民たちの呼気、そして床の目地に積もった微細な澱粉の粒子。すべてが、栄養だった。すべてが、増殖のための培地だった。

 

 チチチチ……。

 

 群体は歌うように震えながら、壁の隙間へ、換気口の奥へ、天井の暗部へと広がっていく。触れるものすべてを自分たちのものにしながら、数が増え、密度が上がり、青黒い波はどこまでも膨張していく。

 住民たちが次々と目を覚ました。鎮静ガスが効かない。換気口から漂う青黒い霧が、彼らの肺へと静かに入り込んでいく。ドームの管理システムが「警告レベル:重大」を発令した。その警告を、るんるんは知らない。ただ、甘い匂いがする方へ、甘い匂いがする方へ。

 

 白い影が来た。

 るんるんたちは、最初それが何なのか分からなかった。

 

 遠くから、床を抉るような速度で迫ってくる白い塊。その周囲だけ、大気が乾いていた。湿気が、消えていた。甘い匂いの中に、突然、何もない「死の空白」が出現したような感覚。近づかなければいい。それだけのことだった。しかし群体の本能は、甘い匂いに向かって止まれない。

 

 先頭の個体が、ショクパンマンの輪郭に触れた。その瞬間だった。

 チチチチ――!!

 

 触れた個体が、悲鳴を上げる間もなく、乾いた黒い粉末へと還った。菌糸を伸ばす間もない。接触した瞬間、UV-Cの高密度光が細胞壁を破壊し、水分を一瞬で蒸発させる。るんるんにとって、それは「触れると死ぬ壁」だった。

 群体がざわめいた。回り込もうとする。しかし白い影は止まらない。光の届く範囲を広げながら、一定の速度で群体の中を進んでいく。触れるものすべてを黒い粉末に変えながら。

 

 数万だった波が、数千へ。数千が、数百へ。

 逃げる。逃げる。しかし甘い匂いが呼んでいる。甘い匂いの方へ戻ろうとするたびに、白い光がそこにある。

 『……ル……ン……』

 群体の声が、急速に小さくなっていく。

 

 その匂いが、した。

 るんるんたちが本能で感知した瞬間、群体全体が静止したかのようにざわめいた。

 

 これは、今まで嗅いだことがない。配給ラインのパンでも、住民たちの呼気でも、床の澱粉でもない。もっと濃く、もっと純粋で、もっと圧倒的な糖質と有機水分の塊。まるで、生命そのものが焼き上げられたような、胸が焼けるほどに純粋な、焼き立てのパンの香り。

 夜空から、それは降りてきた。

 

 完璧な球体の頭部。陶器のように記号化された不変の笑顔。背中には、凝固した血のように重い赤色のマント。

 アンパンマンだった。

 

 るんるんは、その甘い匂いに向かって殺到した。波が、津波が、その足元へと押し寄せる。装甲の隙間を縫うように菌糸が侵食し、頭部の有機組織へと貪るように食らいついていく。甘い。甘い。甘い。これこそが、最高の栄養だった。

 アンパンマンの動きが、急速に鈍り始める。頭部表面に、黒い斑点が浮かび上がり始めた。

 

 コクピットの中で、ばいきんまんはモニターを見つめていた。

 アンパンマンがるんるんに侵食されていく。頭部の黒い斑点が広がっていく。思い通りだ。計画通りだ。

 しかし、ショクパンマンがるんるんを焼き続けている。数万が数百に減った。配給ラインの奥深くに逃げ込んだ個体も、白い光が追いかけていく。

 

「くそ……っ、くそ、くそ、くそ! るんるんが焼かれていく……!」

 

 レバーを握る手の甲に、青白い血管が浮き上がる。

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