世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
アンパンマン号の内部で、ジャムはモニターを静かに見つめていた。
配給ラインへの混入。換気フィルターの異常。住民の幻聴。
そして今夜、ドームの内側を津波のように埋め尽くした青黒い群体。「……やはり、そういうことか」平坦な声が、アンパンマン号の内部に静かに落ちた。
断定できなかったものが、今この瞬間、完全に確信へと変わった。あの青黒い群体は、ばいきんまんが新たに作り上げた生物兵器だったのだ。
「バタコ。ショクパンに緊急指令を」
「了解。巡回中のショクパンへ、エマージェンシーを送信」
次の瞬間、ドームの遠く、配給区画の方角から、地を割るような重低音が響いた。巡回中のショクパンマンが、緊急指令を受信したのだ。通常巡回時とは明らかに異なる、床を抉るような速度で、その白い影がるんるんの群れへ向かってくる。到達までは僅か数十秒だった。
ショクパンマンの高出力UV-Cが、るんるんの群れを次々と焼き尽くしていく。
チチチチ――!!
いつもなら這い回り、菌糸を伸ばして有機物へと食らいつくはずのるんるんが、ショクパンマンへの接触を試みた瞬間、触れるより早く光に焼かれ、乾いた黒い粉末へと還っていく。菌糸を伸ばすことすらできない。完全乾燥装甲の前では、るんるんの本能的な捕食行動そのものが死に直結する。
『……ル……ン……』
群体の残滓が、急速に消えていく。
コクピットの中で、ばいきんまんはモニターから目が離せなかった。アンパンマンに群がっていたるんるんが、ショクパンマンの光に焼かれるたびに、黒い粉末となって白い床へと散っていく。
だだんだんの火器管制システムが、バタコによる『生命の核』射出シークエンスを検知した
ばいきんまんがバイキ・ウェブの照準を合わせようとした、その瞬間だった。
ドォン――!!
ショクパンマンの白い巨躯が、だだんだんの正面へと音速で飛び込んできた。その頭部から放たれるUV-Cの閃光が、コクピットの分厚い装甲越しにも網膜を灼くように白く炸裂する。だだんだんのモノアイが、強烈な光量に焼かれて一瞬、完全にブラックアウトした。
「視界が――!」
完全な白の暗闇の中、ばいきんまんの指先が空を掴む。
その刹那、暗黒の夜空を、一条の光が一直線に走った。
バタコの細い腕が、精密機械のクレーンのように正確なしなりを見せた。新たな生命の核が、滅菌の光を放ちながら、るんるんに侵食されたアンパンマンの頭部へと吸い込まれるように飛来する。
今回、それを歪める者は誰もいなかった。
グチャ、という音はしない。
ただ、完璧な接触音が一つ。
腐敗した古い頭部が弾き飛ばされ、首の
次の瞬間、復活したアンパンマンの全身から、ショクパンマンのUV-Cを凌駕するほどの圧倒的な滅菌光が爆発的に溢れ出した。残存していたるんるんの群れが、悲鳴すら上げる間もなく、白い光の中に消えていく。
『……ル……』
最後の一声が、夜の大気に溶けた。
だだんだんの視界が回復した時、眼下に立つアンパンマンの瞳は、再びクリアなアクリル球として、冷たく光っていた。怒りも、痛みも、あの時の「意志の顕現」も、何一つ宿っていない。完璧にリセットされた、感情のない兵器として。
「……そうか」
ばいきんまんは、その瞳を見つめながら、静かに呟いた。声から、いつもの軽薄な調子が消えていた。
「君は今日も、何も覚えていないんだね」
答えは返らない。ただ、アンパンマンとショクパンマンが並んで、だだんだんへと向き直る。
ばいきんまんは、動かなかった。
コンソールの上に置かれた手が、レバーを握ることも、ボタンを叩くこともせず、ただそこにあった。モニターの中の人形と、しばらくの間、ただ向き合っていた。
攻撃できる。まだ動ける。だだんだんの出力は残っている。
しかし、ばいきんまんの指は動かなかった。
あの瞳の前では、怒りが、奇妙に冷えていくのだ。ぶつける相手が、そこにいない。憎むべき「ジャムの人形」は目の前にいる。しかしその人形の中には、あの夜の「意志の顕現」も、苦痛も、迷いも、何一つ残っていない。これは、戦う相手ではない。ただの、空っぽの容れ物だ。
(……俺様は、何と戦っているんだ)
その問いが、脳裏を横切った瞬間だった。
前回の光景が、コンソールの冷たい感触と一緒に蘇った。漂白されかけた自分の身体。そして、一睡もせず自分を治し続けてくれたドキンの、黒く焼け爛れた指先を。
ばいきんまんは、ゆっくりと息を吐いた。
「……退く」
珍しく、迷いのない撤退命令だった。いや、正確には違う。これほど迷った末に、これほど静かに出た言葉だった。
るんるんは、また育てればいい。
だだんだんが紫のプラズマを噴射し、夜の荒野へと引き上げていく。