世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
アンパンマン号の内部。深夜。
バタコが戦闘データをログとして整理している。
ショクパンの出力記録、るんるんの密度データ、アンパンマンの換装成功記録。
すべてが数値として並んでいる。
ジャムはモニターの前で、長い沈黙の中にいた。
「報告を」
「汚染真菌群:ドーム内個体、完全駆除を確認。発生源はバイキン城と断定。
ショクパンの損耗、軽微。アンパンマンの換装、正常完了。……以上です」
「そうか」
老人はただ一言だけ返し、また黙った。
ジャムがモニターに向かい、今夜の戦闘データを静かに分析していく。
問題は二つあった。
一つ目。
あの青黒い群体は今夜は駆除できたが、発生源がバイキン城である以上、再び送り込まれるのは時間の問題だ。次は今夜の倍の密度で来るかもしれない。いや、それ以上かもしれない。
二つ目。
ショクパンをパン工場から転用したことで、工場の衛生密度が低下したままだ。ばいきんまんがその隙を突いてくる可能性がある。
「対症療法では、追いつかない」
老人が初めて、その言葉を口にした。
これまでジャムは常に「これで十分なはずだ」という判断を下してきた。
しかし今夜、その言葉が使えなくなった。
完璧な管理者が、初めて自分の想定の外側に出た瞬間だった。
「バタコ。方針を変える」
ジャムの声のトーンが、わずかに変わった。
穏やかさの中に、これまでとは異なる硬質な響きが混じっている。
「これまでは、バイキン城を放置し、脅威が顕在化した時点で対処してきた。しかしバイキニウム・オメガ、そして青黒いカビ。あのバグは、私の想定を超えた速度で進化している」
一拍の沈黙。
「バイキン城を、滅菌する」
バタコは手を止めなかった。ただ、ペンの先が、データシートに必要以上に深く押しつけられた。
「……滅菌、ですか」
「そうだ。脅威の根を断つ。これ以上の対症療法は、世界の調律を乱すだけだ」
「ショクパンは防衛に特化した設計だ。攻撃には向かない」
ジャムが窯のモニターへと視線を移す。
その奥で、赤黒い炎が静かに燃えている。
「新しいレシピが必要だね。……強襲型。バイキン城の汚染環境ごと、焼き尽くせるものが」
老人の指が、設計端末の上をゆっくりと動き始める。
「熱と抗菌物質。あの異常真菌の弱点は、今夜はっきり分かった。真菌が最も忌避するのは高熱と抗菌物質だ。ならば、その両方を体内に持つ兵器を作ればいい」
設計図が展開されていく。
体内に沸騰する熱炉を持ち、胸のノズルから遺伝子改造した超高濃度の抗菌スパイス油脂を散布する強襲型レギオン。
その油脂が真菌の細胞膜に触れた瞬間、一瞬で茹で上げ、中和する。バイキン城の鉄と重油と汚泥ごと、内側から焼き尽くすための、新しい正義の兵器。
「カレーパン、と呼ぼう」
一拍置いて、ジャムは続けた。
「バタコ。今回は単騎では作らない」
「……数は」
「バイキン城外周の包囲には十八体で十分。しかし未知の変数がある」
ジャムのアクリル球の瞳が、戦闘ログの損耗率を淡々と走査する。
「不測の事態を考慮し、予備戦力を四体追加する。総数は二十二だ」
バタコのペンが、一瞬止まった。
老人は静かに、しかし冷徹に言い切った。
「不明な変数には、圧倒的な定数をぶつける。」
バタコはデータ整理を続けながら、ジャムの言葉を処理していた。
滅菌。
その言葉が、バタコの処理回路の中で、わずかに引っかかった。
これまでジャムが下してきた判断は常に「管理」と「調律」だった。アンパンマンを廃棄したのも、住民をリセットしたのも、すべては「世界を滞らせないため」という論理の中にあった。
しかし滅菌という言葉は、それとは違う響きを持っていた。管理ではなく、消去。調律ではなく、根絶。
「……バタコ」
ジャムの声が、静かに降ってきた。
「何か、言いたいことがあるのかな」
バタコは一瞬だけ、顔を上げた。
ジャムのアクリル球の瞳が、こちらを静かに見つめている。
その瞳には、こちらの内側を読もうとする気配はない。ただ、いつも通りの、平坦な確認の視線だった。
「……いいえ。何もありません」
バタコは視線を落とし、ペンを動かした。
ただ、その手が、ほんの少しだけ、震えていた。
窯の温度が、新しいレシピのために静かに上昇し始めた。
「世界を、滞らせてはならない。……それだけだよ」
その言葉は、バタコに向けられたのか、自分自身に向けられたのか、分からなかった。
アンパンマン号の窯が、二十二の新しいレシピのために、静かに燃え盛っていく。