世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
ドーム中央基部・地下深層。
住民たちが毎朝、白く清潔な「パン工場」の地上カウンターで微笑みながら受け取る聖体(パン)――その本質が生成される心臓部は、太陽の光が絶対に届かない、地底四百メートルに存在していた。
『PAN FACTORY / 中央聖体生成炉』
そこは、ドームの全基礎、熱供給網、空調中枢、そして全住民の脳波を監視する記憶調律サーバ群が網の目のように直結した、システムそのものの巨大な外部脳である。中央AI『MASTER JAM SYSTEM』――通称ジャムは、無数の光ファイバーの明滅を通じて、絶え間なく流れ込んでくるデータの濁流を処理していた。
第二層『調律処理区画』のコンソールには、ドーム全住民のバイタルがリアルタイムで点描されている。ストレス指数、反抗傾向、記憶異常率。
前夜、外縁区画における「ハッキングによる配給停止」と「エラー個体の外部流出」が発生して以来、そのインジケーターは危険な赤色のスパイクを描き続けていた。
聖体に含まれる情動安定剤、記憶調律ナノケミカル、そして従順性維持成分。
それらの供給がわずか十二時間途減しただけで、調律済みだったはずの住民たちの脳裏に「飢餓」と「不安」というエラーが発生し、自我の制御が崩壊しかけている。
『――不確定要素の増大を検知』
ジャムの平坦な思考プログラミングが、冷徹な結論を弾き出す。
住民の精神安定という名の「文明維持装置」を存続させるためには、これ以上のシステムエラーを許容できない。原因は明確だった。ドームの防壁の外、あの汚泥の荒野に蠢く、自由という名の不完全なバグ――バイキン城。
『聖体炉、最大出力へ移行』
地下第四層。超高温滅菌窯『聖体炉(コア・オーブン)』が、重低音を響かせて駆動した。
そこは、小麦の焦げる甘い香りと、高圧蒸気が充満する、白く染め上げられた煉獄だった。
ゴオォォォ――という地鳴りのような劫火のなか、製造ラインの巨大なアームが動く。
今回ロールアウトされるのは、個体としての汎用性を重視したアンパンマンや、都市防衛に特化したショクパンマンではない。外部の汚染物質を物理的に焼き尽くし、跡形もなく滅菌するための「熱核焦土化ユニット」だった。
重厚な人型フレームの胸部へ、高熱のスパイス油脂を循環させるための特殊配管が容赦なく狂いなく組み込まれていく。
最後に据え付けられた頭部は、一切の凹凸を削ぎ落とされ、粘土細工のように記号化された凍りついた記号としての微笑を湛えていた。
『シリアル01から22。全個体、スパイス熱炉、オンライン』
ガシャイン、と固定ボルトが外れる金属音が響く。
聖体炉の灼熱の霧の向こうから、二十二の影が同時に一歩を踏み出した。
その胸のノズルからは、すでに周囲の空気をつむぐほどの高温のスパイス蒸気が、チチチ、と不気味な音を立てて漏れ出している。彼らには意志はない。ただジャムの外部脳から送信される「コード」を忠実に執行するためだけに焼き上げられた、高熱の兵器群(レギオン)だった。
地上へと続く超巨大な昇降機に、二十二体の巨躯が等間隔に整列していく。
その中央に、移動式管制ユニットである重装甲車『アンパンマン号』が滑り込んだ。
上部ハッチから身を乗り出したバタコの網膜に、二十二基の熱炉が放つ赤黒い輝きが反射する。彼女の視界の隅で、ジャムシステムからのミッション・コードが冷たく更新された。
【対象:バイキン城。座標確定。これより全域滅菌を開始する】
「バタコ、前進」
アンパンマン号の内部から、通信回線を通じてジャムの平坦な声が響いた。
「了解。――カレーパン、出撃します」
バタコの声には、何の感情も、迷いもなかった。
重油混じりの蒸気を噴き出すバイキン城の日常など、この完璧な無菌システムにとっては、ただ排除されるべき「汚れ」に過ぎないのだ。
地上の防壁が左右に割れ、凍てつく荒野の闇へと、アンパンマン号と二十二の影が解き放たれた。
体内の熱炉から発せられる熱気が、荒野の凍えた空気を激しく揺さぶり、夜霧を白く蒸発させていく。
点ではない。線だ。
地平線の端から端までを赤く染め上げながら、焦熱のレギオンは、夜明け前のバイキン城へと進軍を開始した。