世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
それから五日間。
掘削機が見つかった区画は、完全にばいきんまんの工房へと変わっていた。旧時代の工具と、坑道の奥で発見した金属素材、そしてカバオの類稀なる腕力。三人の役割は、自然に分かれていった。
ばいきんまんが設計し、指示を出す。カバオが重い部品を運び、組み上げる。ドキンが配線を繋ぎ、細かい部品を取り付ける。
「そこじゃない、もう少し右」
「これ?」
「そう。……次、カバオ、そのフレームを持ち上げて」
誰も、楽しいとは言わなかった。しかし三人の動きは、日を追うごとに無駄がなくなっていった。
ある日の探索で、カバオは居住区画の跡に一人で戻っていた。
子供用の椅子。身長の記録。壁の染み。
カバオはしゃがみ込み、壁の身長記録を指先でなぞった。一番低い線の横に、小さな文字で名前が書いてあった。読めないほど風化した古い文字だったが、誰かの子供の名前だということだけは分かった。
(ジャムがいなくても、ここで生きていたんだ)
その事実が、今のカバオには前とは違う重みを持っていた。
ジャムが作った無菌室がなければ生きられない、とジャムは言う。しかしこの地下の痕跡は、それが嘘だということを静かに証明している。不完全で、汚くて、それでも誰かが誰かを育てて、生きていた。
カバオはゆっくりと立ち上がり、工房へ戻った。
巨大な穿孔兵器が、ついに組み上がった。
旧時代の巨大掘削機を骨格として、るんるんの菌糸を有機回路として全身に張り巡らせた、ハイブリッド兵器。外見は不格好だった。継ぎ接ぎの金属フレームに、青黒いるんるんの菌糸が血管のように絡みついている。美しくない。完璧でない。しかし確かに、圧倒的な力を持っていた。
ばいきんまんが、コンソールの横にこびりついた錆と泥を、レンチの先でガリガリと削り落とした。
煤けた真鍮の銘板が露出する。そこには、擦り切れた文字が刻まれていた。
『M.O.G.U.R.I.N.』
「……もぐ、りん……?」
背後から覗き込んだカバオが、その文字列を不器用につぶやいた。
ばいきんまんはデータパッドのノイズ混じりのログ画面と、その銘板を交互に見比べながら、尖った歯を剥き出して小さく笑った。
「モジュラー・オーガニック・ジオ・アンダーグラウンド……長ったらしい大深度汚染用の開発コードが書いてある。この泥の底を這い回るために、俺様と同じ『有機(オーガニック)回路』の直結を試みてやがったらしい」
ばいきんまんはレンチで銘板をパチンと叩いた。
「るんるんを喰って、お前の神経で動く。……この不格好な怪物にはお似合いの名前だ。今日からこいつは、もぐりんだ」
「もぐりん」
カバオがその名前を繰り返した。鉄の怪物が、微かに駆動音を立てて応じた気がした。
カバオがもぐりんの外殻にそっと手を当てた。
るんるんが応える。青黒い菌糸が全身に淡い光を走らせ、先端の巨大ドリルが、るんるんの腐食液を滴らせながらゆっくりと回転を始めた。あらゆる地盤を溶かしながら掘り進む、地底の獣。
「……動いてる」
「当たり前だ。誰の設計だと思ってる」
ばいきんまんが腕を組みながらデータを確認する。しかしその目は、モニターではなく、頼もしげにもぐりんの巨体を見つめていた。
カバオは目を閉じた。
頭の奥へ、るんるんの声が広がっていく。もぐりんのドリルの振動が、自分の鼓動のように感じられる。地層の硬さが、皮膚の感覚のようにリアルに伝わってくる。
「……繋がってる。身体が、大きくなったみたいだ。地面を手で触ってるみたいに、どこを掘ればいいか分かる」
ばいきんまんが、小さく笑った。
試運転を終えた夜。
三人はシェルターに戻り、それぞれの場所に座っていた。
ばいきんまんが床に次の設計図を広げた。もぐりんをドームの真下へ進入させるための経路図。パン工場の最深部への侵入ルート。
「次は、あそこだ」
カバオが経路図を見つめた。
「ドームの真下……パン工場の心臓部があるはずだ」
「地上からじゃ絶対に届かない場所に、地下から直接乗り込んで、ジャムの喉元を食い破る」
ドキンが経路図を覗き込んだ。
「……本当に、大丈夫なの?」
「できる」
ばいきんまんは迷わず言い切った。
カバオは経路図から目を上げ、暗い坑道の天井を見つめた。
地上のどこかで、あの白く巨大なドームが、今も嘘の光を放っているはずだ。
「……行こう」
短い言葉だった。しかしそれが、三人のすべてだった。
もぐりんの熱炉が、坑道の中に重油と土の混じった黒い匂いを濃厚に吐き出し、即席の作業灯が、不格好な鋼鉄の身体を青白く照らし出している。
――その時だった。
工房へと続く暗い坑道の奥から、三人の決意を遮るように、不規則な足音が響いた。
金属と人工皮膚が擦れ合うような、ひどく重く、壊れかけた何かを引きずるような歩行音。
ばいきんまんが鋭い目をして旧時代のレンチを握り直し、カバオがもぐりんの前に立ちはだかる。
闇の向こうから現れたのは、重油の煤に汚れた、あり得ざる「敵」の姿だった。