世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
キン、キン、と、硬質な金属音が薄暗い部屋の底から断続的に響いていた。
バイキン城の最下層。鉄錆と重油の匂いが深く染みついた地下工房で、ばいきんまんは火花を散らしながら、巨大な鉄の腕――『だだんだん』の駆動フレームを無心で叩き続けていた。
その細い身体は泥と油にまみれ、ゴーグルの奥の瞳は、連夜の徹夜による疲労で赤く充血している。
「ちょっと、ばいきんまん。これ、焦げすぎじゃないの?」
上の足場から、不満げな、けれどどこか甘えたような声が降ってきた。
ドキンが、汚れたドラム缶を椅子代わりにし、行儀悪く足をぶらつかせながら、手元のお皿を睨みつけていた。
彼女がフォークで突き刺しているのは、ドームの配給所にあるような「純白の立方体」では断じてなかった。
ばいきんまんがジャンクパーツの熱炉で適当に焼き上げた、形も歪で、表面が真っ黒に焦げ付いた、ひどく不格好な肉のような代物だ。ドームの基準から見れば、それは「雑菌に汚染された廃棄物」だった。
「贅沢言わないでよぉ……!」
ばいきんまんは慌ててハンマーを落としそうになりながら、油まみれの顔を上げて抗議した。ドキンに睨まれると、世界を震撼させる天才科学者の威厳など一瞬で吹き飛んでしまう。
「ドームの無菌フィルターをハッキングして、肉や調味料を掠め取ってくるのも大変なんだから……ほら、いいから食べてみてよ。噛んでも砂の味しかしないような代物とはワケが違うんだから。俺様の特製!」
ドキンはフン、と鼻を鳴らし、躊躇いながらもその焦げた塊を口へと運んだ。
咀嚼した瞬間、鋭い塩気と、胸が焼けるようなスパイスの刺激、そして焦げた炭の苦味がガツンと脳髄を殴った。
身体に悪い味がする。汚くて、過剰で、ひどく不完全な味。
けれど――それは、ジャムのドームに漂う、あの生ぬるい「幸福の匂い」よりも、ずっと温かく、生命の熱量に満ちていた。
「……うん。悪くないわねー。ちょっと辛すぎるけど」
ドキンは口元にソースを付けたまま、歪に、しかし嬉しそうに微笑んだ。
彼女の爪先に塗られた不自然なほど鮮やかな真紅のポリッシュが、工房の薄暗い闇の中で、だだんだんのモノアイの残光を受けて妖しくきらめいた。
ばいきんまんはそれを見て、ホッと胸をなでおろすと、嬉しそうに鼻の下をこすった。
「ねえ、ばいきんまん」
ドキンちゃんは皿を置き、窓の向こう、遠くに見える白磁のドーム――神の楽園を静かに見つめた。
「あんたはさ、なんであんなバカげた怪物たちと戦い続けるの? 地上のカバオやピョン吉たちだって、あんたがウイルスを撒けば、みんなあんたを悪者(バグ)だって指差して怯えるじゃない」
ばいきんまんは額のゴーグルをいじりながら、少しだけ視線を泳がせた。ドキンの前では、どうしても格好をつけたくなってしまう。
「勘違いしないでよぉ、ドキンちゃん。俺様は、あんな泥まみれで生かされてる家畜どもを救いたいわけじゃないんだ」
少し照れ隠しのような口調から、徐々に、彼の根底にある鋼のような確信へとトーンが変わっていく。
「俺様は、あの巨大な頭のじいさんが作った『完璧な世界』が気に入らないだけなんだ。あいつは、全部自分のレシピ通りじゃなきゃ気が済まねえ変執狂だ。誰も傷つかない代わりに、誰も自分の意志で飢えることすら許されない。そんな漂白された無菌室の中に、俺様という『歪み』を叩き込んでやりたいだけさ」
ばいきんまんはちょっと気取った風に、けれど凶悪で、最高に純粋な少年のように笑った。
「あいつの正義が完璧なシステムなら、俺様は世界で最悪のバグ(ウイルス)になってやる。神の計算式を狂わせるのは、いつだって俺様のこの、汚れたガラクタたちなんだから!……ね、ドキンちゃん?」
最後はやっぱり、同意を求めるようにドキンちゃんの顔を覗き込む。
ドキンは、それ以上何も言わなかった。
この鉄と重油の匂いが染みついた最上階の部屋で、階下から響く不快な金属音を聴きながら、この男が作ったいびつな食べ物を咀嚼している時間だけが、彼女にとって唯一の「生きた現実」だった。
世界がどんなに綺麗になっても、誰もがそれを正しいと称えても、彼女はこの少し頼りなくて、けれど誰よりも天才な男が遺すガラクタの山を、絶対に手放さない。
「……勝手にしなさい。その代わり、次はもう少し焦げてないやつを作りなさいよ」
「はーひふーへほー、人使いが荒いんだからぁ……」
文句を言いながらも、ばいきんまんは嬉しそうに再び重いハンマーを握り直した。