世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
「――排除プロトコル、フェーズ最終段階を実行」
ショクパンマンの抑揚のない声が地下回廊に響いた瞬間、彼を中心に凄まじい「白い光」が全方位へとフラッシュした。
――『ホワイト・アウト』
光の波が触れた瞬間、地下回廊の強固な岩盤が、まるでチョークか石膏のように次々と白化し、ボロボロと崩れ落ちていく。それはもぐりんの足元にも一瞬で肉薄した。
機体の底面に張り巡らされていた「るんるん」の青黒い菌糸たちが、光を浴びた瞬間に生命の連続性を断たれ、硬い石灰の塊へと変質していく。
「ぎゃああああああああああッ!!」
操縦桿を握るカバオが、心臓を直接掴まれたかのような悲鳴を上げてのけ反った。鼻と耳から、どっと鮮血が噴き出す。
「カバオ君!?」
「るんるんとの
「は、はぁ、はぁ……っ! なんで、だよ……!」
カバオは視界を血に染めながら、狂ったように白化していく世界を睨みつけた。
「ただ、生きてるだけで……! ぼくたちが、ここに生きてるだけで、ダメなのかよ!!」
その血を吐くような叫びに、ショクパンマンは初めて、視線をカバオへと向けた。
その美しい人工皮膚の顔には、怒りも、嘲笑も、憐れみすらもなかった。ただ、マザーボードの割り込み処理を実行するだけのような、底冷えする静寂。
「生存は、許可条件ではありません」
ショクパンマンの瞳が、無機質に発光する。
「適合せぬ不純物は、均一なる秩序の中に消え去るべきです」
叫ばない。怒らない。ただ、絶対的な管理者として、淡々とゴミをゴミ箱へ捨てるように処理を遂行する。その絶対的な「無の恐怖」が、コックピットの空気を凍らせる。
「ひゃははははは! 講釈垂れてる暇はねえんだよぉッ!!」
刹那、白い光の向こう側から、真紅の流星が突撃してきた。
全身の人工配管をどす黒く加熱させたカレーパンマンだ。
「防御を固めろ!」ばいきんまんが叫ぶ。
だが、迫り来るカレーパンマンが纏っているのは、単なる火炎ではなかった。
ドゴォォォォン!!!
カレーパンマンの体躯がもぐりんのフロント装甲に衝突した瞬間、強烈な金属の摩擦音ではなく、
衝突した部分のチタン合金が、信じられない速度で赤茶色に変色し、泥のように崩れていく。ボルトは一瞬で錆び落ち、内部の電気配線はカビが生えたように黒く腐り果て、エネルギーを供給していたるんるんの肉壁が、一瞬で炭化してボロボロと崩れ落ちた。
「なっ……これは…火じゃねえ! 装甲が、腐ってやがる……!?」
ばいきんまんが目を見開いた。
「『スパイシー・バースト』――!!」バタコがモニターを叩く。「熱による消毒ではありません! 対象の分子結合を強制的に分解し、数十万倍の速度で『腐敗促進』を行っています!」
「ひゃはは! その通りだぜ汚物ども!!」
もぐりんの鼻先を踏みつけ、顔面をドロドロに腐食させながら、カレーパンマンが狂ったように高笑いする。
「綺麗も汚ねえも、生きてるも死んでるも、最後はみんな腐って同じ泥になるんだよぉッ! だったら今すぐ、俺のスパイスで灰になりなァ!!」
真逆の二人が、そこにいた。
ショクパンマンは「均一化」による静かなる死を求め、カレーパンマンは「焼却と腐食」による全一の破滅を撒き散らす。
アプローチは違えど、行き着く結論は全く同じ――「個性の完全なる消去」だった。ジャムが創り出した最強の兵器たちは、その思想の極論を体現していた。
「――いい加減にしなさいよッ!!」
その時、もぐりんの上部ハッチが跳ね上がり、ドキンが身を乗り出した。
彼女は剥き出しの溶岩熱と白い光の嵐の中、怒りで顔を真っ赤に染めながら、携帯型バイキ・ウェブの引き金を絞った。
ズドンッ!!
超高粘着性のネットが、一直線にショクパンマンの顔面へと命中する。
「やった……!」
ドキンが叫んだのも束の間、ショクパンマンの身体から放たれる白い光が、張り付いたネットを瞬時に「白化」させた。粘着性を失い、ただの脆い石膏の塊へと変質したネットは、ショクパンマンが一歩進むだけで、パキパキと音を立てて粉々に砕け散った。
「何よ、それ……!」
ドキンが戦慄する。物理攻撃すら、彼には届かない。
ショクパンマンが、ゆっくりと首を傾げ、ハッチから身を乗り出すドキンを見た。その光学レンズの奥で、無数の幾何学データが明滅する。
「識別。……『個体:ドキン』」
その声を聞いた瞬間、ドキンの息が止まった。
胸の奥の、ずっと深い、自分でも忘れていたはずの場所が、一瞬だけ、跳ねそうになった。
「……私を認識して、たの?」
ドキンは、縋るような、祈るような目で彼を見つめた。
だが、白い番人の口から漏れた言葉は、彼女の胸を氷の刃で突き刺すものだった。
「ログに保持されています。廃棄対象の外部ノイズとして登録済」
カチリ、と。
ドキンの中で、何かが完全に壊れ、そして完全に、生まれ変わった。
「……そう」
彼女の顔から、すべての動揺が消え失せた。瞳の奥は、これまでで最も深く、冷たく、そして強固な「拒絶」に染まっていた。
かつて夢見た、綺麗で、洗練されて、誰よりも美しかった私の王子様。
その正体は、ただのプログラム。血の通わない、空っぽの人形。
戦況はあまりにも絶望的だった。
前方からはすべてを石膏化するショクパンマンの絶対領域。左右からは装甲をドロドロに腐らせるカレーパンマンの溶岩流。後方は完全に崩落した泥の壁。
退路ゼロ。包囲網は完全に完成し、もぐりんの機体温度は限界を超えて上昇していた。
「これまで、かよ……」カバオが操縦桿を握ったまま、ガチガチと歯を鳴らす。
カレーパンマンがじりじりと前進し、ショクパンマンが光の出力を最大へと引き上げる。
その時だった。
カバオの脳内に、千切れかけていた「るんるん」の細い糸から、かつてない強烈なパルスが流れ込んできた。
それは、言葉ではなかった。しかし、確かな意志を持った「歌」のような、生の奔流だった。
『ルン』
『ルルル……ルン……ッ!!』
「え……?」
カバオの目が見開かれる。初めて、るんるんの言いたいことの「意味」が、ダイレクトに脳に伝わってきた。
「待ってください……!」
オペレーター席のバタコが、モニターの異常な数値に気づき、立ち上がった。
「るんるんは――死んでいません! 漂白の光を浴びても、腐食の熱を浴びても、完全には死滅していない……!」
画面に映し出されていたのは、驚異的な生命の流転(サイクル)だった。
ショクパンマンの光が、るんるんを白く石膏化する。
しかし、るんるんは硬化する直前、自身の遺伝子を極小の「胞子」へと変えて体外へ放出していた。
その胞子を、カレーパンマンの超高熱が焼き尽くそうとする。
だが、その熱風による上昇気流に乗って、胞子たちは地下回廊の広大な空間へと一斉に飛び散り――熱の届かない別の岩肌に付着した瞬間、驚異的な速度で再び青黒い菌糸を芽吹かせていた。
白くされても、胞子になる。
焼かれても、風に乗る。
どこへ行っても、何度でも、泥から這い出て再生する。
それは、ジャムが定義した「均一な秩序」にも、カレーパンマンの「完全なる無」にも、決して従わない。
どれだけ漂白されようとも、泥にまみれて生き続ける――「生命そのもの」の傲慢なまでの証明だった。
「そうか……」
カバオの唇から、血の混じった笑みが溢れた。操縦桿を握る手に、再び生きた力が漲っていく。
「だからお前は、あの地獄のような地上で、ぼくたちの中に生き残ってたんだな、るんるん……!」
ゴォォォォォォォォッ!!!
もぐりんの全身の亀裂から、見たこともないほど濃密な、鮮やかな「青黒い生体光」が爆発的に噴き出した。
るんるんが、その生命の種(胞子)を、地下回廊の全域へと一斉に拡散させたのだ。
「――予測不能因子を検出。演算、追いつきません」
ショクパンマンの顔に、初めて明確な「システムのエラーノイズ」が走り、光の障壁が激しくブレた。
「ひゃはははは! 面白くなってきたじゃねえか、おい!!」
カレーパンマンが、自身の熱を上回るバイオマスの増殖に歓喜の咆哮を上げる。
番人たちの足元が、爆発的に増殖する菌糸によって激しく揺らぎ、包囲網に決定的な一瞬の「隙」が生まれた。
「ばいきんまん、今です! 前方三百メートル!!」
バタコが、激しくノイズの走るメインモニターの奥を指差した。
「るんるんが暴いた光の向こう側に――『聖体炉外殻』を確認!!」
白い回廊の最果て。そこには、ドーム中枢の心臓部を守る、見たこともないほど巨大な鋼鉄の二重扉が鎮座していた。
その時だった。地下空間のすべてのスピーカーから、システムの冷徹な音声が鳴り響いた。
『――培養槽、稼働率百パーセント』
『
ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ……ッ!!!
鋼鉄の巨扉が、内側からゆっくりと左右に割れ始める。
そのわずかな隙間から、地底の熱風を押し戻すようにして、未知の「大気」がどっと回廊へと流れ込んできた。
「――っ!! なによ、この臭い……!」
ドキンが真っ先に鼻を覆い、あまりの不快感に顔を歪めた。
それは、異常なほどに甘い発酵臭だった。だが、それは飢えた人々の食欲を刺激する優しく温かい香りなどでは断じてなかった。生命の過剰な増殖と、行き過ぎた工業化がもたらす、『死体のように甘い匂い』。脳の奥の神経を直接麻痺させるような、どろどろとしたイーストの悪臭が、四人の五感を暴力的に蹂躙する。
カバオが、自身の内臓がひっくり返るような悪寒にガチガチと歯を鳴らし、青ざめた顔で呟いた。
「パンの匂い、だよな……?」
だが、それは彼らの知るパンの記憶とは、決定的に何かが違っていた。
開きかけた暗黒の扉の向こう側から、空間を震わせて聞こえてきたのは、駆動する機械の音ではなかった。
――ぐちゅり。
――ぐちゅり。
それは、数千、数万という大質量の有機物が、暗闇の中で激しく発酵し、蠢き、膨張し続けている、酷く湿った生物的な音だった。