世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
メキ、メキメキメキメキッ……!!
もぐりんの最外殻装甲が、悍ましい生命の律動を立てて白く膨張していく。
数万体の量産型アンパンマンが捧げる「引きちぎられた顔の肉」。それが触れた部位から、チタン合金は次々と生気のないパン生地へと変質し、機体そのものの自重でじわじわと
「出力が出ねえ……! 動力伝達系まで発酵が回り込んでやがる!」
ばいきんまんが狂ったようにレバーを引くが、もぐりんの巨体は粘着質な白い肉塊に絡め取られ、ただの一歩も進むことができない。
その時だった。
もぐりんのフロントガラスの向こう、押し寄せるアンパンマンの津波の遥か背後で、あの二人が動いた。
ショクパンマンは何も言わない。
カレーパンマンも笑わない。
二人はただ、無機質に、静かに脇へ退いた。
それだけで、カバオの背筋を氷の楔のような冷たい戦慄が走り抜けた。
彼らは増殖などしていない。そこにいるのは、たったの一体ずつ。
だが、彼らは一歩も動かず、ただその冷徹な眼光をこちらへ向けている。その姿は、数万の軍勢を率いる『冷酷な指揮官』であり、ジャムの絶対秩序を執行する揺るぎなき番人そのものだった。
彼らが静かに手を掲げると同時に、量産型アンパンマンの津波が、さらに速度を上げて殺到した。
「いや……来ないで、来ないでよ……!」
ドキンがガチガチと歯を鳴らし、座席へ
ガラスの向こうを埋め尽くすのは、寸分の狂いもない同じ形、同じ色彩の笑顔。ただジャムの意志を物理的な質量へと変換するためだけに産み落とされた、感情なき救済の兵器群。
重なり合う声はもはや巨大な音圧のノイズと化し、もぐりんを全方位から圧殺していく。
「「「「「お腹が、すいたんだね」」」」」
「「「「「僕の顔をお食べ」」」」」
ドガァァァァァァァァァン!!!
殺意も害意もない。ただ純粋な「救済」のレシピが、もぐりんのすべてを呑み込んでいく。
「あ、があああああああああッ!!」
コックピットの中枢で、カバオが激しくのけ反り、白目を剥いて絶叫した。
もぐりんの機体に張り巡らされた「るんるん」の菌糸が、外側から次々とパン生地へと強制変質させられていく。その生命の連続性を断たれる激痛が、共生体であるカバオの神経系をダイレクトに焼き切ろうとしていた。彼の鼻と耳から、ボタボタとどす黒い血が滴り、コンソールを汚していく。
「カバオ君! るんるんの生体パルスが消えかけています!」
バタコが激しいアラートを放つモニターを叩きながら叫ぶ。
「このままだと、もぐりんのコアが完全に同化されます! 私たちも、全員――」
ギ、ジ、……。
もぐりんのメインジェネレーターが、断末魔のような金属音を立てて完全に停止した。
正面の超硬質ガラスは、付着したパン生地の発酵熱によって不透明に白濁し、外の世界を完全に見失わせる。ドリルは飴細工のようにへし折れ、電気配線はシステムエラーの火花を散らして一瞬で黒く焦げ付いた。
完全なる、沈黙。
もぐりんは四肢をすべて奪われ、ただの「白いパン生地の繭」の中に閉じ込められた棺桶と化した。
「……ここまで、かよ」
ばいきんまんが、操縦レバーからゆっくりと手を離した。
計器はすべて破裂し、非常用の赤い警告灯だけが、狭いコックピットを血のように惨めに照らしている。
どんな兵器を作ろうが、どれだけるんるんの生命力を増幅しようが、ジャムが統べるこの「量産型というシステムの絶対的な質量」には届かない。外側からの攻撃はすべて、あの穏やかな笑顔の津波に呑み込まれ、新しい『秩序』の材料に変換されてしまうだけだった。
白濁したガラスの向こうからは、今も、数万体の笑顔がもぐりんの肉を小突き、発酵させ、同化を進める「ぐちゅり、ぐちゅり」という湿った音が響き続けている。
「……だめ、です」
モニターを叩いていたバタコが、がくりと膝をつき、絶望に声を震わせた。
「外側からの干渉はすべて、あの人のレシピに書き換えられて、システムの一部に組み込まれてしまう。……この無限増殖を止めるには、物理的な破壊じゃ不可能です」
「バタコ、何か方法はねえのかよ! お前あいつの一番近くにいたんだろ!」
ばいきんまんが声を荒らげる。バタコは涙を流しながら、かつてジャムの傍らで狂気のプロトコルを管理していた記憶の底を手繰り寄せ、呟いた。
「……レシピそのものを、内側から完全に腐らせるしかありません。あの人のシステムが、決して『漂白』することも『同化』することもできない、プログラムの根幹を拒絶反応で焼き切るような……絶対的な『異物』を、直接中枢に混ぜるしか……!」
「決して同化できねえ、異物、ねえ……」
バタコの呟きを聞いた瞬間、ばいきんまんの動きがピタリと止まった。
「……へっ」
彼の唇から、小さな、乾いた笑いが漏れた。
「あはは……ひゃははははははははは!!」
狂ったような高笑いが、静まり返ったコックピットに響き渡る。
ドキンが、涙を浮かべた目で怯えるようにばいきんまんを見た。
「ばいきんまん……? おかしくなっちゃったの……?」
「違うよ、ドキンちゃん。俺様は今、最高に冴え渡ってるところだよ!」
ばいきんまんはバタコを振り返り、ニカッと不敵に笑ってみせた。
「バタコ。お前、たまには最高に気の利いたヒントを出すじゃないか」
ばいきんまんは、血の滲むような火花を散らすサブコンソールの画面へ向き直り、そのキーを叩いた。
画面の奥、幾重にもロックされたマザーサーバーの
「外から届かねえなら、内側から腐らせる。あいつらが、絶対に『漂白』できねえ――世界で一番汚ねえ、最高最悪の
ばいきんまんは、白濁して分厚くもぐりんを覆い尽くしているフロントガラスを指差した。
「俺たちを呑み込もうとしてるこのパン生地……こいつは全部、マザーサーバーと直結してる
バタコが息を呑む。彼らが突きつけてきた絶望の「同化」ネットワークそのものを、ハッキングの
その瞳の奥に、かつてないほど獰猛で、ドス黒い、生まれ持った本能の輝きが戻っていた。
ばいきんまんが、コンソールの奥にある『変異プログラム』の起動スイッチへ、迷いのない指先をかける。
己の命、そのすべてを電子ウイルスへと書き換え、システムを内側から食い破る本当の覚悟。
ばいきんまんの口元が、世界の終わりを前にして、不敵に吊り上がった。