世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
「――ばいきんまん、何をするつもり!?」
ドキンが叫ぶ。だが、ばいきんまんは答えなかった。
彼がコンソールの奥、血塗られたカバーを叩き割って現れた漆黒のスイッチを押し下げた瞬間、もぐりんのコックピットを包んでいた赤い警告灯が、プツンと、音を立てて消えた。
「……え?」
次の瞬間、コックピット内は完全な「漆黒」に塗りつぶされた。
コンソールから、不気味な意思を持った黒い電子の触手が無数に伸び上がり、ばいきんまんの腕に、背中に、そして剥き出しの延髄へと容赦なく突き刺さる。
「が、ああああああああああああああッ!!」
ばいきんまんがのけ反り、絶叫する。
その指先から、爪の先から、肉体が徐々に粗いデジタルノイズ――漆黒の砂嵐へと変換され、ボロボロと崩れ始めていく。
メインモニターには、マザーサーバーの根幹へ侵入するための逆カウントダウンが、狂ったような速度で明滅し始めた。
『MUTATION PROTOCOL: EXECUTING... 00:59』
「ばいきんまん! やめて、身体が消えてるわ! 戻ってきなさいよ!!」
ドキンが泣き叫び、彼に掴みかかろうとする。だが、その手はノイズと化したばいきんまんの肩を虚しくすり抜けた。
もはや彼は、この世界の物理法則(レシピ)から外れた「不純な概念」へと変貌しつつあった。
ノイズに混じった、酷く歪んだ声が、静かにコックピットに響いた。
「……ドキンちゃん」
ばいきんまんの赤い瞳が、砂嵐の隙間からドキンちゃんを真っ直ぐに見つめた。
消えかける顔に、いつものようにニカッと、不敵で獰猛な笑みを浮かべる。
「あの白い偽物の人形どもをさ……俺様が、最高に汚ねえバグでぶっ壊すところ……そこから、よく見ててくれよ」
「バカ! なんで、なんでそんなこと……! いなきゃ、意味ないじゃない……!」
ドキンがボロボロと大粒の涙を流し、届かない手を伸ばし続ける。
多くは語らない。綺麗で空っぽな人形への嫌悪と、己のバイ菌としての誇り。それだけを告げる彼の背中は、ドキンにとって、どんな王子様よりも泥臭く、そして圧倒的に格好よかった。
「……へっ。俺様を誰だと思ってんだ。……バイ菌は、しぶてえんだよ」
ばいきんまんは、ノイズ化した指先で空中にキーボードを投影し、最後のコマンドを打ち込んだ。
瀕死のカバオを乗せた操縦席が、厚い生体装甲で包まれ、もぐりんの本体から切り離される。
「カバオ。その腹の中にある『るんるん』を、絶対に絶やすんじゃねえぞ」
意識を失いかけていたカバオが、薄らと目を開ける。
「それが……あいつのレシピにない、俺たちがこの泥の中で生きてた……唯一の、証拠だ」
「ばいきんまん、貴方は――!」
バタコが叫ぶ。ばいきんまんは答えず、最後の一撃を振り下ろした。
『EJECT CORE POD: CONFIRMED』
もぐりんを包み込んでいたパン生地の繭が、内側からの圧力で爆発的に食い破られた。
ばいきんまんの意識が溶け込んだもぐりんの残骸が、最後の一速(ラスト・バースト)を放つ。
「行けええええええええッ!!」
ドキン、バタコ、カバオを乗せた脱出コアポッドが、聖体炉の最深部――ジャムおじさんの座す中枢へと、一直線に射出された。
一人、残骸となったコックピットに残されたばいきんまんの肉体は、もはや影すらも残っていなかった。
カウントダウンが、静かに『00:00:00』を刻む。
「……バイバイキーン」
その呟きと共に、もぐりんの残骸から、目を開けていられないほどの「漆黒」が溢れ出した。
それは光を吸い込み、秩序を侵し、あらゆる漂白(ホワイトアウト)を拒絶する、究極の終末ウイルス。
外側で勝利を確信していた数万体の量産型アンパンマンたちが、初めて、その動きを止めた。
彼らの「真紅の瞳」が、一斉にバグを吐き出し、どす黒いエラーノイズに塗りつぶされていく。
結晶プールからは緑の培養液ではなく、どろりとした漆黒の泥が、マザーサーバーを汚染しながら逆流を始めた。
ジャムが創り上げた無菌の楽園に、最高最悪の「不純物」が、今、解き放たれた。