世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録   作:ルーズベルト(-5㎏)

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4. 異形邂逅

バイキン城の鉄門が、重油の混じる蒸気を噴き出しながら左右に割れた。

漆黒の荒野に、地響きのような金属音が轟く。鋼鉄の巨躯『だだんだん』が、何層にも重ねられた重厚な足部を泥海に踏み下ろしながら、死に絶えた世界へと這い出していく。

 

最上階の窓からそれを見送るドキンの視線を背中に感じながら、少年――ばいきんまんは、狭く、潤滑油の匂いが染みついた操縦席で、コンソールのレバーを冷徹に引き絞った。

 

だだんだんの背部推進器が、紫色のプラズマ炎を爆発的に噴射する。巨獣はその自重を呪うように軋みながら、鉛色の夜空へと跳躍した。

 

目指すのは、漆黒の地平線に浮かび上がる人工の月――ドーム状の楽園だった。

バイキン城からそこまでは、距離にしてわずか十数キロメートル。互いの存在を肉眼で呪い合えるその「宿敵圏」を、時速二百キロメートル近くまで加速した『だだんだん』は、低空強襲の軌道を描きながらわずか五分足らずで踏破する。

 

不毛の荒野を高速で滑空していくにつれ、世界を二分する「境界線」がその姿を現す。

光をすべて吸い込むような外側の死の世界に対し、楽園を覆う巨大なドーム防壁は、内側から漏れ出る琥珀色の無菌光によって、夜の底でぼんやりと発光していた。それはまるで、冷たい暗黒の海に浮かぶ、巨大で不気味な発光するクラゲのようだった。

 

防壁の外縁に近づくにつれ、大気は不気味な変調を見せ始めた。

人工的に管理されたドームの排熱システムが、外の世界へ向けて容赦なく膨大な熱を棄てているのだ。凍てついた荒野の刺すような冷気と、ドームから絶え間なく吐き出される生温かい排熱。その二つの大気が激しく衝突し、境界線付近には、視界を完全に奪うほどの濃密な水蒸気の霧が立ち込めていた。 凍結した排気ガスと混ざり合ったその白い煙は、まるで楽園が外部の人間を拒絶するために張り巡らせた、生暖かい結界のようでもあった。

 

少年は、その濃霧に紛れながら、ドーム外縁の配給区画、その防衛網の隙間を縫って滑り込んだ。

 

彼が事前に仕掛けた試作型のハッキング・プログラムは、すでにこの区画の管理システムを静かに侵食していた。完全管理されていたはずの製造ラインは一夜にして致命的なエラーを起こし、住民への配給システムは完全にストップしている。

 

毎朝の聖体(パン)の供給を断たれ、思考の去勢が解けかけた住民たちは、突如訪れた「飢餓」と「不安」という未知のシステムエラーに直面し、ただ夜の闇の中で家畜のように身を寄せ合って震えていた。

 

「さあ、見せてくれ。君の主(マスター)が仕込んだ防衛プログラムが、どれほどのものか」

 

少年がコンソールに向かって低く呟いた、その時だった。

レーダーが異常を感知するよりも早く、操縦席の金属壁を通じて、少年の肌が『異質な熱』を捉えた。

 

夜の底、灰色の凍てつく雲を切り裂いて、それは現れた。

音もなく、しかし強烈な質量を持って飛行する影。それは機械のジェット音ではなく、生命そのものが燃焼するような、不気味なほど静かで、心臓を直接圧迫するような爆発音を響かせていた。街灯の放つ頼りない光が、ゆっくりと降下してくるその姿を、夜霧の中にぼんやりと浮かび上がらせる。

 

それは、少年の想像以上に「人形」だった。

 

あまりに完璧な球体の頭部。一切の凹凸を削ぎ落とされた、陶器のように記号化された不変の笑顔。背中には、凝固した血のように重い赤色をしたマントが、冷たい夜風に硬くたなびいている。

 

何より異様だったのは、この空間を支配した「匂い」だ。

これほど周囲一帯がウイルスの腐敗臭とカビの悪臭に満ちているというのに、その異形(ヒーロー)の周囲だけは、優しく、甘く、胸が焼けるほどに純粋な、焼き立てのパンの香りが濃厚に漂っていた。それは、この凄惨な現実に全くそぐわない、狂気的な「正しさ」の匂いだった。

 

『だだんだん』の巨大な鉄の足元に、その影が着地する。

凄まじい自重によってアスファルトが小さく爆ぜ、放射状に深い亀裂が走った。

 

【挿絵表示】

 

少年はハッチを開け、冷たい夜気に細い身体を晒して、眼下の異形を見下ろした。

 

「……やあ、君が『それ』か」

 

少年――ばいきんまんの声は、凍りついた夜の静寂に吸い込まれていく。

見下ろされた人形は、ギチ、と首のサーボを鳴らすようにして、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳はクリアなアクリル球のようで、こちらへの敵意も、怒りも、あるいは恐怖も、何ひとつ宿っていない。ガラス玉の目だけが無機質に、冷たく光っている。

 

「君は、自分が何のために作られたか知っているかい?」

 

少年は冷酷な嘲笑を浮かべ、眼下の人形に問いかける。

「君のその頭は、他人に食わせるためにある。ジャムという老人が作った、ただの餌だ。君には自由な意志も、立ち止まる権利もない。ただの、歩く自動配給機なんだよ」

 

人形は、答えない。ただ、その笑顔の形のまま、機械的な足取りで、狂いなく一歩を刻んだ。

次の瞬間、人形の右拳が、内部のエネルギー炉の暴発を思わせるほどの、凄まじい熱量を帯びて輝き始める。それは世界を強引に無菌室へと戻し、少年の生み出した『バイキ(自由な不完全さ)』を焼き尽くすための、冷徹な光だった。

 

その笑顔の形は、変わらなかった。怒りも、悲しみも、迷いも、何一つ宿ることなく。

それが少年には、どんな罵倒よりも深く、胸に刺さった。

「――そうか。やっぱり、話す言葉は持たないか」

 

少年は狂おしそうに目を細め、ハッチを強く閉ざした。操縦レバーを握る少年の手は、未知のテクノロジーへの高揚と、そして世界を縛るシステムへの底知れぬ怒りで激しく震えていた。

 

「いいだろう、アンパンマン。どちらの思想がこの世界に相応しいか、俺様が確かめてやる」

 

鉄の巨獣『だだんだん』が、地響きのような重低音を上げて完全駆動した。

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