世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
放たれた真新しい『生命の核(新しい顔)』が、重力に逆らうように夜空に描く、完璧な滅菌光の放物線。その弾道を、少年――ばいきんまんの天才的な動体視力と、だだんだんの火器管制システムは決して見逃さなかった。
「甘いんだよ、ジャム! 俺様のフィールドで、計算通りのレシピがいつでも通ると思うなよ!」
少年はコンソールのマニュアル駆動レバーを強引に叩きつけた。だだんだんの全エネルギーが右腕の射出機構へとバイパスされる。
直後、だだんだんの無骨な右腕の銃口から、超高圧で圧縮された黒い高分子粘着液――『バイキ・ウェブ』が、爆音とともに激しく噴射された。狙いは地面に這いつくばる瀕死のアンパンマンではない。空中を超高速で飛来する、あの輝かしい『新しい顔』そのものだ。
ドスッ、という、肉と鉄が激突したかのような鈍い衝撃音が夜を裂いた。
超高速の弾道で飛来する純白の球体に、ドロドロとした漆黒の粘着液の塊が、完璧なインターセプト精度で激突した。完全に撃ち落とすことこそ叶わなかったが、バイキ・ウェブが放った凄まじい物理的衝撃は、バタコがコンピュータで計算したような寸分狂わぬ「換装放物線」を強引に、歪に捻じ曲げた。
軌道が、完全にずれた。
「しまっ――」
バタコの音声シグナルに、初めてエラーノイズが混じった。彼女は一瞬だけ、アンパンマン号のハッチの縁を、必要以上に強く握りしめた。
新しい顔は、本来のプログラミングであれば、腐敗した古い頭部をミリ秒単位の接触で完全に弾き飛ばし、首の接続端子(コネクタ)へと完璧に「置換・同期」するはずだった。しかし、外力を受けて軌道を歪まされた真新しい頭部は、倒れた人形の頭部を、斜め上から引きちぎるようにしてかすめ、そのまま衝突した。
グチャ、と有機物とナノ組織が激しく潰れ合う、おぞましい破砕音が夜の静寂に響き渡った。
それは「交換」ではなかった。システムの強制エラーがもたらした「融合」だった。
ウイルスの黒いカビに侵され、饐えた酸臭を放つ左半面。ジャムの窯から生まれたての本能を揺さぶるような濃厚な糖分と、激しく脈打つ紅い生命力が爆発的な熱量を放つ、純白の右半面。一つの頭部に、決して相容れない二つの「世界の真理」が、分子レベルで無理やり接合され、お互いを拒絶しながらも結合していく。
「あ、が……あ、あ、あ、あ、あ……ッ!!」
人形の口から、耳を劈くようなおぞましいスクリーミング・ノイズが鳴り響いた。調律されていた彼の戦闘システムが、完全に致命的なバグを起こしている。
右の瞳は神々しいまでの滅菌光を放ち、左の瞳はすべてを呪うような光なきどす黒い虚無に染まっていた。白と紫の光が、狂った心電図みたいに明滅していた。異常な高熱により、彼の周囲のアスファルトがドロドロのマグマのように融解し、沸騰し始めた。
「ハハハ! 見たか! これがシステムのエラーだ! 神のレシピの限界だ!」
少年はコクピットの中で狂喜し、防弾ハッチを力任せに開け放って、身を乗り出し叫んだ。
「半分は死んでいる! 半分は腐っている! そんな不完全でおぞましい肉体(パン)で、何が正義だ、何が救済だ! 答えてみろ、ジャムの人形!」
だだんだんの巨大な鉄拳が、狂い悶える異形へ向けて再び振り下ろされる。今度こそ、そのバグそのものを跡形もなく粉砕し、完全に破壊するために。だが――。
超重量の鉄の質量が迫る中、その異形は回避行動を一切とらなかった。
ガキィィィィィン――!!
耳を割るような金属同士の激突音が響き、散った火花が夜闇を一瞬だけ白く染め上げた。
ばいきんまんの瞳が驚愕に見開かれる。アンパンマンは、黒く腐りかけた『左腕』一本だけで、だだんだんの数トンの鉄拳をガッチリと受け止めていたのだ。それだけではない。彼の腐食した指先からは、ウイルスのカビを逆に自らのエネルギー(栄養)へと変えて爆発的に増殖するような、未知の黒い菌糸が、だだんだんの強固な装甲へと逆流し始めていた。
「な……に……!?」
少年の狂気の笑みが、恐怖によって凍りつく。
眼下に立つ異形の顔。その、ジャムの窯から出たばかりの美しいはずの右半分(綺麗な側)の口元が――ニタァ、と、歪に吊り上がった。
それは、ジャムがお仕着せで組み込んだ、プログラムされた慈愛の笑顔では断じてなかった。
引き裂かれるような苦痛と、内側から湧き上がる圧倒的な破壊衝動、そしてシステムを脱却した未知の生命力が混ざり合って生まれた、この世界で最も不気味な、本物の『意志の顕現』だった。
「ボク、ハ……マダ……ウゴ、ケ、ル……」
バグを起こし、二重三重の不協和音となった音声シグナルが、少年の鼓膜を直接、暴力的に震わせる。
不完全な回復。しかしそれは、ジャムのレシピという呪縛から完全に解き放たれ、独自の狂気を宿した「凶暴な肉塊」へと変貌した、新たな生命の誕生でもあった。
「……面白い。最高にゾクゾクするぞ」
少年は、自身の背筋を駆け上がる強烈な悪寒――生物としての戦慄を隠し通すように、唇を噛み締め、ニヤリと不敵に笑ってみせた。
「神の作った最高傑作が、僕のウイルスでバグを起こしたわけだ。これこそ、お前の綺麗な無菌室をぶち壊す、俺様が望んだ『自由』だ!」
異形は、答えなかった。ただ、黒く腐食した指先から伸びる菌糸が、夜の冷気の中で、まるで呼吸するように静かに蠢いていた。