世界で一番美しい毒 - アンパンマン無菌都市崩壊録 作:ルーズベルト(-5㎏)
「ばいきんまん、しっかりしなさい……っ!」
ドキンは、アンパンチの余波で激しい火花と白煙を噴き上げる真っ赤なUFOの操縦桿を限界まで引き絞りながら、夜の闇を狂ったように疾走していた。助手席には、ボロボロになった少年がぐったりと倒れ込んでいる。一刻も早くドーム外縁の、ジャムの広域監視網から外れた拠点――通称「バイキン城」へと逃げ込まねば、ドームの防衛システムに撃墜されるのは時間の問題だった。
一方、その不穏な赤い光の尾が低空を切り裂き、ドームの排気ダクトが集中する廃棄物区画へと、墜落同然に消えていくのを、裏路地で嘔吐を終えたカバオの濁った瞳が見届けていた。
「嘘でしょ……、起きなさいよ、ばいきんまん……っ!」
バイキン城の最深部、冷え切ったコンクリートの床で、ドキンはちぎれんばかりの力で真っ赤なUFOのハッチをこじ開けた。助手席から転がり落ちるように崩れ落ちた少年──ばいきんまんの身体は、驚くほど軽かった。
アンパンマンの右拳が放った『純白の光』。その直撃を受けた彼の肉体は、おぞましい速度で内側から白く灰化(漂白)し始めていた。
ウイルスの複合体である彼の肉体の下を、青白い光の粒子が虫のように幾千も這い回り、彼を彼たらしめていた「黒い不純物」を容赦なく酸化させ、消去していく。触れると、凍りつくような冷たさと、不気味なほど清潔な無菌の空気が漂った。
「どうすればいいの……。私は機械なんて直せないし、ウイルスのコードだって書き換えられない……!」
ドキンはパニックになりながら、油まみれのメインコンソールに飛びつき、キーボードを狂ったように叩いた。
だが、モニターに映し出されるのは、彼女には到底理解できない暗号のようなバイナリコードと、無慈悲に明滅する【SYSTEM ERROR / CORE BLEACHING(中枢漂白中)】の警告文字だけだった。
城の自動医療システムも、
彼がいなくなれば、この薄暗く愛おしい鉄の城は、ただの巨大なゴミの山になる。
そして彼女は、あの漂白されたドームの、中身のない無菌の幸福の中に一人で放り出されることになる。
「冗談じゃないわ……」
ドキンは涙を拭い、鋭いヒールの音を響かせて調合室へと走り出した。
棚を片端からなぎ倒し、埃をかぶった硝子瓶を叩き割る。知識などない。だが、彼女の脳裏に、あの時の言葉が鮮烈に蘇っていた。
『俺様はな、汚くて、泥臭くて、不純なエネルギーで増殖するんだよ!』
正しさ(白)に対抗できるのは、汚れ(黒)だけ。
ドキンは、城の動力源である黒く濁った「重油」のタンクのバルブを素手で引き絞り、バケツに溢れんばかりの汚泥を汲み上げた。さらに、未完成の兵器の残骸から漏れ出していた、皮膚を焼くような不純物触媒(カビの元)の廃液を、素手のまま強引にかき混ぜる。
だが、それだけでは足りない。彼の肉体を内側から白く焼き尽くしようとする、あの忌々しい漂白の光を止めなければ、肉体そのものが保たない。
ドキンは、乱雑に投げ散らかされた薬品棚の最奥から、とにかく目についた、不気味な半透明の結晶が詰まった重々しい硝子瓶をひったくった。
ラベルに彼の汚い字で殴り書きされた
「何でもいいから、効きなさいよ……っ!!」
ドキンは硝子瓶を床に叩きつけて割り、剥き出しになった大粒の結晶を、近くにあった重いレンチの頭でガンガンと狂ったように叩き潰した。粉々になった純白の結晶の粉末を、バケツの重油とカビの廃液の中へ一気にぶちまける。
指先を彩る不自然なほど鮮やかな真紅のポリッシュが、重油と劇物の混ざり合った汚泥でどす黒く焼け、汚れていく。
彼女は、劇薬の結晶が混ざり合ってどす黒い泡を立てるその汚泥を、ばいきんまんの漂白されかけた胸口の傷へと、容赦なく、塗りたくった。
それは医療でも、再生処理でもない。知識のない彼女にできる唯一の足掻き──剥き出しの執着だった。
「消えないで……。ばいきんまん……っ!」
強烈な還元剤を含んだ黒い汚泥が、彼の肉体を侵食していた純白の滅菌光と衝突し、ジュール熱によるおぞましいふ白煙とともに、パチパチと激しい化学反応の火花を散らした。酸っぱい死臭と、焦げ付いた油の匂いが部屋中に立ち込める。
しばらくして、彼の皮膚の下を暴れ回っていた青白い光が、黒い泥に絡め取られるように鈍くなっていく。彼の肉体は、黒い汚泥と融合したまま、冷たい彫刻のように静まり返っている。
「……ハァ, ハァ……っ」
ドキンはその場にへたり込み、汚れた自分の両手を見つめた。
真紅の爪は黒く汚れ、見る影もない。けれど、部屋の片隅で、弱々しく、しかし確かに「ドクン……」と、ばいきんまんの狂おしい心音が、泥の底から響くような重低音で一度だけ脈打った。