豪雨の日の大橋の出来事は、瞬く間に人の口から口へ伝わった。
目撃者が多かったのもあるが、大衆好みの話だったせいもある。
年配の女性はいちいち涙を流しながら語り、大の男も話し終えると目を潤ませていた。
新聞は、人的被害が彼一人だった事もあって、連日その事件を練り直し脚色し尾ひれを付けて載せ続けた。
川の捜索は、官民とも力を入れて行われたが遺体は見つからず、それらしき靴が片方拾い上げられただけだった。
捜索が打ち切られた後も、子供の実家の侯爵家はしばらくは諦めず、個別に人を雇って探し続けていた。その様も人々の感涙を誘った。
士官学校は彼に名誉騎士の称号を与え、学校葬で弔う事を決めた。
柩には、寮に残された聖書、直前に脱ぎ捨てたマントと、片方の靴が納められた。
***
街中の鐘楼の鐘が一斉に、カランカランと鳴り響く。高い所をねぐらにしている鳥が、驚いて空へ散って行く。
『とうとう、ウェストパレスの英雄、とか言い出したよ』
双剣使いの
学校横の廃鐘楼。
大分昔に鐘が撤去された
『民衆の注目を引いておくのに都合の良い
ジャグラーの男も隣で、規則正しく整列する学生たちと喪章を付けて柩の側に立つ遺族を、瞬きしながら見下ろしている。
『いうて幼児一人助けただけだろ』
『「最期まで微笑んでいた」ってのがミソなんだよなぁ』
『うちの婆さんなんか、目撃者の同級生のイトコの親友、って自慢して、夢中で布教してるわ、ははは』
一歩後ろで、数人の『
鐘の音は煩いが、彼らの耳は必要な会話だけを聞き分ける。
『お前、笑ってたってよ』
一同は、ガランとした暗い堂の一番奥に、膝を抱える小さい影を見る。
『別に』
巻き髪の下の瞳を伏せたまま、子供はぶっきらぼうに答えた。
『子供がおかあさんの手に渡って、あぁ良かったなって思ってただけで、周りの状況も分からないでヘラヘラ笑ってたなんて、ただの馬鹿じゃん、恥ずかし』
この子供は思ったより毒舌だった。
本当に、『別に』としか言い様がない位、ここ数日のすべてが他人事。
子供は『別に』諦めていた訳でもなく、助かる気満々だった。
当たり前だろ、諦めた奴らがなに美談に仕立て上げてんだ。
流されている所、下流の橋で待ち受けていた双剣使いの
『どいつもこいつもわぁわぁ騒ぐだけでよ。下流待機とか基本だろうが』
まぁ運が味方しただけで、間一髪だったのは確か。後から来たジャグラーに両手を握って感謝された。
『それでよ、お前、どうしたい?』
『……うん』
『ま、ゆっくり考えりゃいいよ』
救助に協力した仲間は皆心得て口を閉ざしてくれ、子供はシアター酒場の屋根裏部屋に、ジャグラーたちで匿った。
言葉少なにボォッと過ごすだけの子供に、仲間が代わる代わる世話を焼きに行って、安心させようと新聞を見せたりもしたが、反応は薄かった。
『大人しいけど明るい子だったのに』
ジャグラーが言うには、背中に生々しい折檻跡があるらしい。
『当たって欲しくない心配が当たっちまってた訳で』
遺体の捜索が打ち切られ、学校葬が行われる段になって、子供は初めて希望を一つ口にした。
『自分のお葬式を見たい』
***
そういう訳で、明け方仲間たちとこっそりと、この廃鐘楼に来た。
建物内は鍵が掛かっているので、外壁を伝って登らねばならず、まぁ自分達でないと来られないような場所だ。
遺体の無い柩に遺族が仰々しく遺品を納め、学生たちが列になって献花して行く。
楼から見下ろしていた斥候たちは、後ろでブフッと吹き出す声を聞いた。
子供が立って、すぐ後ろまで歩いて来ている。
『おい、あんまり前に出るな。姿を見られたら不味いだろ』
『だ、だって、あのマント、直前で貴方が掛けてくれた借り物だし、靴だって僕ンじゃないし、ブフッ、フフフ』
『そうなのか?』
『どう見たって僕の足あんなに大きくないでしょ、あれ、上級生専用の
あ――あ、あの人たち誰一人、僕の靴すら分からないのか』
『なんだよそりゃ、そりゃ笑っちまうな』
『うん、笑える、あはは、おっかしい』
川から引き上げられてから魂が抜けたようにボォッとしていた子供が、今日は急に喋るようになったので、少々違和感はあるけれど、まぁ元気が出る切っ掛けになればいいやと、一同は優しく受け答えてやった。
『学校側も、少しでも柩の体裁を整えたかったんだな』
『そうだね、困ったろうね。遺品を取りに寮の部屋に入ったら、泥水がぶちまけられてて、着替えから教科書から全部スダレみたいに切り裂かれてんだから』
『え? おい……』
『気に入らなかったんだろね、平民上がりの庶子に首席持って行かれて』
『ああ……』
『そんなズタボロ何一つ、皆が見てる柩に入れられないよね』
『……そうだな、聖書は?』
『あれも僕ンじゃないよ。あまりに体裁が悪いから、誰かが用意したんじゃない?』
『そ、そうか』
士官学校よぉ……
『あいつらも学校も、これからずっと一時も安心出来ないで、お互いを監視しながら暮らすんだ。ウェストパレスの英雄様に何やってたんだって、バレたら一巻の終わりの爆弾抱えてさ』
『そりゃ……うん、笑えるな』
『あはは、おっかしい! 僕の物が何一つ入ってない柩に、みんな真面目な顔で花供えちゃってさ。馬鹿みたい、あはっ、は、ゲホゲホ、あはは』
『おい、大丈夫か?』
ジャグラーが、子供の背中に手を当ててやった。
『だ、だいじょぶ、わ、笑ったの、久しぶりだから』
『そうか、今までの分も好きなだけ笑うといいぞ』
『うん、声出したのも久し振りかも』
『そうか』
***
葬儀はおごそかに進み、その間子供は楽しそうに笑いながら解説を入れていたが、故人の父親である侯爵が壇上で挨拶を始めた時、表情が消えた。
『バッカみたい、あいつ』
『あいつは何をやったんだ?』
今までの状況からして、侯爵家もどうせロクでもなかったんだろう。
『貴族の義務だとか血が繋がってるとか、外面のいい理屈こねてたけど、つまる所、自分になびかなかった母さんと同じ顔の僕を支配したかっただけなんだ』
『そ、そうなのか』
『何でこんなのが僕の父親なんだろって、疑問だったけど、母さんからの気持ちはまったく無かったって知って、ホッとしたよ。ふさわしくないもの』
『……うん』
とっくに成人している兄たちも、弟の扱いを父に倣った。
楼から子供は貴賓席を見て、あの人も兄に連れられて来た、あの顔も覚えがあると、嬉々として指差した。
公にしたら主権がひっくり返るぞって顔もあった。
『あの人も……あぁ? 牧師さんじゃん、あっははは』
子供はまた笑い出したが、
裏社会に精通している、もっと残酷な事も知っている、そういう場面を見てもいる。
だからって、今目の前で砂を噛み締めるように笑う子供に、何も感じないって訳ではないのだ。
『ああ、あの人、父親の本妻』
子供は、侯爵の横で消し炭のように佇む存在感の無い女性を指差した。
『あの人だけは、ほんのほんのちょっと、マトモだった』
『そうなのか』
少しホッとして、男たちは肩の力を抜いた。
『ある日突然キレて、夫や息子が狂乱して僕を取り合っている部屋に突入して来て、止めてくれた』
『おお』
『僕の背中を焼いて』
『…………』
『奴ら、一瞬で我に返った』
その後、さぁっと醒めた侯爵は、規則厳しく身内の面会すら制限される士官学校に、子供を強引に中途入学させた。
精神が壊れ果て、隙あらば子供の命を狙おうとする侯爵夫人から隔離する為だ。
『愛とかきれいな言葉でごまかした執着より、純粋な憎しみの方がまだマトモ』
侯爵家が川の捜索に力を入れたのは、子供の遺体を自分たちで確保したかったからだ。背中の折檻跡を見られると困るから。
つくづくも彼らにとって誤算だったのは、子供が『ウェストパレスの英雄』に奉り上げられてしまった事。
今では路地裏の浮浪児から窓辺の寝たきり老人までもが知っている。
皆が皆、好いている、尊敬している、崇めている。学校には名誉騎士として盾が飾られる。
その英雄に何をしていたのか。
もしもバレたら、ネタ切れ気味な新聞社が大喜びで英雄の逆境悲話と共に悪者をさらし上げるだろう。
苛めも虐待も、秘密裏でもない油断一杯の遊びの中、多くの者が知っていて共犯者。
彼らはこれからお互いを監視しながらビクビクと暮らさねばならない。
斥候は、目を三日月みたいに細める子供の横顔を見た。
別に仕組んでいた訳ではなかろう。どう考えても不可能だ。
この子が『母親の元に子供を返す』のは本能のような物だ。
善性……英雄部分は本物だと思う。ちょっと大袈裟になってしまっただけで。
『
魔力ゼロは、ゆるく忌避される対象なので、互助の精神でまとまって暮らしています。
フリガナは、『コンジェネ(ラテン語)』か『シミラ(英語)』か迷って。
シミラはなんか悪の組織っぽいからコンジェネの勝利。
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