「門前の民衆は膨れ上がるばかりです」
兵士の声が遠くに聞こえる。
このタイミングで何の厄介事が起こったというのだ。
しかしこちらはそれ所ではない。
伝令は刑場の父王の方へ行くだろうし、対応で刑が少しでも遅れてくれれば、こちらとしては好都合。
第九王子は、地下牢獄への石段を、急いて下っていた。
あの子はきっと恐怖に震えている。一刻も早く行ってやらねばならぬ。
城内奥の小刑場は、既に役人が配置に付き、後は罪人を引いて来るばかりに準備を終えている。
でっぷりとふんぞり返った大国の使者以外、皆一様に暗い顔。
当たり前だ、誰が嬉しい物か、あんな子供に切断刑など。
あの子は何も悪くない。
庭の暗がりで酒臭い大男にいきなり引き倒されたら、抵抗するのは当たり前だ。
重要な条約をぶら下げて来た大国の使者がそんな事をしでかすなんて、思い至る訳がなかろう。
非力な子供が必死に逃がれようと蹴り上げた足が、
そもそも公務で訪れた国で何をやっているのだ。恥ずかしくないのか。
と頭の中で毒を吐くだけで口には出せず、国力の格差に歯ぎしりするしかなく。
怒りに顔を赤黒くした脂ぎった男の、『その無礼な子供の両足を切り落とせ』という嗜虐趣味な要求に、父王も悔しさを呑み込んで刑を宣するしかなかった。
子供はというと驚くほど素直に捕縛に従い、昨夜忍んで行った地下の暗い鉄格子の向こう、『ロゼ』と呼ぶと、いつもと変わらぬ清廉な瞳を向け、『貴方さまの評判はどうなりましょう』と、
あの子はいつもそうなのだ。
どんな状況に置かれても余所事のようにふわふわと、抵抗もせずただ受け入れる。
彼の以前の
人生の経験値が二年かそこらだから、怒りも憎しみもまだ育っていないのだろうか。
どんな処に居てもその瞳は清い。
***
最初に彼を見たのは、外交で訪れた湖沼の国、ノースフレイクのメイン大橋。
売り出しのビラを撒きながら欄干でクルリクルリと
澄んだ唄声は天使の警笛のごとく空に昇り、子供や若い女性たちは『エンジェル・ロゼ』と呼んで、歓声を送っていた。
次に見たのは、もてなしの晩餐会の会場。
シフォンを重ねた幻想的な妖精衣装に身を包み、湖にまつわる伝承歌を唄い始めると、ざわめきも食器の音もすべて消え、客は勿論壁際のボーイまでもがその空間に吸い込まれた。
濁り無い清水のような声だった。
商業ギルドの裏の
三度目は、偶然。
ホテルで早朝目覚めてしまい、窓から湖を見下ろしていると、白い
身体に沿った長袖長ズボンの練習着姿で、柔軟体操のような事を始めたので、妖精のプライベートを除き見している気分でワクワクと眺めていた。
ダンスを見られるだろうかと期待したが、細長い手足で地味な反復運動を繰り返すのみ。
見ているこちらが飽きて、つい欠伸がもれてしまった。
途端、見上げた子供と目が合う。
水底に沈んだ宝石のような、信じられぬほど深い瞳。
『す、すまない』
不用意に謝ってしまった、王族なのに。
『待って、そこに居なさい、動かないで』
慌てて、テーブルに転がっていた昨日コンパニオンに貰った菓子袋を掴んで、部屋を飛び出し階段を駆け下りた。
果たして子供は居てくれた。
ホテル玄関から湖畔へはぐるりと回らねばならず、息急ききって現れた大人に、朝露のまぶされた前髪の下の瞳を大きく見開いて驚いていた。
『い、居てくれてありがとう』
『命令されたので』
差し出した菓子袋に、子供は申し訳なさそうに首を横に振った。
『オーナーに禁止されてる。甘いのは身体を
『子供なのに菓子も食べられぬのか』
『別に可哀想と違う。専門家が計算して最適なレシピを作ってくれてる。咳ひとつで医者が来る。その辺の子供より余程手を掛けて貰ってる』
子供は訥々と答えるが、普段大人に言われている言葉をそのまま喋っているような気がする。
立ち話もなんだからと湖畔のベンチへ誘うと、子供は素直に隣に座った。
『熱心に柔軟体操をやっていたな』
『常にほぐして置かないと、急に躍れって言われる事あるし』
『ダンスが見られるかなと、つい覗き見していたのだが』
『商売じゃない時に激しい動きはやらない。故障したら迷惑かけるし』
あくまで淡々としている。
第九王子は、自分は心得違いをしていたと思った。
この子は特別な
よく見ると、手のひらはボロボロでそこかしこに擦り傷がある。固い地面や欄干の上で、失敗したら命取りのアクロバットをやるのだから、そりゃ己に厳しくもなるだろう。
『君は努力家だな』
『そう? ありがとう』
『昨日の唄声は素晴らしかった』
『ありが……』
『どうしたの?』
『うぅん』
『明日にはもう居なくなるお兄さんに話してごらん、吐き出すと楽になるかもしれないよ』
急に言葉を止めた子供に、ついお節介を言ってしまった。
話の内容如何によっては、この子の主に伝えるつもりで。
『失くなると決まってる物を誉められると、胸がキュッとなる』
『うん?』
『僕もう、十三か十四だし』
『…………』
思ったより歳が行っていたのに驚いた。身体が小さいのは管理された食生活のせいか?
『僕の今の声は失くなる。ギリギリ保っているけれど、昨日だって、途中で出なくなったらどうしようって怖かった。
勿体ないねって、僕の前で平気で言うんだ、みんな。僕が大人になるの、悪い事みたいに』
『それは……』
『確かに、これ以上背が伸びて体重増えたら、今までみたいに踊れなくなるし』
『大人の躍り方にシフトして行けばいいだろう。大人にも立派なダンサーは幾らでもいるんだよ』
『幾らでもいるダンサーなんか、オーナーはきっと欲しがらない』
その後の第九王子は、後から顧みたら自分でも呆れるほど、向こう見ずだった。
商業ギルドの裏の支配者なんて、表社会のこちらから直にコンタクトを取る事すら非常識だ。
でも面会に応じてくれた。
小柄なのに、魔王でも乗り移っているかのようなオーラを醸す老翁だった。
まず、あの子供をこの先どうする予定なのかを聞いた。
相手が微笑んだまま答えてくれないので、
教育と適正な仕事を与え、一人前の大人になれるよう援助をする、と。
多分かなり失礼だったと思う。無理を承知で熱を持って語った。
話を終えると、老人は口を開いて、
『ではお連れください』
と、やはり微笑みながら言った。
『は・・?』と思考を整えられず呆けている間に、翁は周囲に指示を与えながら去り、翌朝出発の玄関に、子供はボストンバックひとつで立っていた。
赤いフード付きマントを被った女の子の服装で、『宜しくお願いします』とだけ、小さくお辞儀をした。
魔王の気まぐれか?
向こうからの条件は、『ロゼには、王族が熱望し高額な支度金を提示したので仕方なく譲渡した、と言ってあるので、口裏を合わせるよう』のみだった。
(確かに、無償でポンと渡されたなんて知ったら、傷付くな……)
成長して理想の天使でなくなる子供を、既にもて余していたのかもしれない。
そう思い至って、第九王子は拳を握りしめた。
自分はけしてこの子を途中で放り出さぬ、一人前の大人になるまできちんと面倒を見てやろうではないか。
途中の街で男の子の服を買い与えた。
『君はもう女の子の格好をしなくていいんだよ』
『じゃあ貴方が守ってくれるの?』
『ああ勿論。それと君に必要な物も与えてあげる。まずは言葉遣いをきちんとして、あとは教養だな』
国へ連れ帰って、きちんと国王の承認を取り、きちんと国民証を作ってやった。
仮親を探したら、下級貴族や裕福な商人が名乗りを上げてくれた。
しかしそこで子供は拒絶した。
『親は要らないです』
『家が無いと社会での立場が定まらぬし、学校へ通うにも保護者が必要だ』
『学校も要らないです。勉強なら貴方の側で』
『しかし……』
『貴方が守ってくれるのではなかったの?』
結局、侍従見習いという形で側に置いた。
子供の妖艶な容姿から、ちょっとだけ品の無い噂が湧いたが、彼の優秀さがすぐに凌駕した。
そう、ロゼは優秀だった。
外交に必要な共通語はすぐに読み書きできるようになり、幾つかの言語の日常会話、歴史、経済などの一般知識も、乾いた植物が水を吸い込むように修得した。
(これは、過去に学校に通っていた可能性があるな……)
本人は十二歳以前の記憶を失くしているが、一度学習した事は脳の引き出しに入っているのかもしれない。
現に、言葉遣いやマナー、所作なども、知っていたのを思い出したように、少し教えるだけで自分の物にして行った。
過去に学んでいたのは、かなりレベルの高い教育だったのだろう。
外交で連れ回した各国で、高位貴族の前に出しても恥ずかしくない迄になった。
それでも、新しい景色に目を輝かせる無邪気な面も見せてくれる。
第九王子は、彼の過去を探ろうとしなかった。
今更保護者に出て来られても困る。
もう欠かせない、大切な、自分が大切に育んでいる子供なのだ。
この先自分が妻を娶っても、血を分けた子供ができても、この子は別枠だ、ずっと傍らに置いておきたい。
それが、一寸目を離したばかりに、こんな事になってしまうなんて……
***
『私の心配はいらぬ。下位王子ながら大切な外交が任されているのは、父王がそれだけ買って下さっているからだ』
『なら良いです』
冷たい地下牢。
子供が話を終わらせようとするので、第九王子は『よくない!』と、食い下がった。
格子から腕を差し入れ、薄い肩を掴んでこちらを向かせる。
『私が何とかする、明朝までに必ず何とかするから』
『え、いいです。何もしないで下さい』
『何でだ、お前は、いつも・・!』
子供は無表情、どこまでも他人事の。
『なあロゼ、軽く考えているのかもしれぬが、足を切るとはお前が思うよりずっと重大事なのだ。人間の身体はそんな粘土細工のように簡単に切り離せるようになっていない』
『…………』
子供は表情が動いたが、すぐにまたスンと元に戻った。
『だから大丈夫です』
『何が大丈夫なのだ』
『理解しています』
『は?』
『冒険者ギルドの職員さんに言われた事あります。お前みたいな小さい身体、太い血管一本やっただけですぐ心臓止まる、って。
両足なんか切り落としたら、どんなに処置しても絶対助からないと思う』
『…………』
『だから承知しています。理解しています。これは死罪なのだと』
『…………』
絶句してしまった第九王子の後ろから、それまで黙って背を向けていた牢番が、そっと寄って来た。
『実は王より預かっている物があります』
青い液体の入った小指程の瓶を差し出す。
『恐怖に怯えているようなら手渡してやれと』
『父上が……』
第九王子はそれの中身を知っている。
やんごとなき者が尊厳を保つ為に使う、平民の子供には破格な贅沢品だ。
『王さま、お優しいのですね』
子供は、暗い牢獄でも宝石みたいに瞬く瞳で、瓶と王子を交互に見つめた。
『でもダメです』
躊躇なく断る子供に、牢番が『何故?』と意外そうに聞いた。
『自分で命を絶った人は天国へ行けないから』
今度は王子と牢番、一緒に絶句する。
ロゼはたまにこうして頑なに、宗教味の強い言葉を口にする。
頭の表面に覚えていないが、魂に深く刷り込まれた『誰か』の教えがあるのだろうか。
***
そうして今現在、門前の喧騒を遠くに、第九王子は地下への階段をひた歩く。
マントの中に洗濯女の衣装を隠している。
逃走させる経路も確保した。
城の使用人には、あの子供の為に協力してくれる者が少なからずいた。
大丈夫だ、きちんと逃がせる、逃がす、死なせてたまるか、死なせさえしなければ後はどうとでもなる、どうでもいい。
王子の身分もこの国に大事だという条約も、どうでもいい、あの子供さえ助けられれば。
王子さま:
真実の愛に憧れすぎて、婚約者に去られた経験アリ。
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